124:氷の下に眠る魚 その十

「てめぇどうやって結界内に潜り込んだ?」


 ぎょっとした俺は油断なく身構えながら足場を探る。

 完全武装には程遠く、今の手持ちはいつものナイフぐらいだ。

 どう考えてもこの名有りの怪異ネームドモンスターである清姫と戦える状態ではない。

 しかし、人間に害意を持つ怪異は守護者の結界に弾かれるはずだ。

 こいつどうやって入り込んだんだ?

 しかも当の守護者の目前に出て来るとは。

 そこまで考えて俺はこの地の守護者である滝の乙女に視線を向けた。

 彼女は俺の焦りを全く知らぬげに柔らかく微笑みを浮かべて俺たちを眺めている。

 どういうことだ?


「潜り込んだとはとんだ言いがかりですね、愛しいお方。私はきちんと筋を通して来訪させていただいただけの話ですわ」


 本来の蛇の半身をも人の形と変えて、一見すれば普通の人間の女性のようにすら見えるが、そのとんでもないプレッシャーは到底人では有り得ない。

 百年を越えて存在する怪異独特の、強大な力をひしひしと感じてしまう。


「どういうことだ?」


 俺は滝の乙女のほうに話を振った。

 彼女は清姫よりも長く存在する精霊だが、精霊という存在はそもそもが人と遠すぎる有り様をしてるものなので、何百年経とうがその意思の疎通は難しい。

 異例な程に人に近づいたここの守護者である滝の乙女ではあるが、彼女は俺の問いににこりと微笑んでみせた。


「稀な客であろう? そなたとも縁がある者じゃ、我のことは気にせず存分に語るがよいぞ」


 うわあ、下手に物分かりがいいのが災いしたのか。

 まぁそりゃあこのお方からすれば人間だろうが怪異だろうが似たようなものなのかもしれんが、こいつは立派に人に仇なす存在だぞ? 俺の縁だけで入れたのか?


「愛しいお方。あなたは私を誤解なさっていますわ。確かに私は我を欺いた愚かな男を喰らいはしましたが、無差別に人を襲うような野蛮な輩ではありませぬよ? 私が欲しいのはより強き者、胸に抱く伴侶のみですわ。人とてその愛憎にて殺し殺されるものでありましょう? より高みを目指す者として、それは当然の本能ですもの。それが悪しきと断じてしまわれるあなた様こそが勘違いなされているのです」

「ちっ」


 たいそうな言上に俺は舌打ちをした。

 蛇は水の性だ。

 清姫はその業によって火を使うが、水の精霊たるここの守護者とは相性がいいのだろう。

 それに確かに清姫は無差別に人を襲う怪異ではない。

 というか名有りの怪異は悪知恵に長け、身を潜め、その望む所を叶えようとする傾向がある。

 その望む所が人喰いではないモノ達はなるほどあまり人を襲わないとも言えるだろう。

 だが、こいつらは人の命を重要視する訳でもないのだ。

 彼らにとって人など足元の虫けらと同じ存在なのだから。

 目的の邪魔に、あるいは益になるならば、いくらでも人の命など消費して顧みないだろう。


「つれなきお方よな」


 気づくと、清姫はいつの間にか俺の傍らに移動して来ていた。

 そしてこちらの腕を取ろうとしていたので慌てて飛び退く。

 弾みで川の中に足を突っ込み、ぱしゃりと水が跳ねた。


「人に仇なさないとは言うが、お前の目的は俺を喰らうことだろうが、よくもまぁそうもうそぶけるものだな」

「それは誤解ですわ、愛しき方。私の望みは愛しいお方と一つになってより強き存在に昇華することのみ。喰らうなどとはしたなき児戯に及ぶのは互いの意見の相違による結果にすぎません。言うなれば女性にょしょうを騙そうとする殿方にこそ非があるのです」

「あまりに一方的な言い分にめまいがするよ」

「それはいけませぬ。私が介抱してさしあげましょう?」

「黙っててめぇの巣に帰れ!」


 ぱしゃりとまた水音が響く。

 はっとした時には既に遅く、右腕に清姫が取り付いていた。


「離せ! この化け物が!」

「なんという暴言。本来なら死をもって償わせる所ですよ? 他ならぬあなた様だからこそ許しもしようもの」

「おお、これが男女の交わりというものじゃの。羨ましいことじゃ」


 必死に清姫を引き剥がそうとする俺を眺めながら、滝の乙女はなにか見当違いの誤解をしていた。

 ふと見ると、周囲にいた幻の少女達もじっとこちらを見ている。


「違うし! というか、こいつは害意のあるモノだ! さっさと追い出せ!」

「素直になって私を受け入れてくださいまし」


 言うなり、清姫のその胸に当たる部分がパカリと割れて、ぎっしりと歯の並ぶ口が出現した。

 掴んだ腕をその口へと誘導しようとする清姫をすんでの所で蹴飛ばす。


「仲のいいことはよいが、ここでの争いは認めぬぞ? 痴話喧嘩は神域外で為すがよい」


 凄く論点のずれた守護者様のお叱りが辛いです。


「懐の深い水の姫、情をお掛けいただきありがとうございます。その領域をお騒がせいたしたこと、申し訳ありません」


 清姫がいけしゃあしゃあと守護者へ謝罪を述べる。

 こいついったい何がしたいんだ?


