137:羽化 その十二

 通された部屋は何もないコンクリ打ちの部屋で、およそ十畳程であろう広さだった。

 壁の一方に大きな鏡があるのだが、雰囲気的にもしかして偏光性の鏡マジックミラーなのかな? と思う。

 部屋の四隅には情報伝達の魔術道具である監視球サーチアイがあり、その徹底ぶりからもしかしたら尋問用の部屋なのかもしれない。


 そんな場所に俺たち三人と、イマージュ化した冒険者の男、更にそれを魔法陣を使ってガッツリ拘束しているアンナ嬢というメンツを通して扉を閉められてしまった。

 もしかして監禁された?

 ちょっと不安になって扉に手を掛ける。

 波動感知式らしいその扉は、ガコンというちょっと鈍い音を立てて横にスライドした。


「何か御用ですか?」


 扉の前には武装状態の兵士が立っている。


「あ、いや、何かしちゃいけないこととかあれば聞いておこうと思って」

「我々は、あなた方から要望があればお聞きするようにと言われております」

「そうなのか。いや、今のところ特にない。何かあったらまた声を掛けさせてもらう」

「了解しました」


 うん、どうやら監禁されたのかと思ったのは杞憂だったらしい。

 何の説明もなかったのは、あっちもバタバタしているせいなのかもしれないな。

 扉を閉めて中へと戻る。

 その間にもアンナ嬢はめまぐるしく魔法陣を切り替えながら展開を続けていた。


「なあ、何やってるのかわかるか?」

「さあ、僕は魔法陣はそこまで詳しくないですが、彼女の展開しているのは通常の物とは違いますね」

「あれは探査陣、おそらくあの人の状態を確認しているんだと思う」


 俺や浩二ではわからなかったアンナ嬢の魔法陣だが、どうやら由美子には理解出来ていたらしい。

 ロシアの魔法は独特と聞いたことがあるが、よくわかるな。


 その魔法陣は、普通の五芒星ペンタグラム六芒星ヘキサグラムとは違い、四角を重ねたような図柄に円陣がいくつか細かく入り、更にそれが立体的に円錐状に展開している。

 その円錐部分に幾重にも別の魔法陣が展開しているっぽいのだが、薄い光の膜のようにしか見えないし、チカチカとまたたきながらその光が移動しているとなると、もはや意味がわからない。


形代よりしろが必要ですわ」


 と、それまで黙々と作業をしていたアンナ嬢が急にそう言った。

 由美子がおもむろに懐から折り紙のやっこさんの形に折った懐紙を取り出す。

 え? それ身代わり札だろ?


「いえ、それではダメ。空っぽの空間を重ねた、ドウシャ用の物が必要です」


 一瞬、翻訳術式が乱れて、魂、精霊、命などの言葉が彼女の「ドウシャ」という声に被って聞こえた。

 翻訳し辛い意味合いっぽい。


「怪異封じ用の水晶はどうだ?」

「鉱物は危険です、出来れば溶かせる物か燃やせる物がいいのですが」


 俺の提案にもアンナ嬢は首を振って応える。

 なかなか要求が難しいな。

 と、ドアがノックされ誰かが訪れた。


「君たちは自分から面倒に首を突っ込む趣味でもあるのかね?」


 どこかで聞いた声だなと思って振り返ったら、ちょっと懐かしい顔が見えた。

 えっと、確か軍の迷宮攻略部隊の部隊長さんだったよな。


「待って、あまり人を増やさないで。調整が難しい。出来れば一般の人は壁の向こうに行ってて」


 アンナ嬢がこちらに顔を向けないまま、厳しめの口調で告げた。

 術者は繊細だ。

 言うことには従ったほうがいいだろう。


「ええっと、武部部隊長さん、だったっけ? 彼女がああ言っているので出来ればことが済むまで外で待機しておいてもらえないかな? 危ないっぽい」

「私は軍人だぞ。仮にも民間人と外国からの要人を危険に晒して待機など出来るか」


 あー、言葉の選択を間違えたかな?

