202:停滞は滅びへの道 その五
アンナ嬢は何かを振り切ったのだろう。
以前の張り詰めたような雰囲気が消えて、落ち着いた大人の女性として俺は再認識することとなった。
そうなると彼女は稀代の美女だ。
なんとなく居心地が悪い。
「我が国は変わるかもしれないし変わらないかもしれない。でもこれだけは確かだわ。私達の一族は変わらなければならない。だからもう国外に出る意味はないし国許に戻るわ」
「ああ、うん。ええっと、色々あったけど、会えてよかったよ。アンナ嬢程の美人は滅多にお目にかかれないからな」
我ながら冗談なのか本気なのかわからないことを口走って場の空気を軽くしようとした。
アンナ嬢はくすりと笑うとその魅力的な笑みを乗せたまま言葉を紡ぐ。
「ジーヴィッカ・ニェーバ」
「へ?」
「最後まで偽名で通すのは失礼でしょう? ジーヴィッカが私の名前。狩りの女神の名を受け継いでいるの」
「あ、ああ、ジーヴィッカ嬢、いや、ジーヴィッカ、国を守護する貴女の誇りに敬意を表します。こういうのもなんですけど、同じ役割の血脈を持つ者として、貴女を尊敬します」
改まった俺の態度に、彼女、ジーヴィッカは胸で十字を切り、「あなたに祝福を」と口にした。
翻訳術式が働いたが、あれは意味のある言葉というより
「実を言うと、そう嫌でもなかったのよ」
「え?」
ジーヴィッカはフフッと笑うと小さく礼をしてその場を離れた。
そのまま玄関ドアを開けて外へと出て行く彼女の前へ白い巨大な車が横付けされる。
すげえなぴったりのタイミングだ。
どうやって察知してんだろ。
最後に振り返って意味ありげな笑みを見せて、氷雪の国の女神様は去って行った。
なんだか色々考えさせられる別れだった。
雰囲気に呑まれてうっかり同じ役割の血脈を持つ者としてとか言ってしまったが、自分でも自分がよくわからない。
本来その家を捨てたはずの俺なのにな。
こういうちゃんと覚悟が決まってない所が俺の駄目な所なんだろう。
そもそも俺の欲しかった自由ってのはどういうものだったのかが今となってはわからなくなっていた。
国のために自分の全てを捧げているジーヴィッカの姿を俺はどこか羨ましいと思ってしまったのだ。
ふと、子供の頃見たあの羽ばたき飛行機を思い浮かべた。
あの驚きと感動は何に由来したものだったのだろう。
俺はなんで
好きな物に理由があるのかな? 理由なんてないのか?
魔法でもない魔術でもない、人が人の知恵によって生み出した
はぁ、とため息を吐いて俺はエントランスから部屋へと戻る。
とりあえず感傷に浸っていても仕方ない。
勢いだけはあって後からグダグダ悩むのが俺の悪い癖だよなぁ。
「ん?」
ミーティングルームへと戻ると伊藤さんの姿が無い。
「あれ? 彼女は?」
「帰った」
「え? ちょ、一人でか?」
由美子の言葉に俺は慌てた。
「ん、街に寄って帰るって」
「そ、そうか」
まだ日は高いし早々何かがあるという訳でもないはずだが、俺はここの所、いや、彼女が巫女の能力を持っていると知ってからずっと感じ続けている不安にじりじりと体を焼かれるような気持ちになった。
「兄さんはダメダメ」
「駄目駄目か」
「ん、かなり。ゆかりんには護符を渡してあるしいざという時にはなんとかする判断力も高い。兄さんは過保護。昔っからそう」
「そうは言っても、心配だから仕方ないだろ?」
「そんなこと言いながら銀髪美女とデレデレしているのはもっとダメダメ」
「ちょ、おい!」
俺は慌てて妹を見た。
我が愛しの妹君はじとっとした目で俺を見ている。
「彼女とは仕事で一緒で、国に帰るからって挨拶に来ただけで、そういうんじゃないから」
「その言い訳はゆかりんにするべき。全くこっちに気づかないで楽しそうに話し込んでた」
「いや、あれは彼女が結界を張ってだな……おおう」
これはもしかしてジーヴィッカは気づいてたんじゃないか?
あの席、彼女のほうは玄関が見える位置だったし。
もしかして最後の笑顔ってそういう意味かよ。勘弁してください。
これってもしかして美女を袖にしたことに対する復讐なのか?
