204:停滞は滅びへの道 その七

 由美子と浩二は相手に気配を悟られない範囲で待機することとなった。

 一人でという制約を守らないと予見は上手く機能しない場合があるからだ。

 由美子の式すら同行は出来ない。

 予見というのは便利なようで案外と制約の多い物でもある。

 前提条件が崩れると予見した物が現実にならない確率が跳ね上がるのだ。

 急く気持ちを抑えつつ時間的にまだ早い十八時頃から俺は隔外へと出て伊藤さんの家を尋ねた。

 新しい情報は特に無く、お母さんは落ち着いてはいたが憔悴が酷い。


「あの子は意思の強い子ですから。何があっても絶対に諦めたりはしないでしょう。私達はあの子のために出来ることを精一杯やるだけです。私に出来ることと言ったら結局、あの子の好物を作って待っているぐらいなんです。今日はあの子の大好きなナスのミートソーススパゲティなんですよ」

「その好物は知りませんでした」

「あの子は好きな物には妥協しないから、納得出来る味になるまで披露しないつもりなんでしょう」

「結構完璧主義な所がありますよね」

「好きな人にいいところを見せたいというのは男も女も変わらないものですから」


 伊藤さんのいない所で伊藤さんの話をするというだけで、なんとなく後ろめたいような寂しいような気持ちになる。

 伊藤父は姿を見せないが、どうやら色々動いてるようだった。


「必ず見つけ出して無事に家に返します」

「ありがとうございます。警察では特に目撃情報などは無いということでした。夫の知り合いの方も探してくださっていますし、きっと大丈夫です」


 ジェームズ氏の知り合いというのは元冒険者か現役冒険者だろう。

 ただ、この国は国籍を持たない人間は自由に動きにくい土地柄なのでどのくらい動けるかは疑問だ。

 例えば二十一時以降は外国籍の人間は特別な許可なく建物の外に出ることが出来ない。

 ピーターがむちゃくちゃ閉鎖的な国だなとぼやいていたことがあった。


 伊藤さんの家を辞した後、その近所を周る。

 先日の夜、明け方までさんざん歩きまわったことで少しわかったことがある。

 隔外のドーナツ地帯の住宅地は一様に、最低でも簡易式の結界を敷地に組み込んでいるということだ。

 これは一度発生させるとキーアイテムを持たない者を寄せ付けない見えない壁のような存在で、遮音や遮光効果も付随する。

 要するにこれを発生させている状態だと外で何かが起こっても全くわからないということだ。

 事件に巻き込まれた場合、周囲の助けが得られないということでもある。

 仕事で夜歩きする人間もいるから、これはある意味危険な話だ。

 まぁ自分のことは自分で守るのが隔外での常識だから仕方がないのかもしれないが。


 十九時も過ぎると人通りも閑散となる。

 子供の姿が見えたのは十九時前までだ。

 学校は決して子供を十七以降まで居残らせないし、もしもの場合は地域に必ずある寺院や神社などを避難場所として教えこまれているとは言え、子ども達も親から散々言われているので暗くなる前に家に帰る。

