1-7.ユーレイと代理決闘のはじまり
そこから先起きたことはすべてユーレイの想像を越えている出来事だったため、叙述は簡潔に行われる。
まず、【グッドスタッフが人生の近道】には地下室があった。
店内で一番大きな丸テーブルをレマイズがどかしたその瞬間、床がぱっくりと左右に割れて、地下へと続く階段が出現。ふんぞり返った【オーバー・デザイアーズ】の面々、心底から嫌そうな表情を浮かべているクラインの後についてユーレイがその階段を下りると、そこには闘技場が広がっていた。
闘技場である。
闘技場なのである。
魔導ボクシングや魔導プロレスのリングのような――ユーレイが物心ついたころ、これらの競技は既にカードゲームに押されて下火であったため、彼女はそのリングを文献資料でしか知らないのだが――闘技場。ただし、その規模はそれら魔導格闘技のフィールドとは比べ物にならない広大なもので、ユーレイはどちらかというと古代世界において奴隷たちの闘いの場になったという円形魔導闘技場――コロッセオを連想した。
闘技場を一番底として、すり鉢状に広がった観客席は酒場にいたのとそう変わらない荒くれ者達で満たされている。野太くやかましい歓声にユーレイの形のいい耳は今にも割れそうになっていて、どう考えても規模がおかしい。『バベルの塔』の五階か六階に届くだろうかという高さに天井がある。何をどう見ても店の面積よりこの地下室のほうが広い。というかもはや室ではない。もはや地下大空間である。おそらく相当腕のいい魔導空間建築家が一枚噛んでいるのだろうと推測し――
リングの上に杖を突いて立っているクラインの後ろ姿と、ちょうどそのセコンドを務めるような場所に立っている自分の立ち位置をかわるがわる見て、ユーレイは頭を抱えた。
「……ど、どうしてこんなことに……」
「レマイズは、まあ変なとこ几帳面なやつでね。このくらいはツケにしたまま忘れてくれてもいいだろっていうおれの注文を一から十まで全部覚えてるような女だ。だからかなあこんなことになったの……」
それについては全然変なとこではないとユーレイは思うのだが、もはやそう突っ込む余力もない。
元はと言えば、自分は国の命運を背負ってここに来たはずだ。兄ボーレイが逃げ出したせいで空席となった【シルバー・バレット】搭乗者の座、それを『虹のカラセル』なるカードゲーマーに埋めてもらうべく。国防の要を探すミッションであったはずなのだ。それがどうだ、いざ来てみれば道に迷い変態に絡まれ殴り倒したらまた絡まれ、なぜか自分は今じめじめと暗く怪しい地下決闘場に放り込まれている――
恨みがましく背中を突き刺す視線にクラインも気づいたようで、紺白の髪の少年は首だけで振り返って苦笑した。
「あのねお嬢、おれがかるーい男なのは別に否定する気もないんだけどさ、それでも今お嬢が五体満足で帰れるかどうかはおれに全部かかってるんだってとこは、さすがに自覚しといてほしいわけね。もーちょい応援してくれたって別に罰は当たんないと思うな」
これである。たった数時間前まで非の打ち所のないお嬢様であったはずのユーレイは、いまや五体満足でここから帰れるかどうかすら怪しい状況にある。彼女の運命はいつの間にかこの軽薄な男の双肩にすべて託されてしまっているのである。人生のあみだくじをどう間違えればこんなところに行き着くというのか。世間を知らない少女は今や完全に絶望しきっていた。
どこからか、魔導スピーカーによって増幅された甲高い声が響く。
『さァ――見てるか野郎ども、この突発的好カードに幸運にも居合わせたヘブンリー野郎ども! オーバー・デザイアーズ睡眠欲担当、万年寝太郎のこの男がついに目を覚ました――グリープ・デザイアー! めったと見られぬ地下ナンバーツーのこの男に対するはァ――……あ? なんだこれ。匿名希望っててめーのそのツラで名無しの権兵衛は無理があろうよ! まあ要望なら聞いてやるけど、とにかくナンバーツーのグリープに相対するはこの男――クラインだァ! 地上に出てきたセミがたまたま皆既日食に出くわすようなこの奇跡。しかもなんか女賭けた決闘って言うから笑っちまうよね!? 見逃しゃ二度とは拝めないこの決闘! 野次の準備は出来てるかァ――↑!?!?!?』
地下の天井を崩落させんばかりに響き渡る男たちの怒声、無責任に場を煽る司会の声にユーレイは耳を塞いだ。が、それでも聞き流すわけにはいかない部分というのがあって――
「ちょ、ちょっと待ってください。ナンバーツーと言いましたか?」
「ん? ああ、そうだよ。他の二人は忘れていいけど、グリープはちょっと格が違う。いつも寝てるからあんま見かけないけど、地下じゃ『虹のカラセル』に次ぐカードゲーマーだよ、あいつは」
「……そんな方を前にして、あなたに、勝算はあるのですか?」
頬を伝う冷たい汗をぬぐうこともできず、ユーレイはおずおずと手を挙げる。
