125:氷の下に眠る魚 その十一

 決め手がない。

 なにしろ相手は数百年を超える怪異、普通に準備をして戦ったとしても倒せるかどうか怪しい敵だ。

 それなのに手にあるのはナイフ一本、もはや馬鹿馬鹿しいぐらいの戦力不足である。


 音も立てず、気配もない。

 図体はデカイくせに清姫はその実体を捉えがたい相手だ。

 清姫の本質はよくいる破壊者タイプの怪異ではない。

 妄執こそがその本質だ。

 つまりストーキング、隠匿ハイドに優れた怪異なのだ。


「つっ!」


 目前の上半身からの攻撃をしのいでいると、背後から長い尾が襲って来た。

 反転して蹴りで弾くと今度は背を向けた形の本体側から牙が迫る。

 イラッとした俺は鋭く息を吐くと右腕に熱を送り込む。

 ナイフと共にその右腕をヤツの口の中に突っ込んだ。


 鋼材が纏めて砕けるような音と共にヤツの牙が折れ飛ぶ。


「シャアッ!」


 即座にそれを再生した清姫は俺を回りこむように左に動いた。

 いや、これは。


「ちっ!」


 とっさに跳躍して清姫の長い胴体を蹴って輪を抜ける。

 危ない。巻きつかれる所だった。


「つれないお方」

「誰が蛇に食われたいと思うか!」

「失礼な、食欲などという野蛮な欲望と等しく語るとは。私の欲しているのは愛なのですよ」

「化け物が愛を語るか!」

「人にしか愛が無いというのは思い上がりでなくって? いえ、我はそもそも人より成りし者なのですから」


 清姫にしてみても、この地は他の精霊の色濃い地、「場」を支配することが出来ないのでその本来の力を出し切れていないという部分もある。

 俺がなんとかしのげているのはその御蔭だ。


「くそが!」


 また死角からの攻撃。

 千日手か? お互い消耗して痛み分けになる未来が見える。

 というか消耗が早いのはどちらかが問題だ。


「ああ、さすがに他神の地では勝手が違う。此度はあなたさまにご挨拶だけのつもりでしたのに、ついうっかりはしゃいでしまいました。はしたない女とお見下げにならないで欲しいのですけど」


 さすがに清姫も手詰まりに気づいたのだろう。

 蛇形態を解除して元の人の姿に戻った。

 しかしこちらが遠慮してやる義理はない。

 そのまま突進してすれ違いざまに皮をむくようにナイフを振るった。


 バキバキバキ!という音を立てて木が1本倒れる。

 途端にまるで重力が増えたかのように体が重くなった。


「いけませんよ愛しいお方。山神に乞うことなく山の生命を刈り取るなど」


 幻影か! 狙ったなこのヤロウ!

 山神の司る山では草一本、花一輪取るにも感謝と断りを口にする必要がある。

 その則を利用されたのだ。

 しかし、案に相違して清姫は襲って来ず、人の形のまま俺を見ている。

 

「あなた様はご自分では私を嫌悪なさっていらっしゃるおつもりでしょうけど、それは本心だとお思いですか?」

「植え付けられたものだから本物ではないと言うつもりか? 生まれた時からそうであることを本当ではないと言うほうがおかしいだろうが」

「いえ、そもそも本当に私のような者を厭うておられるのなら、言葉を交わしたりはしないもの。血の呪いを継いでなお、あなた様は怪異と呼ぶもの達と言葉を交わして来られましたわ。私、ずっと見て来ましたもの」


 清姫が陰のない顔で微笑んだ。

 何が言いたいのか。


「私が選ぶお方は決して戦を愛する野卑な者ではありません。私が望む強さとは、決して相手を倒すことのみではないのですもの。本当に強い者は、相手を受け入れることが出来るのです。あなた様に弱さがあるのだとすれば、受け入れることを怖れていらっしゃる心だけ」


 いいこと言ってる風に聞こえるが、清姫の受け入れるはイコール「喰う」ことだ。

 そのまま聞いていいものではない。

 そういえば清姫が最初に追ったのは若くして徳を積んだ僧侶だったか。

 まぁしかし女を騙した男の徳がどれほどかは知らんが。


「勝手に勘違いするのはいいが、俺にそれを押し付けるな。俺が戦いを嫌うのはそれに飽き飽きしてるからだよ。お前が見境なく人喰いでも始めたらさすがに容赦せずに倒させてもらうけどな」


 怪異が憎いと思う気持ちに間違いはない。

 背筋を走る氷のように冷えた敵意を受け入れるのに迷いはない。

 だが、戦いに何が生み出せる? という思いは確かにあるのだ。

 人を害する怪異を倒すのはいい。

 安心して人が暮らせるのは生産的なことだ。

 なにより俺は、ハンターの仕事をしていた時、怪異を排除した時のほっと安心した人々の顔が好きだった。

 だが、同時に彼らは暴力を振るう者を厭う。

 普通の人々が怪異を見る目と、俺達を見る目は同じなのだ。

 それに気づいたら、戦うことが馬鹿馬鹿しく思えて来るじゃないか。


「おお、恐ろしい。ならばその通り、哀れな人の子を犠牲にしようか?」


 清姫の言葉に、俺は相手を睨み付けた。

 睨まれて嬉しそうに笑うのはどうなんだ、てめえ。


「うそうそ。そんな弱き者をこの身に取り入れるなんて私の格が落ちてしまうもの。身に取り込む者は私の目に適った者だけ。だから愛しいお方、私、諦めたりしませんよ? ずっとあなた様を追い続けますわ」

「去れ、俺の気持ちが変わることなんてねえし、てめえの顔を見てるとイライラするから嫌なんだよ」


 ずいと、いつの間にかまた身近に寄って清姫は俺の胸に頭を押し付けて来た。

 うおっ! あぶねえ!

