2-2.センス自体はある人なんです。自分の格好は気にしないだけで。
「決して隠していたわけではなく……いくらハクローさんでも初対面なら取り繕ってくれると信じていただけで……」
「忠告ってほどでもない忠告だけど。変態を甘く見ないほうがいいよ、お嬢」
全裸のハクローを塔に蹴り返し、下着だけを身に着けて出てきたハクローをまた蹴り返し、最終的に『光属性』と書かれたTシャツにハーフパンツという格好で出てきたハクローを見て、あと何回繰り返せばこの上司は正装を着てくるだろうかと計算したユーレイはそこで諦めた。時間というものには限りがある。
なお、今回三人が向かったのはカードゲームバー【SEARCH】。バベル魔導士御用達のこの店はバベルでも一定以上の地位にある者しか利用することができず、だからこそユーレイは気を引き締めるようカラセルに伝えておいたのだが、裏を返すと一定以上の地位にある魔導士なら顔パスということ。ハクローは全裸でこそあるものの一部署の長を任された身で、Tシャツ二人組は問題なく入店を許されることになった。
「なんですか、この私だけ一人で張り切っちゃったみたいな空気は」
「ま、お嬢のその格好は純粋に似合ってるから大丈夫だと思うよ」
相手が『無慈悲な夜の俺』でさえなければユーレイも喜んだであろう台詞だった。
オレンジ色の照明がシックな雰囲気を演出する店内、一歩踏み出すとやわらかく沈む高級な絨毯にカラセルはひゅうと声を上げた。といっても彼は地下ナンバーワン、気後れするような性質ではないし、ユーレイはお家柄こういうところに慣れている。すました顔でついてくる若者二人を微笑ましそうに見やって、ハクローは二人を個室に案内した。
「それでは改めまして、自己紹介を。ハクロー・ターミナルと申します。バベルでは魔導兵装開発部のチーフを務めておりまして、こちら、ユーレイとは直属の上司にあたります」
ユーレイの隣を位置取ったハクローは、母が娘にそうするように、ユーレイの両肩にそっと手を置く。
「部下が、いつもお世話になっているようで」
「いえいえそんな。むしろお世話になっているのはこちらのほうで……」
向かいに座ったカラセルがぺこぺこと頭を下げるのを見て、ユーレイはこの場で自分だけが子ども扱いされているような気分になる。
むくれるユーレイに気づいているのかいないのか、カラセルは暢気に世間話など始めた。
「魔導兵装開発部、ってのはお嬢からも聞いてるんですけど……。実際、どーいう仕事してる部署なんです?」
「っふふ、『お嬢』ですって。もー、この娘も本当に隅に置けないー」
「……読んで字のごとく、魔導兵装を開発する部署です!」
真紅のドレスからのぞいている、ユーレイの新雪のように白い二の腕をぷにぷにとハクローはつつきまわし――キッと鋭い視線を向けられて、ようやく上司は手を引いた。
「カードゲームで国の行く末を決めるような時代ではありますが……。それでも、魔導士たちの生身の戦いというのがなくなったわけじゃない。武装というのはやっぱり必要で、たとえばうちのユーレイなんかも……あ、今日こんな格好だっけ……」
「……今日は、『こんな格好』ですが。普段私が身に着けている衣服には、呪文テキストが刻印されています」
ううう、と恥ずかしそうに自分の肩を抱くユーレイの背をぽんぽんと叩き、ハクローは「たとえば」と自分の着ているTシャツをぺろりとまくり上げた。恥ずかしげもなく臍を丸出しにしたハクローにユーレイは顔を覆い、カラセルまでもが引きつった笑みを浮かべる。
黒いTシャツの裏側には、よほど目を凝らさねば見えないような暗い色の糸で――おびただしい数の呪文が縫い付けられていた。
「言ってみれば、暗器のようなものですねー。兵装っていうと大げさに聞こえますけど、見た目と機能性を両立した衣服……それが今のトレンドです」