「浮気の件はともかく」
「いや、浮気じゃないからな」
「兄さんはもっと相手を信頼するようにするといい。自分だけで何もかもやろうとするから無理が出る。話し合い、大事」
「うっ」
なんてこった。
妹からまっとうな説教を食らってしまった。
この絶望感をどう言い表わせばいいのだろう。
なんか立ち直れないようなショックだ。
「連絡」
「えっ?」
「連絡入れないの?」
「あっ」
これは妹に説教されても仕方がないな。
俺はがっくりと肩を落としながら部屋へと戻る。
「ここで話してもいい」
「いやいや、さすがにそれは無理だから」
興味津々の顔を向ける妹を残して、俺は部屋へと逃げ込み端末を操作した。
馴染んだ表示を操作して伊藤さんの端末に接続を掛ける。
俺の持つ端末の中に彼女の端末の固有振動波と共鳴する振動波が編み上げられ、この瞬間二つの端末が共鳴状態になる。
今どこにいるのかわからない伊藤さんの端末が彼女の好きなメロディで彼女に呼びかけているだろう。
『あ、隆志さん? 勝手に先に帰っちゃってごめんなさい』
「あ、いや俺こそすまない」
『……』
「……」
あ、やばい言葉が続かない。
彼女とはなんでもないから、くれぐれも気を付けて帰るように、そんな言葉が頭の中を滑って消えて行く。
「優香、俺は君が好きだ」
『うん』
「だから心配で、でも、ごめん」
『うん』
「もっとちゃんと頑張るから」
もう少しなにか言いようがあるだろうに、何がちゃんと頑張るだ。頑張るだけなら誰だって出来るだろうに。
『あの、ね』
「うん」
『全部話して、全部聞いて、楽しいことはもっと楽しく、辛いことは分け合ってって、そう言ったよね』
「ああ、そうだな」
『ごめんね。隆志さんに無理させてた?』
「え?」
『だって、誰にだって言えないことあるよね。私やっぱりわがままだなぁって思って。ごめんなさい』
「いや、それは優香が謝るところじゃないから、悪いのは俺だし。話せないことは話せないって言っておくべきだった」
『あんまり優しくすると私、甘えるから。前も言ったけど結構わがままだから私』
「いやいや、優香がわがままだったらわがままじゃない人がいなくなるだろ?」
『子どもの頃ね、お父さんとお母さんが、私のことわがままを言わない良い子だって言ったの』
「うん」
『私ね、周りの人の気分がなんとなくわかって、タイミングを見ておねだりをしたり、口をつぐんだりしてたの。ズルかっただけで良い子じゃない』
「巫女の能力があったからな」
『それにね、周りに子どもがいなかったから良い子の基準もわからなかったし、大人ってズルいよね』
「あはは、でも、ご両親にとっては優香が基準で良い子だったんだろ」
『うん。だから、私、言葉にしない言えないことって自分を守ったり、互いを傷付けないためのことだってあるって知っていたから。それもそれで大切なのかなって思うの』
「うん」
『だから、ごめんなさい。私、隆志さんにすごく一方的にわがままだった』
「そんなことない。むしろもっとわがままなほうがいいぐらいだ」
『わかった。じゃあもっとわがままになる。今すぐここに来て』
「よし、わかった」
『場所わかるの?』
「いや」
『どうやって来るの?』
「なんとかなるだろ」
『あはは』
「……ヒントをください」
『大好き』
端末を耳に当てながら玄関へと進む。
財布やある程度の武装はさっき下に降りる時に装備していたのでそのまま出て問題ない。
頭の中が物を考える状態にない俺は、おもむろにドアを開け、その開いたドアの向こうに、今まさに探しに行こうとしていた彼女を見つけて、一瞬何がなんだか理解出来ず固まった。
「ええっと」
「見つかっちゃった」
「おう」
「本当に今すぐ来てくれた。さすが私のヒーロー」
「ものすごく買いかぶられている気がする」
「約束を守ってくれたから」
「なんとかなったな」
「ヒーローなら当然ですよね」
伊藤さんはそう言ってちょっと下を向いた。
「隆志さんが綺麗な人と一緒にいて、悔しかった」
「そういうんじゃないから」
「ううん、わかっているの。だって二人共同じ空気の中にいたから。遠い所にいて、いつも、私にはどうしようもなくって」
ああそうかと俺は気づいた。
伊藤さんはやっぱり巫女の能力があるからなんとなく把握出来てしまうのだ。
俺たちが普通の人間と違うことを。
「ここの所ずっと隆志さんが送ってくれるのだって、申し訳ない気持ちと嬉しい気持ちと、窮屈な気持ちと全部あって、自分が嫌だった」
「それはむしろ俺のわがままだろ」
「わがままいっぱい言おうって言ったんだからこれでいいのかな?」
「いいんじゃないか?」
「私達すごく駄目な人のような気がする」
「駄目な男は嫌い?」
「う~ん、駄目なままじゃないほうがいいかも」
「そりゃそうだ」
「話せないことがありますか?」
伊藤さんがそう聞いた。
「うん、たくさんある」
「教えてくれてありがとう」
そう言って笑った伊藤さんは最高に綺麗だった。
そう、あのロシアの絶世の美女よりも。
そして……そんな彼女が姿を消したのはそれからしばらくしてのことだった。
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