2-1.ドレスコードも行方不明



 ふと吹き抜けた一陣の風に、しばし呆けていたユーレイも我に返る。

『バベル前公園』と名付けられたこの場所は、文字通りバベルの塔一階入口を出てすぐのところにある広い公園である。

 塔の周りが殺風景なので何か作れと命じた結果、入口真ん前徒歩十秒の位置にどんと置かれたこの公園。アクティ王は一目見て「馬鹿か?」と呟いたとか呟かなかったとかいう噂だが、ともあれなんだかんだとバベル所属魔導士たちはこの公園を待ち合わせの場所としてよく利用しており――夕暮れ時の今、街灯の下にひとりぽつんと佇むユーレイもご多分に漏れず、人を待っている最中である。

 今日のユーレイはいつもと違う。長い金髪を後ろでまとめて、着ているのも真紅のイブニングドレス。終業時刻はとうに過ぎ、今はちょうど退勤時刻――通り過ぎる顔なじみの魔導士たちがユーレイを見てひゅうと口笛を吹いたり拍手をしたり――いくらなんでもこれは派手すぎると、着ているユーレイ自身も思う。


(……そんな関係ではないと言いましたのに!)


 朝方、朝食の席で「今日は殿方とのお食事の予定がありますので……」と侍女に告げたところ、彼女は持っていたティーポットを落とし、割れたポットをそのままに侍女長を呼びつけ侍女一同を集めて激論を交わし――「どこの馬の骨とも知れぬ男! 断固として阻止すべきです!」「おだまりなさい! 今やユーレイ様も一人前の淑女ということです!」――頼んでもいないのに燃え上がった彼女らは、髪のセットからドレス選びからとにかくもう情熱的にこなした。ユーレイの弁明など何一つ聞かずに。

 確かに、今日行く店はフォーマルな格好が求められるところではある。

 あるものの。

 ……あるものの!

