2-5.「お嬢はメロンって柄じゃなくない?」と頭で思っても口には出さずただ胸元を一瞥するに留める


 三日後、ユーレイは大玉のメロンを抱えてグランピアンの街を歩いていた。

 現在、カラセルは自宅にてデッキの最終調整に入っている。眼前に迫ったザイナーズとの決闘はユーレイとしても気が気でないが、とはいえ実際に闘うのはカラセル。逸ったところでどうにもならない。

 仕方がないのでユーレイのほうは普段通りの業務に徹していた――つもりだったのだが、露骨にそわそわしている彼女を見かねたハクローが様子を見てくるよう指示を出した。

 そんなわけでメロン片手に陣中見舞いという流れである。

 なお、なにぶんユーレイは真面目なのでお見舞い品の品定めもじっくりと時間をかけて行ったのだが、どのメロンが良いか真剣に眺める彼女の肩をそっと叩いて『望みはあるわ。まだ若いんだもの』と優しく囁いたハクローの言葉の意味を彼女は理解できず、とりあえず下着姿の痴女はすみやかに塔へと帰らせた。


 木造二階建てのアパートのきしむ階段を一段ずつ登り、カラセルの部屋の前で立ち止まる。

 一人暮らしの殿方の家に、自分一人で訪れる――別に今日が初めてではない。カラセルがこちらに来てからというもの世話にあちこち連れ回されたわけだから、部屋に入る程度のことは決して珍しいことではない、が。

 なにぶんユーレイは純真なので、この部屋の戸を叩く瞬間、どうしても。

「はしたない」とか「まだ早い」とか、そういった感情が胸の中でぐるぐると渦巻くのを感じてしまって、頬が赤らむのを抑えられない。

 だから彼女は今日もいつも通り、深呼吸をして心臓を落ち着け、咳払いをして喉の調子を整え、万全のコンディションを整えてから二回ドアをノックした。


「失礼します、ユーレイです。差し入れなどお持ちしましたので……、ええと、その、お邪魔でなければですが」

「はいはい、どうぞお入りください」

「……はい?」


 女の声が返ってきた。

 鈴を転がすようなユーレイの声とは対照を成している、やや低めのハスキーな声である。けれど間違いなく男ではない。

 鍵のかかっていなかったドアノブは抵抗もなく回り、四畳半の狭い部屋へとおそるおそる足を踏み入れたユーレイが目にしたのは、

 ちゃぶ台を挟んで向かい合っている、カラセルと――見知らぬ女。


「……こちらの方は?」

「ガラの悪い連中に絡まれてたとこを助けたらお礼がしたいって言われてねー。聞けばカードゲーマーだっていうし、なんか話が盛り上がっちゃって」


 ユーレイより頭一つは低い、随分と小柄な女子である。その割に来ている服はかなり丈の長いゆったりとした黒のローブ、立ち上がったら裾を踏むどころか大部分引きずって歩くことになるだろう。ローブと同じ色のとんがり帽子もローブと同じように大きくて、半ばずり落ちそうになっているその帽子が目元を隠していた。紫がかった色の髪が隙間からわずかに見えるのみである。

