215:停滞は滅びへの道 その十八

「ゆかりん戻ったならもう、帰る?」


 感動とグダグダの後、由美子がそう言った。

 俺たちの元々の計画では、伊藤さんを無事助けだしたら迷宮から脱出する手はずだったのだ。

 いくらなんでも伊藤さんを連れたままボス部屋まで行く訳にはいかないからな。


「ああ、脱出符使うか?」

「待った、セーフスペース内で使うのは不安がある。外で使おう」


 浩二の言葉を全員が受け入れてセーフスペースを出る。

 途端に清浄な空気が失せて魂を圧迫するような重みのある瘴気に似た迷宮独特の空気が押し寄せる。

 俺はその迷宮そのものから伊藤さんをかばうようにしながら、怪異の気配が間近にはない洞窟の一画に歩を進めた。


「全員手を繋いで」


 脱出符は接触している迷宮以外の物なら一緒に脱出出来る。

 高価な術具だが、それだけの価値はある物だ。

 全員が互いに手を繋いだ状態で由美子が脱出符を使った。


「我、うつつのぞむ!」


 言霊と共に脱出符が光を放ち分解されるように消えていく。そして同時に景色が移り変わった。

 周囲はチラチラと光の飛び交う暗い洞窟から一瞬で木漏れ日の降り注ぐ、鬱蒼とした木々の取り囲む地となっていた。


「どこだ? ここ」


 脱出符を使えば普通はゲートの前に出るはずだ。

 特殊な設定をしていた場合はその設定場所に出るのだが、今回俺たちは別に特別な設定はしていない。

 いや、もしかして由美子が気を利かせて殺伐としていない場所を設定していたのだろうか?


「わからない。おかしい」


 由美子が警戒したように呟き、白い蜂を放つ。

 と言うことは由美子はこの地を設定していないと言うことだ。

 しかし、この場所は警戒心を抱くにはあまりにも美しい場所だった。

 先程のセーフスペースは作られた箱庭のような場所だったが、ここは豊かな森の中という感じだ。

 地面は黒っぽい土で覆われていて、下生えとしてシダ類が生い茂っている。

 倒木がある開けたスペースには緑の苔が絨毯のように広がり、倒木と地面の一部を柔らかそうに覆っていた。

 そこにちらほらと平地では見ない山の中特有の可憐な花が揺れている。

 周囲からは小鳥の声が響き、いかにも長閑な風景だ。

 空気感からまだ午前中といった所か。


「クロウも行っておいで」


 バカ師匠がカラスを放つ。

 由美子の式はあまり上空には上がれないのでそこをカバーするつもりなのだろう。


「きれい」


 伊藤さんが足元の透き通るような花弁のユリの花を見て呟く。

 淡いピンクの花弁のそのユリは俺の故郷の山でもよく見た花だ。


「おかしい」

「え?」

「その花は中央より西の地域でしか咲かないはずだ。離れすぎている」


 俺は言い知れぬ不安に駆られた。

 周囲の美しい情景と、優しい風の吹く気持ちのよい気温、この場所の何かが俺の記憶を刺激した。


「どこかの森の中としかわからない。人里を探すにはかなり広範囲に式を飛ばすしか無い」


 由美子が式からの情報で今のところわかったことを伝える。

 

