1-4.ユーレイとアンダーグラウンド


「おー、痛え。痛えよ、痛えよぉ……こいつぁ効いた。骨が折れたかもしれねえ……」

「これはこれは。おい大丈夫か、リビドー」


 ユーレイの華奢な体がスキンヘッドの男にぶつかった瞬間、男は全身のバネを活用して即座に後ろへと跳躍。完璧なフォームでのバク転を三回転ほど披露してから着地、それからわざとらしく地面に倒れ伏した。

どこからともなく現れたもう一人のスキンヘッドが、倒れた男を助け起こす。腕の筋肉を惜しげもなく見せつけるタンクトップ、巨漢が並び立つその様は、巨大な壁を思わせた。


「アパタイト兄ィ。ああ痛え。痛え。絶望だ……【ライブラリーアウト】で挑んだ相手が六十枚デッキだったあの時と同じレベルの絶望が体中を駆け巡ったぜ……こいつぁダメだ。早く治療しねえと俺は再起不能になっちまう」


 ぶつかったほうのタンクトップ――リビドーと呼ばれた男は、肋骨のあたりを白々しく押さえながら、ユーレイに下卑た視線を向ける。とても怪我をしたようには見えない。ニタニタと緩んだ瞳の奥でちろちろと燃えている、仄暗い欲望――


「なあお嬢さんよぉ、あんたのせいだぜ……? もちろん、責任は取ってくれるよな……?」


 リビドーはタンクトップの懐に手を差し入れ、数十枚ほどのカードの束デッキを取り出した。


「ガチンコ二十四時間耐久カードゲーム……やったこと、あるかい……? ないよなあ……、見るからにいいとこのお嬢様だもんなぁ……、でも俺の受けた傷はそうしないと治んねえんだ……付き合って、くれるよな? 断るなんて……言わねえよなあ……?」


 輝くようにさらさらと流れる金髪、整った顔立ち、純白の制服、スカート、膝上まで上げた黒のソックス――ユーレイの全身を舐めるように見回して、リビドーはデッキを強く握りしめる。ユーレイのこめかみに冷や汗がにじんだ。


「……私の不注意だったのは、事実です。謝罪します。なにかお怪我をされたのでしたら、その治療も、私が手配します。ですから……」

「いいんだよ、そういうのは……」


 いつの間にか背後に回り込んでいたもう一人のタンクトップ――アパタイトが、ユーレイの肩になれなれしく腕を置いた。ぞくりと震え上がるユーレイの体を押さえつけるように、アパタイトは彼女の形のいい耳元に顔を寄せ――粘り気を帯びた声で、囁く。


「持ってるんだろう? デッキ……。それを出してくれりゃあいいんだ。俺たちと、ゆっくり、じっくり、一晩中カードゲームをしてくれれば……それで許すって言ってるんだよ」

「――カードなんか、持っていません!」


 日ごろ礼節を重んじる彼女にしては珍しい乱暴さで、ユーレイは腕を振り払った。男たちから距離を取ると寒気に自らの肩を抱く。

 事と次第によっては、実力行使も考えねばならない――ユーレイが密かに決意する傍ら、なぜか男たちは凍り付いていた。


「……デッキを……持って、ない。……だと?」


 愕然としていた。唖然としていた。世界がひっくり返ったような顔をしていた。

 もちろん、ユーレイもカードゲームを一切やらないというわけではない。過去兄に教えてもらった記憶はあるし、そもそも彼女はバベル所属魔導士、カードゲームの勉強はしていた。ただしそれは言ってみれば魔術の修業をするのと同じようなもの、「仕事」や「修練」の範囲であって、ユーレイ個人の趣味ではない。当たり前の話である。


「……おい。おい、おいおいおいおい……」


 だが、リビドーとアパタイトの二人は怒り狂ったような表情を浮かべると、二人交互に、代わる代わる叫び出した。


「学のない俺だって知ってる。食う! 寝る! セックス! カードゲーム! これが人間の四大欲求。人間はどうやってもこの四つから目を背けることはできねえ」

「だが俺たちは見ての通りのゴロツキだからな。食いもんにもセックスにもろくにありつけやしねえし、寒さと空腹と負けた悔しさで満足に眠れねえ日だってある」

「だから俺たちはカードゲームをする。カードゲーム一本にすべてを打ち込み、カードゲーム欲を徹底的に満たすことで他三つすべてをねじ伏せる!」

「四大欲求をすべて支配した俺たち【オーバー・デザイアーズ】を前にして! デッキを持っていないだと!?」


 そして二人は獣のように歯を剥き出すとユーレイに襲いかかった。


「そいつぁもう――他の三大欲求全部を叩きつけてくれって言ってるようなもんだろうが!!」


 さて。

 全裸あんなのが上司にいるとはいえ、ユーレイは純真な十七歳の少女。「セックス」なんて単語が二回飛び出しただけでも大概だというのに、この変態たちは重すぎた。ユーレイの理解の範疇を越えていた。