 ――このあたりでは、見ない格好だ。

 短く思考をまとめたユーレイは「つまらないものですが」とメロンをテーブルにどっかと置いて正座する。


「じゃ、せっかくだし切ってもらおっかな」

「はい?」

「包丁とまな板。場所わかるでしょ?」

「……」そしてすぐに立った。

 安物の包丁とまな板を抱えて戻ってきたユーレイに、謎の女はくすくすと口元を抑える。


「家のどこに何があるかを把握している。つまり……」

「そういう関係ってことです」

「違います」叩きつけたまな板でテーブルが揺れた。

 小芝居である。小芝居ではあるが、心なしか包丁を握りしめる右手には力が籠もり――まな板を前にユーレイは静止した。


「あっと、これは失礼を。ローゼストの令嬢に包丁仕事なんかさせちゃいけないね」

「…………ええ。恥ずかしながら、生まれてこの方台所に立ったことがまだ一度もなく……」


 "ローゼスト"をいやに強調しながら大仰に肩をすくめたカラセルに、ユーレイも頬を引きつらせて合わせる。


「はてさてどうしたものかなあ。おれは死んだ爺さんの遺言で絶対包丁握んなって言われてるし……」

「なのに包丁は置いている、と」

「この世の七不思議ってやつですね」あまりに雑な返しではあるが。

「不躾なお願いで恐縮ですが……頼んでも、よろしいでしょうか?」


 ユーレイは大輪のひまわりのような微笑とともに包丁を差し出した。

 つばの広い帽子の下で、わずかに口の端が吊り上がる。

 黒ローブの女はいつまでたっても包丁を受け取ろうとはせず――



 ユーレイが鋭く包丁を投げると、安物の刃は女の身体をすり抜け、背後に畳んであったカラセルの布団へと突き刺さった。 



「……実体のないホログラムの女性と話す趣味がおありですか?」

「会う人会う人変態ばっかで、虚像しか信じられなくなったんだ」上司が痴女アレなユーレイは一瞬この言を真に受けそうになったが、いくらなんでもそんな場ではない。

「もう一度、改めてお聞きします。こちらの女性とはどのようなご関係で?」


 包丁の突き抜けた左胸のあたりがモザイク状にざわざわと揺れている。映像ヴィジョンだけをこの場に飛ばす魔法。

 十七にして魔導兵装開発部に身を置くユーレイは、当然、服装へいそうに関する知識を豊富に蓄え持っている。

 帽子とローブに刺繍されたロゴマークは、この国のブランドのものではなく――


「――どうやら、ザイナーズからいらっしゃった方のようにお見受けしますが」

「そこでばったり会ったってのはマジだよ。カードゲーマーってのもマジ。なんか急に押しかけてきた。名前は……」

「ユカグラと申しますわ」

「とのこと」ユーレイは腰の剣に手を伸ばした。

 魔女が被るようなとんがり帽子をそっと脱ぎ捨てた下からは、猫の目にも似た金色の瞳が現れた。紫陽花のような紫色をした髪はサイドテールに括られていて、

 何かを探るような、訝しげに眉をひそめた険しい表情で――じっと、ユーレイを見据えている。

 ややあって、失笑にも似た小さなため息をユカグラは漏らした。


「……似てない兄妹ですわね。しばらく気づきませんでしたわ」

「褒められた人間でなかったのは確かですが」


 兄妹って言われたのは初めてだな、などとカラセルが軽口を叩く間もなかった。

 それだけ、ユーレイの反応は早かった。


「あなたのような敵国の無礼者が兄の知り合いにいた記憶はない」

「そう、それ。そういうところが似ていないと申し上げております」


 初対面のあのときですら一度も向けられたことのない、どころか、誰か他人にこうまで剥き出すところを見たことがなかった――はっきりとした、敵意。


「戦争を終わらせる人間というのは、大いに褒められてしかるべきです。そんなこともわからないようでは……」


 カラセルがそっと口をつぐむほどにユーレイは殺気立っていたのだが、それすらも鼻で笑うように、ユカグラは続ける。


「あの方と同じ血が流れているなどと……とても信じられない」


 抜き放たれた刀身がユーレイの魔力を受けて青白く輝いた。

 カラセルが制止していなければ、おそらくはこの四畳半をまるごと焼き払うであろう光だった。


「この女は兄を知っているようです。ローゼストの家を挙げてなお、未だ消息を掴めない兄を」

「敷金というシステムがあるんだ。お嬢には誤差みたいな額だろうけど」


 知ってるからこそだよと前置いて、カラセルは腕を組んだ。


「結局、あんた何しに来たわけ? まさかカードゲーム談義しにきたわけじゃないでしょ? ……あ、これはほんとに信じてほしいんだけど、おれ別になんにも話してないよ。国の不利益になるようなことはなにも」

「思いのほか口が堅くて困りました」ユカグラはサイドテールを揺らしながらくつくつと笑った。「いくらなんでもバベル内部への潜入はさすがに無理がある。それでも、安アパートのパイロットになら接触できるかと思ったのですが……無駄足だったかもしれません」


