1-2.ユーレイとその上司たち


 ユーレイが所属する研究室――『魔導兵装開発部』は、そびえ立つバベルの塔のちょうど中間部あたりに位置している。

 研究室自体はオーソドックスなオフィスの体を成しており、広い部屋の中央には大鍋型の魔力炉がずどんと置かれているが、これを使うのは魔導兵装の試作をするときだけで、普段は蓋をして会議用のテーブル代わりに使っている。鍋の真ん前には泊まり込みで研究をする際の寝床として重宝する大型のソファが設置されていて、今もこの部署のチーフが寝ころんで魔導タブレットの画面をスワイプしているところである。


「……あ、待って。待ってね、ユーレイ。当てるから」


 ユーレイより一回り年上であるはずのその女性は、しかし年相応の落ち着きというものをまったく感じさせない弾んだ声を上げ、上体を起こした。

 耳も、うなじも、惜しげもなく見せびらかすように出したベリーショートの髪色は、真っ白。雪原を駆ける白兎のような純白に、どう染めればこんな色になるのかと初対面でユーレイも目を剥いた。それと対を成す純黒の双眸、歳に見合わぬ子供っぽい好奇心にちらちらと光る瞳を向けられて――今もまた、ユーレイは目を剥いている。


「引き抜きでしょう、ずばり。若い才能と美貌をもっと上で使わないかって誘われたんだ」

「……ハクローさん。ハクローさん」

「で、それを断ってきた。『私は、まだハクロー先輩の下で仕事がしたいんです!』――昇進を蹴ったことに後悔はない。あの人は、本当に偉大な魔導士だから。けれども真面目なユーレイちゃんは、王様直々の命令を断っちゃったことをぐずぐず気にしてる。そういう感じでしょ?」

「ハクローさん」

「なに?」

「せめて下着くらいは着てくださいって、朝言ったばかりじゃないですか……」

「あ」


【全身兵器】ハクロー・ターミナル――ユーレイより一回り年上の女性魔導士は、年齢差を感じさせないほどになめらかな肌を持つ一方で、年齢差を確かに感じさせる、ユーレイとは違う豊かな双丘も胸元に併せ持っている。

 ただし、彼女は服を着ていない。

 その全身には無数の呪文が黒インクでびっしりと、びっっっっしりと隙間なくこれでもかというほど書き込まれているため、パッと一瞬見るだけなら何か黒い服を着ているように見える。錯覚である。実際のところは正真正銘一切合切何も身に着けぬ全裸である。魔導士というのは基本的に人間性に難を抱える生き物だが、それにしてもこの上司は正気でない。正気ではないのである。

 魔導士はいろんなものに呪文テキストを記す。であれば、果ては自分自身の肉体に記すしかないだろう――という思想を実践に移してみたところ、「思ったより黒くなったからこれもう服とか着なくていいんじゃないかな、こんだけ呪文のストックあるの見たら敵も警戒するだろうし」という理屈のもとハクローは全裸で過ごすようになった。ついた異名が【全身兵器】。いつでも無数の呪文を使えるというのが目に見えるからである。職場で同僚を威嚇してどうする。


「しかし、異動じゃないならなんだったわけ? 何の話よ王様から直接って」


 申し訳程度に黒の下着を身に着け始めるハクローを見ながら、ユーレイはため息をついた。下着は黒に限るというポリシーを持つハクローと仕事をするにあたって、あるとき自分が胸の突起の有無でハクローが下着を着ているかどうか見分けるようになっていると気づき、純真なユーレイはそれから一週間近く自己嫌悪に陥ったものである。


「……『虹のカラセル』という人を、知っていますか?」

「虹のカラセル。……カードゲーマーの?」

「あ……っ、知ってたんですか!?」

「うんうん、知ってる。ま、カードゲーマーって言ってもアンダーグラウンドのだけどね」


 上下ともに隠すべきところをようやくちゃんと隠したハクローは(それでも下着だ)、そこで改めてソファに座り直した。

 東の果ての国の昔話に、邪悪なるものを避けるため全身に呪文テキストを記した盲者の話があるという。実際見てみると確かにこれなら邪悪なものもまともな人間も近寄ってこないだろうとユーレイは思う。


「探してるの? 『虹のカラセル』。どっちかっていうと、いい子ちゃんのユーレイちゃんが手ぇ出すような界隈じゃないと思うんだけどなー、あそこ」

「……それでも、王の御命令ですから」


 ハクローは全裸でこそあるものの、全裸でさえなければそれなりに会話が可能な魔導士である。そのハクローが苦笑とともにやめたほうがいいと忠告する世界。

 今しがた、王の居室で交わしてきた会話を思い出し――ユーレイは、痛む頭をほぐすように、額をしばし揉んでいた。




「『虹のカラセル』……ですか」

「地下トップランクのカードゲーマーだそうだ。その男を探し出し、ここまで連れてこい」

「……私が、ですか?」

「そうだ。こちらから何人か出してもいいんだが……、地下のカードゲーマーといえば、ゴロツキと狂犬しかいないような世界だ。なるべく面倒は避けたい」


 ――そういう世界だと知っていて、どうして私に捜索を頼むのでしょう?

 冷え切った王の視線と、テーブルに投げ出されたままの兄の辞表。それらを交互にちらちらと眺めるユーレイが、そんな問いを口に出すことなどできるはずがない。

 かつての戦火から十五年、五つの国が睨み合う中でハイランドはなんとか命脈を保っている。それでも国を治める身としてみれば日々気が気ではないだろうし、そんな立場からしてみれば、全ての責任を放り出した兄も、その妹も――憎くてしょうがないだろうから。


 総括して、ユーレイ・ローゼストはこんな国に生まれてしまったことが間違いとしか言いようのない、しかし泥の中に咲くからこそその穢れなき美しさはいっそう際立つ、一輪の花のような少女魔導士であった。


 そんな彼女がこれから向かうのは、やれスラム街だ、やれ狂犬だ、温室育ちのお嬢様とは百八十度対極に位置するような――カードゲーマーたちの世界である。

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