「う~ん、ずっと森が広がっているね。でも近くに一軒人家があるようだよ」


 空の高みへと飛ばしたカラスのクロウが見た光景からバカ師匠がそう言った。

 人家か。


「そこに行くしかないよな。なんか誘導されているようで気持ち悪いが」

「そうだね。それにしても精霊がいそうな森だね。俺はこういう山歩きとかしたことが無いから新鮮な気持ちだ」


 流はキョロキョロと周辺を見回しながら言った。

 流の言う通り、豊かな森には精霊が棲むものだ。

 中には人間の出入りを酷く嫌う精霊もいるので注意が必要だが、この森からはそんな排他的な雰囲気は感じられない。

 大きな何かに見守られているような、不思議な安心感があった。


「……この雰囲気」


 やはり何かを思い出しそうになって、俺はそこへ意識を向けようとするのだが、その記憶に辿り着けない。

 酷くもどかしい。


 俺たちはほぼ他の選択肢の無いままに、この森の中で唯一人間の気配のある人家へと向かうことになった。

 道なき道を歩くのは山歩きなどしたことのない流にはきついので、縦に並んだ真ん中に挟み、俺が先頭で下生えの草や笹などを押し倒して足元を踏み固めながら進む。

 傍らの木の枝では好奇心に突き動かされた小鳥が何かをさえずりながら俺たちを見下ろしている。

 山歩きにありがちのダニの類に注意するため全員がフード付きの簡易外套を羽織り、作業手袋を装着しての行軍だが、不思議と蒸し暑さは感じなかった。

 まぁこれについては由美子辺りが装備に簡易術式でも施してくれたのだろう。


 しばらく進むと小さな沢があり、細い川が流れていた。

 川の中には小さな魚とイモリがのんびりとまどろんでいて、人間が手を差し入れても慌てて逃げるということもない。

 流が言葉にはしないがへばっていたので、とりあえずしばしその周辺で休憩することにした。

 俺は水の中を覗き込むと、小川の中でぐでっと寝そべっているような怠惰なイモリにこらえ切れぬイタズラ心を刺激されてその背をつついた。

 イモリは驚いたように柔らかい泥に潜りながらどこかへと姿を消した。


「隆志さん……」


 ふと気づくと伊藤さんが涙目になって俺を見ていた。


「どうしてそんなのに触るんですか?」

「ええっと、怖いの?」

「怖くは無いですけど、ぬめっとした感じが苦手です」


 やばい、超絶可愛い。


「食べると精が付く、好き嫌いよくない」

「えっ! あれを食べるの?」


 由美子の言葉に愕然とする伊藤さん。

 やっぱり可愛い。


「常食にはしないけど、薬として利用されているんだ。俺は食べたことないけどね」

「そう、なんですか、お薬なら仕方ないですね」


 苦手でも他人の文化を否定しない伊藤さんは実に素晴らしい女性だと思う。

 しばしの休憩を終えると、また先へ進む。

 この水場からは獣道がいくつか続いていて、件の人家へ向かう道もあった。

 獣道と区別がつかないが、案外とそこの住人が小川に行き来するための道なのかもしれない。

 とにかくここからは草をかき分ける必要がなくなったので楽になった。


 やがて辿り着いた先にあったのは確かに人家だった。

 それも今風の家ではなく、茅葺屋根のお屋敷と言っていいぐらい大きな家屋敷だ。

 周囲は生け垣で囲われていて中の様子を窺うことは出来ない。

 生け垣沿いに歩いて行くと、生け垣が途切れた所に門があった。

 白木で作られたかなり立派な造りの門だ。

 門の上には透かし彫りで八つ首の竜が描かれている。


「ヤマタノオロチとか、門の守りには強すぎないかね~、山奥だからなのかな~? でも、蛇が寄って来そうで無茶な魔除けだなぁ~」


 バカ師匠が感想を述べる。

 が、俺は半分もまともに聞いていなかった。

 この門の意匠、この屋敷の雰囲気、震えのような何かが胸元をせり上がって来る。


「ごめんください!」


 流が声を上げて訪問を告げる。

 返事が無いので門を直接叩いてみることにしたらしい流は、ドンと拳をぶつけた所でその衝撃の軽さに首をかしげた。

 見ると流が叩いた反動で門が開いている。


「開いているようだね」


 バカ師匠ことカズ兄がその隙間を更に押し広げた。


「ふむ、これは入っていいってことなのかな~? どう思う? 我が愛しき弟子よ?」


 振り返ったカズ兄が俺の顔を見て訝しげに首を傾げる。


「どうした? タカシ」


 門が開いたことで目の前に広がった光景に、俺は全身の毛が逆立つような寒気に襲われた。

 俺はその光景をよく見知っていたのだ。

 遠い昔に実際に見た。

 そして何度も夢で見た。

 

「ここは……」


 俺はふらふらと歩いた。

 離れるべきだ。

 そう俺の頭は判断する。

 しかし、俺の足は吸い寄せられるように中へと進む。

 美しい四季の花々を咲かせる庭、きれいな小川が横切る向こう側には素朴な造りの四阿がある。

 その向こうには屋敷の縁側があって、少女の手作りの可愛らしい柄の座布団が並んでいた。

 軒先には鉄で作られた風鈴が優しい音色を響かせている。

 無知なる者の幸福な世界がそこにはあった。

 そして残酷な裏切りが粉々に壊したはずの場所だった。

 庭に植えられた山桜の木が淡い紅の花を満開に綻ばせている。

 その木に寄り添うように一人の少女の姿があった。


「おかえりなさい、坊や」


 その笑顔はいつ見ても胸が痛んだ。

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