218:停滞は滅びへの道 その二十一

「天運反転とはな、良くもやる」

「流っ!」


 倒れた流に駆け寄る。

 左腕がない。

 血がやばい。

 慌てて流のズボンのベルト引っ張り抜くとそれで肩の下辺りで止血する。


「きゃああ!」


 遅れて悲鳴が上がった。

 伊藤さんだ。


「ユミッ!」


 呼ぶと無言で駆け付けた由美子が転がった腕を回収して流の体を保護した。

 今この場で出来るのは一時的に患部と腕を凍結するぐらいだろう。

 下手に回復すると腕がくっつかなくなってしまう恐れがあった。

 俺が流にかまっている間に追撃が一切来ないのを不思議に思って振り向いて、そこで目にしたものに驚く。

 終天は大きく体を引き裂かれていた。

 まるでナタかなにかで切り下ろされたかのような大きな傷が首元から腰辺りまで斜めに一直線に入っている。

 その傷は出血の痕はあるが、今は血は出ていない。

 傷口はふさがりつつあるが、完全に塞ぐことも出来ないようだった。


「天運によって結果を捻じ曲げた。その男、とんでもないな」


 ニィっと笑って見せる顔も、やや精彩に欠ける。

 今しかない。

 俺の中でそう確信する声が響いた。

 万が一にも人間が神を倒すなら僅かな隙や、弱りを見逃してはならない。

 ましてやこれは親友が命懸けで作った好機だ。


「人は思い一つで奇跡を起こせる生き物なんだよ!」


 体中の力を右手と両足に集めた。

 そうして駆け出した俺の背を暖かい温もりが包む。

 この世で最も聞いていたい声が祝福を歌い上げた。

 終天は避けることもせずに俺を待つ。

 視線が交錯し、ゆらりと攻撃を躱そうとした奴の動きに吸い寄せられるように右手が追随する。

 ブンッ! と、自分の目ですら捉えられないスピードで右腕が振り抜かれ、雷の後のようなオゾン臭が漂った。

 ドサリという落下音に目をやると、そこに終天の首が転がっていた。


「お見事」


 いつもの顔でにやりと笑う。

 こいつ首落としても全然ダメージ受けた感じに見えないんだけど。

 俺は戦闘態勢を維持したままその終天の首に向かい合った。

 胴体も倒れることもせずに立ったままだ。

 と、その胴体が一瞬で燃え尽きた炭のように白化して崩れ落ちた。


「やった、のか?」


 残る首を封印すれば終天はこの世界に影響を与えることが出来なくなる。


「ゲームクリアだ。坊や」

「うっせ、封印を」

「駄目!」


 俺が首に歩み寄る寸前、駆け寄った白音が終天の首を抱え上げる。

 とても大切そうに抱き上げる姿に、俺の足は踏み出すのを躊躇した。


「戦い、挑戦し続けろ。歩みを止めればそこが終着点だ。止まるのは死となんら変わらない。いや、死よりも退屈な場所に至る道でしかない」

「てめぇはまだそんなことを」

「主様」


 首だけになっても上から目線の変わらない野郎に文句を言うと、白音が微笑んで終天に語り掛ける。


「今こそ約束を賜りとうございます」


 小さな優しい鈴の音のような声がまるで乞うように囁く。


「そうか。やっと願いが見つかったか。では白音よ。そなたの願いを告げるがいい」

「私の願いは、貴方様とずっと共にあることです」


 いつもの無機質な表情が溶けて、柔らかい笑みが白音の少女じみた顔を彩る。

 なんらかの事情で止まった時の中を生きて来た少女の、初めて見る生き生きとした顔だった。


「……愚かな娘よ。その願い叶えよう」

「っ! 白音?」


 終天の首を抱いたまま白音は俺を見てニコリと笑った。


「坊や、幸せにおなりなさい」


 慌てて手を伸ばす俺の目の前に、むせるような甘い香りを纏った桜吹雪が押し寄せて視界を塞ぐ。

 吹き荒れる風が柔らかい薄紅の花びらを渦巻かせ、全く周囲を見渡せない。

 だが、それはほんの一瞬のことだった。

 風が止んで周囲を見れば、吹き散らされた花びらがただ地面を彩る。

 そこに白音の、そして終天の姿はない。

 自分に歩み寄る人影を見つけて、俺は気持ちを切り替えて彼女に向き直った。


「優香、大丈夫か?」

「隆志さんこそ。そんな、ボロボロで」


 言われて改めて自分の姿を見ると、着ている服がボロボロなのは当然として、両足の裏の皮がベロベロに剥けて真っ赤に染まっていた。

 一番酷いのは右手で、なんかこう、ジグザグというか、変な形に曲がっている。

 妙な光沢があって造り物じみて見えるので生々しさが無い分現実感がないが、興奮状態が元に戻ったらかなり痛いんじゃなかろうか?

 てかこれどうやったら元に戻るの? 複雑骨折なの? これ。

 しみじみ自分の姿を見つめていたら伊藤さんの両目に涙が溢れた。

 おおう、ヤバイ! どうすれば!