「へえー……。なるほど。……なるほど」
基本的にはハクローの話を頷きながら聞いていたカラセルだが、『見た目と機能性を両立』のあたりでハクローの格好を素早く二度見して、それからユーレイに視線を向けた。
『国を背負って立つ以上は、見た目も相応に整えねばなりません』
『いやまあお嬢はおしゃれだけどさー、そんな使命感燃やさなくても……』
『いいえ。魔導士たちのファッション事情を一任された、魔導兵装開発部の一員として……あなたのその雑な格好を、見過ごすわけにはいきません!』
そんな会話をたびたび交わしたことを思い出し、ユーレイは目を伏せる。カラセルの視線をひしひしと感じる。『っていっても、お嬢の上司"これ"じゃん?』心の声が聞こえるが無視する。
今はTシャツ着てるだけマシなほうです、と反論しようかと考えて、それがなんの反論にもなっていないことにユーレイが気づいたちょうどそのとき、ハクローが場を仕切るように手を打った。
「ま、正直言うと今回私の仕事はどーでもよくて……私の役目は、ただの"責任者"。ね、ユーレイ」
こほん、と小さく咳ばらいをして、真面目な声を作って言う。
「搭乗者交代の儀。あなたなら、ちゃんと覚えていますね?」
「はい」
――自分がしっかりしなくては、この場は永遠に収拾がつかない。そう決意したユーレイは、素早く思考を巡らせた。
年一回のザイナーズとの決闘、【シルバー・バレット】に搭乗するのはその年最強の魔導士である。各々これが最強と信じたデッキを持ち寄って決闘を行い、勝ち抜いた者が【シルバー・バレット】に乗る。
それを十年も続けていれば、当然、パイロットの交代というのが生じる。
世界すら滅ぼしうる超兵器、国防の要:T.C.G.。その機体はハイランドという国の一級軍事機密として秘匿され、普段【シルバー・バレット】にアクセスすることを許されているのは、バベルでもごく一部の魔導士のみ。
かつてパイロットを務めた者であろうとも、一度任を退いたならそれきり。T.C.G.に触れることは許可されない。
「――前年度のパイロットを務めた者が、今年度のパイロットを【シルバー・バレット】の御前へと連れてゆき、そこで正式に、搭乗者交代の儀を執り行う……」
「その通り。ただし、今回はちょっと特例というか……ほら、なにしろ前任者が今のところ行方不明でしょう?」
ボーレイ・ローゼストの逃亡は、現在のところバベル内でも一部の魔導士にしか伝わっていない。が、『一部』とはつまりハクローも含まれる程度の一部――知らず拳を握りしめたユーレイの肩に、上司はそっと手を置いた。
「ただ、幸いにも前任者の親族がバベル内にいるということなので。これを代理とし、ただしこの通り彼女はまだまだ未熟者ですので、直属の上司である私が責任者という形で同行。これをもって交代の儀とします」
何かご質問はと促すハクローに、カラセルは手を挙げて一言。
「えーっとですね。今年のパイロットをやるはずだった、ここのお嬢のお兄さん……その人は結局、【シルバー・バレット】に乗らないまま消えたってことでしょう? なら、代理に妹連れてくるより先に、去年のパイロットに挨拶してくんのが筋じゃないかなー……って、話聞いてて思ったんですけど。ジェレインって人、いましたよね」
「……お詳しいことですね」
カラセルの声にボーレイを非難するような色はなかった。けれど、返すユーレイの言葉にはどうしても機嫌の悪さがにじみ出る。
歴代のパイロットたちの名前は、隠すものでもないので公表されている。しかしながら、今にして思えばカラセルは今年のパイロットがボーレイであることを最初から知っていた。
