1-6.ユーレイが無礼者


 倒れた鉄の扉を足蹴にしながら現れた二人のタンクトップ、見覚えのある顔――

 落とし前を付けにやってきたのだと即座に理解して、ユーレイはとっさに腰の剣へ手をやった。


「ここに金髪白制服の女がいるはずだ! 出せ!」

「出せ! さもなくばおまえら全員【オーバー・デザイアーズ】の欲望の餌食にしてやる!」


 テーブルを蹴り倒し、椅子を振りかざし、血走った眼を店の隅々に向ける二人の筋肉男。突然の闖入者に酒場にいた男たちが一斉にデッキケースを開く。

 スススと空気のように忍び寄ってきたレマイズが、立ち上がろうとしたユーレイを制止する。持っていた丸盆でユーレイの顔を隠し、唇に人差し指を添えて「しー」と横目で囁きかける。

 庇ってやろうというわけでもないだろうが、代わりにクラインが立ち上がった。


「誰かと思えば、デザイアーズの次男坊と三男坊じゃないか。道場破りに憧れる年でもなかろうに……」


 けたけた軽薄に笑いながら、おどけた調子で肩をすくめる。が――

 リビドーとアパタイト、二人の巨漢に挟まれるようにして立っている、もう一人の男を目にした瞬間。出会ってからここまで常ににやけた笑みを絶やさなかったクラインが、初めて、その表情を消した。


「……おまえが起きてんのは珍しいね」

「無礼者がやかましくてな。さすがに、寝苦しくなった」


 油に浸したようにぬらぬらと輝く、長い黒の髪。糸のように細められた瞳、入院患者の病院着のような格好、隣の二人とは似ても似つかぬひょろ長い手足が印象に残る。

 男は、病院着の懐に手を差し入れると――その長い腕を鞭のようにしならせ、目にもとまらぬ速さで一枚のカードを投擲した。

 ユーレイの眼前で硬質な音。

 盆の中心に突き刺さったカードにレマイズはぺろりと舌を出し、使い物にならなくなったそれを無造作に床へ放り捨てた。

 三人の男たちの視線が遮るものなくユーレイに突き刺さり――獣のような咆哮を上げた筋肉ダルマ二人を制し、長髪の男が一歩進み出た。


「弟分が世話になったようだ。さすがに見過ごすわけにもいかない」

「なるほど、あの二人のしちゃったわけね」


 面白そうに忍び笑いを漏らし、クラインは調子よくユーレイの肩に手を置いた。箱入り娘のユーレイには同年代の男に触れられた経験などなくて、その体温に一瞬びくりと背筋を震わせたりもしたのだが、ただしその手を振り払うことができない程度に彼女は緊張していた。

 言われてみれば、という話ではある。カードゲームはさておくとして、食欲、性欲、睡眠欲――筋肉ダルマ二人の他にもう一人いるのは、ある種必然と言えるだろう。


「グリープが出てくるってなると、相当だぜ。ただのお嬢さまじゃないってわけか」

「……って思うところだろうけど、その娘、デッキ持ってないの」

「は?」


 横から囁くレマイズの言葉に、クラインはグリープと呼んだ男とユーレイを交互に五回は見た。信じられないという顔をした。


「え、……デッキ持ってないって、じゃあ何。……普通に剣でぶちのめしたの?」

「その娘は、アパタイトとリビドーが『正当に』決闘を申し込んだにもかかわらず、カードゲームに応じることなく武力を行使した。さすがの俺も寝てはいられない」


 ぽかんと大口を開けて問うクラインに、追い打ちをかけるかのようにゆっくりとした口調で告げるグリープ――

 ぎぎぎと油の切れた機械みたくぎこちない動作で首を回して、クラインはユーレイに向き直った。


「……あのさお嬢さん、それはさすがにあんたが悪いとおれは思う……」

「なっ」


 よくも『正当』なんて言葉をほざけたものだと憤っていたユーレイは、まさかこうもはっきり『おまえが悪い』と言われるなんて予想さえしなかった。酸素不足の金魚のごとくしばらく口をぱくぱくさせて、数テンポ遅れてやっと立ち上がる。


