1.きまじめユーレイ、カードゲーマーと出会う

1-0.ユーレイと遠い日の記憶


 まずは、使い魔のはっきりとした外見イメージを頭に描くこと。

 次に、召喚する使い魔がどんな能力を持っているのかを把握し、その内容を呪文テキストとして理解すること。

 以上の点を踏まえた上で、魔法陣に魔力を通す。

 並べてみると簡単そうだが、やってみるとこれが意外に難しい。それが、使い魔召喚の呪文である。



 いつの時代のどんな国でも、魔導士見習いがまず覚えるのは使い魔を使役する呪文である。

 ただ、『使い魔』という言葉を用いる場合、普通それは魔法によってゼロから生み出された生き物のことを指す。

 ゆえに、厳密に言えば『生き物』という表現はやや正確でない。魔法によって作られた形だけのハリボテが、魔力というガソリンを注がれて動いているようなもの。どれだけ生き物らしく見えようが、それは人形劇の範疇を出ない。

 出ないのである。

 出ないのであるが。


「や、やった……! やりました!」


 今年四歳になったばかりの少女に、そのような理屈が何の意味を持つか。

 天井には豪奢なシャンデリア、床にはなめらかなビロードの絨毯。いかにも金持ちの豪邸といった様子の広い部屋の中心。床に白のチョークで書いた魔法陣と、その前にたたずむ小さな少女。

 たった今使い魔の召喚呪文を成功させた幼い少女は、自らが呼び出した小さなフクロウを腕いっぱいに抱きしめて跳ねた。

 命とは呼べないまがい物。けれど真っ白な羽毛は触るとふわふわしていて、命の定義などこのときの少女にとってはどうでもいいことだった。

 四歳とはいえ人とフクロウ、少女の力強い腕に白いフクロウはくぅと苦しそうに鳴く。謝罪とともに慌てて力を抜く少女だが、けれど手放すには惜しい愛らしさで、結局壺でも抱えるような姿勢でフクロウを持つことにした。


(――お父様とお母様にもお見せしましょう。そうだ、それと……お兄様にも!)


 くるくると喉を鳴らすフクロウを抱えて、少女は部屋を飛び出した。

 褒めてもらえると思っていた。

 実際、四歳でこれだけの使い魔が呼べるなら、それは十分に褒められていいことのはずだった。

 四歳でこれなら上出来と言って差し支えない、はずだった。


(ええと、ええと……)


 兄と両親はたびたび少女を置いてどこかに行ってしまうので、少女の世話をするのはいつも使用人の役目だった。その使用人から聞いていた。今日は全員家にいると。

 どこだろうと、どこにいるんだろうと広い邸内を駆け回ること数分。父の魔導研究室の前を通りがかった少女は、半開きの扉からかすかに漏れ聞こえてくる声に気づいた。


「これだけのデッキを――――この歳で――――」

「――ボーレイ――試しに――召喚を――」


 話の内容に興味などない。少女はフクロウを抱いたまま、扉を背で押して開けようとして、


 突如、研究室の中から轟いた――咆哮に。腰を抜かして、尻餅をついた。

 あまりにも強い音の圧力に、扉が音を立てて閉まる。フクロウが毛を逆立てて飛びのいた。

 獣の咆哮にしか聞こえなかった。けれど、こうまで大きな声を出せる大型の獣など、少女には想像もつかない。

 ためらいがちに、そっと扉を開けて、研究室の中を覗いて。それで、少女が目にしたのは――

 竜だった。

 深緑色の、見るからに硬そうな鱗に全身を覆われた竜。大きな一対の翼を窮屈そうに畳んでいて、とてもこの研究室に収まるようなスケールとは思えなくて、事実、天井には頭をぶつけたと思しき破壊の跡があった。

 少女など一口で丸呑みにしてしまえそうな、強大な竜。

 その足元で、竜の脛のあたりをそっと撫でている――少女とよく似た顔立ちで、少女と同じ金髪をした、少女よりすこし年上の少年。


「――見事。見事です、ボーレイ。まだ七歳! 七歳でこれだけの使い魔ファミリアを扱えるなんて! 我が息子ながら、素晴らしい!」

「いいや違う、それだけじゃない。見ろ。見てみろ。ボーレイが組み上げたデッキを見ろ……。呪文の扱いだけじゃない。ことカードゲームにおいて、我が息子はいつかこの父を超える――いや、既に超えているかもしれない!」


 兄の将来の展望について、両親はけたたましく唾を飛ばしながら、熱を込めて語った。当の本人は興味なさげな顔をしている。

 次はあの呪文を、次はこの呪文をと興奮した様子で語る父母に、兄は至極どうでもよさそうに『それはもう使える』とだけ返した。

 それでいっそう沸き返る両親を見ていられなくなって、少女は静かに扉を閉め直す。

 力なく腕を出すと、その腕にそっと小さなフクロウが留まった。不安げに首をかしげながら、うつむく少女の瞳を覗き込む。

 それがとても頼りなく見えた。

 胸にぽっかりと開いた空白を埋めるように、少女はフクロウを抱きしめる。

 けれど、まだ未熟な少女には使い魔の維持が難しかったのか。フクロウは白い光の粒になって、霧散してしまった。


 この程度で浮かれていたおまえは愚か者だと、突きつけられたような気がした。


 うちの娘は天才か!? よしよし今日は記念日だ。なんでも好きなものを買ってやるぞ――

 ――四歳にして使い魔の召喚に成功するというのは、つまり。これが"普通の"家庭であれば、そのくらいの褒められ方をするであろう出来事だった。

 普通の家庭ではなかったというだけだ。

 普通ではない天才が、身内にいたというだけだ。


(……お兄様は、わたしより、三歳も年上なのです。……そう、三歳も)


 そうだ、考えてみれば自分は四歳。兄は七歳。三歳も上なのだ。

 少女は自分に言い聞かせた。今の自分が兄に及ばないのは当然なのだと言い聞かせた。

 三年経ったその時に、兄と同じ領域にいればいいと信じた。


 少女の名は、ユーレイ・ローゼスト。

 兄はボーレイ。妹はユーレイ。少女にはユーレイというきちんとした名があるはずで、でも、年を経て、外の人間と話をする機会が増えるにつれ――

『ローゼストの妹』という呼び方をされることが増えてきたのを、彼女は敏感に感じ取っている。


 十年あまりの時が流れて、今、少女は十七歳になった。

 あの日兄がいた領域に、彼女はまだたどり着けていない。


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