今年度のパイロットが誰かというのは決闘まで徹底して伏せられていて、それもそのはず、パイロットの名がバレることは使用デッキの漏洩につながる恐れがあるためだ。とはいえ人の口に戸を立てることはできず、まことしやかな噂というのは市井のあちこちで囁かれている。だからこそユーレイはパイロット選定でなにやらゴタゴタがあったらしいと知れることを恐れていた。
ただ、こうした情報というのは得てして――自分から拾おうとしなければ、耳には入ってこないものである。
『……あいつは、もともと魔導巨兵のパイロットを目指していた……。……カードゲーマーの夢だからな』
『ひぃっ!?』
カラセルの素性調査という名目で(実際は愚痴をこぼしたかっただけ)再び【グッドスタッフが人生の近道】を訪れ、カウンター席でレマイズ相手に管を巻いていたユーレイは、いつの間にやら隣の席に座っていたグリープにまったく気付かなかった。
『地下のトップを取ってからは、そればかりで……俺の相手もろくにせず、ふらふらと逃げ回ってばかりいた。……まあ、カードゲーム以外の才はない男だ。正規のルートでパイロットの座を勝ち取るのは、難しい』
『渡りに舟ってやつだったわけだよねー。内心すっごい喜んでたと思うよ』
『……えっと、あの』
『ところでグリープ、あんたちゃんと寝てんの? っていうか弟二人どーした?』
『あいつらは寝ている。俺は七日だ。もうすぐ自己記録を更新する……』
『わかった。今日はもうたらふく飲んで帰んな』
『酒はダメだ。眠ってしまう』
『あんた居酒屋に何しに来てるわけ?』
内心びくびくしていたユーレイだが、カラセルとの決闘で彼は負けた。カードゲームによる決定はカードゲーマーにとっては絶対――グリープの側に、ユーレイに対する敵意はもうないようだった。
ちなみに『十日三十食全部違うものを食うようにしてる』というこだわりについての愚痴をこぼすとレマイズが猛烈な勢いで食いついてきたためにあれが適当なホラでなかったことが判明、それまで負担を背負わされてきたレマイズとユーレイは一気に打ち解けることになる――
――【シルバー・バレット】に乗りたくてしょうがなかったくせに、交渉の場ではそれを伏せたわけだ。やりこめられたユーレイとしては、釈然としない気持ちが残る。
「ボーレイ・ローゼストの一つ前のパイロット……ジェレイン・ラミソール。うん、ごもっともなお話です。でも、そこについては心配いりません」
「なるほど。……じゃ、もひとつ質問いいですか?」
意味ありげな微笑みを浮かべてうんうんと頷くハクローに、カラセルも挑発的な微笑を口元に浮かべて応対した。
「――今、地下の何メートルくらいです?」
「五十……くらいかな?」
どうだったっけ、と問うハクローの声をユーレイはひとまず無視。革張りのソファに背をもたせかけて、なるべく威厳ある声色に聞こえるよう意識しながら、言う。
「……気づいていましたか」
「そりゃ、まあね。三回くらい転移術式使ったでしょ」
「え、三……?」
私二回しかわかりませんでした――『わた』まで出かかった言葉をギリギリのところで飲み込み、すました顔を作る。
ハクローはくすくす笑いながら立ち上がると、個室のドアに手をかけた。
「実際のところ、これから会うのがそのジェレインなんだよね。というわけで、このたびは遠路はるばる……【シルバー・バレット】格納庫まで、ようこそおいでくださいました」
全開にしたドアの向こう側は、それまでいた【SEARCH】の店内ではなく、広々とした地下空間――格納庫につながっていた。
「あ、そうだ。……あれはね、実力っていうよりは『勘』。実戦経験っていうのかな? そーいうのが物を言う領域だから、今はまだあんまり気にしなくていいと思うよ」
「……はい。肝に銘じておきます……」
部屋を出る前にユーレイにそっと耳打ちを残していくハクローは、なんだかんだと彼女の上司である。
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