「ど、どうしてそんな話になるのですか!? 私はただ身に降りかかる火の粉を払っただけです!」

「や、見てりゃわかるでしょ? このあたり一帯はカードゲームに飢えたゴロツキの溜まり場なわけで、そんな場所をよそ者がデッキも持たずに一人でうろついてるってあんた……家の鍵全開にして旅に出たやつの空き巣被害なんて警察でも捜査してくんないぜ」


 紺と白の混ざった髪を困惑にぼりぼりと掻きながら、クラインは聞き分けのない子供に言い聞かせるような口調で続ける。


「いいかい。たとえば、ばったり出会った見るからに野蛮で男臭い荒くれ者が、お嬢さまを見るなりニタニタと気持ちの悪いいやぁーな笑みを浮かべて懐に手を差し入れて……おもむろに取り出したデッキを、ケダモノみたいに乱暴にシャッフルした後、いやらしく舐めまわすような下卑たドローを見せつけられたとしても……あんたは文句を言えないんだ。カードゲームに応じることができないんだから。ここいらでデッキを持たずに歩くってのは、つまりそういうこと」

「おっしゃっていることの、意味が、ひとつも、ひとつも、理解できません」

「うんうん理解できないのは別にいい。別にいいけどさ、それ理解できない身でなんでこんなとこ来ちゃったかな……」


 出会ってからずっとユーレイに対しては軽薄な態度を取り続けてきたクラインだが、このときの彼は本気で困っているように見えた。この状況をどう収めたものか、どう言い出せばユーレイを無事に帰せるか――そんな思考を巡らせているように、ユーレイからは見えた。

 そんな思考の暇など与えぬとでも言うかのように、グリープは拳を握りしめる。


「睡眠、食事、セックス、カードゲーム。四大欲求を否定することはすなわち人間であることを放棄すること。獣だ。獣であれば駆除か躾のどちらかが必要だ。その娘を差し出せ」

「言うだけは言ってみようか。……見逃してやってくんないかな?」

「身内に二人被害者が出た。その娘はもう害獣だ」


 だよなーと額をぺちんと叩いて、それから苦々しくユーレイのほうを向く濃紺色の瞳。年若い少女ユーレイ・ローゼストはぞくりと背筋を震わせて、それでも精いっぱいの自尊心から、なんとか生唾を飲み込んだ。


「……ご心配いただかなくとも結構です。自分の身くらい、自分で守れますから」

「感づいてるとは思うからさあ、あんまり説教臭い言い方はしないけど……」


 が、箱入り娘の精いっぱいの強がりなどスラムボーイは歯牙にもかけない。


「あいつを、横の筋肉二人と一緒にすんのは……あんまり、おすすめしない」

「……」


 そのくらいユーレイも感じ取っている。グリープと呼ばれた長髪の男、油に浸したかのごとくぬらつく黒い髪。他二人とは比べ物にならないほど貧相な体格をしているが、他二人とは比べ物にならないほどのプレッシャーを全身から放っている。グリープは横の筋肉二人を弟分と呼び、事実彼の制止に変態二人は大人しく従って今も折り目正しく沈黙を守っている。あれだけ怒り狂っていた巨漢二人がだ。

 そんな男が、今、ユーレイにはっきりとした敵意を向けている。

 雑兵などとは比較にならない、チームの頭領を務める男が――手ずから、誅を下しにやってきた。


「この場のカードゲーマー諸君に問おう。この少女は我々カードゲーマーの誇りを踏みにじった」


 細い両腕を大きく広げて、グリープは酒場を見渡した。脂ぎった髪を振り乱しながら、きびきびと、店内のカードゲーマー一人一人に視線をやる。


「我が弟分二人が紳士的に決闘を申し込んだのを嘲笑ったどころか、もっとも原始的かつ野蛮である暴力という手段に訴えた。いかに年若いとはいえ、到底許されるべき罪ではない」