 二十時以降になると自衛手段を持った大人しか外には出ない。


「さて、そろそろか」


 街灯の輝きが淀みを穏やかに散らす中、俺はあてもない徘徊をやめて例の公園へと向かった。

 月齢は十三夜、妖や異能者の好む夜だ。

 彼らによると満月は強すぎて逆に制御が難しいらしい。

 やがて辿り着いた通りの角っこにある小さな公園は、植えられた木々の影と大きな遊具の影が月の光にうっすらと刻まれて全体的に暗かった。

 車避けのポールと、かわいらしい彩りで飾られた門柱が、今は色褪せてモノクロの切り取られた写真のように見える。

 公園の入り口に当然あるはずの街灯の光も消えていた。


 相変わらず不自然に淀みが無いその公園の、奥にあるブランコがキイキイと耳障りな音を立てて揺れている。

 ゆっくりと歩いて行く。

 水飲み場、砂場と滑り台、小さなジャングルジム、その向こうに二人で遊べるブランコがある。

 腰掛ける板の部分は小さくて、明らかに子供用だ。

 しかしそこに腰掛けているのは大人の女性だった。


 キイキイときしむ音を立ててブランコを揺らしているその女性を俺はよく知っている。


「伊藤さん?」

「……きっと来てくれると思っていました」


 声も間違いなく本人の声だ。

 ふと顔を上げて俺を見る。

 月の光に浮かび上がるその顔も彼女のもの。

 口元に微笑みを浮かべてブランコから降りると、両手を持ち上げて恥じらうように近寄って来る。


「で、誰だ?」


 俺は我慢出来ずにそう尋ねた。


「名を、呼んでくれたでしょう?」


 夜の月の光の下で不自然な程に口元が紅い。

 向けるまなざしにも蠱惑の色が見えた。


「自分で名乗ってみろよ」

「本当につれない人」


 間違いなく伊藤さんの体だ。

 だが、中身が違う。

 怒りに頭が沸騰しそうになるが、なんとか気持ちを押し殺した。


「彼女から離れろ!」

「どうして? 私は私、違うものではなくってよ?」

「貴様!」


 体は伊藤さんのものだ。

 殴ることなど出来ない。

 人に憑依した怪異を剥がすには手順が必要だ。

 俺はおもむろに踏み込むと、封印符を取り出し伊藤さんの額にその符を向けた。

 彼女は避けることもせずに俺の手を押し包むように握る。


「っ!」


 動かない。

 恐ろしい力だ。


「主様、そのように急かさずともいつなりとよろしいのですよ」


 封印符がボッと燃え上がり、捉えられた手が伊藤さんの胸元に引き込まれる。

 その柔らかな感触にいっそうの怒りが増す。


「やめろ!」

「なにも恥ずかしがることなどありはしないのですよ。愛しく想うということは素晴らしき情動ゆえ」


 手を強引に外して腕を巻き取り、背後に回って羽交い締めに近い形を取る。

 その体が伊藤さんだと思うとどうしても力が入り切らない。

 だが、俺の拘束を解くことをせずに、相手は逆に身を預けるようにしなだれかかった。


「てめえいい加減に!」

「いいでしょう? 想い合う者同士が一つになるなら何もおかしなことなどない。ああ、やっと私の念願も叶うのですわ」


 ぞろりと、蠢く冷たい体を感じて手を離し、距離を置く。

 月に照らされた影がゆらゆらと揺れている。


「お前、そうか清姫だな」

「ああ、その名もまた我のもの。想いに身を焦がすのが我が本質であるならば、愛しい想いを持つ者の名は全て我が名であるのですから」

「てめえ! 伊藤さんから離れろ!」


 清姫相手では俺ごときが使える封印手段でどうにかなるはずもない。

 なにしろ異界を通じてとは言え、あの封鎖された都市の中にすら入ってきた年季の入った怪異だ。

 長年付きまとっていた相手ではあるが、まさかこんな手段に出るとは、考えもしなかった俺の油断だろう。


「この娘の心が我を呼んだのだから、主様がお怒りになる理なぞありはせぬのよ」

「嘘を言うな、伊藤さんがお前を受け入れるはずがないだろうが!」

「主様には女人の心がわからぬのよ。愛しい殿方の心を自分だけのものとしたい。離したくない。一つになりたい。男を想う女の想いはいつの世も変わりはせぬ。そして我こそはその想いの化身なのだから」


 艶やかに笑うその顔は、伊藤さんの顔でありながらまるで見知らぬ女性のようだった。

 こちらを絡め取ろうとする清姫の怪しく濡れたまなざしを持つのが、伊藤さんの姿であることが、言葉に出来ない程に酷い冒涜のように感じる。

 無意識に俺の歯が怒りのあまりガチガチと鳴った。


「離れろ」

「まこと巫女とは憐れなる者、魂と魂の境目を知らず、我と我との違いを気づかぬ。もう全ては遅いの、取り返しはつかない。愛しているわ、隆志さん」

「清姫っ!」


 頭に血が上った俺は考える前に動いていた。

 足を払って倒れこむその頭に肘を叩き込む寸前に我に返って腕を止める。


「ああ、主様おいたわしや」


 寸止めされたその腕に白い冷たい腕が絡みつく。

 引き寄せられた相手の顔の微笑みが、いつものあたたかいそれと重なる。

 思わず力が抜け落ちた瞬間、ひんやりとした、しかし柔らかな感触が唇に重なった。


 とろりと甘い香りと、焼けつくような熱が体の中を暴れまわる。


「ぐっ」

「ふふっ」


 たまらず膝を突き、上げた視界の中で白い顔の中の紅い唇が更に赤みを増して、それをピンク色の舌がなぞっていた。

 血と、おそらくは生気を奪われたのだと気づく。


「今すぐに一つになりたいのだけれども、私にも交わした約束があるから仕方ないの。迷宮においでなさい。私自身が特別な招待状だから、きっと主様は来てくださる。愚かな男たちのように恐れて逃げ出したりはなさらないでしょう?」


 笑い声と共に、月に照らされた影の中に見慣れた、しかし今は違和感のある姿が沈んで行く。


「待てっ! ……彼女を、返せっ」


 急激に体が重くなるのを感じながら必死にその姿に手を伸ばす。

 目の前が暗くなる。

 だが、失う訳にはいかない。彼女とはまだ、話してないことも、話さなければならないことも、話したいこともたくさんあるのだ。

 きっと、一生掛かっても終わらない、そんな話をしなければならない。

 暗転する意識の片隅で、伸ばした手が固い地面を虚しくひっかくのを感じた。

 それは冷たい、絶望の痛みだった。

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