216:停滞は滅びへの道 その十九

「どうやらまだ迷宮内のようだぞ」


 伊藤さんを白音から庇うように腕を広げながら下がり、全員に警戒を促す。


「ばかな、脱出符を使ったのですよ?」

「だがここはヤツの空間だ」


 忘れもしない、子供の頃に通っていた屋敷だ。

 ヤツが終天だと気づいてからもう一度屋敷を探しても、その周辺の目印にしていた地形すら変わっていた。

 そうだ。

 ここに来るまでの道程、妙に覚えがあると思ったら、昔通っていた道そのままだったんだ。

 あの山の中の風景も丸ごとヤツの住居だったという訳だ。


「ここは迷宮ダンジョンの最奥、主様の居室。何も想い悩む必要のない永遠の虫籠」


 白音が俺の言葉を補足するようにそう告げる。


「うんうん、我が弟子の言う通りらしいね! 噂の酒呑童子とご対面か! これはワクワクするよ!」

「ワクワクすんな、脱出方法を考えろ!」

「脱出符が捻じ曲げられたのなら他の方法などない」


 俺の言葉に由美子が首を振りながら答えた。

 マジでか、いや、薄々わかってはいたけどな。


「一つあるじゃないか、ダンジョンの当然の攻略方法だ。ラスボスを倒せばいい」


 流がなぜかやたら好戦的に笑った。

 お前、ほんと、終天と何があったの? なんかお前のプライドを傷つけるようなことがあったのか?

 いや、こいつは自分のプライドと言うより……う~んもしかしてテリトリーである行きつけの店を荒らされたとかか?