 侍女たちの態度を思い返して、ユーレイが拳を握りしめたそのときである。


「はいはい失礼、遅れましたー。カラセル・クライン、ただいま参上です」

「……遅いです!」


 背後から聞こえた軽薄な声に、膨らませていた頬から空気を抜く。いつも通りの真面目な少女ユーレイ・ローゼストの表情を整え、声の主に振り返ったユーレイは――

 凍り付いた。


「おや珍しいお召し物。へー。へえー……」


 待ち合わせ相手のカラセルは、ばっちりおめかしして待っていたユーレイを上から下までじろじろと眺め回すと、顔をほころばせて拍手を始めた。


「いや、すごい! 馬子にも衣装って感じ」


 手拍子とともに似合ってる似合ってると繰り返すカラセルは、しかしユーレイが何の反応も返さないのを見て失言を悟る。


「違う! 間違えた! 馬子じゃなくてー、あの……なんていうの? 背伸びしてる感じが微笑ましいよね、みたいな……」

「…………からせるさん」

「ん、なに?」


「……『ちゃんとした格好』で来てくださいと、事前に、きちんと、伝えたはずですよね……?」


 膝の破れたジーンズに、『無慈悲な夜の俺』とどでかくプリントされたTシャツ一枚。いつも通りの格好で、カラセル・クラインは待ち合わせ場所に現れた。

 ユーレイは決して馬子ではないけれど、もしもこの場にユーレイの侍女たちが居合わせていたならば――即座にカラセルを馬の骨認定したであろうことは、間違いない。



 なんだかんだ、ノリは合いそうな気がする――ユーレイがぼんやり予測した通り、カラセルはあっという間にバベルに馴染んだ。

 いろいろと問題はありつつも、ひとまずカラセルの同意を取り付けたユーレイ。そんな彼女は先日、カラセルを連れて王の居室へ参上している。


「地下トップっつー噂は聞いてるよ。ようこそ『バベルの塔』へ、歓迎するかどうかは実力次第だがね」

「あっはっは。噂聞いててまだ歓迎するかどうか決まんないんすか?」

「なにしろ国の存亡がかかってる。野良のネズミはデカいって聞くが……、肥え太ろうと、ネズミはネズミ」


 一度話をしておきたいと王から要請があったためだが、聞いているユーレイのほうがむしろ神経をすり減らすほどのプレッシャー。

 国王:アクティ・ハイランドはどうやらカラセルを試しているようで、それに対する『虹のカラセル』の返し手は――


「なるほどなるほど。実はおれも、わかりやすい話のほうが好みでして」


 懐からデッキを取り出したカラセルに、ユーレイは心臓が止まる思いをした。

 国王の御前でデッキである。国王との謁見に凶器の類を持ち込むのは当然禁止されていて、ユーレイ自身が入室前にさんざんボディチェックしたはずなのに(この人本当に細いですね、と唸ったとか唸らなかったとか)、カラセルは当然のようにデッキを出した。


「目の前で見たいって言うなら見せますし……、肌で感じてみたいって言うなら、その身体に直接教えてもいい。実にわかりやすいですよね?」


 挙句の果てにこの物言い。カードゲーマーの手にしたデッキが凶器でなくて何だというのか、凶器を突き付け、煽るように言う。

 連れてきたのが自分な以上は連帯責任になるだろうと0.3秒で思考を巡らせたユーレイは、制服のボタンに素早く手をかけ、いつでも首を差し出せるようスタンバイしていたのだが――


「酒は飲めるか?」

「もちろんですとも」


 国王は柔らかく表情を崩すと、酒瓶をテーブルの上に置いた。



「「わーっはっはっはっはっは!」」


 それで全部解決したらしい。


「ねー、信じられます!? レマイズのやつ自分の魔力カートリッジ石鹸にすり替えられてんのに酔ってるからぜんぜん気づかないんすよ!」

「うわはははははばっかみてえ!! え? それでそのままビットオープンしたの?」

「しましたしました。石鹸に魔力充填してー、『ビット・オープン!』で分割して。石鹸の欠片ニ十個が店内に散らばって二十人がコケる。いやもー大惨事」

「馬鹿か!」

「馬鹿です!」


 なんだかんだノリは合いそうだと最初に予想した通り、カラセルと国王はいつの間にやら完全に意気投合してしまった。

 この人は本当に何なのだろうと、横でオレンジジュースをちびちびと飲みながらユーレイは不思議がる。

 ちなみに、雑で我が強くて適当な魔導士の集うここハイランドでは十五歳くらいからの飲酒が許されており、「くらい」というのは実際国王が「そのくらいからでいいだろ」と雑な決め方をしたのが原因である。単純に、ユーレイは酒が好きではない。