 それを受けた男たちの視線が、ゆっくりとユーレイに集中していき――


「――制裁が必要だ。その絹のような柔肌に刻み付ける制裁が、この女には必要だ!」


 扇動に乗せられるがまま、カードゲーマーたちは一斉に吠えた。テーブルを蹴り倒し、椅子を蹴り倒し、酒瓶を割り、カードを引く。店にいた全員が迸る怒りを十七歳の少女へと叩きつけ、今にも決闘、否リンチ、否殺人事件が起こらんばかりの、即席の無法地帯が出来上がる。

 ――この数を、自分一人で対処できるか? 状況を検分するユーレイの華奢な腕が、愛剣に伸ばした手が震える。実力うんぬんの問題ではない。混じりっ気なしの殺意が渦巻く環境において生き残るのに必要なのは実力ではない。胆力である。若く純真なユーレイにそんな力はまだ備わっていなくて、だから彼女はこのとき怯えていた。

 噴き上がる男たちはあと一秒もすれば雪崩のごとくユーレイに襲いかかっていただろう。

 しかし、狂気じみた熱気に包まれた酒場をぴしゃりと打つ雷鳴のような声がそのとき轟いた。


「たかだか女の子一人相手に、大勢で寄ってたかってさ。さすがに恥を知りなさい!」


 酒場の看板娘レマイズ――彼女は今、年季が入って錆の浮いたフライパンを同じく玉虫色のシミがこびりついた金属のお玉でガンガンと打ち鳴らしていた。


「一人相手に百人で挑めば、百人側が何もしなくたって一人がデッキ切れで負けるんだよ。そんな勝ち方して楽しい? カードゲーマーの誇りを語るなら、カードゲームで語りなさい!」

「は?」


 そして打ち鳴らす金属音をそのままに、ぼけっと突っ立っていたクラインの背中を一切の遠慮なく蹴り飛ばした。


「カードゲームができないのなら、カードゲームをさせるのみ。このクラインがこの娘の代理、この娘をぶちのめすというのならまずこの男を殺してからにすることね」

「ちょっと待って、おれ全然話わかってない」 

「ツケの清算。ここで将来のお得意様を失う事態を阻止できたなら、将来的な利益を見込んで今までのぶんチャラにしてやろうかって言ってんの」


 店内に吹き荒れる殺意の矛先が一瞬にしてクラインへと変わり、その可憐な口をぽかんと開けて放心するユーレイに、レマイズはいたずらっぽく片目を閉じた。


「来いって言ったのはあたしだからね。まあ最低限の責任は持つよ」

「持つよじゃないよ。持たせてんじゃんおれに」

「不良債権の使いどころができた上に、新規顧客にも貸しが作れる。一石二鳥の展開ってこと」

「ちょっと待って。おい、おいデザイアーズ。グリープ。ごめんちょっと待ってくれ。今立て込んでるから待って……」

「――なるほど。すべておまえの差し金か」

「なんでそうなった?」


 気づけば、いつの間にかこの場の中心にクラインという男がいる。

 それまで場を掌握していたはずのグリープですら、腕組みをして頷きながら、クラインをまっすぐに見据えている。


「その女もまた虹の一色、すべてカラセルの手の上というわけだ。……よかろう、せっかく目も覚めた」


 やがて、グリープは懐から自らのデッキを取り出すと――拳銃を突き付けるように、デッキをクラインへと突きつけた。


「そこの礼儀知らずに、カードゲーマーの掟を教え込むより先に……まずは、貴様との蹴りをつける」

「…………」


 たっぷり十秒ほどの硬直を挟んだのち、クラインはゆっくりと振り返る。


「ねえ、お嬢。あんたみたいな無礼者が紛れ込んだおかげで、ぜんぜん関係ねえおれがなんでか大ピンチになってんだけど……」

「ぶれいもの」

「どうしてくれんの、この状況」

「ぶれいもの……」


 ただし、後ろで凍り付いていたユーレイはもはや返事すらできなかった。

 ユーレイ・ローゼスト十七歳。魔導士にしては珍しく才能と礼節を両立させていたはずの彼女は、今日、この時、生まれて初めて――赤の他人から『無礼者』と呼ばれた。

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