136:羽化 その十一

 異形の冒険者は地に倒れ、乱入した女冒険者は仁王立ちしてそれを見下ろしている。

 面目を潰された形の軍の面々はこの事態に苛立ちを隠しきれてはいないが、とりあえず騒ぎは終わった。

 ほとんどの者がそう思っていた。


 いや、俺も当然そう思って、どこか粘着性のある視線を送ってきた女冒険者から距離を取るべく下がった。

 しかし、その当の女冒険者はそう思ってはいなかったのだ。


「死ね」


 掲げた手の中の武器、青白く輝く金属棒のような物を握る手に力が篭もるのを見て取った瞬間、俺は自分が判断を間違えたことに気づいた。

 やばい、こいつあの变化した冒険者を殺す気だ。

 慌てて身を翻そうとするものの到底間に合う距離ではない。

 バリッ! と散った青い火花を唖然と眺めた俺の視線の先で、それは起こった。


「そうはさせないわ」


 涼やかな翻訳言語が響く。

 その瞬間、倒れ伏した異形の冒険者の男の周囲四方に巨大な魔法陣が浮かんだ。

 複雑に刻まれた文様が上下左右に輝き合う。

 個々の魔法陣だけではない、その四つの魔法陣全てが互いに干渉し合い、一つの閉じた力場を形成しているのだ。


 振り下ろされた女冒険者の武器は、輝きを失って弾き飛ばされる。

 初めてその女冒険者の顔が愉悦を消して歪んだ。

 集まっていた野次馬の列が割れて、一人の女がその場に進み出る。

 揺らぐ銀の髪、睥睨する薄青い瞳、我らがアンナ嬢だ。


「この私が、そう何度も同じことを繰り返させるものですか。あなた達冒険者は人の命を軽く扱いすぎるわ、いいこと、私がここにいる限り、殺しなど許しはしないのだと覚えなさい」


 地を這うような怒りを秘めた言葉だが、おそらくここに集まった冒険者には何がなんだかわからないだろうな。

 彼女は迷宮で目の前で人が死んだことが、いや、自分が相手を救えなかったことが相当のトラウマになっていたらしい。


「ちっ、シット! くそビッチが!」


 翻訳術式を通してない生の声で怪しい日本語? を放った女は、たちどころに周囲の軍人さんに取り押さえられた。

 どう見ても外国人なのに翻訳術式を使ってない所を見ると、この女冒険者は見た目に反してかなりのインテリだな。

 今どき外国語を勉強する人間は相当の知識層だ。

 俺は自分が何の役にも立たなかったにもかかわらず、鉄面皮よろしくアンナ嬢に話し掛けた。


「お久しぶり。もうお国に帰ったと思っていたよ」


 俺は翻訳術式を仕込んではいないが、アンナ嬢が使用しているので会話は問題なく出来る。


「あ、アナタ! あの変態野郎をなんとかしなさい!」


 アンナ嬢は俺を見るなりそう怒鳴り付けた。

 いや、ええっ、あいつまだアナタの所にいるの?


「……まぁいいわ、今はそれどころではないものね。そこのアナタ!」


 アンナ嬢はピッ! と軍の現場指揮官らしき男を指さす。

 やめろ、魔法使いに指差されたら呪われると思って怖がるだろうが。


「どこか静かな閉ざされた場所を私に提供しなさい! それとこの男を運ぶから移動用のカートを用意して!」


 アンナ嬢は外国人で我が国では何の権限もないのだが、軍の連中は気圧されたらしい。

 いや、もしかしたら彼女がロシアの勇者血統であることを知っていたのかもしれない。

 短い返答と同時に、まるで司令官から指示を受けた下級兵がごとく、彼らはすみやかに行動した。

 そして、なぜか俺たちも彼女に同行することとなった。

 いや、なぜかではなくそこにイマージュ化した冒険者がいたせいなんだけどな。


「げ、元気そうでなにより。アイツまだおじゃましているのか」


 移動の最中、軍用ジープで隣り合わせることとなったアンナ嬢に俺は話を振った。

 アンナ嬢はギロリと俺を睨んで、すぐにため息を吐く。


「本当に邪魔な男よ、あれは。でも、恐ろしく優秀だわ。うちの技術部の連中と何か語り合ったと思ったら、祖国に招かれて、なぜだが正式な嘱託研究員の資格を取得して、日本駐在スタッフとして逆派遣されて来たのよ! なんなの! アレは!」


