1-8.ユーレイと代理決闘①
「食った後は眠くなる。ヤった後も眠くなる。睡眠欲というのは不思議なもので――四大欲求のうち、性欲と食欲に連動する形で表れることがしばしばある」
杖の先端に収めたデッキから、静かな独白とともに三枚のカードを引く。グリープを中心に旋回する灰色の光――ダイヤモンドの破片ニ十個は、あたかも蜘蛛の子を散らすかのように闘技場のあちこちへと拡散する。
カードゲーム用のスタッフには、
「ただし、カードゲームだけは別だ。睡眠欲はカードゲーム欲とだけは連動することがない。……決闘に、もし『負けた』のであれば」
二十の破片となって割れた宝石のうちの、ひとつ――その断面の細いひび割れにグリープがカードを差し込んだ瞬間。
ダイヤモンドに充填されたグリープの灰色の魔力が、カードの中へと流れ込む。
「それがどれだけ気力と体力を振り絞った闘いであろうと、『負けた』悔しさを前にして、『眠りたい』などという欲求が表に出ることは決してない。
カードに記された呪文テキストが起動、グリープの眼前に灰色の魔法陣が出現。火の輪くぐりのサーカスのように、虚空から陣をくぐって現れる――一匹の、羊。
綿あめのごとくもこもことしたかわいらしい白毛が特徴的な、何の変哲もない、羊。
セコンドの位置からユーレイは呟いた。
「低級
カードゲーマー同士の闘いは、基本的に『
その点で言うと、この羊はどう見ても貧弱な使い魔である。『凡庸な立ち上がり』――兄ならたぶんそう言っただろう気がして、言葉が口をついて出た。
「お嬢さま、おじょーさま。たしかにこいつは魔法剣士の間で流行りのお行儀のいい魔法なんかじゃない。でも、見た目よりずっと意地の悪い魔法が、
が、実際にグリープと向かい合っているクラインはこれを否定。グリープと同じようにニ十個の魔力ビットを散らした彼は、羊から距離を取るように、土俵際ぎりぎりをゆっくりと歩いている。
「だから俺はカードゲームに惚れ込んだ。カードゲームに没頭している間は睡眠を忘れていられた。負けているうちは眠る時間も余裕もありはしなかった……が」
グリープはクラインの軽口など一切聞いていない様子で自分の世界に埋没している――
「いつしか、俺は負けなくなってしまった。――《スリープ・シープ》の特殊能力発動!」
瞬間、味気ない砂の色をしていた闘技場一面に緑色の若草が生い茂った。と同時、背筋を伸ばして直立しているグリープの背後の地面から――木製の柵がせり上がってくる。
グリープは山札から一枚のカードを抜き出すと、もう一個のビットを手元に引き寄せ、そこにカードを差し入れた。
「《スリープ・シープ》が手札から場に出たとき、俺はデッキから《原風景の柵》を一枚発動することが許される。これにて、俺のターンは終了するが……」
クラインが忌々しげに舌を打つ理由が、ユーレイにはまだわからない。
「《原風景の柵》……? 永続スペルのようですが、いったい、何を狙って……」
「何を狙ってって、いや、お嬢さあ」
――数えたこと、ないの?
呆れたようにつぶやくクラインの声に合わせて――グリープが吠えた。
「『カウント・ザ・シープ』!」
途端、グリープの背後に反り立つ巨大な柵を飛び越えて――三匹の羊が、立て続けに現れた。もといた一匹と身を寄せ合い、巨大な綿の塊を作り上げる。
目を丸くするユーレイのほうを見ようともせずクラインが解説した。
「つーわけで、これがあいつのやり口ね。《原風景の柵》と《スリープ・シープ》がやつの場に揃っているかぎり……」
「お互いのターンが終わるたびに、羊は三体ずつ増殖する」
塵が積もって大惨事、などとぼやきながらクラインがカードを引く。グリープの散らしたダイヤモンドから灰色の光が薄まっていき、代わりにクラインのサファイアが真っ青な光を放つようになる。手番交代――
カードゲームとは、テキストを記したカードに魔力を通すことによって呪文を発動させる闘い。ゆえに、敗北条件は魔力が尽きた時――最初に魔力カートリッジに充填した魔力をすべて使い切った時とされる。
魔力カートリッジ――スタッフに埋め込まれた宝石は、決闘開始とともにニ十個の破片に分割されて散らされる。この破片にカードを通すことで魔力を行き渡らせ呪文を発動するのだが――相手の使い魔が自分めがけて襲いかかってきた場合、その攻撃をかわすための防衛魔力はこのニ十個の破片から捻出しなくてはならない。
単独では貧弱な羊と言えど、四匹が一斉に突進してきたならば、その攻撃を捌くには破片四つぶんの魔力が必要なのだ。
「……《原風景の柵》を破壊しましょう。この牧場を消し去らないかぎり、物量戦では勝ち目がない」
「定跡くらいはわかってるよーでなにより。ではおれのターン、《ディスペリング・ストーム》を発動!」
青々と茂る芝生に目を落とすユーレイを満足げに見やってから、クラインは青の破片をひとつ引き寄せ、一枚のカードをセット。
その呪文の名は、カードゲーマーのみならず魔導を志す者なら誰もが知っている初歩中の初歩でありながらしかし応用の利く、見習いから賢者まで幅広い層の魔導士が世話になる解呪の嵐――
「発動中のスペルの効力を打ち消して破壊する――《原風景の柵》。砕けて散れーいっ!」
二十のサファイアが網目状に光線を放ち、光の編み上げた竜巻が柵をねじ切り巻き上げ粉々に砕いた。よし、とユーレイは我がことのように拳を握りしめる。
