2-3.雑菌対策→絶えず洗い流す



 まったく見たことがなかった、わけではない。戦う姿は知っていた。敵国の魔導巨兵【コンセプター】と死闘を繰り広げるその雄姿を、ユーレイは遠隔視の術式越しにではあるが、見たことがあった。

 ただ、非戦闘時、こうして静かに格納庫で屹立する姿を見上げるのは――初めてだったというだけの話。

 工員たちがせわしなく駆け回る広い地下空洞の中、銀色の機械巨人は静かに立っていた。

 腕と脚を二本ずつ備えた人型、しかし土人形ゴーレムとはまた違う角ばったフォルムを有する巨人。なめらかに光る銀の体は――神の御使いを前にしているかのような錯覚をユーレイに引き起こさせ、

 ふと我に返った彼女は、隣のカラセルへと視線を移す。

 魔導巨兵とは、世界の頂点。

 対するは、地の底深くに設けられた亡者たちの戦場で、積み上げた屍の頂点に座る男――

 カラセルは、静かに【シルバー・バレット】を見上げていた。

 あまりに静かだったものだから、ユーレイはほんの一瞬だけ「何を神妙な顔しちゃってるんですか」などと嫌味ったらしい言葉をかけてやりたい衝動に駆られた。けれど踏みとどまる。

 いつものへらへらとした微笑は影も形もそこにはなくて――心の研ぎ澄まされゆく様が、ユーレイにまで見えるようだった。


「ではでは、ご存知の方も多いかとは思いますが……」


 こほんと咳ばらいをしたハクローの声に、ユーレイは気を引き締め直す。そうだ、ここには人に会いに来たのだ。前年度魔導巨兵パイロット、国を守った偉大なる英雄。その英雄が目の前にいながら別のことに意識を逸らすなど。

 無礼にも程があると己を恥じたユーレイは、ハクローが示す手の先にいる相手と、しっかりと向き合うことにした。


「こちら、ジェレイン・ラミソール。この三年間【シルバー・バレット】に乗ってザイナーズを撃退し続けてきた、バベルが誇る超一流のカードゲーマーで……現在は、『託宣科』に所属している男です」


 ユーレイより頭ひとつぶんは身長が高く、髪の毛は青みがかった黒で、短めに刈り揃えている……ように見え、着ているのは白っぽい服、のように見える。

 本人を目の前にして、しかしユーレイにはその程度のことしかわからなかった。なぜなら、

 室内だというのに、ジェレインと呼ばれた男の頭上には――黒々とした雨雲が、ちょうど肩幅ほどに広がっていて。

 豪雨と表現するのも生やさしい、滝のごとき怒涛の水流が降り注いでいるためである。

 ユーレイは隣のカラセルと顔を見合わせた。

(雨男?)目でカラセルが問う。

(ひとり滝行おじさま……)ふと浮かんだフレーズをユーレイは口には出さず闇に葬った。なお『おじさま』が適切な年齢かどうかも彼女には知りようがない。


「ユーレイには話したことあったかな? 元々はグランピアンの都市設計に携わってたやつね。で、その……なんていうのかな。四角四面? 几帳面? まあ、とにかく神経質な男で。潔癖症が行き過ぎてこんなことになっちゃいました」


 ユーレイには潔癖症とひとり滝行とを繋ぐロジックが見いだせなかったのだが、ともかく雨雲と水は魔法によって生み出されたものであること、ゆえにこの雨は床まで落ちることはなく自然消滅するということはわかった。水はジェレインに降り注ぐのみで周囲を濡らすことはない。

 まあ、迷惑になっていないなら別にいいんじゃないでしょうか――頭に浮かぶ無数の疑問符をユーレイは静かにかなぐり捨てた。これまでバリエーション豊かな狂人たちに揉まれてきた彼女にとって、この程度のメンタルケアは容易い。

