217:停滞は滅びへの道 その二十

 ふわりと風もないのにいっせいに桜の花びらが舞い散る。

 どうしてこいつこんなに派手好きなんだろう。


「ふふっ、実はちょっと浮かれているんだぜ? なにせ今まで真正面から戦いを挑んで来た者はいなかったからなぁ。誰も彼もが酒に毒を仕込んでだまし討ち狙いだ。いい酒だったのに勿体ねぇったらありゃあしないぜ」

「そりゃあ悪かったな、酒なんぞ持って来てないぞ。期待してたのか? てか何度も同じ手でやられるってのはどういう事だ? 学習しないにもほどがあるだろ!」

「出された酒は呑むもんだろ?」


 マジか? マジで毒酒持って来たら楽に勝てたのか? いやいや、それはなんか情けないぞ。


「ちっ、あなたと戦うとわかっていたら仕込んで来たんですけどね」


 俺の複雑な心境を他所に浩二が毒づく。

 ええっと、本気か?


「いいえ、私が主様に毒酒などあおらせません。悪意は通さぬ」


 白音が朱塗りの横笛を取り出して奏で始めた。

 途端に空気が濃密に重さを増す。

 

「じゃあ景気づけに一杯どうですか?」


 流が内ポケットから取り出した物を終天に向けて放った。

 放物線を描いて終天の手に収まったそれは、いわゆるポケットフラスコとかスキットルとか呼ばれるウィスキー用の携行缶だ。

 あいつあんなもん持ち込んでたのか。

 てか、それ毒入りじゃないだろうな?


「今、毒無効」


 その俺の考えを読んだのか、由美子が簡潔に否定した。

 ああ、この空気ってそういう感じの、ええっと、それって終天に対してだけだよね? 俺らに対してはどんな効果があるんだ?


「守護対象に対する祝福と敵対者に対する行動阻害」


 なにそれ、ただでさえ神の如き相手であっちが有利なのに、さらにハンデありとか、てかそうか、白音、お前巫女だったんだな。

 伊藤さんが巫女の力に目覚めた理由がやっとわかった。

 お前が導師になって導いたのか。

 なんでそんなことしたんだよ。

 彼女を巻き込む必要があったか?


 俺がそんな気持ちを込めて白音を睨むと、彼女は笛を奏でながら哀しげな顔をした。

 元々薄幸そうな表情をしている彼女がそんな顔をすると酷い罪悪感を感じる。


「お前はほんと朴念仁なのに、お前の友達は気が利いてるなぁ」


 終天が遠慮なく酒を口にしながらそんなことを言う。

 放っとけ!