ニ十個のビットはカード置き場と残りライフの役割を兼ねている。通常の使い魔、通常の呪文であれば、最初に一度魔力を通すだけで術式は起動するが――《原風景の柵》のような、場に残り続ける永続スペルの場合。永続であるからには常に魔力を供給し続けねばならない。
つまり、永続スペルを唱えるというのはビットをひとつ潰すということ。永続スペルはそれを置くビットと密接に結びついていて、ゆえに永続スペルが破壊されるということは、ビットまでが連動して潰れるということ。
身を守るために必要な、カードゲーマーの
「目覚ましは」
展開としては悪くない、とユーレイが考えた直後のことである。
「一回で起きる性質か? クイックキャスト:《誘惑のバック・トゥ・スリープ》」
「げ」
グリープは漂うダイヤモンドのひとつを手元に引き寄せるが、その破片から今、灰色の光は消えている。
プレイヤーの魔力を充填したカートリッジを散らしたもの、それがニ十個のビットである。このビットに蓄えられた魔力を用いて使い魔の召喚や呪文の詠唱が行われるわけだが――魔導巨兵の
カードを扱えるのは、自分のターンのみ――この基本法則を破るのが、クイックキャストと呼ばれる詠唱技法。
グリープが二本の指に挟んだカードがぼんやりと光を放った次の瞬間、その一枚はビットにセットされ――暗く沈黙していたはずのビットが、打ち上げ花火がはじけるように、あふれんばかりに光輝く。
『強制解放』とも呼ばれるこの技法は、要は相手ターン中にカードを使用するためのテクニックである。相手ターン中は閉じているビットを無理やりに解放し、中の魔力を使用する技術。ただし強引なやり口であるのは間違いないため、クイックキャストに用いたビットはその一回だけで使用不能となる。ライフを一点失うわけだ。
「出勤の時刻、社会的地位、そういったしがらみをすべて振り捨てて、外界からのノイズをすべて無視して……甘美なる眠りに逃げることこそ『二度寝』の極意というものだ。《誘惑のバック・トゥ・スリープ》の効果」
しかし、本来なら無抵抗であるはずの相手プレイヤーが突如として反撃の牙を剥き出すその驚愕――主導権の交代というのは、ライフ一点で買えるなら安いと言い切れるだけの価値がある。
「自分の使い魔、またはスペルが破壊されたターンに発動でき……破壊されたそのカードを、別のビットに戻し、再召喚・再詠唱することができる」
ユーレイが驚き、クラインが舌打ちをする中。大きく両手を広げて直立するグリープの背後で、砕かれたはずの《原風景の柵》が再び地面からせり出してきた。
「無論、眠って過ごした時間が戻ってくることはない。取り返しのつかなさが二度寝の甘美である所以……《原風景の柵》が破壊されて失われたビットが、回復するわけではないがな」
敵残りライフ、十八点。ただし状況は一切好転していない。
表情を消してグリープと四匹の羊を見つめているクラインにユーレイは献策する。なにせこの決闘には自分の身の安全もかかっているのである。
「《スリープ・シープ》一体ずつは、大したことのない使い魔です。ここは、こちらも主力の使い魔を展開して応戦しつつ、《原風景の柵》を改めて破壊する方法を探る。それがベストでしょう」
「ほうほう、なるほど」
「《ディスペリング・ストーム》は残り二枚。引けない枚数ではないはずです」
「なるほどなるほど。……いや、こればっかりは無理もないんだけどさ、そのアドバイス一から十まで全部的外れなんだよね」
「……はい?」
ユーレイの指摘はカードゲームの常識を大きく外してはいない、至極真っ当なものだった。より強力な使い魔を召喚して戦うのが勝ちへの近道、真っ当。呪文を打ち消す《ディスペリング・ストーム》はどんなデッキにでも入る必須級カード、そしてカードゲームにおいては同じカードは三枚までデッキに入れてよい(同じ呪文を三枚までしか持ち込ませてくれない、という魔導巨兵の特性からこのルールは生まれている)。ならば強力なカードはデッキに三枚フル投入するのが基本。至極真っ当な指摘なのである。
この状況、悪いのは誰かと百人に問うたなら誰もユーレイを責めることはせず、百人の人差し指百本が一斉にクラインを示しただろう。なんなら全員両手で指すから二百本に届いたかもしれない。
「ひとつ言うと、まずおれのデッキに使い魔は一枚も入ってない。全部呪文」
「……」
「んでふたつ言うと、おれはデッキに同じカードを二枚以上入れないようにしてる。今使った一枚だけで、《ディスペリング・ストーム》は品切れだよ」
「…………」
カードゲーマー同士の闘いは、基本的に『
二本柱、のはずである。
強力なカードが多く使えるに越したことはない。強いカード、重要なカードは、デッキに複数枚搭載し、少しでもドローする確率を上げるのが、デッキ構築の基本である。
基本である、はずである。
おれの実力は見ていればわかると、決闘前、クラインは言ったのだ。
「【ノーファミリア】、【フルスペル】……」
「【ピン挿し縛り】も追加しといて」
「――あなたは、何を考えているんですか!?」
なんと、この男はカードゲームの定跡すべてに逆らってデッキを組んだ。そんな男に自分が五体満足で帰れるかどうかがかかっている。
これでおれはターンエンドだよとクラインが諦めたように告げると、グリープの背後の柵を飛び越えて、また三匹の羊がやってきた。
これで敵の使い魔は七体、対するこちらの使い魔は――ゼロ。
ユーレイは切腹の覚悟を決めた。
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