203:停滞は滅びへの道 その六
伊藤さんが行方不明になったのは特別な日でもなんでもない平日の会社帰りだった。
残業した訳でもなく、いつものようにうちに寄ってご飯を作ってくれて一緒に食べて家へと戻る。
そんな当たり前の日々の中、駅まで送っていった俺に「また明日」と元気良く手を振った。
時間もまだ夜も早い時間だった。
何かが起こる予感などあるはずもない。
その夜、ハンター協会からの情報などをチェックしてそろそろ寝ようかという時に伊藤さんの家から連絡が入った。
おかしいとは思った。伊藤さんが連絡を入れてくる場合は基本的に彼女の個人端末からだ。
家つきの固定端末は都市部のセキュリティとも連動しているため、家の玄関近くに設置されていて通信端末としては使いにくい。
だから不思議に思いながら通信を接続した俺に、伊藤さんの母親からの声が届いた。
『優香はそちらですか?』
不安そうな、その言葉を肯定してくれることを望んでいる声。
その声に俺は凍りつくような不安が湧き上がるのを感じた。
「帰ってないんですか?」
『ええ、ということはもう帰宅したのですね』
「はい、三時間以上前のことです」
端末の向こうで伊藤さんのお母さんが絶句しているのを感じる。
「シャトルに乗ったのは確認しています。俺はこっちからいつものルートを辿ってみます。警察には届けられました?」
『夫が、こういった件では警察はあまり役に立たないからって』
「届けておくと不審なことがあった場合照合してもらえるはずです。何もしないよりはかなりマシです」
『わかりました。ありがとうございます』
「あ、それと、お母さんお一人で外に出ないようにしてください」
『大丈夫です。夫も一緒ですから』
「あ、いえ、家に誰かが残っていないと優香さんから連絡があった場合わからないですし」
『あ、ああ、そう、ですね』
「どなたかご近所に頼りになる方はいらっしゃいますか? どちらにせよお一人にならないほうがいいと思います」
『おい!』
と、突然通話相手が変わる。
伊藤さんの父、元冒険者のジェームズ氏だ。
「はい」
『こっちのことは俺がやる、どうせこっちへ来るだろう。一度顔を出せ』
「はい、わかりました」
通話が切れる。
俺の思考は既に緊急時の物に切り替わっていた。
妙に冷静に物を考えている自分を感じる。
なんだか遠くから自分を眺めているような気分だ。
俺は手早く都市内で出来る限りの武装をすると、玄関を出て、隣の妹の由美子の部屋を訪ねる。
「どうしたの?」
俺の顔を見た由美子が眉を潜めてそう聞いた。
「伊藤さんが家に戻ってない。悪いが探索を行って貰えないか?」
由美子は小さく息を呑むと、頷いてさっと部屋へと引っ込んだ。
由美子は伊藤さんをよく知っているし、符術士としての能力は高い。
千里眼の異能持ち以外はその探索能力に及ぶ者はまずいないだろう。
俺よりは遥かに当てになるだろう由美子の探索を手配すると、俺はそのままマンションを飛び出した。
シャトルの運行はもう終わっている時間なので、ゲートを徒歩で抜ける必要がある。
電磁結界の干渉は人体には影響無いと説明されてはいるが、外部用のコーティングが施された乗り物を使わずに徒歩でゲートを抜ける人間は少ない。
空間接続や電磁結界などの比較的新しい技術に対して、人はなんとなく不安を覚えてしまうのだ。
人類は用心に用心を重ねて歴史を綴って来た。
そんな歴史の中で段々と変化を嫌うようになってしまったのではないか、と社会学かなにかの学者の考察を聞いたことがある。
『生きるということは変化することだ』
昔、子どもの俺にそんなことを言った奴がいたな。
どうでもいいことを思い出してしまいながら、結界の外に出るためのゲートとなっている屋根付きの通路を辿る。
電磁結界の上には人家は無く、効率的に磁場が形成されるようにするための金属の木のような形のアンテナのような物が等間隔で建っている。
その下は緑地公園のようになっていて、とりあえずコイル上を自由に通り抜けは出来ないよう造られていた。
コイルの無い昔は
どこからでも出入り出来るようにしてもよかったらしいのだが、住人が不安に思うということで、コイルのある地上部分を閉ざされた緑地公園として、別に出入りのためのゲートをわざわざわかりやすく通路として設置しているのである。
通路はどことなくトンネルを思わせる物寂しさで、走る俺の靴音を異様に響かせた。
壁外に出てすぐシャトルの駅を確認して、伊藤さんの足取りをそのまま辿る。
外縁部の住宅地は夜はひっそりとしている。
結界の恩恵は外側へと向かうごとに徐々に薄れ、怪異の存在を排除する力を失っていく。
そして夜は怪異の時間だ。
街灯が道路を照らして魔除けの加護を振りまいているが、よほどの用がなければうろうろしたい時間ではない。
そんな恩恵の薄い場所でありながら、今この時は途中に怪異など見当たらず、周囲に淀み一つ存在しなかった。
つまりは手がかり一つ見つからない。
進めば当然ゴールへと近づく。
ひしめく住宅街の一画に独特な古民家の家を見つけると、いつも感じる安心感は微塵もなく、なぜか裏切られたような気持ちになった。
おかしい、何かあってしかるべきだ、そう俺の頭の片隅が感じている。
家の前では大柄な外国人の男が腕組みをして佇んでいた。
「一度家に戻れ」
「道から外れた所を探してみます」
「うちの娘は愚かではない。危険の大きいほうへ逃げ込むようなことはしない」
