1-12.ユーレイとわたしあの人大っ嫌いです



 しばらく勝利の実感が持てなかったユーレイにとって、それからの時間は夢のように過ぎた。

 ポップコーンの空き箱やら紙コップやらカードやらが観客席から雨あられと降り注ぐ中、大の字に倒れ伏したグリープにカラセルは歩み寄ると――手を差し出す。


「約束は約束。このお嬢さんもまあちっと失礼なとこがあったかもしんないけど、それはこの決闘に免じて許すってことで」

「……構わんさ。おまえと闘えた、それだけで俺は十分だ」


 幽霊のように重みを感じさせない動作でふわりと起き上がる。纏う衣服は衝撃波によってズタボロになり(ユーレイは頬を赤らめて目を逸らした)、破れ目から覗く生白い肌のあちこちから血が滲んでいるにもかかわらず、グリープはその細腕のどこにそんな力が眠っているのかと思わずにはいられないほど軽やかに、気絶しているリビドーとアパタイトの二人を担ぎ上げた。


「寝ている暇などないのだと、世界にはもっと上が大勢いると……それが理解できただけで、この人生を……有意義に……生きていける」


 寝たほうがいいと思うんだけどな、という至極真っ当なカラセルの反応を背中に受けながら、グリープは去っていった。


 海竜ただ一匹だけを己がしもべとして従えて、多種多様な呪文を手足のごとく自由自在に操り闘う――地下ナンバーワン、『虹のカラセル』。

 その実力をもはやユーレイは一ミリも疑っていなかった。彼こそがパイロットにふさわしいと一点の曇りなく信じた。

 一時はどうなるかと思ったものの。紆余曲折の冒険の果てに、ようやくユーレイは本来の目的を達することが――


「いや、乗らないけど」

「……はい?」


 できなかった。




 長い階段を上って【グッドスタッフは人生の近道】店内に戻ってきた二人は、再びアイスコーヒー(今度はミルクと砂糖を忘れずに確保した)片手に交渉の席についていた。

 さりげなく伝票をこちらに滑らせたカラセルの行動にも目をつぶっていいかなと思う程度には、ユーレイは上機嫌だったのだ。


「……すみません、もう一度お願いできますか?」

「【シルバー・バレット】でしょ? おれは別に乗る気ないって言ってんの」

「のるきがない」


 それがどうしたことだろう、ブラックのアイスコーヒーをストローで啜るカラセルの顔からは露骨に覇気が抜けている。


「だってそうでしょ? T.C.G.に乗るってことは国の命運を背負って戦うってことでー、そんな面倒なことをおれがやりたがるわけないでしょう? 責任じゅーだい。ガラじゃない」

「で、ですが……これは国の存亡にかかわる問題です! もしザイナーズとの決闘に負けてしまったら、あなただって他人事ではいられない!」

「お嬢さ、もうちょい声落とせない? これ一応機密情報じゃないの?」


 ニヒルに微笑むカラセルに、思わず立ち上がってしまったユーレイは顔を赤くして座り直す。照れ隠しに勢いよくコーヒーを呷って、むせた。


「おれはね、お嬢。何がしたいかっていうと、カードゲームがしたいわけ」

「……T.C.G.のパイロットになれば、嫌でもカードゲームができます。ごほ。それに、この国が失われたら……こほっ、カードゲームの相手だって失われてしまうでしょう。ごほ」

「人間二人とデッキが二つ、それだけあればカードゲームはできる。それがどこの国であってもね」


 レマイズが持ってきてくれたお冷を涙目で飲んで喉を整えるユーレイに、カラセルは亡命をほのめかす。

 ハイランドという国に特別の愛着や忠誠があるわけではない。その気になればどこへでも逃げられる――静かに笑うその顔が、なぜだか兄の顔と重なった。


「っていうか、そもそもの話だよ。おれみたいな地下上がりがT.C.G.乗りますって言ったところで、どーせろくにお給金も出ないでしょ? 地下のクソガキなんぞテキトーに安く使い潰して終わり。この一年だけの間に合わせ、その場しのぎの消耗品。そんなとこでしょ」

「――それは違います! 【シルバー・バレット】搭乗員という大役……望むならきっと、十分な額の報酬が約束されるはずです!」

「って言ってもなー、別にお嬢が給料出してくれるわけじゃないし。いまいち信じらんないなー」

「そんなことは――」


 ――出すだろうか? 

 バベルの塔上層部の面々、知っている範囲の顔を思い浮かべる。真昼間の会議中から堂々と酒を呷る国王、真昼間の仕事中から堂々と全裸の上司。魔導人事部の部長のところには確かこの前血走った目の女性が殴り込みをかけに来ていたし、魔導経理部の部長はこの前オフィスからカジノへの直通ポータルを作って問題になっていた――


「――少なくとも、お金をケチる人たちではないはずです! そこだけは……保証……できる、はず、ですので」

「目が泳いでるよ、お嬢」


 善良純真かつ正直なユーレイは交渉というものにおよそ向かない性格をしている。


「う、ううう……」


 テーブルにしがみつくユーレイはどんどん小さくなっていって、しかし彼女にも引き下がるつもりはない。百聞は一見にしかず、当初民間人の起用に難色を示していたユーレイも『この人であれば』という信頼をカラセルの実力に寄せ始めている。それに――

 ――この人は、どことなく兄に似ている。


「……私が払います」

「お?」

「――万一、国のほうからあなたに報酬が出ないというようなことがあれば! 私のほうから十分な額の報酬をお支払いいたします! ですから、【シルバー・バレット】に乗ってください!」