「そもそも、あなたの実力というのはどの程度のものなのです?」
「おれの実力? そうだなあ……」
「……」
「……」
「…………」
「……まあ、まあね? 見てればわかるんじゃないですかねー、あっはっは」
ひきつった笑みを浮かべながら肩をすくめたクラインの姿を見て、ユーレイは最悪の場合名誉が汚される前に自決することを固く決意した。
おそらくはその『最悪の場合』をこれからもたらすことになるであろう男――闘技場の逆サイドに立つグリープは、節くれだった木製のスタッフを悠然と構えて立っている。
「改めて、確認しておくが。俺が勝ったら、その女の身柄は【オーバー・デザイアーズ】に引き渡してもらう」
「参考までに聞きたいんだけど、引き渡した後ってどうなんの?」
「『カードゲーム』というものを、その身体で思い知ってもらうことになる」
「らしいよ、お嬢。これを機にカードゲーム学んでみるのもアリじゃない?」
いたずらっぽく振り返ったクラインに追従して、敵側のセコンドについている筋肉ダルマ二人の視線が舐めまわすようにユーレイを見た。
どう考えても文字通りの意味でのカードゲームであるとは思えなくて、ユーレイはぶんぶんと首を振る。
「ま、そーいうことらしいので。おれが勝ったら……あれ? そういやおれが勝っても得るものないね?」
「ツケが帳消しになるという話だったはずだが。身から出た錆を落とす機会が得られただけでも十分なはずだが?」
「……おまえにまで真っ当な指摘されるとなんか……なんかなー……」
複雑そうな表情で腕を組んでから、クラインは持っていた鉄製のスタッフで一度闘技場の地面を突いた。
古来、魔導士たちは魔術を行使するにあたって『杖』を持つのが習わしだったと歴史書には伝わっている。そしてカードゲームというのは遥か古代から魔導士たちに伝わっていた由緒正しき魔導遊戯であり、滅びた超古代文明においては魔導巨兵を動かし魔導士としての技量を競う決闘の様式でもあった。
ゆえに現代でも、生身の魔導士同士が行うカードゲームでは――古代より伝わる作法を尊重して、カードゲーマーたちは杖を持つ。身の丈ほどもある長大なスタッフをである。
グリープが手にしているのは、木の質感を全面に出した古めかしい木製のスタッフ。対するクラインが手にするのは鉄製、若い魔導士たちに人気の今風にデザインされたスタッフだが――
どちらにも共通する点として、杖の先端には宝石が埋め込まれている。手のひらに収まるほどのサイズにカットされた長方形の宝石である。クラインのそれは深い紺青色のきらめきを見せるサファイア、グリープのそれは灰色に透けたダイヤモンド。
魔導体操選手が手にした棍棒をくるくると回すように、あるいは魔導戦士が構えた薙刀をくるくると振るうように――
長いスタッフを己の手足のように回転させた二人は、それぞれの杖にはめ込まれた宝石を鷲掴みにして引っこ抜いた。
「
叫ぶ右手の中でサファイアがまばゆい青色の光を放ち、クラインはそれを真上に放り投げる。遥か頭上でひとりでに静止した宝石は蒼い月のように藍光を地上へと振りまき、その光の下、クラインは懐から取り出した紙の束を無造作にばらまいた。三十枚あまりのカードがばらばらになって宙を舞い――さっきまで宝石が嵌まっていた杖のくぼみに、それらカードが一枚ずつ、ひとりでに吸い寄せられていく。
やがてクラインの鉄製スタッフの先端には三十枚のデッキが収まり、対峙するグリープも灰色に輝く太陽の下でそっくり同じことをした。
クラインは一度ばちんと指を鳴らし、グリープは細い目をいっそう細めて――二人のカードゲーマーは、各々の頭上で光り輝く宝石を、びしりと指さした。
「――ビット・オープン!」
蒼い月が粉々に砕け散った。
二十個の破片に分割されたサファイアはしかし輝きを失うことなく、むしろ整然と一列に並んで蛇のようにうねりながら主であるクラインの元へと降りてくる。蒼の破片は衛星のようにクラインの周りを旋回し、グリープも同じように灰色の破片をその身に従えた。
「じゃ……行こうか」
相も変わらず軽い調子で、しかし、その藍色の瞳に静かに光る戦意を宿して――クラインがスタッフから手を放すと、鉄製のスタッフはゆっくりと宙に浮き上がった。
兄の決闘を見たことがあるユーレイは、国のためカードゲームを学んだことのあるユーレイは、当然、知っている。
二十個のビットと一本のスタッフを侍らせたこの姿こそ、闘いに臨むカードゲーマーの正装であるのだと――
「決闘を、始めよう」
クラインの周囲を漂うサファイアが突如その青い光を消し、代わりに、グリープの身体を中心に旋回するダイヤモンドの破片が――鈍い、灰色の輝きを強めた。
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