「俺だって慈悲の心ぐらいはありますからね。末期まつごの酒というやつですよ」


 流のこの自信! お前戦う手段ないくせにその自信はどこから来てるんだ? 言っておくがお前だけ生き残っても勝ちじゃないからな。

 てか好戦的だなぁ、どんだけ怒っているんだよ。

 俺は重い体に活を入れると、一度熱の下がった血流に再び熱を入れる。

 周囲の空気が体の中に入り込み、集中や発熱を阻害して来る。

 体の硬化一つを取っても普段より遅い。

 終天相手にハンデ戦か、辛い所だな。


 と、白音の反対側、俺たちの背後から、透き通るような歌声が沸き起こった。

 耳に心地いいくせに、その紡ぐ歌の内容はどうしても聴き取れない。

 だが、まるですっとするハーブの入った水を飲み込んだかのような爽やかさが体を洗い流すのを感じた。


「っ、優香?」


 何を歌っているのかはわからないが、誰の声かはわかる。伊藤さんの声だ。

 ちらりと見ると、彼女は両手を天に掲げるように広げたまま、心ここにあらずといった感じで歌を歌っていた。


「なるほど、巫女の力比べか。つくづく楽しませてくれる」


 終天は興に乗ったようにひとしきり笑うと、流に酒の容器を戻して無手のまま構えを取った。


「てめえ、武器はどうした?」

「いらぬだろう? 無粋だ」

「その余裕面、今最高に殴りたい」

「ならば来い!」


 一瞬で血液が沸騰する。

 蹴り出した足が地面をえぐり、ヤツの頭を狙った右手が風を切る音が鈍く響いた。

 インパクトはドーン! と、音だけは派手だったが、思いっきりいなされた拳が逸れて地面をえぐっている。

 思わずバランスを崩しかけたのを無理やり引き起こして体を半回転して蹴りを放った。

 俺の蹴りと同時に、終天の背後から三本足のカラスがその頭を狙って襲う。

 性根はバカだが能力だけは優秀な師匠の使い魔のカラス、クロウだ。

 あれでクロウもただのカラスではない。

 あの爪は鋼鉄製の扉でも切り裂けるのだ。


 終天は憎らしいほど落ち着いて、まずクロウをさばいて下から拳で打ち上げると、俺の蹴りに体を捻って対処した。


「仕掛けるなら完璧に同調させねぇとな」


 打ち上げられたクロウはそのまま消滅する。


「ああっ! クロウォォォォオオオ!!」


 カズ兄の使い魔、クロウの元となっていた木彫りの小鳥がパカリと二つに割れて地面に転がる。

 バカ師匠は叫びながらも残りのカラス二体を同時展開、終天を左右からはさみ込むように位置取りをすると、それぞれの前面に魔法陣を展開した。

 いわゆる西洋魔術と言うやつだ。

 西洋魔術は魔法に片足突っ込んでいるような所があり、時としてことわりを大きく捻じ曲げる。

 その分、習得と応用が難しいとされているのだが、外国で数年行方不明になったことのあるバカ師匠は、どこでなにをやっていたのか、なぜか魔法陣が得意になって帰って来た。


「「カァアアアア!」」


 描かれた魔法陣が回転する。

 終天が物珍しそうにそれを眺めている隙に俺はその足元に飛び込んだ。


「ふっ!」


 魔法陣の効果が発動する。

 瞬間的に時の歩みの歩調を崩すタイムラグが終天に生じた。

 動けない終天に、俺は抜き身の剣のような刃を生じた右腕を振り切る。

 ガッ! と、硬い手応えと共にパッと赤い血が舞う。

 血が通う体を斬ったことに一瞬動揺が走るが、俺は自分の精神を瞬時に押し殺した。

 そう、終天には人間の肉体がある。

 それは長い遍歴の間に人間として生まれ育った時期があるからだ。

 何をどうしたのか知らないが、終天は人間の赤ん坊として生まれて、若くして才能溢れる高僧となり、山野で暴れていた野盗や怪異を集めて一群の長として都近くの大江山に居を構え、都を脅かす一族郎党の首魁となっていたことがあるのだ。

 そして一度は毒酒の奸計によって討たれて体をバラバラに埋められ封印されていた。

 人間の肉体はあっても本来は神に近い怪異であったせいで滅ぼすことが出来なかったという曰く付きの存在なのだ。

 

「おお、やるじゃねぇか! 俺もうかうかしてられねぇな!」


 やたら嬉しそうに腕の傷を撫でながら終天がニカリと笑った。

 ズンと、終天が一歩を踏み出すと、その体がぐぐっと大きくなる。

 倍ほどに大きくなると、纏っていた服が弾け飛んで桜の花びらがその身に纏わりついて直垂姿のような格好になった。


「魔法少女かよ!」

「ふはは! おっさんですまなかったな!」


 スーツ姿は若い青年実業家といった雰囲気を漂わせていた終天だったが、古風な姿になるとよほどそちらのほうが様になっていた。

 顔立ちがキリっとした若武者風だからかもしれない。

 スーツだと服のほうが風格負けしてしまうのだ。

 古代の直垂を魔改造したような薄紅の戦闘服をまとった終天は一気に距離を詰める。

 目では到底追えない速さだ。

 半瞬俺の防御が遅れる。

 と、終点の目前に炎が爆発した。

 蝶形の式、由美子の仕掛けだ。

 どうやらこっそり俺に纏わりつかせていたらしい。

 思わずのけぞった終天に、今度は俺が左のアッパーを決める。が、浅い。

 のけぞった分、届かなかった。

 踏み込んで右からの撃ち抜きを掛けるが、これは欲張りすぎだったらしい。

 

「ガハッ!」

「隆志さん!」


 伊藤さんの歌が途切れる。

 二人の巫女の力のバランスが崩れて俺はよろめいた。


「女に心配掛けるなよ!」


 拳が近い。

 ふっと息を吸い込む間もぎりぎりに、俺は吹き飛んだ。

 ヤバイ、追撃が来る!

 ふらつく頭を振って必死で立ち上がろうとしたが、終天の追撃は阻まれた。

 終天は振り上げた拳を先に進めることが出来なかったのにも関わらず、嬉しそうにニヤリと笑う。

 浩二が壁を作ったのだ。


「大した能力だが、滑り込ませる世界が一枚だけなのが残念だな」


 終天はそう言って、目の前の空間を指で弾く。


「ぐあっ!」


 キイーンと頭の奥に響くような衝撃があり、浩二がもんどり打って倒れた。


「コウ!」

「だ、大丈夫」


 ゆらりと膝をついて立ち上がった浩二の両目は真っ赤に充血していて、まるで涙のように血が流れている。

 ヤバイ、脳とかやってないだろうな。


「いいぞ、うん、実にいい。お前たちをこのまま食らってしまってもいいというぐらいにはな!」


 ゾッと背筋に寒気が走る。

 本気の一撃が来る!

 その瞬間、俺と終天の間に誰かの影が走り込んだ。

 ばっと大量の血が弾ける。


「あ……」


 ごろりと転がった血まみれの腕と、してやったりと笑った口元が俺の目に鮮やかに焼き付いた。

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