 ユーレイが心を無にしたそのとき。ちょうど暖簾をくぐるかのように、ジェレインの顔周辺だけを水が避けて通るようになった。


「……普段からそのくらいの格好なら、僕ももう少し楽なんだが」


『光属性』Tシャツをじっとりと眺めるその瞳は薄い水色。眼光はハクローを突き刺すように鋭く――水のしずくが滴るその顔に、ユーレイは得も言われぬ違和感を覚えた。

 ハリのあるその肌はおじさんと呼ぶにはまだ若いはずで、けれど、なぜだか若者と言い切ることもできない、妙に老け込んだような空気――


「……弟か?」

「節穴か?」Tシャツで判断したらしきジェレインにハクローは冷たい声を返した。

 几帳面な男だというなら、ハクローと合わないのは無理からぬこと――であれば当然、とユーレイの心配は『無慈悲な夜の俺』に向く。

 水音がざばざばと鳴り続ける中、二人の男が対峙する。


「……地下のカードゲーマーか。モグラはとても雑菌が多い……」

「わかりやすく変な格好してんですから、台詞もそんくらい簡潔にしてくださいよ」


 風など吹くはずもない地下室で、ふわりと紺白の髪が舞い上がる。

 カラセルはいつの間にかその手にデッキを握りしめていた。


「まずは、おまえの実力を見せろ――って、はっきり言ってくれればいい」

「そんな無駄なことはしない」


 しかし、その殺気に応対するのは――空気の抜けゆく風船のごとき、疲れたような声。

 殺気を空振り、不意を突かれたような顔をするカラセルに、ジェレインは長い溜息を一つ挟んだ。


「君が後任だというのなら……、それでいい。が、【シルバー・バレット】に乗るつもりなら……、一言だけ、僕の質問に答えてもらう」

「……なんの試験です?」

「すべては、君の答え次第」




 ほんの一秒にも満たない静寂――




カードゲームこの世界に、神はいるか?」

「いらない」




 居合抜きのような問答だった。

 カラセルの即答にジェレインは眉ひとつ動かすことなく、しかし顔だけを避けて流れていた滝はカーテンを閉めるかのように元に戻り、老若入り混じったその顔は水の暗幕に覆われる。

 ごぼごぼという水音に混じって発された「ついてこい」という台詞をユーレイが聞き取った次の瞬間にはもう、雨男は歩き出していた。


「……こんだけケンカ売られてシカトとは。マジに引退しちまったのかな」


 カラセルはしばらくの間ジェレインの背中を腕組みとともに見つめていて、追おうともしないその態度にユーレイはわずか戸惑ってしまう。何から声をかけたものかという一瞬の逡巡の隙、むしろカラセルのほうがユーレイに問うた。


「お嬢は、どうかな。どう思う?」

「え」今のだよと付け足すカラセルに、それを聞きたいのはこちらのほうですと返したい衝動を飲み込んで――

 ――カードゲームこの世界に、神はいるか。

 実に様々な記憶と感情が、ユーレイの脳裏を駆け巡った。


「……神様は……いると、思います」

「へえ」そこまではユーレイの言葉だった。

 ユーレイから見た兄は雲の上に座す超越者以外の何者でもなかった。ユーレイ自身も十分に才走った傑人であるはずなのに、その実力は及びもつかない。

 同じ血を分けた兄妹にこれほどの差が生じる不具合は、神のいたずらとでも考えねば説明がつかない。

 けれど。

 けれど――――



『でも、だからといって、なにもかも神様に従う必要は――ない』



「……なるほど」


 記憶の台本を読み上げるようなユーレイの言葉に、カラセルは一度だけ、深く頷いた。


「ほんとに好きだったんだね、お兄さん」

「……ええ。とても」


 後半部分が兄の受け売りであることをカラセルに見抜かれて、しかしユーレイは取り繕おうとはしなかった。

 


 現代の魔導文明は、新たな呪文カードの生成を魔導巨兵に頼り切っている。ゆえに――

 人智の及ばぬ高度な魔法を次々と生み出してゆく魔導巨兵が、『まるで神のようだ』と形容されるようになったのは必然と言っていい。

 バベルの塔の『託宣科』はつまり神の声を聞く役割を担っており、この科の長であるジェレインは『預言者』の肩書を持っている。

 託宣科の主な仕事は二つ。

 新呪文カードの製作・販売、ならびに――


 来期"ジャイアント・レギュレーション"の公布である。

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