 うわあ、すげえよ、あの変態、鉄の扉と言われるロシアの秘中の秘とされていた勇者血統関連のスタッフに潜り込んだんだ。

 変態すげえ。

 どうなっているんだ?


「その変態が木下院生のことなら確かに彼は優秀。魔法解析や魔術解析において世界的なヘルパーとして人気がある。彼の論文は常に新しい技術の突破口と言われている」


 由美子がぼそりと告げた内容に俺は驚愕した。

 あの変態、そんな凄い奴だったのか?

 いや、そんな凄い奴だったから変態でも許されていたのかもしれない。


「それは……ご愁傷様」


 だが、反射的に俺の口からアンナ嬢に向かってこぼれ出たのは慰めの言葉だった。

 だって、どんなに優秀でも変態は変態だからな。


「全く、って、今はそんな話をしている場合ではないわ。アレはなに?」

「あれって、さっきの冒険者のことか?」

「姿が変わっていた冒険者のことよ」


 アンナ嬢はそう言って頷いた。

 そうか、何もわからないのに事態に介入して、自分の権限であの冒険者を確保して保護、更に他国の軍に命じてどっかに運ばせてるのか。

 行動力ありすぎるだろ。


「あれは、まぁ、なんというか冒険者に発病する病気のようなものらしい。よくはわからんが」

「病気? まさか」


 アンナ嬢の言葉は俺の解説を明確に否定した。

 ん? あれ? 何かわかってる?


「あれが病気じゃないってわかるのか?」

「当たり前よ。あれは病気なんかじゃないわ。私にとっては馴染み深いもの、『呪い』よ」

「なんだって!」


 呪い、いわゆる呪術は、俺だって知らない訳じゃない。

 恐ろしい程手間がかかるが、一度発動してしまうとそれを破ることはひどく難しい。

 俺は理解力が足りないからちゃんとは理解していないが、呪術というのは因果をあえて縺れさせてループを作り、そこになんらかの意思を注ぎ込むようなものだという話だ。

 うん、よくわからないな。


 しかし、呪いか。

 でも、呪いだとしたらそれを仕掛けているのは怪異ということなのだろうか?

 だが、呪いというのはそう簡単には発動しない。

 例えば透明な色を永遠重ねて黒にするような、そんなやたらと面倒な手順が必要なのだ。


「とにかく説明は後、あの人を急いで治さないと」

「えっ? 治せるのか?」


 今度こそ本当に仰天して、俺はアンナ嬢に詰め寄った。

 呪いって治せるもんなのか?


「あの呪いは噛み合いがそれ程深くなかったわ。だから力づくで解呪出来る。ただ、反動があるかもしれないから密閉空間じゃないと危ないの」

「お、おう」


 聞いても全くわからない。


「呪術の反動は災いを招く。大丈夫なのですか?」


 俺がわからないだけで浩二は理解できていたらしい。

 まぁ由美子も当然この話を理解しているんだろうな。

 術式についてはこいつらは得意分野だし。


「安心しなさい。私は解呪については熟練しているわ」


 アンナ嬢はそう胸を張って言った。

 解呪に熟練って、どんな理由なんだ?

 想像すると怖いんですけど。


 やがて、車は特区の軍隊拠点である特区駐屯地に到着した。

 てか、いいのか? 駐屯地にアンナ嬢入れて。

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