「しかし」
「自分の考えで知り合いの所に身を寄せているのかもしれん」
「でも」
「お前を避けているのかもしれんぞ?」
「っ!」
伊藤父の言葉に、俺は思わず彼を睨み付けた。
「ほんの数時間前まで一緒にいたんですよ? そんなはずがないでしょう?」
「お前にうちの娘の何がわかる。いや、わかると思い込むのは勝手だが、人間というのはそう単純なものでもないぞ」
「本気ですか?」
「……事故ではない」
伊藤父の言い分はわかる。
俺もここまで来た間に何も異常事態が発生したという痕跡を発見出来なかったのだ。
血の一滴でもこぼれていれば気づかないはずがない。
だがだからと言って、伊藤さんが自分から姿を隠したという考えは無理があるだろう。
「誘拐かもしれませんよ?」
「そういったことに対応出来ないと思っているのか?」
「どんなことでも絶対はありません」
「生きているのは間違いない」
「そう、ですか」
伊藤父がそう言い切れるのなら、なんらかの確証があるのだろう。
冒険者は互いの無事を確認するために生体登録をすると聞いたことがある。
伊藤さんもその登録をしていたのかもしれない。
「俺は待つことには慣れている。不本意だが、何かわかったらお前にも連絡してやる」
「こっちでも独自に調べています。何かわかったら連絡します」
待つことに慣れている、か。
伊藤父の言葉には重みがある。
あれだけ大切にしていた一人娘が消えたというのに取り乱していないその姿こそがその証拠なのだろう。
彼もまた、非日常の中でこそ冷静になれるタイプの人間なのかもしれない。
伊藤父は俺を伊藤さんのお母さんに会わせなかった。
「彼女は普通の弱い母親だからな」
見慣れた家を背にしながら、それでも俺はしばらく壁外の街中を彷徨った。
ちょっとした淀みや、怪異へと変わる前の影のようなものを見つけると、何も考えずに握りつぶす。
どのくらいうろうろしていたのか、ふと、端末から呼び出し音がしているのに気づいた。
慌てて画面を見るも、それは妹からの通信だった。
「どうした?」
『一度帰って』
「何かわかったのか?」
『帰って来ないと話さない』
「ユミ!」
『馬鹿』
ふと、暗闇にほの白く浮かび上がる物が顔にぶつかった。
「うお!」
慌てて振り払うと、それは白い蝶の姿の妹の式だった。
「おい、ユミ?」
通信は一方的に切られている。
俺はため息を吐いて、仕方なくマンションへと戻った。
空が白み始めているのを見て、由美子が怒っている理由をなんとなく察した。
「結論から言うとゆかりんは私達と同じ空間にいない」
「どういう意味だ?」
「そのまんま、異空間か結界の中か」
やはり怪異のしわざなのだろうか?
しかし怪異のしわざならなんらかの痕跡が残っていないのはおかしい。
全くの無抵抗に異空間に引きずり込まれたとしても、その場合は空間にひずみが残るはずだ。
俺が持っているハンター証でその手の異常は察知出来るはずなのだ。
そうなると人間に連れ攫われたという可能性もある。
しかし人間を攫って結界に閉じ込める意味は?
同じ空間にいてもジャミングのある場所なら追跡は出来ない。
追手を振り切るならそっちのほうがいい。
結界だと固定になるので場所を移動出来ないのだ。
「くそっ」
「おばあちゃんに占ってもらおう」
「えっ」
「一番確かだし」
由美子の言葉に俺は複雑な心境となった。
確かにばあちゃんならかなり正確な予見が出来る。
「わかった。頼んでくれるか?」
「うん」
「俺は仕事へ行って来る」
「大丈夫?」
「会社の同僚から話を聞けるかもしれないしな」
「うん」
結局の所、会社では何の収穫もなく、伊藤さんの自宅からの連絡で心配した課長から早退の許可をもらうこととなった。
なんか、仕事は手に付かないし周囲に心配を掛けただけの出社となってしまったな。
戻って由美子の部屋を尋ねるとそこには既に浩二も来ていた。
「すまんな」
「別に兄さんのためという訳でもないしね。ばあちゃんから、解決したら嫁さん連れて帰って来いって」
「気が早いだろ」
そんな軽口にほっとする。
予見持ちのばあちゃんがそんな軽口を叩くなら差し迫って伊藤さんに危険は無いということだ。
「今夜、一人で空白になった場所へ行けって」
「それが予見か?」
「うん、かなりはっきりした予見だったって」
「ちっ、伝言の可能性があるってことか?」
「予見は無意識を渡るから、怪異相手だと伝言が来る時があるからね」
「くそが、どいつが!」
言った、俺の頭をガツンと重い衝撃が襲う。
「な! ……に?」
浩二の手に金属の太いタガネが握られている。
今、あれを打ち込んだのか?
「兄さん、変化していたよ。馬鹿じゃないの?」
「変化、してた?」
思わず自分の腕を見る。
鈍色の、金属の質感、ウロコ状のかさぶたのような物がその腕を覆っていた。
「あ、れ?」
「人外の姿で外は歩けないからね」
「お、おう」
無意識に血の力を使っていたのか。
そんなこと今までなかったのに。
咎めるような弟の目から顔を逸らしながら、深くため息を吐く。
空白地帯というのはあそこだな。
随分前から淀みが消え去ったあの小さな街角の公園。
とりあえずどんな結果になるかわからないため、伊藤さんのご両親には事後報告とすることにした。
さすがにばあちゃんの予見の力のことは話せないしな。
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