116:氷の下に眠る魚 その二

 実を言うと、俺の部屋には全体的に無造作に自分の作品が転がっている。

 特に作業部屋には棚があり、なんとなく作ったはいいが使う訳ではない物などが並んでいた。


「えっ、これも木村さんが作ったんですか? お店で買ったんじゃなくて?」


 そんな俺の作品群を紹介するごとに、伊藤さんは楽しそうに質問したり感想を言ったり、褒めてくれたりするので、俺は嬉しいやら気恥ずかしいやらで、逃げ出したいような気持ちになってしまう。

 動揺のあまり、薄い雲母を組み合わせて作った、蕾の状態から開いたり、開いた花びらが閉じたりする初期の作品を思わず取り落としそうになって、慌てて救い上げた手が、同じように落ちる作品を救おうとした伊藤さんの手と重なり、尚更動揺する羽目になった。


「あ、ありがとうございます!」


 考えるよりも先に反射的に礼を言った俺に、伊藤さんは「いえ、私の手じゃ間に合いませんでしたね」とエヘヘと笑った。

 焦る俺を気にすることなく、伊藤さんは作業場の道具なども物珍しそうに眺めて質問をしていたが、やがて、壁に掛かっているパネルを指し示して尋ねて来た。


「もしかしてあれも木村さんが作ったんですか? テレビジョンなのかな? と思ったんですけど、違いますよね。いろんな模様が次々と浮かび上がって来て、綺麗ですね」


 それは確かに大作だった。

 雲母板の間に術式符を挟み、それぞれに温度や音、僅かな振動によって異なる光を発する簡易術式が施されている。

 雲母板は電気と同じように魔術の発する波動も遮断するので、本来互いに干渉する術式を干渉させずに発動させることが出来るのだ。

 そのことを利用して作ってみたのがこのパネルディスプレイだ。


「まぁ綺麗なだけで何かの役に立つ訳でもないですけどね。部屋を暗くしてこのパネルだけになるとちょっと幻想的で気に入ってるんです」


 俺の言葉に伊藤さんはにっこりと笑って、「じゃあちょっと暗くしてみてくれますか?」などと言ってきた。

 え? えええええ?

 焦る俺を見て、伊藤さんが吹き出す。


「木村さんって、天然な所がありますよね」

「え? どういうことですか!」

「だって、さっきの言葉って普通ムード作りのお誘いだと受け取られてしまうのに、そんなに焦るなんて」


 そう言うと今度はお腹を抱えて笑い出してしまった。

 いや、天然具合なら伊藤さんが上だろ。

 男の部屋でそんな無邪気に殺し文句を言って来るのは卑怯すぎるでしょう?

 てか、本当に笑い転げる人を初めて見たよ。


 伊藤さんは笑いの衝動が激しすぎたのか床に倒れこんで笑い続けている。

 溜息を吐いて、はっと思い出した俺は時計を見た。


「あっ! しまった! 伊藤さん、時間!」

「あっ! きゃあ!」



 慰労会の開始時間をすっかりオーバーして現れた俺たちに、下世話な推測や冷やかしが集中したことは言うまでもなかった。

 しかし酒のつまみに弄られまくって、せっかくの高い料理も酒の味もわからなかった俺とは違い、伊藤さんは女性陣だけで固まった中で楽しそうに笑っている。

  その楽しそうな姿を見ていると、なんだか心の奥が暖かくなって来て、馬鹿な佐藤が絡んできた鬱憤もどこかへと吹っ飛んで行くようだった。

 だが、宴もたけなわとなって来ると俺達を隣同士に並べて質問攻めが始まってしまったのだ。

 曰く、どこまで行ったのか? (直裁的すぎると思わないのか! 恥を知れ!)とか、結婚はいつだ? (気が早い)とか、子供は何人の予定だ? (気が早いのも程があるだろ!)とか、酔った勢いなのかマジなのか、あんたらノリが良すぎるだろ。

 果てには部長まで「俺は結婚式のスピーチの場数はこなしているぞ、安心しろ」などと言い出す始末。


 結局、より気楽な店に行くという二次会は、どんなことになるか目に見えていたので、ほうほうの体で辞退して逃げ出すことにした俺たちだった。


「さんざんでしたね」

「ごめんなさい。私が木村さんの作品を見たいなんて言ったから」

「いえ、嬉しかったです。あんまり人に見てもらったことがなかったものですから」


 会話が途切れてなんとも言えない間が空く。

 周囲は賑やかに音楽を流し、きらびやかに飾られた違法術式ぎりぎりのごく弱い誘導灯などで店名がきらめいている。


「あの」「えっと」


 二人の声が重なってお互いに言葉の先を譲りあった。

 結局俺の言葉が先になった。


「思ったより早い時間で抜け出せたので帰りは余裕ですね」

「あっ、そうですね」


 伊藤さんがはっとしたようにそう言って、ちょっと照れたように笑う。


「ご心配してくださってありがとうございます」


 そう言えば伊藤さんはかなり呑んでいた(正確には呑まされていた)ように思ったけど、頬がちょっとだけ赤くなっているだけだった。

 結構酒に強いのかな?

