1-5.ユーレイと無礼者


 居酒屋の従業員みたいな格好をしている、というレマイズへの第一印象はおおむね当たっていた。【グッドスタッフが人生の近道】という店は、どうやら酒場のようである。

 床は焦げ茶色のフローリング、その色と調和する木製の丸テーブルがいくつも並んだホール――天井から釣り下がる魔力灯の淡いオレンジ色の光が、店内を照らし出している。が、客層はさっきの変態とそう変わらない身なりの者が多い。バーカウンターでたむろしている男たちは皆一様に岩のような肉体を見せつけながらカードゲームに興じている。

 ごくりと息を呑んだユーレイを、レマイズはテーブルへ案内する。

 卓には、一人先客がいた。


「……お? なにこの娘。合コン? ……え、タイマンで?」

「あのねえ、一目見てわかんないかな。どー見てもいいとこのお嬢でしょーに。あんたと釣り合うわけないでしょう」

「宝石と美男子は掘り出して磨くもの。おれという原石の発掘にお忍びでやってきたプリンセスかもしれない」

「……『虹のカラセル』を探してるって子だよ」


 四人掛けのテーブルを一人で独占して、卓上に数枚のカードを広げていた男。ユーレイがおずおずと向かいに座ると、男はカードを片付けながら、値踏みするような目を彼女に向けた。

 夜明け前の空のように深い濃紺色の瞳にまず目が行き、それからやっと髪色に気が付いた。さほど手入れに気を遣っていないらしいぼさぼさの髪の毛は、目と同じ紺色をしているが――ところどころに白い色が混じる。白髪のウィッグと紺髪のウィッグを重ねて振ったらなんか混じった、という具合の不思議な色。

『天の光はすべて俺』とどでかくプリントされたTシャツ一枚だけを着て、細身の腕を露出させている。男の人だというのに自分と同じくらいに華奢な体つき、同じくらいの年齢だろうかとユーレイはまず推測した。

 少年――おそらくこの表現で合っているとユーレイは考える――は、向かいに座るユーレイをしばらくの間まじまじと眺めてから、からからと陽気な笑い声をあげた。


「カラセルに会いたいときたか。へー。へえー……。お嬢さま、お名前は?」

「ユーレイ・ローゼストと申します。以後、お見知りおきを」

「うんうん、おれとしても以後があるといいなーとは思ってる。おれのことはクラインって呼んでくれると嬉しい、親しみを込めて。親愛の情を。なんならストレートに愛情を込めて! リピート、クライン。せー、の?」


 夏の太陽のようにさわやかな笑みを浮かべて、クラインはユーレイに頷きかけた。が、ユーレイ・ローゼストは良家の子女である。


「……申し訳ありませんが、軟派な方とはなるべく口を利かぬようにせよと、母より言い含められておりますので」

「ひゅーい、ちゃんとしたお母様! しょうがないね。じゃ、まあとりあえずはビール……が、飲める育て方されたようにも見えないから」


 アイスコーヒーふたつ、とレマイズを呼び止めて景気よく叫ぶ。

 グラスをふたつ盆に乗せて戻ってきた看板娘は、なぜか伝票を持っていた。


「……あのー、お会計早くない?」

「プレッシャーだよプレッシャー。あんたうちのツケいくつ溜めてるか知ってる?」

「おれ、百より多い数字って数えられないんだよね」

「じゅーぶんでしょうに」


 小さく可憐な口にストローをくわえながら、ユーレイは確信する。軟派な男であることは間違いない。

 だがしかし、わからないのは――冷たいコーヒーが舌先に触れて、ブラックの苦みに顔をしかめた。


「……お互いに名乗りも済ませたことです。単刀直入に聞きましょう、あなたはいったい何者です?」

「『虹のカラセル』とつながりのある人間、とだけ今はわかってればいいよ。人探ししてる女の子に全然関係ねーナンパ男をあてがうほど、レマイズは薄情に見えたかな?」 


 クラインは手元に置かれた伝票用紙にそっと指で触れると、ごく自然な動作でそれをユーレイのほうへと滑らせた。意味がわからず伝票とクラインをそれぞれ三度見ほどしたが、少年は軟派な笑みを浮かべるのみ。

