1-10.ユーレイと虹色の光
「たとえば、隣で眠っている友人……きっと幸せな夢を見ているであろう友人の鼻と口をつまんで、彼の呼吸を封じたとする。すると……どうなる?」
「見てる夢が悪夢に変わるって、馬鹿正直に答えりゃ満足か?」
「溺れる夢でも見るのだろうな」
グリープは余裕たっぷりに笑った。
下級使い魔の召喚は最初の一度だけカードに魔力を通せばそれで済む。下級なら最初に充填したぶんだけの魔力で十分動くし、召喚した使い魔が破壊されたところでビットに影響は生じない。ただし上級となると話は別だ。永続スペルと同じ理屈で、活動に膨大な量の魔力を消費する上級使い魔は常時ビットからの魔力供給を必要とする。
「つまり、そういうことだ。《フィードバック…→『悪夢』》は俺が受けたダメージに反応して発動し……俺の羊を、悪夢の具現に変える」
ただし、ビット一つを潰せば使えた永続スペルとは違い――強大な上級使い魔を従えるには、複数のビットを魔力供給に回さねばならない。
つまるところ、グリープが呼び出したビット五の《怠惰なる死神》はそれだけ強力な使い魔なのである。多くのビットを要求する上級使い魔はそれだけ攻撃力/耐久力が高く、この《死神》のステータスは5/5。それに加えて――
「《怠惰なる死神》の攻撃力は、召喚時に生贄にした羊の数だけアップする。つまり……」
「ビット五個と羊が十匹。攻撃力……じゅう、ご、……ですか!?」
「桁、ひとつ間違ってんね。あんなもん食らったら一発でおれ死ぬよ」
「《怠惰なる死神》の攻撃――」
「間違ってるっつってんだろ!?」死神が大鎌を振り上げる。
避けるも避けないもない特大の一撃、この鎌を振り抜くことを許せばそれだけでクラインもユーレイも両断されてしまう――
「《溺れる者の藁の砦》! 墓地のスペルをランダムに一枚――」
通常、ビットに蓄えた魔力を扱えるのは自分のターンのみ。ただし、永続スペルはビット一つを犠牲にすることと引き換えに、相手ターン中でも絶えず魔力供給を受けている。
《原風景の柵》がクラインのターンエンド宣言にも反応して羊を数えたように――《溺れる者の藁の砦》もまた、相手ターンで発動可能。
「――《溺れる者の借りる猫の手》を詠唱! このターンおれが受けるダメージをゼロにする。ほんとにダメージを防ぐだけで、相手の使い魔には何一つ手出しできないわけなんだがなあああぁぁぁ……」
ギリギリのところでクラインは薄い魔力壁を展開、鎌の猛威をなんとか止める。が、壁は一撃で粉砕されたどころか衝撃をまったく殺すことができず、クラインは見えない力に殴りつけられたかのように闘技場の芝生の上を転がった。セコンドにいたユーレイまでもが衝撃波に尻餅をつく。
「つまらん防御策だ」
「おれも思うよ……。でも猫の前足は二本あるわけで、《猫の手》にはもうひとつ効果がある。知ってるよな?」
「……なら、場を固めてやろうか。二枚目の、《スリープ・シープ》を召喚」
すなわち《原風景の柵》再設置を意味するその宣言ののち、グリープはターンを終了した。羊が一匹、二匹、三匹、黒鎌の巨人の足元を固めるように計四匹の羊が集い――羊たちは、鋭い牙を剥き出して笑った。
そうだ。キーカードは複数枚デッキに入れるのが基本。そうすれば引く確率は上がるし、破壊されても次がある。
クラインは倒れたまま起き上がらない。
彼には彼の考えがあったようだが、それでもやはり全カード一枚のみなんてのは無理があったのだ。地下No.2の相手を前にして、スペルオンリーで勝とうなどと――
荒くれ者たちの歓声が、ユーレイにはどんどん遠ざかっていくように聞こえる。
「……ここで、あなたが負けたら、私は、……私は……どうなるのですか」
ありとあらゆるプライドが剥がれ落ち、青ざめた顔でユーレイは問うた。
むくりと体を起こしたクラインが、振り返りもせずに答える。
「……よっぽどの奇跡が、起こんないかぎりは……まあ無傷じゃ帰れない、っていうか。帰れるかどうかが、まず怪しいね」
ユーレイは膝から崩れ落ちた。
闘技場の逆サイドではグリープが既に眠ってしまったかのような不動の直立を決めていて、セコンドの筋肉ダルマ二人は狂気に沸く目をユーレイに向けている。それが怖くてしょうがなくて、心の中で助けを呼んで、
――兄上様。
助けを求めたその相手の名を頭の中で反芻して、瞬間、じわりと涙が浮かんだ。
どうしてこんなことになってしまった? 自分は、どうしてこんなところに来た? 兄が逃げてしまったからだ。兄が、すべての責任を放棄して、勝てないからと――逃げ出したからだ。
どうして。
――どうして?