 でも頬がちょっとだけ赤いというのもなかなかいいな。


 俺はぼーっとしてそんなことを考えながら、さっき譲られた伊藤さんのほうの言葉を誘う。


「あの、手、繋いでもいいですか?」

「あ、え? 手ですか?」

「はい。はぐれないように」

「ああ、人多いですよね」


 週末の飲み屋街は人が多い。

 多いだけならいいが足取りの怪しいのやら、数人で流れを無視して通りを突っ切って歩く若者なんかもいて、かなり混沌としていた。

 でも手を繋ぐって、子供みたいだな。


「どうぞ」


 そう言って、何気なく差し出した手を、伊藤さんの小さい手がぎゅっと握る。

 しかし繋いでみると予想外に柔らかい感触と、じんわりと伝わってくる暖かさが色々とやばかった。


「え、駅まで送りますね」


 何かを言わなければならないという使命感に駆られて、俺はそんな当たり前のことを口走った。

 伊藤さんの手がぎゅっと強く握って来て、どきりとする。


「泊まっちゃ駄目ですか?」

「えっ? ええ?」

「荷物置いてありますし」

「うちに寄っても大丈夫、十分終電に間に合いますよ」


 繋いだ伊藤さんの手が俺を引っ張り、人混みと喧騒から抜け出した。

 入り込んだ横道は街灯の間隔が少し遠い。

 暗がりの所々には自然に闇が形を無した黒いマリモのような暗闇がコロコロと淡い光の境の手前で転がっている。

 これは精霊の一種なので、別段害はない存在だ。


「私、以前言いましたよね。木村さんは命の恩人だから、恩を返したいって」

「え? ええ?」


 ぎょっとする。

 俺は伊藤さんの言葉に思わず身構えた。

 もし、恩返しに、義務感から俺に何かを与えようと思っているというなら、俺は決してそれを受け入れる訳にはいかない。

 繋いだ手の暖かさは確かだけど、そこに心がないのならそれは俺にとって価値がない物なのだから。


「あれは少しだけ本当でほとんどは嘘です」

「えっ!」


 しかし意外な話の流れに俺は混乱した。


「私はズルい女なので嘘をきました。本当はただ木村さんと親しくなりたかったんです」


 えっと、それは俺がハンターだから?

 もしかして親父さんから『木村』の意味を聞いて?

 急速に冷えていく胸の内にさまざまな思いが巡る。

 ふとアンナ嬢の顔が浮かんだ。

 国の命令でうちの一族の血を欲した彼女の言葉は決して俺を求めてはいなかった。


「私が木村さんに惹かれたのは、あの魔除けの綺麗なテーブルランプを見た時です」

「えっ?」

「私は小さい頃から開拓キャンプ……じゃなくて冒険者のキャンプで育ちました。彼らは怪異を避けるために色々なことをします。そのほとんどは暴力的で無骨な物で、そこに美しさを求めることなどありません」

「そう、でしょうね」

「だけど、あの時。木村さんが渡してくれた物は、今まで見て来た色々な物とは全く違って、とても、美しいものでした。繊細で温かくて、そこに暴力の影なんかなかった」


 伊藤さんは遊んでいたもう片方の手も取ると、俺の顔を見上げる。


「私は思ったんです。こんな綺麗な物で怪異を封じようとする人はどんな風に世界を見ているんだろうって。とても知りたいと思って、だからあんな嘘を言って、いえ、恩を返したいというのも本当ではあるんですけど、それだけじゃないことを隠して、木村さんの近くにいようとしたんです」


 夜目の利く俺には伊藤さんの真っ赤に染まった顔がはっきりと見えた。

 お酒、今頃回ってきたのかな? と、どこか現実放棄した俺の頭が考える。


「隆志さん。こんな女ですが、私を受け入れてくれますか?」


 名前を呼ばれて、俺の思考はクリアになった。

 

「俺は、ずっとその、不安でした。俺がいいと思う物、綺麗だと思う物、それは他の人と違うのではないか? と。……でも、違ってもいいのだと、その違いをいいことだと言って貰えるのを、きっと、ずっと待っていたのかもしれません」


 こんな夜道の真ん中で何を言ってるんだろうと思ったが、真剣な顔で俺を見ている伊藤さんの顔がそんな照れを許さなかった。


「色々と秘密も多いし、きっと俺の隠していることは貴女を傷つけたり困惑させたりすると思います。だから、そんな秘密を明かせない俺には本当はこんなことを言う資格は無いのかもしれないけど」


 息を吸う。

 不思議と心臓の音は平静だった。


「俺と同じ物を見て、……一緒に生きてくれますか?」

「はい!」


 早い。

 返事のあまりの早さに、全く考えずに返事をしたとしか思えなかったが、なんだかニコニコとものすごく嬉しそうにしている伊藤さんを見ている内に、そんなことはどうでもいいんだと思ってしまった。


 だって世界は今日も美しく、不思議に満ちているんだから。

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