 どうやら自分は舐められている。毅然として振舞わねばならない――ユーレイは再びストローに口をつけ、やはり苦みに眉をひそめて、それでも精いっぱい威厳ある声色を作った。


「それはつまり、あなたに頼めば『虹のカラセル』との会合を取り付けてもらえるということですか?」

「そーいうことではあるけれど、それだけってわけではないかな」


 自分のコーヒーにミルクを注いで、かき回しながらクラインは答える。

 あるなら先に言ってほしい、とユーレイは一瞬むっとするが――クラインは、


「そもそも、なんでカラセルと会いたいわけ? そこんとこが不透明なまま、手を貸すわけにはいかないなあ」


 おそらくはユーレイのぶんであろうミルクポットを、これ見よがしに指先につまんで、これ見よがしに口角を吊り上げる。

 伝票もそういう意味だったのかとようやく気付き、しかし育ちのいいユーレイは舌打ちなどせず、ただ忌々しげに下唇を噛んだ。


「いやあ。おれのお財布、今ちょっと十から先すら数えられなくて……」

「……申し遅れましたが、私は『バベルの塔』に所属する身。これは国家運営にかかわる重大事、どこの誰とも知れない魔導士に軽々しく教えていいことではありません」

「それって、ほとんど用件言ってるようなもんじゃない?」


 善良純真な少女ユーレイと、路地裏を根城とする少年、クライン。分は悪い。のらりくらりとかわされる。

 にこにこと余裕ある微笑みを崩さないクラインを前にして、ユーレイは焦っていた。どこかで主導権を握り返さねばならない――


「……別に、『虹のカラセル』一人だけを探しているわけではありません」

「へー。他にも候補がいるわけ?」


 アドリブを挟むことにした。



「探しているのは、この国で一番強いカードゲーマーです。『虹のカラセル』より強いカードゲーマーがいるなら、それでも――」



 ぴしり。



 実戦経験の少ないユーレイにすら感じ取れるほどの殺気――見えないピアノ線を張り巡らせたような緊張感が、一瞬のうちに店内を支配した。

 聞いていたクラインだけではない。周囲のテーブルに座っていた者たち、従業員、今しがた入店してきたばかりの客、カウンターにたむろしていたカードゲーマー――酒場にいた人間全員が一斉に、突き刺さるような殺気を放つ。

 いや、何人かは既に

 これ以上ユーレイが不用意なことを言おうものなら、その口をカードゲームによって塞ぐ。そんな用意が、できている。


「……困るなあ。こーいうとこで迂闊にそーいうこと言っちゃダメってわかんないかな? わかんない?」


 声を出すこともできないほどの圧力にユーレイが凍りつく中、出会ってからここまでで一番困ったような表情をクラインは浮かべた。やれやれと肩をすくめながら、軽い調子で場を収めにかかる。


「あー、あー、ごめんね連れが失礼なこと言っちゃって。この子ちょっとまだこっちの雰囲気に慣れてないみたいでねー、いやー、なにぶん箱入り娘なもので」


 いつの間にか連れにされていることとか勝手に箱入り認定されたこととか、そういうのに異議を挟む余地もない。


「だからみなさん落ち着いてちょーだい。ほら、でなくても『虹のカラセル』以上のカードゲーマーなんてこのへんにゃそうそういないでしょう? わかったら皆でミルクでも頼んでカルシウム摂って仲良く――」

「――それは違う。最強のカードゲーマーと言ったか」


 わたわたと両手を動かしながら愛嬌を振りまいていたクラインの動きが、そこで止まった。

 殺気立っていた人々の心が、その一瞬だけひとつになる。――今の声は、どこから?

 店内の人間が発した声ではない。中から聞こえた声ではない。全員の視線が閉ざされた入口のドアに集中した、その直後のこと。



「答えよう。最強のカードゲーマーならここにいる」



 丸太のようなぶっとい足が、鉄製のドアを蹴り砕いた。


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