「ねー国王様! ところで一番大事な話なんですけどー、T.C.G.のパイロットってお金どんくらい貰えるんです!?」

「一生遊べるくらいは出してやるよ。あくまで勝てばの話だがな!」

「それでこそ王様、器がデカい! で、その上で物は相談なんですけどー、おれ今住むとこも探してんですよねー……」


 ちなみに、この当時はユーレイも個人的に不動産情報誌を集めていた。なにせユーレイは真面目な少女、約束は約束なので守らねばならない。

 一応客人にあたるカラセルに失礼があってはいけないと、一等マンションを自腹で手配する覚悟を決めていたのだが――


「そのくらいはこっちで出してやるがね、あんま上等なもん期待すんなよ。四畳半のユニットバスで上出来だろ」

「おおっとちょっと期待が外れた。まー屋根あるだけでも上出来なんすけどね」

「VIP待遇は勝ってからだよ。カードゲーマーなら、そのへんわかるだろう?」


 そういうわけで、カラセルはグランピアンのメインストリートから少し外れた場所に建つ安アパートで暮らすこととなった。

 なったのだが、その後が問題である。


「おれはね、一日三食きっちり食べる主義なんだ」

「へえ、すこし意外です。健康的なのはいいことですね」

「ということは、三食×十日でちょうど三十食になるわけだよ。三十。デッキの枚数とおんなじ」

「……はい」

「で、おれは誰あろうハイランダー使いの虹のカラセル。三十枚のデッキの中に、同じカードを二枚以上入れない主義! つまり……」

「……」

「十日間、同じものを二回以上食べないようにしてんだよね」

「……何が言いたいのです?」

「焼肉とラーメンはもう食ってるから、今日の晩飯はそれ以外のとこがいいなーってお話です」


 それまで路地裏と地下を主な活動拠点としていたカラセルは、ユーレイに街の案内役を務めるよう要求。王までもが案内してやれと言うものだから跳ね付けるわけにもいかず。

 諸々の手続きが済むまでの一週間ほど、ユーレイはカラセルに連れまわされる羽目になったわけである。



 そして今、バベル前公園――待ち人が来たにもかかわらず、街灯の下のユーレイの表情はむすっとしている。


「今日行くところは、あなたが今までに行ったようなお店とは違う。ちゃんとした格好でないとそもそも入れてもらえない――そう伝えたはずですね、私は」


 つくづくユーレイは真面目な少女なので、カラセルが適当にほざいたことを真に受けた彼女はカラセル用食べ歩きマップなんてものまで作成して彼の食生活を支えた。その過程で否が応にもカラセルと一緒に行動することになったユーレイは、『高い城の俺』『俺への扉』『ディファレンス・俺』といったカラセルのTシャツの奇妙な柄をすっかり覚えてしまっていた。

 一度くらい、この人の真面目な格好を見てみたいものだ――ひそかにそんなことを思って、頭の中でカラセルにスーツを着せてみたりしたこともあった。タイミングとしては入浴中。カラセルに振り回された一日の疲れを風呂によって癒している最中、腹いせのように着せ替えショーを一通り脳内で楽しんで――なんとはしたないことを考えたのかとずっこけて湯船にぶくぶくと沈む。ユーレイ・ローゼスト十七歳の春である。

 そんなわけだから、今日のカラセルはどんな格好で来るかとひそかに胸を躍らせていた彼女は現在大いに落胆していた。


「そうは言うけどね、お嬢。今日は別におれとお嬢の二人っきりってわけでもないんでしょう?」

「……私の上司も交えた、三人での会食と伝えましたが」

「そうそう美人の上司さん。直属の。なんだっけ? 魔導兵装開発部?」


 そう、これは別にみんなで仲良く飯を食いに行こうという集まりではない。

 今年度パイロットを担当するカラセル、今年度パイロットを担当するはずだったボーレイ――の、血縁者:ユーレイ。そしてユーレイの上司:ハクロー。

 この三人で、ハイランド所有魔導巨兵【シルバー・バレット】に関する話をするための会合だ。


「――『本当のことをわざと言わない』のと、『嘘をつく』こと。この二つは同じじゃないけど、どっちもあんまり褒められたことではないと、おれは思うんだ」


 だからこそ、と食ってかかろうとしたユーレイを制し、なにやら意味深なことを呟くと――バベルの塔の玄関口を、カラセルはそっと指さした。


「美人だとは言ってたし、それは別に嘘じゃないみたいけど……」


 ため息が出るほど真っ白なベリーショートをさらさらと揺らしながら。ついでに、胸元に実った豊かな果実もたぷたぷと揺らしながら。

 小走りに駆けてくる――黒い服を着た、一人の女性。


 着ていない。


「お嬢はさあ、その上司が変態だってことを隠してたよね?」


 去年からハクローの下で働いてきたユーレイは、一目見ただけで看破してしまった。

 ――突起が、確認できてしまった。


「――ごめんなさい、野暮用が長引いちゃって……。待たせちゃったかしら?」


 ユーレイ・ローゼスト十七歳。

 端的に言って、彼女の周囲にはろくでもない人間ばかり集まる。

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