115:氷の下に眠る魚 その一

 迷宮内で使える蓄電装置の企画が潰れた。


 よくあることではあるのだが、うちなんかとは格の違う大手が、同じような発想のパワーバッテリーなるものを売り出したのだ。

 しかもそれは夢のカケラではなく、怪異の素材を利用したものだった。


 迷宮内で倒した怪異は解けるように消えるものだが、どうやらこれは迷宮を維持するエネルギーに変換されているらしい。

 つまり、怪異の素材をタンクに突っ込むだけでいわゆる魔力エネルギーを得ることが出来るのだ。

 魔力エネルギーを電気エネルギーに変換するのはごく一般的な技術だ。

 いわゆる枯れた技術であるので、ほとんどの装置は既存の物が使える。

 そのため安価な商品化に成功したのだ。

 ついでに迷宮の怪異素材の変換炉の特許も取得して、大企業樣は増々潤うということとなった。


 更にはうちがやっていた夢のカケラを元とした蓄電装置には、根源的な問題点が発覚したのだ。

 夢のカケラはどんなに小さくても政府の買取価格は数千円にはなる。

 金にがめつい冒険者がそれを電気製品の電力チャージなんかに使う訳が無かったのだ。

 その事実が発覚したのは、最近になって商品化アンケートとして冒険者に無作為アンケートを実施したからなのだが。

 正直やるならもっと早くやって欲しかった。

 いや、今更言っても仕方ないけどな。


「ハンターの癖にそれがわからないお前もどうかと思うがな」


 流がチクリとそう言った。


「いや、ハンターは現場で得た物資は自分の物にしちゃならんというルールがあるから、純粋に依頼料だけが収入なんだよね。夢のカケラの大きいヤツがとんでもない末端価格だってのは知ってるけど、ちっこいヤツなんて砂利の一個みたいなもんなんだぜ、市場に出回っているとか聞いたことないし」


 俺の言い訳を流は鼻で笑う。


「単に不勉強なだけだな。細かい夢のカケラはエネルギー資材として流通しているぞ。秘境ではちょくちょく小さい迷宮が発生していてそういう迷宮専門の冒険者もいるらしいしな」