 ゆえに、ユーレイは反射的に抜剣した。

 並んで突進してくる二人組に鋭い突きを繰り出すが、アパタイトはバックジャンプ、リビドーは前転によってこれを回避。転がったほうが背後で起き上がる気配、ユーレイは前後を挟まれる形になるが――

 突き出したままの細身の刀身、職人芸によって彫り込まれた呪文テキストがユーレイの魔力を受けて白紫色の光を放ち、直後、入り組んだ路地の小さな空から一筋の稲妻が落ちた。ユーレイの背後に落ちた雷をリビドーはすんでのところで回避――しきれず、ほとばしった電流にむき出しの筋肉がところどころ焼けていく。苦悶の声を背中に聞きながらユーレイは腰に提げた鞘に触れた。剣を抜き放った空っぽの鞘、その裏側に刻まれた呪文に魔力が注がれ水色の光がこぼれ出る。瞬時、空中に無数の氷塊が出現し、それらすべてが雨あられとリビドーの体めがけて降り注いだ。

 驚愕に足を止めたアパタイトの隙を見逃さずユーレイは屈み込み、くるぶしの上あたりを軽く叩く。黒いソックスの裏地に縫い込まれた呪文が作動、右足を中心に魔法陣が展開。

 路地に挟まってしまうのではと心配になるほど巨大なシロフクロウが陣から飛び立った。

 くるりと百八十度首を回して、指示を仰ぐようにユーレイを見る。


「すみません、どこか遠くに捨ててきていただけると……」


 そしてフクロウは気絶したリビドーと呆然とするアパタイトの二人を鷲掴みにして空高くへ去った。

 細剣を鞘にしまって、一息つく。魔導士としてのユーレイの腕は一級、そもそも十七歳で国の中枢機関に籍を置く以上、チンピラの処理などという些事くらい軽々こなせねば話にならない。 が――


「……ゴロツキと、狂犬しかいないみたいな世界……」


 王の言葉を思い出しながら、先行きの不透明さにユーレイは目まいがする思いである。この裏路地に生息するような、アンダーグラウンドのカードゲーマー――今見たような変態は、変態だ。カードゲームに狂ったとしか言いようのない人間が集う、それが地下。『虹のカラセル』はそんな地下の頂点に立つカードゲーマーであるという。そんな人間に国の命運を託すと王は言ったのだ。

 暗い路地裏、ユーレイが国の未来に思いを馳せたそのときである。


「いやー、お見事。やるねえお姉さん!」


 背後から聞こえた拍手の音に、弾かれたように振り返る――

 と同時、矢のように飛んできた三枚のカードをユーレイはとっさにつかみ取った。


「<ライトニングボルト>で先制して、それをトリガーに<雪だるま式追撃機構>。一人片付けたら後はパワーアップした<報復ロウ>が片付けてくれる。お手本みたいな三枚コンボだ」


 路地の壁に背を持たせかけ、腕組みをしてユーレイを見ている女。紺色のTシャツの上から黒く長いエプロンをかけ、髪をバンダナの中にまとめた、居酒屋の店員のような格好。


「でも、今時手札三枚も使うなら、もっと殺傷力の高いコンボがいくらでもある。そのへん、ちゃんとわかってるかな?」


 長い睫毛の下で瞬くイエローサファイアのような瞳――にこやかに微笑むその瞳から視線を逸らし、受け取ったカードに目を落とす。



<ライトニングボルト>/通常スペル

 相手のファミリアまたは相手プレイヤーに二点のダメージを与える。

<雪だるま式追撃機構>/永続スペル

 相手のファミリアまたは相手プレイヤーにダメージが発生するたびに、それと同じ数値のダメージを相手プレイヤーまたはファミリアに与える。

<報復ロウ> /下級ファミリア/ステータス:1/1

 ファミリアまたはプレイヤーへのダメージが発生するたび、このカードのステータスを一点ずつプラスする。



 魔導巨兵の発見以降、呪文というのは詠唱式から刻印式へと大きく変化した。魔力札カードに魔力を通せば呪文が発動するという様式を踏襲し、開発された無数の兵装。

 ――使った呪文が見透かされている。あの一瞬の攻防で?