 殺気がないと全然捉えられないなこいつ。

 慌てて飛び離れた俺に、清姫は真っ赤な口を裂ける程に開いて告げた。


「ならば本気でいらしてください。何も私が喰らうだけが道ではない。あなた様に喰らわれても我が望みは叶うのだもの」

「食うか! 俺は人間だ! それに戦いで手を抜いたりしねえよ」


 応えた俺を意味深な粘り気のある目で見て、清姫はふっと姿を消した。

 どうやら遊ぶのに飽きたらしい。

 清姫はあまり人を襲わないとは言え、その存在だけでも危険な相手だ。

 清姫は人の魂に干渉する怪異で、アレが人里近くに巣をかまえると、人々の妬心が強まり、傷害や殺人の数が跳ね上がることになる。

 特に恋人同士や夫婦を相争わせることに関してはわざとやっている疑いが強い。

 人をめったに喰わないとは言え、放っておいてよい怪異ではない。

 俺は常に本気で戦ってきたし、大体そうでなければ今頃俺は生きていないだろう。

 基本的にはあっちのほうが遥かに格上なのだ。


「外に出た途端やって来やがって。どんだけこっちを監視してやがんだよ。全く」


 子供の頃、ハンターとして仕事をしている時に出会って以来、ずっと付きまとわれている相手だ。

 もはやいい加減にしてくれとしか言いようがない。

 頻度は落ちるが、ちょくちょくちょっかいを出して来る終天とどっちもどっちのストーカー連中である。

 まぁ終天は戦いを挑んで来たりはしないので、その分マシと言えばマシだが、戦いを挑まれたら俺はその時点で終了なので、比べる意味がないんだけどな。

 清姫はまだ十に一つは勝ち目があるが、終天に関してはもはや考えるのも無駄な相手だ。

 人間が海や山と戦って勝てるか? というのと同義なのだ。

 

「……むかつく」


 俺はうっかり切り倒してしまった木のことをその場で山神に謝罪し、負荷を解いてもらうと再び滝の乙女の元へと向かった。


「お話は終わったかの?」


 にこにこと微笑んで乙女が俺を見た。

 うん、こう、ちょっと脱力してもおかしくないよな。

 まぁいいんだけどね。


「ああ、ちょっと山を荒らしてしまった。悪かったな」

「よい。山は我の管轄外じゃ」


 山神とは連なっているのだが、その辺は淡白だ。

 精霊のものの感じ方というのもちょっとわかり辛い。


「ええっと、実は今日うかがったのはお願いがあったからなんですけど」

「言ってみるがよい」

「巫女の守り石をいただけませんか?」

「よいが、新しい巫女を見つけたのかえ?」

「いえ、巫女の体質のまま大人になった人がいて、いざという時の保険というか、安心というか、そういうのが欲しいので」

「そうか」


 俺の説明に特にツッコミを入れることもなく、乙女は滝壺に手を入れると手のひらに入る程の石を一つ掴んで俺に渡した。

 ぱっと見は河原に転がっている角のない石だ。

 水切りに使ったら遠くまで飛ぶだろうなという感じの平たくて丸っこい形をしている。

 色はほの白く、少しだけ透き通っている。

 水晶混じりの石に似ているが、おそらくは長石の一種なのだろう。

 だが、問題はそんなことではない。

 これはこの乙女が巫女のために生み出した一つの奇跡なのだ。


 巫女はこの石を身に付けることで、この石と自身の魂を馴染ませ、精霊に自身の体という器を満たされてしまった時の退避場所として使えるようになる。

 そのためこの地の巫女は神を降ろす時には自分をこの石の中に封じる。

 とは言え、この方法も長く行うと逆に本体に戻る魂と石の中の魂とに分割されてしまい、最後には石の中だけに本人の魂が残ることとなってしまう。

 河原で遊んでいる少女達がその成れの果てだ。

 薬も使いすぎれば毒となるということだな。


「ありがとうございました」


 礼を言うと、人とは感情が違うはずの乙女がにこりと笑ってみせた。

 彼女も長年巫女達と魂を混ぜることで変化したモノなのだ。

 大河に墨を一滴落とした所で河の色が変わることは無いが、影響が全くない訳ではないということなのだろう。


「また来るがよい。里の者達は気のよい者達じゃがなかなか遊んではくれぬからの」


 俺も別に遊んであげてないんだけどな。

 俺はそう思いながらも、彼女への感謝を胸にその地を後にしたのだった。

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