閑話:女神の午睡

「ユミちゃん!」


 待ち合わせ場所に年の離れた友人を発見して、優香はその名を呼んで手を振った。

 まだ休み中で帰省している人が多いオフィス街は、普段からは考えられない程シンとしていて、彼女の吐き出す息が白く大気を染めるだけのことが、とても暖かい風景に感じられる程だった。


「ゆかりん!」


 呼びかけられたほうの少女は、どこかはにかんだように笑って、それでも一生懸命手を振り返してみせる。

 二人が友人付き合いを始めるようになって、彼女、木村由美子はびっくりするぐらい変わった。

 他人との関わりにどこかおっかなびっくりだった由美子が、常に明るく元気でそれでいて気遣いを忘れない優香に引っ張られるように外交的になって来たのである。


 五つ違いというかなりの歳の差がある友人同士だったが、二人はその辺りをあまり意識していないようだった。

 さらにあまりオシャレという物を考えたことのなかった由美子をショッピングに連れ出し、一緒に洋服を選んだりしていた二人の服装は全く同じではないが、ジャンルが似通っていて、その歳の差もあってまるで実の姉妹のようにすら見える。

 とは言え、純粋な倭人で日本人形のような由美子と、ハーフで、亜麻色の髪と光の加減で緑がかって見える瞳を持つ優香とでは、あまりにも容姿が違ってはいた。


「ユミちゃん、やっぱりそのコート似合ってるわ、かわいい!」

「え? そう……嬉しい」


 由美子の羽織っているのは薄紅色のコートで、襟元と裾のファーの白さが可愛らしさを主張している。

 実年齢よりも若く見える由美子を更に子供っぽく、高校生ぐらいに見せてしまうが、可愛いのは間違いなかった。


「ゆかりんも、とても可愛い」


 優香の方は由美子のふんわりしたコートと違い、直線的なシルエットの白いコートだったが、由美子のコートと同じ配置で薄茶色のファーがあしらわれていて、元々可愛いタイプの優香の顔立ちと相まって確かに可愛らしい。

 二人並ぶと冬景色に花が咲いたような、そんな印象を与えた。


「それじゃあ、行こうか!」

「うん!」


 彼女達は年明けの初商いで売り出される福袋を買いに来たのだ。

 狙っている店のものはライバルも多いので、気合いを入れる必要があった。


 勇戦の後、二人は戦果である荷物を配達手配に回し、こちらも初商いのケーキ喫茶になだれ込んだ。

 この日は初商いという理由でアフタヌーンケーキセットが五百円でケーキ食べ放題という大盤振る舞いとなっていて、それぞれに頼んだケーキがハイティースタンドで運ばれ来るという豪華さに、年頃の女の子らしく盛り上がる。


「ユミちゃん、これ、お土産」


 お茶を飲んでゆっくりした所で優香は由美子に小さな紙袋を差し出した。

 飾った所のない茶色の紙袋だったが、由美子はちょっと驚いて、おずおずと嬉しそうにそれを受け取る。


「ごめんなさい。私、お土産とか無くって」


 そして由美子はモジモジとしながら小さな声で謝った。

 優香は頼んだケーキを自分の前にセットしながらその言葉に笑ってみせる。


「あはは、お土産っていうのは買って来る人の自己満足みたいなものなんだから気にしなくていいのよ。私が勝手にユミちゃんに押し付けてるだけなんだもの。嫌だったらそう言ってもいいんだから」