 終天は結構飲み屋に顔を出すという話だしな。

 以前ばったりヤツと酒場で行き会ったらしいハンターが混乱状態で発見される事件があったっけ。

 だが、俺も流の意見に賛成ではある。

 ここで会ったが百年目というやつだ。せっかくヤツを倒すチャンスをふいにしたくない。

 ただ、それは伊藤さんさえ一緒でなければの話だ。

 相手は荒神とも言われるような別格の怪異、伊藤さんを連れた状態でヤツとバトルなんてぞっとする。


「バカ言え、伊藤さんがいるんだぞ。ただでさえ分が悪いのに彼女を巻き込んだらどうするんだ」


 巻き込んだらというか、間違いなく巻き込む。

 この空間は丸ごと終天の領域だ。

 逃れる場所などどこにもない。


「隆志さん、私なら大丈夫です。なんとなくわかるんです。自分の身を守る程度なら出来ます」

「えっ?」


 その言葉に俺は思わず背後の伊藤さんを振り向いた。

 彼女は怯える風ではなく、まっすぐに俺を見て微笑んでいた。


「見てください」


 そう言って、伊藤さんは何かを覚悟したような表情を見せた後にぎゅっと目を瞑る。

 両腕で我が身を掻き抱くように自らの腕を掴み背を丸めると、その、彼女の周囲に炎がまるで主星を巡る衛星のリングのように踊った。


「これは……」

「ちょっと混ざっちゃった見たいですね」


 おどけたように言おうとして失敗したように、伊藤さんは引きつった笑顔を見せる。

 くそっ、清姫の魂が混ざってしまったのか。

 いや、落ち着け。

 あの状態で混ざらないほうがおかしい。

 大事なのは主体がどちらかだということだ。

 伊藤さんの自我がその魂を制御出来ているのなら何の問題もない。


「まぁ異能は後から変化することもあるからな。戻ったら変更手続きと、再検査が必要だけどあんまり問題にはならないさ」

「え? 再登録とか追加料金が掛かるんじゃ?」

「そこはまぁ、仕方がない。豪華な会席料理でも食べたと思って諦めるしかないぞ」

「会席料理のほうがいいです」


 伊藤さんはちょっと真面目にショックを受けたような顔で呟いて、すぐにニコリと笑う。


「この力があれば一緒に戦うのはむずかしいかもしれないけど、私のことを気にせずに戦ってもらうことは出来ます」

「そう、か」


 伊藤さんはわかっている。

 俺がヤツと会って戦わない訳が無いってことを。

 伊藤さんを守りたいけれど、だからと言ってヤツに屈服することは出来ないと思ってしまう酷い男だということを。


「いい彼女じゃねえか。生まれる子供が楽しみだぜ」


 噂をすれば影と言うが、さっそくだ。


「てめぇは永遠に目にする機会は無いけどな!」


 御大の登場に本能が悲鳴を上げた。

 総毛立つという言葉があるが、正にその通り、全身の毛が逆立つのを感じる。

 心臓が恐ろしい勢いで脈を打ち、体内で血が温度を上げ始めた。

 皮膚が堅くなる感覚が全身に広がり、指先が鋼のように密度を増して行く。

 俺の体が戦いの予感に震えていた。


「お久しぶりです。あの時は丁寧なご挨拶ありがとうございました。やっとお礼を述べることが出来そうです」


 流が普段の温和な表情を崩して口角を上げて笑う。

 おい、お前、なんかヤツより悪役っぽいからその笑いはヤメロ。

 なんだって美形っていうやつは悪い顔が似合うんだろうな。


「神の迷宮の踏破者の血統か。戦い方も知らぬくせに鬼のあぎとに踏み込んで来るとはな。だがその無謀、嫌いじゃないぜ! 挑戦してこそ人ってもんだよな」


 ニカッと人好きのする笑みを浮かべて終天が笑う。

 相変わらず敵として常に意識しておかないとついつい惹きつけられてしまうヤツだ。

 本能的に怪異を憎むようになっている俺たちですらこうなのだから普通の人間にとってこの男の魅力は抗い難い物なのだろうと思う。

 こうやって会話を重ねる程急激に憎悪や闘志が萎えていくのだ。

 常に胸の内に怒りを噛み締めておかないと、気軽に友人のような会話をしてしまいそうだった。


「それで? 今日はわざわざ嫁の紹介をしに来てくれたのか? なかなか律儀だな、お前も」

「誰が! 呼び寄せたのはお前だろうが! それに脱出の邪魔をしやがったな!」

「憐れな娘の望みを叶えてやっただけの話だろ? まぁせっかく近くまで来たんだ。寄ってかないってのも無いんじゃないか?」


 ああ言えばこう言う、こいつと話しをしているととことん調子が狂わされる。


「兄さん」


 浩二が小さく声を上げて会話の主導権を譲るように促す。


「酒呑童子よ、我らとの戦いを望むか?」


 俺を遮って浩二が問うた。

 ああ、俺はいつの間にかヤツの術中に嵌っていたようだ。

 すまん。


「まさか!」


 終天は人の良さげな笑みをそのままに目を細めて囁いた。


「俺はただ、懐かしい客を歓待したいだけさ。ここへ留まるなら何の不安もない穏やかで楽しい日々を約束してやるぞ」

「留まらないなら?」

「意見が異なる者同士が自らの意見を押し通すためにやるこたぁ太古の昔から変わっちゃいないさ。全身全霊を持って拒絶してみな?」


 単なる言葉なのに、それを受けて浩二が一瞬ふらつく。

 鬼気というやつだ。

 伊藤さんを見ると顔をやや青くしているが、怯えても竦んでもいない。

 ほんと、強い女性だよな。


「では、力づくで」

「おい、流」


 お前なに脳筋みたいなこと言ってるんだ? いつもの物静かな天才面を知っている奴らが見たらビビるぞ。

 まぁいいか、俺もそこは同意見だし。


「出て行かせてもらうぞ。ついでにこの傍迷惑な迷宮も消し去ってやる!」


 俺は挑みかかるようにそう言った。

 終天は俺の言葉に大きく笑う。


「おいおい、この迷宮が無くなって困るのはこの国の連中じゃないのか? いいのか勝手にそんなこと言って」

「お前の造った怪しげな迷宮なんぞいつまでも鎮座されてちゃあ不安で仕方が無いんだよ! 人間を好きなようにいじりまわして楽しんでるだけの野郎はそろそろ永眠して貰いたいね!」


 着崩したスーツでどこぞのやり手の若い実業家のような雰囲気を醸し出しながら、終天が笑って一歩を踏み出す。

 途端に背後の仲間達が後退る気配を感じ取った。

 ヤツの何気ない動き一つが俺たちを常に圧倒している。


「そうか、それでは舞台を整えよう」


 終天はそう言って、パチンと指を鳴らした。

 周囲に見えていたお屋敷が消え去り、その場に満開の桜に囲まれた広場が出現する。

 こんな風景を日常の中で見つけたら、迷わずゴザでも敷いて飲み食いしたいような場所だ。

 相変わらず派手好きな野郎だな。


「おおう、可愛い弟子の彼女を救出に来たら何の準備もなしにラスボス戦になったでござる」


 バカ師匠が悲鳴とも嘆きともつかない声を上げた。

 今更おせえよ。


「優香、出来るだけ離れているんだぞ。絶対巻き込まれるな」

「うん、大丈夫。だから隆志さん」


 伊藤さんが俺をじっと見つめる。

 真っ直ぐで、そこに怯えは見えない。

 怖くないはずは無いのに、彼女は俺を信頼してくれているのだ。

 

「家に帰ったら美味しいごはんを作ってあげるね」

「ああ、期待してる。リクエストとしてはオムレツがいいな。あの刻んだ玉葱がいっぱい入ってたやつ」

「飴色玉葱のオムライスね。よし、任せて」


 食べ物のことを思い出したら腹が減って来た。

 さて、さっさと終わらせて美味しいオムライスで豪華な晩飯だ!

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