「……ユーレイ・ローゼスト……って、言ったよね、たしか」
よいしょっ、といかにも億劫そうな声を上げ、クラインは立ち上がった。観客席からヤジが飛ぶ。
「結局、おれは聞いてないんだよ。なんで、あんたが『虹のカラセル』を探してるのか……その理由」
けれど、彼はそんな罵声などどこ吹く風の涼しい顔で――ユーレイのほうを振り返った。
「なんか知らんが、いつの間にやらおれとあんたは運命共同体。こんな崖っぷちまで来ちまった。そろそろ教えてくれてもいいんじゃないかなっておれは思うよ」
ぐずぐずと泣きじゃくり始めたユーレイに、変わらずおどけた調子で問いかける。
ひとかけらだけ残されていた自尊心でもって涙をぬぐい、ユーレイはつっかえつっかえ答えた。
「……【シルバー・バレット】のパイロットを探せ、というのが私に与えられた使命でした。そのために、『虹のカラセル』を見つけ出せと」
「そんだけ?」
――早くゲームを続けろ。
――負けろ。
――さっさとカードを引け――
がなり立てる男たちの怒声の中で、なぜかクラインの優しい声は、ユーレイの耳にはっきりと届いた。
「いや、『ローゼスト』ってたしかさ……今年の【シルバー・バレット】パイロットが、そういう名前だったじゃん?」
「……兄です。私の」
「ああ、やっぱり。で?」
「……で、とは」
「なんで今更パイロット探してんの、……っていう詳しい事情は、まあ察しがつくとして」
向かい合って立つグリープに、クラインは完全に背を向けた。百八十度後ろを振り返って――クラインは、膝をつく。
小さい子供と目線を合わせて話すときのように。
リングより一段低い、セコンドの位置に立っているユーレイに――話しかける。
「お嬢個人には、なんか思うところないの?」
「……わたしは」
ユーレイ・ローゼスト個人の意思。そんなものを求められたところで、答える内容などないはずだった。
ここには、王の命で来た。ボーレイ・ローゼストに代わる、強力なパイロットを見つけ出すこと。それが自分に与えられた使命で、ただ、それだけのはずだった。
「私は……」
にもかかわらず、ユーレイの口は勝手に言葉を紡ぎ出していく。
「兄は……どこかに消えました。【シルバー・バレット】搭乗者の任も、……妹の私も、放り捨てて。ひとりで、どこかに、消えました」
「なるほど」
「まだ、大事にはなっていませんが……この事実が明るみに出れば。兄は、勝てないからと逃げ出した……『臆病者』の誹りを、受けることになるでしょう」
「ま、そーなるかもね」
「……嫌です」
あってないような軽薄な相槌を聞いているのかいないのか――言っているユーレイ自身、もはや自分の言葉をコントロールできない。
「兄は……兄は、誰よりも、強かった。目の前の敵に恐れをなして、逃げるような人じゃなかった! ――だから!!」
大声で叫んだ自分の声でユーレイはやっと我に返り、今更のように恥ずかしくなって口をつぐんだ。
知らず熱くなってしまった羞恥心に頬を赤らめながら、それでも、今たしかに見つけ出した自分自身の意志を――結ぶ。
「……だから、……兄より強いカードゲーマーがいれば。兄の逃亡は逃亡ではなく……『より適したパイロットが見つかった』という方向で、ごまかせるかもしれない」
「ま、そりゃ魔導巨兵に乗るならカードゲームもやるわけだよね……」
この男と自分は今日が初対面。初対面の殿方を相手に、こんな醜態をさらすなど――クラインの顔をまともに見られないユーレイだったが、当のクラインは顎先をさすりながらふんふんと頷いていた。
「お兄さん、強かった?」
「……とても」
「おれより強い?」
「――当然です!」
言ったユーレイ自身が驚いたほどのすさまじい反応速度。ほとんど脊髄反射と呼べるほどの速度で、ユーレイは藍色の瞳をまっすぐに見つめ、吠えた。クラインがきょとんとした顔をする。