「愛しいお方、姫様のお心をお騒がせするのは悪しきことですわ。私は臆病ですもの、お叱りを受けてうっかり人の集落を焼いてしまうかもしれませぬ。お叱りを受けない所まで移動いたしませんか?」

「そのような不調法は許さぬぞ」


 清姫がしれっと脅し紛いのことを口にし、的外れながらも滝の乙女の叱責が飛ぶ。

 そうだな、こいつが本気になれば守護者とて全ての災いを防ぐことは敵わないだろう。

 ここは俺が守護者の結界を離れるのが一番だ。

 いくらなんでも俺の事情でこの集落にとばっちりが及ぶようなことは避けなければならない。


「済まない滝の乙女よ。俺を結界の外へと送ってくれないか? どうもここにいると迷惑を掛けそうだ」


 俺の言葉に滝の乙女は頷き、そっと手を延べて、細いその手で俺に触れた。

 せせらぎのような微かな音と、降り注ぐ雨のような冷たさを感じたと思うと、俺は山中のちょっとした開けた場所に立っていた。

 小鳥の声が響き、冬の日差しがキラキラと雪を輝かせている。

 里の方で積もっていた雪も、ここではどういう条件なのかあまり積もることもなくところどころに雪溜まりがある程度だった。

 山の中にはこういう「場」がいくつか存在するが、どうやら力ある場に飛ばしてくれたらしい。


「我が愛しいお方はお優しい。私が本当にお嫌なら、水の姫の怒りを招いてその力を借りればよかったものを。あれは人の神たる者、祈りを捧げればそう仕向けることも出来たでしょうに」

「ぬかせ! そうなればお前は里の人間を容赦なく巻き込んで殺しただろうが。そんなことを俺が許すと思うか?」

「馬鹿馬鹿しい。自らを守れないのはその者の責、あなた様が気にすることではありますまい」

「お互い理解し合えないでなによりだ」


 この山は結界外ではあるがあの守護者の力の及ぶ所でもある。

 人の神となった者は人と異形が争えば必ず人に加護を与えるものだ。

 更に言えば、山を統べる山神は異物を嫌う。

 特に自らが「産むモノ」であるからか、異質な外部の「産むモノ」を侵略者とみなすことがあった。

 このせいで昔は女人を山に入れるのを嫌ったものである。

 つまり、先の迷宮の時とは違い、この場ではどちらかというと俺のほうが地の利としては条件がいいということになる。

 しかし、武器をほとんど帯びてないのが致命的だ。


「さあ、この場ならば何の遠慮も憂いもありませんわ。どうぞこの胸に抱かれてお眠りになって。愛しいお方」


 清姫は人を装うのを止めて本来の半人半蛇の姿に变化を遂げた。

 極端に自分ルールだが、清姫的には互いの条件を公平にしたつもりなのかもしれない。

 この糞寒い時期に裸身の姿は不気味さだけではなく、うそ寒さすらある。

 大体こいつ、蛇のくせに冬に冬眠しないのかよ!

 抱きすくめようと迫るその巨体を躱し、上着の下のホルダーからナイフを引き抜く。


「もうてめえには飽き飽きなんだよ! いい加減に失せろ! 蛇!」

「ああ、そうですわ! 猛りこそ生命の華。子を孕むための儀式に違いありませぬ。さあ、熱く滾るその生命を私にくださいな」

「馬鹿が、お前らは子を成したりしないだろうが!」


 俺の言葉に清姫はよよとばかりに身をよじった。


「なんと情のないお方よ。そのような酷いことをよくも口に出来るもの。ですが、許して差し上げますわ。だって、魂と魂を合わせれば、私は新しき段階に昇華することが出来るのですよ。それは新しき存在。子であると言って間違いではありますまい?」

「はた迷惑な思い込みはやめろ!」

「本当に酷い男。でも、だからこそ、その強さが愛おしい」


 ガン! と岩が打ち付けるような重い音を響かせて蛇身が俺の立っていた地を打ち付ける。

 既にその地を蹴っていた俺は、ナイフの呪を起動させて清姫に突き込んだ。


 キン! という音と共にナイフが弾かれる。

 くそったれが!

 大木の倒れる不吉な音を聞きながら、俺は誰にともなく悪態を吐いたのだった。

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