1-9.ユーレイと代理決闘②
「ドロー。――《スリープ・シープ》一同の攻撃! 羊を数えて永遠に眠れ!」
脂ぎった黒髪を振り乱すオーバーアクション、大きく腕を広げた姿勢での居丈高なドロー。宣言からほぼ間をおかず、七匹の羊が鋭利な牙を剥き出してクラインに襲いかかった。牙。草食動物に牙。殺りに来ているとユーレイは直感する。
「ビット――七連結!」
周囲を旋回するサファイアの破片が七つチェーン状に連結、クラインがそれを鞭のように振るうと七つの欠片は閃光弾のごとく強烈な青い光を吐き出して、クラインの眼前に壁を作った。《原風景の柵》よりもずっと高く大きく透き通った魔力壁、羊たちは何度も体当たりを繰り返すが、もこもことしたその体では到底打ち破ることのできない硬度。やがて羊の群れはすごすごと引き下がっていったが、同時にクラインのビット七つも輝きを失って粉々に砕ける。残りライフ、十三点――
「ひとまず、このターンは凌げたようですね……」
「……カードゲーマーっていうのはね、お嬢。ジンクスを大事にするもんなんだ」
安堵に額の汗をぬぐったところに渋い声を投げかけられて、ユーレイはきょとんとした顔をする。
「……なにが言いたいのです?」
「縁起でもないことを言うな、って意味」
グリープが一枚のカードを掲げた。
「夢物語もいいところ。――《ラピッド・I・ムーブメント》を発動!」
途端、観客席の荒くれ者たちが割れんばかりの歓声を上げ、セコンドの位置にいたアパタイトとリビドーも手を叩いて立ち上がる。
「出たぜ、兄貴の《R.E.M.》! 通常、
「兄貴は常に眠っているかのごとく目を細めている男。そんな兄貴にとっちゃあ使役する使い魔どもがいわば『眼』の代わり!」
見えているかどうかも定かでない細い目を涼しげに閉じたまま――天高く掲げられたカードを、むしろビットのほうが迎えに行く。
「このターンの攻撃を終えた使い魔……つまり睡眠中の使い魔。この呪文は、彼らに夢を見せ……」
魔力充填。術式――起動。
「――そのすべての再攻撃を可能とする!」
「あああああもう!! 七連結! ガードォ!」
再び七つの破片を用いて魔力壁を展開、襲いかかってくる羊の群れをクラインは必死に凌ぐ。目玉をあらぬ方向にぐりぐりと動かしてよだれを撒き散らしながら壁に体当たりを繰り返す羊たちを見て、ユーレイの中で羊という生き物への認識が大きく変わった。
一匹の羊が頭突きで壁にかすかなヒビを入れ、クラインは心底嫌そうに顔をしかめてヒビ越しに羊の額を殴りつけた。勢いのまま数歩後退、顎を伝ってしたたり落ちる汗のしずくと一緒になって、力を失った魔力片が七つ地面に落ちて砕け散った。
『こ――れ――は――効いたんじゃないのかァ――↑↑!? この羊たちは沈黙しない。三ターン目でもう三分の一割ったぜ、どーすんだよクライン。どーすんだよこの状況!』
残りライフ六、かろうじて残った六つの青ビットがクラインの周囲を頼りなく旋回する。グリープのターンエンド宣言と同時にさらに羊が三体柵を飛び越えてやってきて敵の数はこれで十体、耳元に迫りくる五体不満足の足音に、ユーレイはもはや声を上げることもできない。
「ごく単純に考えよう。一日に八時間寝るとして……その場合、人生の三分の一が『睡眠』という闇に喰われることになる。俺はそれが嫌でしょうがない。もっと時間を有効に使いたい」
ゆえに、グリープの突然の独白にも、視線だけをそちらに向けるくらいの対応が精いっぱいである。
「だが、気づけば俺はNo.2。このまま上り詰めてしまうと……俺はまた、『眠れる』ようになってしまう」
病院服のような格好に、手入れのされていない長髪。いかにも不健康そうなこの男の目元には、今はまだどす黒いクマが浮かんでいた。
「さて――最後の砦は、どうしてくれる?」
「まあ落ち着いて落ち着いて。……おれだって別に、考えなしにデッキ作ってるわけじゃないんだからさ」
言葉の最後でちらりとユーレイのほうに目をやって軽く微笑み、クラインはカードをドローした。残された六つのサファイアが青い光をその身に灯す――
「こーいうときのためにこのカードがある。《溺れる者の
その一つにこのカードを差し入れ、クラインは拳を握りしめた。
「残存ビット数が相手より少ない場合に発動可能。これがおれの場に出ている限り、一ターンに一度! 墓地のスペル一枚をランダムに選んで、その効果をこのカードの効果として発動することができる!」
ユーレイも知っている呪文だった。一定時間内に自分が使用した呪文をランダムに再発動する術式で、カードゲーマーではない通常の魔導士にもこれを好んで使う者はいる。
「ただし、同じスペルを二回以上コピーした場合、その時点で砦は自壊する。が! これを今使うなら、おれが掴む藁は確定で……」
そして、クラインがこの決闘で使ったスペルは今のところ一枚だけ――
「《ディスペリング・ストーム》だ! 吹けよ嵐、飛んでいけ《原風景》!」
青い竜巻が蛇のように緑の芝生を荒らし回り、羊たちの背後にそびえる《原風景の柵》を破壊する。必然、《柵》を設置していたビットも巻き添えで破壊され、敵ライフ残り十八→十七。
「――追撃です!」