「わ、私が、ちゃんと出来なくて、たかしさん、がっ! ナガレしっちょうも!」

「いやいやいや、それは違うから! そもそも俺はプロで優香は素人じゃないか、現場の責任を取るのはプロの仕事だろ! あ、それよりほら、流、大丈夫かな」

「う、うん、ごめんなさい」


 まるで子どものように泣きじゃくる伊藤さんがやたら可愛くて困る。

 いや、でも泣かれるとどうしていいかわからない。

 

「俺のケガをダシにするな」

「お前の精神メタルかよ」


 片腕が千切れたというのにどこ吹く風でいつもの通りな流が他の連中を伴って俺たちに近づいてそんな風に釘を刺す。

 顔色はさすがに悪いが、足取りも口調もしっかりとしていた。


「兄さん、どうやらこの先」


 式を飛ばして探索していた由美子が今の現実的な状況に思考を引き戻す。

 この迷宮は終天の創った物だ。

 その終天が滅び(?)た以上、いつ崩壊してもおかしくはない。

 逆に言うと、いつまでも崩壊しないなら、終天はまだ健在ということになる。

 俺たちは用心しつつ先へ進んだ。

 両脇に花の散った葉桜が立ち並び、地面は薄紅の花びらで覆われている。

 柔らかなその感触を一歩踏みしめるごとになんとも言えない罪悪感が押し寄せた。

 桜並木の奥は岩棚のようになっていて、その表面には小さな桜の樹を抱えて眠る蛇のレリーフが刻まれている。


「これは封印だねぇ」


 唐突にバカ師匠が言った。


「封印?」

「神をも封じる強力な封印だね。大陸のシャーマンが大地に精霊を封じる手法と似ているよ」

「ってことは、これって終天の封印なのか? てか、あいつ自分で自分を封じた?」


 そう言いながら岩に触れると、そこに電子的な文字が浮かび上がった。


『クリアおめでとう! ラスボス討伐によりこのダンジョンは邪神の眠りし永遠迷宮となりました。クリア者はどの階層でも自由に出入りができます。迷宮を脱出しますか? もしくは行きたい階層を指示してください』


 ふざけてんな。

 思わずイラッとした俺に流が告げた。


「そのレリーフから強大な力が広がっているのを感じる。ただの封印じゃないな」

「おそらく酒呑童子の力を迷宮の維持にまわしているんだと思う。迷宮が維持され続ける限り酒呑童子は復活しないということじゃないかな。ゆっくり研究しないとはっきりとはしないけど」


 流の言葉を由美子が肯定した。


「ええっと、つまり」

「半永久的な封印状態になっている」


 自分の力の全てを迷宮の維持に回したのか?

 それで二度と復活できなくなったってことか。

 なるほど、半永久的な資源採掘場所として人はこの迷宮に潜り続けるだろう。

 お望み通り、人間は命を掛けて一攫千金を目指し続ける。

 さぞや満足しただろうな、コイツ。


「とりあえず脱出しよう」


 俺の提案に全員が頷いた。

 大怪我の流を始め、浩二もちゃんと検査を受ける必要があるし、まぁ俺もこれはしばらくリタイアかなぁ。

 その前に伊藤さんを家に送らないと。

 表示の脱出ボタンを押すと、レリーフの横に庭の裏木戸のような門が出現した。


「じゃ、お先に!」


 流を抱えたバカ師匠と由美子が門に触れる。

 フッと消え失せた姿に続くように浩二が無言で一度振り向いて門に触れて消えた。


「じゃ、行こうか、優香」

「あ、うん、あの、私、先に行ってますね。ちょっと、身だしなみも気になりますし、あ、あの、これ」


 伊藤さんはなぜか慌てたようにそう言うと、ハンカチを押し付けて門に触れて消えた。

 俺はハンカチの柔らかい感触をゆっくりと辿った。

 大きく息を吐き出す。

 巨大なレリーフを見上げるも、あまりはっきりとは見えない。

 ゴツンと、額をその岩に押し付けた。

 途端に、まるで目前でその光景が展開されているかのように風景が浮かんだ。


 生意気そうなちっこいガキががっちりとした大柄な美丈夫に何度も挑みかかっては転がされている。

 濡れ縁の上に吊るされた南部鉄の風鈴がチリンと音を立てて、気持ちのいい風が吹き抜ける。

 庭を流れる小川は優しい音を奏で、その水の流れ込む池では時折小さな魚が跳ねた。

 四季様々な花々が控えめにその姿で庭を飾り、それぞれの香りを漂わせている。

 濡れ縁にはお茶とお菓子が用意されていて、二人分の手ぬぐいを持った淡い紅の髪と目の少女が優しいまなざしで子供と男を見守っていた。


「こんな記憶を大事そうに抱え込んでんじゃねえよ、全く」


 ……この日、東の島国で、神のごとき怪異が一体、永い眠りに就いたのだった。

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