「そんな、……すごく嬉しい」


 かさりと音を立てて開いた紙袋の中には、可愛らしいペンダントが入っていた。

 トップに淡いピンクの雪の結晶のような石が飾られ、革紐に飾り石を通した素朴な作りの品だ。


「あ、これ、精霊結晶? あ、ううん、そうか、天然ものなんだ。もしかして水精?」

「そう。さすがね、すぐわかるんだ」

「ありがとう」


 由美子はその首飾りをすぐに着けて見せる。

 屋内ということでコートは脱いでいたが、中の白いセーターにそれは良く映えた。

 実を言うと、由美子は優香とつき合うようになるまで柔らかい色合いの服装をしたことがなかった。

 戦闘着である胴着や袴などで平気で外をうろつくこともしばしばあったぐらいだ。

 優香はそんな由美子と一緒にあちこちと出掛け、オシャレをする楽しさを教えたのである。


「あの、ゆかりん、兄さんと、上手くいってる?」


 由美子がそう言った途端、優香は傍目でもわかる程にその白い顔を赤く染めた。

 今度は優香がモジモジと所在なげにケーキをつつき、挙句に細かく切り崩してしまい、はっ、と自分のやったことに気づいて慌ててそのカケラを口に運ぶ。


「うん、……うん、私はそう思ってるんだけど、木村さん、……隆志さんもそう思ってくれていたら、嬉しいなぁって……ね」


 挙動が怪しい。


「兄さん、けだものだから、気をつけてね」

「うえええ」


 今度こそ優香は真っ赤になってテーブルに沈没した。

 力が抜けてしまって顔を起こすことが出来ないようだった。


「一見人間みたいだけど野生のけものに近いものの考え方をするから、ロマンチックな舞台を演出したり出来ないから。ゆかりんが積極的に押していくべきだと思う」

「あ、けだものってそういう……」


 由美子の説明にちょっと復活した優香はようやく顔を上げる。

 とは言え、まだ顔は真っ赤でどこか落ち着きがないままではあった。


「うん、自分のやりたいことしかわからないの、兄さんって。野生の動物か子供みたいでしょ」

「そんなことない。隆志さん、本当はすごく優しいし」


 そのまっすぐな言葉に、由美子ははぁとため息を吐いた。


「そっか、本当に好きなんだ」


 由美子の果敢な責めを受け、優香は落ち着こうとして飲み込んだお茶を喉に詰まらせてしまう。

 液体を喉に詰まらせるってどういうことなんだろう? と、関係のないことをあえて考えて目を泳がせる優香の顔を、由美子はじっと見てふっと笑った。


「よかった」


 その本当に嬉しそうな声に、優香は今度はちゃんと由美子をまっすぐと見て頷いてみせる。


「うん、すごく好き。だからあの人を守るために私に出来ることがあれば何でもしたい」

「それは、難しいよ。そうされたらきっと兄さんは辛くなると思う」

「そっか、そうだね」

「うん」

「じゃあバレないように頑張る」


 優香の言葉に、由美子は驚いたように目を瞬かせて優香の顔をマジマジと見た。


「ゆかりんって、凄い」

「すごくないよ。私なんて出来ることも少ないし、大して役にも立たないから。でも、出来ることがあるならそれをやることを躊躇わないだけ。一緒に戦えるとは思ってないけど、気持ちを聞いて辛いことを一緒に背負うことは出来るでしょ? 美味しいご飯とか、きちんと片付いた部屋とか、そんなちょっとしたことがとても大事だと思うから。私はそういうことをやっていくの。他に出来ることが見つかればそれもやるわ」


 由美子は綺麗にベリージャムの掛かったレアチーズケーキを一口に口に入れる。


「家族じゃないのに、どうして?」


 心底不思議そうに由美子は優香に聞いた。

 彼女の価値観からすれば、血の繋がらない他人のためにそこまで出来ることが不思議なのだ。


「そんな気持ち、勘違いかもしれないとは思わない?」


 由美子にとって家族は絶対の存在だ。

 血が繋がっている身内しか本当に信じることは出来ない。

 それなのに、自分には家族に必須の力がないことこそが由美子の消えないトラウマでもあった。

 本当は、自分は家族ではないのではないか? という恐怖に、由美子は常に苛まれているのだ。


「心がね、揺さぶられるの。隆志さんがいてくれたことに感謝したくなる。自分だけじゃ見えなかった物が見えるようになる。ううん、そんなのはきっと単なる現象に過ぎない。ただ、私はあの人がいてくれることが幸せなの」


 優香は臆することなくそう言い切った。

 言い切った後にまた顔を赤くしていたが、それでも、彼女の目は由美子を真っ直ぐに見つめている。


「ゆかりんが羨ましい」


 由美子はそうぼそりと零した。

 

「私は兄さんを疑った。だから、自分が嫌い」

「好きっていうのは盲信とは違うから、駄目なことや悪いって思ったらちゃんと言えばいいと思うよ。ユミちゃんが間違ったとしたら、それはお兄さんが間違っていると思ったのに、納得するまでちゃんと話し合わなかったことだけだと思う」


 しかし、優香はそう言って由美子の頬をちょんと突く。

 由美子は驚いたように優香を見返した。


「言葉を隠してしまうとね、それは怖い物になってしまうの。何もかもあけすけに言えばいいって訳じゃないけど、言うべきことを隠してしまうと、後悔してももうそれをぶつけることが出来なくなってしまう。そうしたらその言葉は自分の中で腐っていくわ。悪くすると昏い怪物を育ててしまうの。だから、大切なことはちゃんと言うべき時に言わなきゃならないんだと思うんだ」


 由美子は優香を凍り付いたように見て、しばらくしてようやく声を出した。


「私、怪異なんて育ててないから!」


 憤然としたようにそう言うと、今度は決然とした顔で宣言した。


「わかった。兄さんにちゃんと言う」


 優香はそんな由美子をほのぼのとした顔で眺める。


(可愛いなぁ)


 隆志に対する気持ちとは別に、優香はこの歳若い友達が大好きだった。

 素直で世間知らずで、いっそ純粋すぎる少女。

 そして同時に、過去のすれ違いで微妙な関係になっている隆志と家族との間をなんとか修復したいと考えている。

 それは下手をすると彼女と想い人の間を引き離す道になる可能性があることに気づいていない優香ではなかったが、それよりも、この少女と大切な人が幸せに微笑み交わす世界を望んでしまうのだ。


 そしてそこに自分もいたい。

 それこそが彼女の望みでもあった。

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