「はいはいよしきた任せなさい。スペルオンリーで組んだ身軽さはこういうとき生きる――《トリコロール・バースト》を発動!」
垣間見えた光明に思わず歓喜の声を上げたユーレイに応えるかのごとく堂々と、クラインはビットをひとつ手元に呼び寄せてカードを差し入れる。
「デッキの上から三枚のカードを墓地に送り、その三枚と墓地のカードを照合して一枚たりとも被りがなかったならば! 相手ファミリアまたは相手プレイヤーに、三点のダメージを――食らわせる!」
差し入れた一つが他二つのビットと三角形を形作り、クラインが引いた三枚のカードは――《ボトムアップ・フリーズ》《前借り》《クラッシュ・オープン》/被り一切なし。
赤青白の三色光が渦を巻きながらグリープに襲いかかり――灰色ビット三つで防御壁を生成、グリープは軽く光線を凌ぐ。が、クラインの手は止まらない。「もう一枚だ!」さらに三枚のカードを引き――《ライトニングボルト》《名指しの出禁措置》《レコード・ホールド》――勢いよく宙に放り投げる。
「《命題用代用詠唱》発動! おれの使用済みスペルの中から『ダメージを与える効果』を持つカード一枚を選んでその効果をコピーする。《トリコロール・バースト》再発動!」
三枚のカードをキャッチした三つのビットが間髪を入れず再びの三色光線を照射――あまりに素早い追撃にグリープの対応が半秒遅れる。
闘技場の床を抉り飛ばす一撃が、グリープと羊たちを爆炎に包んだ。
「た・だ・し、あくまで代用は代用だから。代償というか綻びというか、おれは与えたダメージと同じ枚数、デッキの上からカードを墓地に送るわけなんだけどね」
紺と白の髪を爆風になびかせ、涼しい顔でさらに三枚――《ID-ビジュアライズ・ボム》《溺れる者の借りる猫の手》《強欲の帳尻合わせ》。敵ライフ残り十七→十四→十一、ユーレイにも飲み込めてきた。
同じカードを複数枚使わない、デッキに使い魔は入れずスペルオンリー。伊達や酔狂でそうしているわけではない。三十枚三十種構築は《トリコロール・バースト》の確実な効果成功を保証しているし、《命題用代用詠唱》によってそれを使いまわし墓地を蓄えることで《溺れる者の藁の砦》で活用する選択肢が増える形にもなっている。クラインにはクラインなりの戦略があって、その理に適ったカード選択を行っているようだ。
だが、それにしてもこのデッキはピーキーすぎるようにユーレイには思えたし――
「知り合いを不眠症にすんのも、ちょっと申し訳ないかなって思うけど。このお嬢さまもこう見えて結構反省してるらしいからさあ……おれの顔に免じて、許してやってくんないかな?」
「どちらも無理だ。俺は今日から枕が手放せなくなるらしい」
「あん?」
六点の手傷を負ってなお、グリープはまったく動じていなかった。敵ライフ、残り――十一→十。
「――クイックキャスト。このダメージをトリガーに、スペルを発動させてもらう……」
ふと、闘技場に風が吹いた。グリープの従える十匹の羊がその綿毛をそよ風に揺らし、否、やがて風はそよ風では済まない強風へと威力を強める。
「お……おい。このタイミングでクイックキャスト宣言となると……」
「『アレ』しかねえ……マジかよ。出るぜ、兄貴の『あの』使い魔が……!」
セコンドに立っていた筋肉二人までもが、その表情を恐怖にゆがめて後ずさる。
ばさばさと揺れる金の長髪を必死に抑えながら、それでも聞こえたクラインの舌打ちに、ユーレイは叫ばずにはいられない。
「――な、なにが起こるというのです!?」
クラインは振り返りもしなかった。
「《フィードバック…→
油まみれの黒髪を箒のように逆立てたグリープの背後に――《原風景の柵》が立っていた位置に。地獄の門としか呼びようのない、黒い、巨大な門が突き立っている。
門は全開。地獄の門は生者をその中に吸い寄せる。この世のものとは思えぬ暴風に、羊たちは一匹残らず門の向こう側の漆黒へと飲み込まれ――
「場の羊すべてを結合し、
グリープが従える灰色のダイヤモンド、残数十機のビットのうち五機――それが空中に整然と並んで五角形を形作ったかと思うと、ビットは細い光線を放ち、虚空に五芒星を描き出す。その五芒星の中心に、グリープは一枚のカードを置いた。
「来るよ。あいつの……【オーバー・デザイアーズ】の誇る、最強の切り札」
暗黒の闇から、門の半分くらいには達するであろう、巨大な毛むくじゃらの足が――一歩、踏み出した。
「どう足掻こうが、人の一生の三分の一は睡眠だ。欲求すべてを支配する力――出でよ。《
影がそのまま動き出したような漆黒の身体を有する巨人。地下闘技場の高い天井にも手を伸ばせば届きそうなほどの巨体。
巨人はその巨体に見合うだけの巨大な鎌を背負っていた。反り返った刃はひと振りで観客すべての首を刈り取れるほどの大きさをしていて――呆然と死神を見上げたユーレイは、そこでようやく気が付いた。
巨人の頭部からは、山羊のようにねじくれた極太の角が一対生えている。
羊と山羊は違う生き物ではないのか、などと考えている余裕が、十七歳の少女にあるはずもなく。
まさしく悪魔のようだという恐怖だけがユーレイの身体を満たしていた。
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