「いや、お前こそ知ってたなら言えよ」

「会社の方針に口を出すのは俺の仕事じゃないし」

「わかったぞ、お前、実際に夢のカケラを使った実験が出来るんじゃないかと期待してたんだろう。金持ってるんだから自分でやればいいだろ」

「あれは金があれば使える素材じゃないんだよ。政府の許可が必要なんだ」


 しれっと自白した流はともかくとして、取り組んでいたプロジェクトが流れると課のみんなのやる気が低下する。

 こういう場合、社員の気力を回復させるのも課長の仕事なのだろう。

 プロジェクトの中止を発表した課長は、課のみんなのための慰労会を行うと宣言した。

 つまり飲み会である。


「まぁタダ酒なら歓迎だが」


 いや、厳密にはタダではない。

 毎月密かに徴収されている福利厚生費が出処なので、徴収されていた給与が戻って来るだけなのだ。

 まぁでもタダと考えた方が精神衛生上はいいよな。

 お気楽な佐藤と、新人君が手出し無しの飲み会と聞いて嬉しそうにしている。

 女性陣は嬉しい派と嬉しくない派がいるようだ。


「言っておくが、今回は安い居酒屋ではないぞ。ちゃんとした料理店での慰労会だ。美味い和食で有名な店を押さえた」

「え? マジで!」

「おおおお! 太っ腹!」

「課長ステキです!」


 俄然乗り気でなかった女性陣が盛り上がり出した。

 単に飲み会と思っていた男性陣も更にテンションが上がる。

 かく言う俺もノリノリで課長をヨイショした。

 美味い飯に美味い酒という組み合わせは大歓迎だ。 


「うむ、なんと最近評判の創作和食の『憩』の宴会用和室を予約した。身内だけだからちょっといい店だからってあまり気張った恰好で来なくてもいいぞ」

「えっ! 憩ですか! あの中央グルメスポット50のベスト10に入ってたお店じゃないですか! やった!」


 おお、女子がハイテンションになった。

 女の子って食べるのが好きだよな。

 伊藤さんが御池さんと手を取って喜び合っているのを見て、俺はほのぼのとした気持ちになったのだった。


 かくして慰労会の日となって、一度家に戻って準備をする俺と違い、隔外の伊藤さんは仕事帰りからそのまま行くらしく、退社時に俺に駆け寄って来て心配そうに聞いて来た。


「荷物をお部屋に置かせてもらっていいですか?」

「ええ、どうぞ」


 美味しい料理が楽しみなのか凄くニコニコしている伊藤さんはまるで十代の少女のようで可愛い。

 俺の後ろをトコトコついてくるのもなんとなく心がほのぼのするな。


「木村さん楽しそうですね。あんなお店個人じゃちょっと足が向かないですもんね」

「まぁ確かに一人でとか友達ととかで行くような店でもないよな」


 いつものバックと違って大きめのボストンバックを抱えている伊藤さんはなんとなく普段より小柄に見える。

 荷物を持つと提案したのだが、きっぱりと断られてしまったので、仕方なく歩幅を加減してさりげなく車道側をカバーしつつ歩いた。


 楽しく話をしながらの帰路は短く、部屋についた俺は軽く顔を洗って身だしなみを整えて出立するつもりだったのだが、伊藤さんの衝撃発言で慌ててしまった。


「あの、着替えをしたいのですけど、いいでしょうか? 出来ればシャワーも使わせていただけると嬉しいんですけど」

「えっ! ああ! そうだよね。あ、冷蔵庫にミネラルウォーターが少なくなってるし、俺ちょっと買い出し行って来るからその間にどうぞ」


 よく考えたらまだ慰労会の始まる時間まで結構ある。

 慌てる必要もないし、明日は休みなんだからある程度買い物をしておこう。


「あ、私も手早く終わらせますからそんなに気を使わなくてもいいですよ」

「あ、うん。大丈夫! そう言えば卵も切れてたし!」


 自分でも何を言ってるのかわからなかったが、とりあえず自分の部屋を飛び出すと、近場のスーパーに向かった。

 今日は慰労会ということで仕事も全員定時に終わっている。帰宅時間が早いので、いつもは閉店ぎりぎりで間に合わないことも多いスーパーも開いている。

 めでたい。


「卵ひとパック99円か、週末だから安いのかな?」


 なんだか主婦で混雑しているスーパーを泳ぐように歩きながら、必要そうな物をカゴに放り込んでいく。

 今、伊藤さんがうちのシャワーを浴びているのか。

 いやいや、何考えてるんだ、俺。

 そもそも伊藤さんがうちの風呂に入るの初めてじゃないし。

 そうだ、前に泊まった時に入ったはずだ。

 俺が入るように勧めたからな。

 俺自身は腹痛で半分意識が吹っ飛んでたからよく覚えてないけど。


 はっと気づくと、カゴの中にいつの間にか必要のないセール品などが入っていたのでそれらを元に戻す。

 いかん、ボーッとしている場合じゃない。

 伊藤さんをあの部屋に一人でずっと放っておくのはよくないだろ。

 もしかしたら浩二がいきなり入ってくるかもしれないんだぞ。


 そんな風に考え出したら急に不安になって来て、俺は慌てて会計を済ますと家へとダッシュで戻った。


「ただいま、入っても大丈夫ですか?」


 リビングに続く扉の前で急に不安になった俺はノックして声を掛ける。

 ふわっと人の動く気配がした。

 他の誰とも違う柔らかい動きだ。


「あ、お帰りなさい。荷物あるんでしょう? 今開けますね」


 扉が開くと石鹸と水の香りがした。

 伊藤さんはスーツ程堅くは無いが、普段着よりもちょっとよそ行きの大人っぽい服装に着替えている。

 俺は自分の顔が赤くなるのを必死で押さえた。

 冷静になれ、俺。

 買い物用ふろしきには卵が入ってるぞ!


 一瞬、抱きしめたいと思った自分を抑えて、買い物用のマイふろしきを抱えて部屋に入る。

 テレビジョンを点けるでもなく、あまり物のないしんとしたリビングは室温は適温になっているものの寒々と感じた。

 こんな所で一人で待たせてしまった自分を反省する。


「まだちょっと時間がありますね。今の時間じゃあんまり面白い物もないでしょうが、テレビジョンでも点けておきますか?」


 ふよふよと二匹の蝶が飛んで来てお互いにじゃれるようにクルクル回ると、またふよふよと向こうへと行った。

 蝶々さん達は自由だな。

 うちの蝶々さんも最近はもう俺のプログラムとは全く違う動きをするようになってしまった。

 明らかに由美子の式の蝶に影響されている。


「この子達を見ているだけでけっこう楽しめましたけど、……あの、もしよかったら私、見たい物があるんですけど」

「なんでしょうか?」

「あの、ですね、木村さんの作った玩具からくりをもっと見せて欲しいんです。凄くぶしつけなお願いだってわかっているんですけど」

「え……」


 ドキリとした。

 ずっと密かにコツコツと作り貯めてた玩具からくり達。

 俺以外の誰にも関心を持たれるはずもなかった宝物。

 それは俺にとって、叶わない夢の象徴のような物だった。

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