1-1.ユーレイとその兄
五大国の一角を担う魔導王国、ハイランド。その首都グランピアンのちょうど中央には、天を衝き、雲の上へと消えてゆく巨大な塔が建っている。『バベル』と名付けられたその塔こそが、この魔導王国における王宮と最先端魔導研究施設の役割を一手に担う、ハイランドの中枢といえる施設である。
この塔を訪れるたび、ユーレイ・ローゼストはいつも同じ空想をする。
――もしも敵国の魔導巨兵が攻め込んできたら、こんな塔はラリアット一発でへし折られてしまうだろうな。
バベルには磁気魔法と風浪魔法を組み合わせた魔導エレベーターが地上から最上階まで通っている。そんな上りゆくエレベーターの窓から街並みを見下ろすたび、眼下の都市を踏み荒らしこの塔を破壊する魔導巨兵の姿を彼女はついつい幻視してしまう。
今は、そういう時代なのだ。
エレベーターが到着のベルを鳴らし、最上階、赤絨毯敷きの廊下に出たユーレイは、二、三度大きく頭を振って、縁起でもない幻を振り払い、歩き出す。
才能のあるやつは礼儀がないし礼儀のあるやつは才能がない。魔導士とは基本的にそういうものだが、それで言うとユーレイ・ローゼストはかなり奇跡的なバランスで才能と人間性を両立した才女だった。
ローゼストの家はハイランドでも指折りの名家で、名門ゆえの教育方針がユーレイを淑女に育て上げた。肝心の魔導の才能に関してもローゼストの血が中の上を保証する。そんな家柄の威光のもと、彼女は齢十七の身でバベルに籍を置いている。
今だってそう、ユーレイが目指すのはバベルの塔の最上階。この国で最も偉い大魔導士、国王の居室に用がある。
広い廊下を早足に歩く彼女の背筋はピンと伸び、身にまとう純白のバベル指定制服――これ一着が正装と戦闘服を兼ねる――には、シミどころかシワひとつない。他のバベル所属魔導士を見渡せば、コーヒーだとか研究用血液だとかで大量のシミを作ってしまってチェック模様みたいになった制服を着る者から、茶色く変色した制服におまえそれいつから洗っていないと聞いても曖昧にほほ笑むだけの者、果てはそもそも制服以前に下着を着ていない全裸まで、多種多様なダメ人間が雑多に混じり合っている。
そんなだから、おろしたてのようにパリッとした制服を一切着崩すことなく凛と着こなしたユーレイはとても貴重な存在なのだ。歩くたびにさらさらと靡く金髪はほつれひとつなく髪の一本一本が輝きを放つようですらあり、その姿は『清潔感』の三文字を体現する。。 大人びて整った顔立ちは、しかし丸く大きな水色の瞳にだけ若さと純粋さのきらめきを残しており――その瞳は、今、緊張のあまり、熱に浮かされたように潤んでいた。
「――失礼します。ユーレイ・ローゼスト、ただいま参上いたしました」
「入ってくれ」
扉の前で深呼吸をしてノック二回、返ってきたのは国王の声。
家柄上貴人との社交に慣れているとはいっても十七歳、それも今回は国王と二人きり。少女ユーレイ・ローゼストの小さな心臓は今はち切れんばかりに鳴っていた。
国王、アクティ・ハイランドの御前――玉座の間というよりは執務室のような部屋になっていて、そこはユーレイも安心した。とはいえ廊下から引き続き絨毯は赤く、壁紙も赤く、テーブルも赤く、全般的に赤いのは派手好きの王の趣味ゆえか。
「暑い中だ。喉が渇いたろう?」と国王が手ずから用意してくれたカップには、恐れ多くてとても口を付けられない。ちなみに中身は酒である。真っ昼間からしかも未成年相手に堂々と酒。魔導士たちの国を統べる王はつまり魔導士の鑑であって、やはり実力に人間性が伴わない。
アクティ王は自分のぶんの酒を一息に飲み干すと、お代わりを注ぎながら話し始めた。
「ザイナーズがまた侵攻の準備を始めているという情報が入った。……というのは別に、改まって言うことでもないが」
それは、地上を支配する五大国――魔導巨兵を有する五国――のうち、魔導巨兵を侵略戦争に投入する決断を始めて下した、五国の中で最も血の気の多い好戦国家の名。
十五年前、ハイランド本土を焦土と変えたザイナーズ所有の魔導巨兵【コンセプター】は、あわや首都にまで攻め上がるかと思われたところで、ようやくハイランドの出動させた魔導巨兵【シルバー・バレット】に侵攻を阻まれる。かろうじてハイランドは国家滅亡を避け、これにより魔導巨兵同士の『決闘』という概念が五大国に知れ渡ることとなった。
傷跡は未だ深く、けれど、だからと言って敵国が手を休めてくれるわけではなく。いつ敵国の魔導巨兵が攻めてきても迎撃できるよう、ハイランドという国では常に【シルバー・バレット】のパイロットに相応しいカードゲーマーを選定するようにしている。
「……失礼ながら、王」
「何かね?」
二杯目の酒も飲み干した王は何はばかることなく手つかずのユーレイのカップへと手を伸ばした。