今さっき恥をさらしたばかりだというのに、その舌の根も乾かぬうちからまた感情的になってしまった――ユーレイが白桃のような頬を真っ赤に染め上げる中、クラインは心底愉快そうな笑みを浮かべた。
「あっははは……。即答! 好きなんだねーお兄さん」
「あ、いや、これは、……その……」
「つくづく命知らずなことばっかり言うお嬢さんだよねえ。カードゲーマーってのは、どいつもこいつも『最強になる!』を合言葉に修練に励む生き物ですよ。そんなやつら相手に『この国で一番強いカードゲーマーを探してる』なんて言ったら、どうなるかくらいわかんなかった?」
くすくすと笑いながら振り返り、またグリープに向き直る。黒の長髪は未だ微動だにせず、彼が従える黒の死神も、未だ濃厚な死の気配を漂わせている。
周囲をふわふわと飛んでいたスタッフを、ゆっくりと手元に引き寄せると――紺と白の二色が混ざった不思議な髪色の少年は、ユーレイに背を向けたまま、言い放つ。
「地下ナンバーワンのカードゲーマーに向かって、『おれより強い?』『当然です!』……いやー、言ってくれるよ、ほんと」
「……え?」
「そーいう台詞が聞きたかったんだよね、最初っから」
ユーレイはまず耳を疑い、それから自分の目を疑った。なぜなら、クラインがデッキの一番上のカードに手をかけた瞬間、
そのカードが一瞬、虹色の光を放ったように見えたから。
たとえば、油の混ざった水たまり。
たとえば、青空の下を漂うシャボン玉――
彼の髪の毛の白い部分が、一瞬、虹色に輝いたように見えたから。
「おれのターン。――ドロー!」
大きく腕を振り抜くドロー、カードで孤を描くその軌跡が――――虹を、描いたように見えたから。
「ユーレイ・ローゼスト! ……で、合ってんだよね? じゃ、改めて……ユーレイ!」
「は、はい!」
「実を言うと、おれはお嬢にひとつだけ嘘をつきました。『使い魔は一枚も入れてない』って言ったじゃん? あれ実は嘘。実を言うと一枚だけ入ってる」
ユーレイが慌てて目元をこすったころには、もう虹は消えている。
けれど、クラインが天高く掲げ持ったその一枚のカードは――まさしく雨上がりの虹のように、特別なカードであることが伺えた。
「そのあたりの謝罪も兼ねて、改めて名乗り直そうか。――ビット・ユニゾン、五機連結」
クラインの周囲を旋回していた五つの青い宝石が輝きを強め、五芒星を形作る。その中央にそっとカードを置いて、クラインは静かに目を閉じた。
「"――我が魂は虹色に。しかしこの虹は七色にあらず"」
両手を胸の前で組んだ、祈るような詠唱に合わせて――五芒星から虹の奔流。大きく広がった五つの宝石が描く五芒星、その中心からあふれ出す色とりどりの光が嵐のように闘技場を吹き荒れる――
――刮目。
「上級使い魔を召喚する。――《虹のリヴァイアサン》!」
翼と無数のヒレを有する巨大な海蛇が、星の中央からゆっくりと姿を現した。クラインの髪と同じ紺色の鱗で全身を鎧い、ただし鱗に覆われていない腹部はクラインの髪と同じ白色の肌をさらしている。
クラインのしもべであることを示すかのように、空中で静かにとぐろを巻く《リヴァイアサン》――虹光の支配者を満足げに見上げて、それから。
クラインは、首だけでユーレイのほうを振り返った。
「そーいうわけで改めまして、おれの名前はカラセル・クライン。こう見えて地下ナンバーワンのカードゲーマーで……『虹のカラセル』とか、『【
というわけで、今後ともよろしく――そう添えられた結びの言葉に、ユーレイは金魚のように間抜けに口を開け閉めすることしかできなかった。
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