「いいとこのお嬢なんだろうなってのは、見てればわかるよ。たぶんお姉さん、将来は素直ないい魔導士になると思う。でもここには来ないほうがいい。間違いなく、向いてない」


 内心の動揺を隠せるほどには場数を踏んでいないユーレイに、謎の女は淡々と続ける。


「っていうか、デッキ持ってないんでしょ? それなら向いてる向いてない以前に、こんなとこ来ちゃダメだよ」

「……まずは、お褒めの言葉に対する礼から述べさせていただきます。私はユーレイ・ローゼスト、『バベルの塔』所属の魔導士として、アクティ・ハイランド現王からの命を授かって今日ここに来ました」


 己を奮い立たせて、名乗る。果たす使命がある以上、ここで呑まれるわけにはいかない。


「……貴女を、話の通じそうな方だと見込んで、お聞きしたいのですが……」


 ナメられてはいけないと思いながらもぽろりと本音がこぼれ落ちた。


「【グッドスタッフが人生の近道】というお店……このあたりだと思うのですが、その、どこにあるか、ご存じでは」

「ご存じも何も、ここだけど」

「え?」

「あたし、その店の従業員。看板娘のレマイズちゃんって呼んでね」


 もたれている壁の少し上のほうを親指で指すのにつられて見上げると、看板。【グッドスタッフが人生の近道】とぶっとい筆で書かれた下に、ジョッキからあふれ出すビールの絵が描いてある。灯台の下は暗かった。


「……ありがとうございます。このお店に用があったんです……」

「何の用?」

「『虹のカラセル』という方と、お話したいことがありまして。ここに来れば会えると聞いたものですから」

「……あいつかあ。カラセルと会いたいの?」


 気が抜けてへたり込んでしまいそうになるのをなんとか抑えて話していると、レマイズと名乗った居酒屋スタイルの女はあちゃーと額を打った。


「やめたほうがいいと思うんだけどなー。普段カードゲームとかやらないでしょ?」

「……まったくやらないわけではないです」

「今デッキ持ってないんなら同じことだよ。いや、ほんと悪いことは言わないから……」

「――これは、私に与えられた使命。怖気づいて引き下がることなど、許されない」


 ユーレイは腰の剣に手をかけた。

 別に、レマイズに危害を加えようとか、脅そうとかいう意思があったわけではない。ただ、自分の意志をよりわかりやすい形で示すためには、一度背後に雷でも落としたほうが迫力が出るかと思っただけ。

 ユーレイの右腕を伝わって流れ込む魔力が、刀身に刻まれた<ライトニングボルト>の呪文に行き渡り――しかし、呪文は発動しない。


「……あれ?」


 どういうことだ、と思った瞬間鼻先に突き出される一枚のカード。鋭利なナイフをそうするように、レマイズはユーレイにカードを突き付けていた。一転して緊張感、ユーレイは動けない。<名指しの出禁措置>というカード名がレマイズの魔力を帯びてちらちら光る。ふと視線を下に落とすと、レマイズが腰から下げている分厚い名刺入れのような箱――魔力札入れデッキケースの蓋が開いていることに気づいた。 

 ――ドローの瞬間が、見えなかった。


「お姉さんは十分強い魔導士だけど、カードゲーマーの闘いっていうのは普通とはちょっと違うものだから。軽い気持ちで入らないほうがいい」


 ユーレイは戦慄とともに息を呑む。使える呪文のストックはまだあるが、ここでこの女と事を構えていいものか。派手な騒ぎを起こしていいのか、そもそも自分は勝てるのか。

 ありとあらゆる思考がユーレイの頭の中を渦巻いて、しかしその中に『引き下がろう』という考えは一瞬たりとも混じらなかった。

 ほのかな殺気の漂う沈黙――――折れたのは、レマイズ。


「……ま、来たいって客を蹴り返せるほど余裕ある経営してないんだよねー、うちは」


 やれやれと肩をすくめて<名指しの出禁措置>のカードをケースにしまい、レマイズはぱっと弾けるような笑みを浮かべた。


「ようこそ、【グッドスタッフが人生の近道】へ。歓迎しますよー、お得意様」

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