 もーちょいいいとこ紹介してほしかったなァとぼやくカラセルには構わず、ユーレイは毅然とした声で問う。


「要求は何です」

「降伏する気はありませんこと?」


 けろりとした顔でユカグラは言ってのけた。


「聞いているとは思いますが、このまま行けば三月の頭に衝突です。今年のパイロットは私が務めることになりました。最後通告とでも言っておきましょうか」

「あのねユカグラちゃん。そんな回りくどい言い方しなくていいからさ、『ただ単にケンカ売りにきただけです』ってはっきり言ってくれていいんだよ?」


 小さな身体で尊大なことを言い散らすユカグラに対し、カラセルもまた小さな子供を相手にするような舐めた態度で応じる。

 煽り合いはカードゲーマーのお家芸。ただし、このときばかりはユーレイも乗った。


「ふざけたことを言ってくれますね」

「もちろん、大いにふざけますとも。なにせ今年の決闘は、もはや半分戯れのようなものだから」


 とはいえ、やはり餅は餅屋――


「ちょっとしたこだわり。ちょっとした楽しみ。世界を気持ちよくひとつにするための、ちょっとした祭事のようなもの。ハイランドという国は、所詮その程度の相手に過ぎない」


 そのミスマッチがいっそ滑稽なほど、ユカグラは小柄な身体をふんぞり返らせた。

 言っていることの意味がわからなくても、何を言われているかは伝わる。


「それで、結局降伏には応じてくれないと?」カラセルは無言でデッキを取り出し、ユーレイの細剣が再び輝き出す。

 ユカグラは静かにため息をついた。


「……貴女の兄は、もう少し賢――」


 ユーレイの太刀筋はユカグラの首をすっぱりと切り飛ばす形で入った。

 風に吹かれて晴れていく霧のように、黒ローブ姿の少女の像がノイズとともに消えていき――


「バレてるもんなんだねえ。おれが乗るって」


 カラセルがふうと息をついてなお、ユーレイは剣を納めなかった。


「……ひとつ聞きますが」

「これでも、おれはカードゲーマー。情報がどれだけ大事かってことは骨身に染みて知ってるつもりだし……、だからこそ」

「"あのカード"のことは?」

「絶対に漏らしてないって誓える。そもそも、おれは現物持ってないよ」


 呪文テキストの彫り込まれた白銀しろがねの刀身に映り込む自分の顔を、ユーレイはじっと見つめている。

 実のところ、ユーレイはそのあたりの機密情報についてはあまり心配していない。国の命運を託されたカラセルは常にバベルの塔の庇護下にある。

 カラセルが何か魔法による攻撃を受けたならば、その呪文を弾き返すと同時に攻撃の事実を即座にバベルへと伝える防衛システム。バベル内でも腕利きの魔導士たちが、いくつも保護呪文をかけた。

 ゆえに、彼女が本当に気にしているのは――ただ一点のみ。


「この件はすぐジェレインさんに報告を入れることにしますが……気になることが、一点あります」

「ああ。おれもひとつ気になってる」


 魔導巨兵のパイロットに選ばれておきながら突如逃亡、それ以来消息をつかめていない兄。

 生まれも育ちもハイランド国民であるはずのボーレイ・ローゼストを、ザイナーズの人間が知っていた。否、あれは知っていたどころの話ではなく――面識があるとでも言いたげな。

 深刻な表情を浮かべながら、細剣を鞘へ納めるユーレイに――


「実際んとこ、どうなの?」

「……はっ?」


 テーブルの上に転がされていたメロンを指さし、調子っぱずれな声でカラセルが聞いた。

 きょとんとユーレイが目を丸くする傍ら、布団に突き刺さった包丁を引き抜いて言う。


「や、あれはそういう演技だけどさ。実際んとこ、お嬢はメロン切れるのかなって……」

「……」

「……」



 しばしの沈黙ののち、ユーレイは『メロンごときに慣れも何も』と包丁を逆手に握った。

 結局メロンはカラセルが切った。

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