「その、今年度【シルバー・バレット】搭乗の任は、愚兄ボーレイ・ローゼストが務めるはずだと……。そのような通達が、年の始めにあったと記憶しているのですが」
「そう、そう。ボーレイだ。君の兄。前々から目をかけてはいたが……いや、大した男だよあいつは。百年にひとりといない天才だ」
ユーレイ用に注いだはずの酒すら自分で飲み干すと、アクティ王は頬を赤くして語った。完全に居酒屋の空気であった。
「いや、ここ数年パイロット候補を見つけるのも簡単な話ではなくてね。ほら、ここんとこ厳しいだろう決闘。年々敗色が濃くなってくる。国の存亡をひとりで背負って、死ぬほど神経をすり減らす。やってられるかって投げ出して逃げちゃう魔導士がいっぱいいるわけだ。いや、そこんとこ君の兄貴はすごい。国の行く末賭けた決闘だってのに、二つ返事で引き受けて、日々修練に励んでた。大した男だったよ本当に」
褒められている、はずである。身内が国王からの称賛を浴びているはずである。
にもかかわらず、ユーレイの白桃のようになめらかな頬を一筋の冷たい汗が伝うのは――兄ボーレイがどんな人間であるか、彼女が十分に知っているから。
緊張に乾いた唇を、かわいらしく健康的な桃色の舌をちろりと出して、一度湿らせる。少女ユーレイ・ローゼストは、十七歳の少女が浮かべるにふさわしい、花が咲くような笑顔を作った。
「その、まさかとは思うのですが。ひょっとして……兄は、ボーレイは、まさか、まさかとは思いますが……何事か、しでかしたのでしょうか?」
「ああ。逃げた」
「なるほど、逃げましたか。それなら……」
「はい?」
アクティ王は懐から一通の封筒を取り出した。
筆文字で『辞表』。三秒で書き殴ったのが目に見えるような、かすれた雑な字だった。
たっぷり十秒ユーレイは硬直して、読みたまえと目で促す王に気づいて慌てて再起動する。中の便箋に書かれていたのも、雑に雑を極めた汚い字――
『こんな国にとどまってる場合じゃねえ。俺は出ていく、止めてくれるな』
兄の字だということは一目見てすぐにわかったのだが、追い打ちをかけるかのごとく結びには『byボーレイ・ローゼスト』とここだけは丁寧な字で署名がしてある。
ユーレイは目まいを起こして倒れた。
そして王の御前であることを思い出してすぐに起き上がった。
「あ、あの、これ、これは」
「私のところにこの辞表が来たのが昨日の話でね。ボーレイは現在行方不明だ」
どっかとソファーに腰を下ろしたアクティ王は、柔らかい背もたれに全体重を預け、反り返った姿勢で酒を呷る。カラになった瓶を名残惜しげにちろちろと振ってから絨毯に放り捨て、反り返ったその姿勢のまま、戻ってくることなく、天井を見上げたまま――
「国の存亡を賭けた、魔導巨兵同士の決闘。その直前に、我が国の魔導巨兵に乗るはずだったパイロットが逃げ出した」
――『こんな国にとどまってる場合じゃねえ』この文面、亡命宣言も同然である。
十五年前の【コンセプター】襲撃はハイランドに甚大な被害をもたらし、今なお回復が済んだとは言いがたい。そんな祖国の窮状を鼻で笑ってどこかへ逃げたというのである。
「何はともあれ、代わりのパイロットを見つけねばならんのが今の状況だが」
限界を超えた無礼にユーレイが凍りつくその傍らで、すべての感情手続きを省略した王は無表情に告げた。
「――身内の恥は己の恥と。そんなふうに言うことがある」
その台詞の意味を測りかねて、ユーレイは言葉を詰まらせた。が、
「ローゼストの家は名門だ。兄が逃げたなら代わりは妹だと、それで済めば楽だったが」
そう述べ立てる声色と目が全く笑っていないことに気づいて、
「おまえでは、それが無理なようだから。民間から探そうと思ってる」
「……は、っ?」
答える声はどうしても、首を絞められたような掠れたものとなる。
自分では兄に及ばないことくらい、ユーレイも理解してはいる。けれど、それにしたって王の声はとても冷たくて、
――魔導巨兵のパイロットを選定する基準は二つ。最低限、魔導巨兵を動かすだけの魔力量を備えているかどうかと、もう一点――『カードゲームが強いかどうか』。
何よりもカードゲームに秀でていなければ国を守ることはできず、だからこそ、ハイランドでは毎年パイロット候補者を集めたカードゲーム大会が開かれる。そこで優勝した者が晴れてその年のパイロットに選ばれ、今年のそれは兄ボーレイであるはずだった。
「十五年だ。いい加減新しい風のひとつも入れたほうがいい……」
それが、今――なんと言った?
「――魔導巨兵のパイロット候補に、地下のカードゲーマーも採用しようと考えている」
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