 軍人さんのプライドを刺激したみたいだ。

 こういう嫌に真面目な人は面倒臭いんだよな。


「軍の偉いさん。藁人形を持って来て。空白ブランクのやつ」


 他人の立場とか場の状況とかはあまり気にしない由美子は、相手が偉い人だとわかっていながらも、命令口調でそう言った。

 大学に行って人付き合いも覚えたのに、まだまだ先が不安である。


「藁人形だと? 呪いの儀式でも行うつもりか? 洒落にならんぞ」


 あ、部隊長さん引き攣っているな。

 確かにこの面子で藁人形とか怖いよな。

 てか、そうか藁人形ね。

 空っぽの空間を重ねた魂の形代、由緒正しき呪いの代用品だ。


「逆、呪いを解除する……みたい?」


 妹よ、疑問形なのか。

 まぁ確かにアンナ嬢の思惑は俺たちに完全に理解出来る物ではないよな。

 部隊長さんは臆さない由美子に気圧されたのか、一瞬困ったような若者らしい素の顔を見せたが、すぐに軍人の顔に戻って頷いた。


「了承した。用意させる」


 そう言うと、扉の外の兵士に手早く命令を伝えて走らせる。

 本人はそのまま室内に残った。

 ……出て行かないのね。

 しかしさすが軍人さん、即断即決なんだな。


「しかし、それはどうにか出来るようなものなのか?」


 部隊長さんは疑わしげに言いながら魔法陣に囲まれた男に近づいた。

 ほんと怖いもの知らずだな。


「止まって! それ以上は近づいてはダメ。軍の将官の人なら仕方ないから立ち会ってもらうけど、指示は守っていただくわ」


 アンナ嬢が相変わらずこっちを全く見ないまま指示をする。

 部隊長さんも立ち位置に拘る気はないのか素直にそこで足を止めた。


「わかりました。しかし、貴女に万が一のことがあれば国際問題です。絶対に大丈夫だという確証がない限り貴女にそれ以上の行動をしていただく訳にはいきません。どうか、もうそれまでにしてお帰りになっていただけませんか? その男の身柄は我々が保護いたします」


 ん? 藁人形を取りに行かせたのに解呪を中止させるつもりだったのか。

 この人ってわからないな。

 でもまぁ国際問題ってのは確かにそうだよな。


「おかしなことを」


 アンナ嬢は初めて振り向くと、普段からは考えられないような柔らかな笑みを浮かべてみせた。


「人を悪魔から救うのが私達の存在意義です。そのことに国や立場など関係ありません。この人もあなたも、私に守られる側なのですよ」


 彼女の言葉に、部隊長殿はいささかたじろいだようだった。

 彼は代々の軍人の家柄だと聞いている。

 人を守るべきと考えたことはあっても、まさか自分が守られる側になるとは考えたこともなかったのだろう。

 しかしアンナ嬢の考え方ははっきりしているな。

 ふらふらしている俺からするとちょっと羨ましいと言うか、腹が座ってない自分が恥ずかしいというか、いやいや、そういう役割に囚われることこそが俺が嫌になって捨てた因習であるはずなんだけど、一方でどうしようもなく憧れる生き方でもある。

 誰かのために生きて誰かのために死ぬということは、俺達の血統にとって最高の生き方だと教えられて育って来ているのだ。

 教育とか、申し合わせとか、そういうのではなく、もはや本能レベルで惹かれてしまう。

 だが、それは……。


「馬鹿なことを、我々軍人は自ら望んで民を守る立場となった者だ。貴女方のようにそういう風に造られた者達とは違う。そういう言われ方は心外だな」


 そうだよな。

 自らそう望んでそう有りたいと努力している者にとっては俺たちの在り方は侮辱のようなものなのだろう。

 時々、そうやって俺たちの考え方に対して侮蔑の目を向ける人がいる。

 造られし者か……久々に聞いたな。

 アンナ嬢はちょっときょとんとした顔になると、困ったように頭を下げた。


「あなたの誇りを傷つけてしまったのなら申し訳ありません。そういうつもりではなかったのです」

「あ、いや」


 豪華な美女に頭を下げられて昇っていた血が下がったのか、部隊長殿は慌ててアンナ嬢の謝罪を遮った。


「こちらこそ、失礼なことを言ってしまったようだ。申し訳ない。だが、たとえ力で及ばなくとも、守られることを良しとしない者もいることを理解してもらいたい」

「はい。わかりました。それに謝罪などなさらなくて結構ですよ」


 部隊長殿はアンナ嬢から視線を逸らしてため息を吐いた。

 ふと俺と目線が合う。


「……」


 なんで睨んでるの?

 俺は何もしてないよね?


「ったく度し難い」


 いや、俺に言ってもさ。

 それとも俺にこそ言いたいのか?

 困惑して、伝染った訳でもないが、俺もこっそりため息を吐いたのだった。

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