「わあ頼もしい。でもなー、お嬢のお財布それで大丈夫?」

「ご心配には及びません。これでも私はバベル所属……身に余るほどの十分なお給金を、国からいただいていますっ」


 そうは言うものの正直なところこの台詞は売り言葉に買い言葉、自分がそこそこ負けず嫌いな性格であることをユーレイは自覚していない。


「ふーん。で? これから毎朝こんな迷路みてーな路地裏からいちいちいちいちバベルまで通勤しろって言うんだね」

「それなら交通費もこちらで……」

「こちらで?」

「……住むところも私が見繕ってさしあげます!」

「ひゅーい太っ腹! もう一声!」

「家賃でも食費でも雑費でもなんでも、最悪、私が面倒を見ます! ですから……」

「よし乗ったァー! おつかれさまでした!」

「【シルバー・バレット】に……え、はい?」


 ヒートアップしていくユーレイに冷や水をぶちまけるかのごとく、カラセルはテーブルに一枚のカードを叩きつけると立ち上がり、別のテーブルへと歩いて行った。「よ、やってるぅー? 景気はどう?」「なんだおまえ気色悪い顔して……」見知らぬ客たちとそんな会話を交わすカラセルを呆然と見送って、それからテーブルのカードに目をやる。

 カード名は、《録音ロック・オン》。

『――私のほうから十分な額の報酬をお支払いいたします!』

『家賃でも食費でも雑費でもなんでも――』

『私が面倒を見ます!』

 何もない空間から、ユーレイの声がひとりでに聞こえてくる。

 音もなく歩み寄ってきたレマイズが、唖然とするユーレイの肩を優しくぽんと叩いた。


「お姉さんは、将来、素直で優しい良い魔導士になると思う。でも、やっぱここには向いてないとあたしは思うなー……」

「――!!」


 カードを掴み上げて立ち上がるユーレイに、レマイズは黙って首を振る。「無駄だと思うよ」と。たとえここでそのカードを破り裂こうが、あいつならバックアップくらい持ってる、と。

 別のテーブル、誰とも知らない男たちと酒を飲んでいるカラセルのもとに――ふと、二人の子供たちが走り寄っていくのが見えて、それが来るときに見かけた兄妹であるとユーレイはすぐに気づいた。


「カラセル兄ちゃん! これ見てよこれ!」

「おー? おお、《クロノス・レイド》。惜しいなおまえらも、もーちょい早くに来てりゃーおれの実戦指導が見られたってのに」

「……お兄ちゃん、なんかいいことあった? 嬉しそうな顔してる……」

「はは、やっぱわかっちゃう? あっちに金髪のお姉さんいるだろ? あの人が幸せを運んできてくれたんだ」


 カラセルが指さすのに釣られて、兄妹が同時にユーレイを見る。


「あの人のおかげでなー、なんとおれは【シルバー・バレット】に乗れることになった!」

「――マジで!? すっげーよ兄ちゃん、よかったじゃん! 乗れるなら乗りたいって前から言ってたろ!?」

「……ずっと、夢だって言ってたもんね。あの人のおかげで……そっかあ」


「…………はい?」


 妹のほうの向ける視線には幼い敵意がこもっていたが、わなわなと体を震わせるユーレイにそんなことを気にする余裕はない。





 店内隅のテーブルには、陰鬱な表情をした数人の男がたむろしていた。

 地下では当然のように行われるカードゲーム賭博――今回のカラセルとグリープの試合、グリープの勝ちに賭けていた連中である。


「……今日こそは、あいつの負けだって思ったんだがなあ……」

「マジでわかんねえ。なんなんだあいつは。なんであんなやつが地下トップなんだ」

「なんであんなデッキで勝てる?」

「いや、なんであんなヘラヘラした野郎に誰も勝てねえんだよ……」


 大穴狙いで有り金を呑まれた男たちは、安い発泡酒をちびちびと飲みながらカラセルへの愚痴をこぼしている。

 そんな闇に包まれたテーブルに目を留めた看板娘レマイズは、せめてもの情け、少しくらいは場を盛り上げてやろうと男たちのもとへ歩み寄る。


「パーッと飲んで忘れましょー。それでは音頭はわたくしが」

「うう……」

「じゃ、アンケート取るから手ぇ挙げてねー。『ぶっちゃけ、カラセルのこと嫌いな人』ー?」


 ズンズンズンズンズンズンズン――――


「はいはい」

「はーい」

「はい」

「ういーっす」

「はーい……」

「よーくわかりました。じゃ、あそこの憎まれ野郎に――かんぱ」


 ――――バァン!


「い……」


 テーブルにいた男たち全員、レマイズまでもが言葉をなくした。

 ずかずかとイノシシのように突進してきたユーレイが、両手でテーブルをぶっ叩いたからだ。

 発泡酒を注いだコップがゆうに十センチは宙を舞い――ごとごとと音を立ててそれらコップがテーブルに戻った瞬間、ユーレイは頬を膨らませて吠えた。


「――はいはいはいはい! むかつきます! わたしもあの人むかつきますっ!」

「……」

「……」


 事情のわからない男たちはみな一様に顔を見合わせ――


「……いや、ごめん。ちょっと訂正」


 しばらくぽかんと口を開けてから、それから、レマイズは苦笑した。


「案外、ノリは向いてるかもしんない……」




「――わたし、あの人だいっきらいです!」



 ユーレイ・ローゼストは、才ある魔導士にしては奇跡的と言っていいレベルで才能と礼節を両立した淑女である。

 そんな彼女は今日、地下という無法地帯を根城とするカードゲーマー――『虹のカラセル』に、出会った。

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