閑話:冬の速贄

 一夜の騒ぎは去って、普段はその存在すら忘れていたシェルターに避難して不安な夜を過ごした人々も、ホッとしたような、或いは逆に苛立ったような表情で朝の光を浴びた。

 昨夜の避難騒ぎを、政府の陰謀説、もっと穏当な所では選挙のための点数稼ぎだと糾弾する者が早速現れたり、携帯端末で撮影したグールの映像がグローバルネットの投稿用の共有広場で流されたりと、異質な出来事を自分なりに消化して、人々の意識は早々に日常へと復帰しつつあった。


 だが、そんな喧騒の戻った街の一画、この中央都市独特の、複雑に張り巡らされた地下街の片隅で、ひっそりと異変が生じようとしていた。


 夜には賑わうのであろう地下の飲み屋街、そこを照らすのは街灯と違い何の効能も持たないただの灯りだ。

 その安っぽい灯りも、メンテナンスの不備を訴えるかのように、そろそろ寿命を終えようとする最後の力で瞬いている。

 地下街は朝となっても外の光が届かないがゆえに、24時間いつでも点けっぱなしの電灯の寿命は短く、気の利く者の少ないこんな場所では切れるまで放置されることが多いのだ。


 そんな灯りに一匹の大きな蛾が戯れるように寄って行き、光を隠すその影が、実体を数倍大きくした姿で壁に黒々と描かれる。

 影は何度かの歪みを繰り返して、蛾からコウモリへと変化した。


「さすがは僻地たる最果ての島の民よ。我ら吸血の民バンパイアの倒し方も知らぬと見える。愚かな」


 クククと笑う声が、厚く打たれたコンクリートの壁に響き、ひとけのないその場所の静寂を揺らす。

 影は一瞬人型になるものの、やはりまだ力は足りないのかその姿はコウモリのままであった。

 そこへ、コツリコツリと硬い床を硬い靴底で踏みしめる音が届いた。


「人、か。丁度よい。力を取り戻すための最初の贄となってもらおう」


 コウモリは、その性そのままに天井の暗い隅へと移動すると逆しまにぶら下がる。

 その間にも足音は近づき、点滅する灯りが頼りなげに照らし出す姿も次第に明らかになって来た。


 そこにやって来ていたのは一人の男だった。

 仕立ての良いスーツを纏い、ぴったりと着こなした姿はビジネスマンというよりホストのようにも見える。

 場所柄としては相応しいとも言えた。


 しかし、近づいて来る男にはただのホストには決して見えないような、強烈な存在感があった。

 誰もが思わず振り向かずにはいられない魅了の力じみた暴力的な気配だ。

 だがそれも、場所柄にふさわしくないとは言えない。

 その他者を惹きつける雰囲気は、強い雄の気配であるからだ。


 やがて瞬く光の中に顕になったその男は、目を向けた者がハッとするような美貌の持ち主だった。

 だがその美しさは都会的な、言ってしまえば軟弱な部類の物ではない。

 野生の、獣達がその身に纏うような、本能に訴えかける美しさだ。


「悪くはない余興だった」


 男は唸るような低い声でそう言い放つ。


「虫カゴに入り込んだ無粋な蜘蛛をあえて放置したのは、安寧の日々に翔ぶことを忘れた羽あるものたちに危機感を抱いてもらいたいがゆえであったが、思ったよりも上手く働いたようだ。褒めてやろう」


 天井の暗がりに貼り付いたコウモリは、硬直したようにぴくりとも動かない。

 だが、男はその姿を見て、口角を上げて笑ってみせる。


「何か言いたそうだな? だが、すまんな。我はどうも化け物というモノがあまり好きではないのだ。醜悪で愚かで目障りだからな」


 言葉の内容とは裏腹に、男は機嫌がよさそうな笑顔で続けた。


「そもそも貴様、我が箱庭に入り込んだ時からわかっていたのではないか? もしわかっていなかったのだとしたら愚かも過ぎると云わざるをえないが、まさかそこまで愚かでもなかろう。聞く所によると我よりずっと長生きをしているそうではないか」


 クククと喉で笑って男は続けた。


「まぁ馬鹿がどんなに長く生きようと馬鹿は馬鹿のままなんだろうがな」


 獰猛な、肉食の獣の笑みとなったその顔を照らして、電灯はとうとうその寿命を終えた。

 パチリと小さな音と共に細々と保たれていた光は耐え、薄くぼんやりとした影に呑まれる。

 暗く薄い闇に沈んだそこで、バリバリと、まるでスナック菓子を食むような音が響き、ごく短い時間の後、硬い足音が再びコンクリートの床を歩き出す。


 出口近くの、こちらは外光が入る場所にはやや大げさなほどに煌々とした電灯の光に照らされて、一人の女性が佇んでいた。

 エンジの飾り気の無いスーツ姿の、ほっそりとした存在感の希薄な女性だ。


「主さま……」

「どうした? 戯れを責めるか?」

「まさかそのような」

「偶には俺を詰ってもいいのだぞ。少なくともお前にはその権利はあるんじゃないか」

「考えたことすらありません」


 男は儚い花のひと枝のようなその女性をそっと抱き寄せると、薄く、酷薄な笑みを浮かべる。


「見ろよ、人間達の逞しさを。少々間引きした所で揺らぎもしねえ。だがまぁ」


 男は酷く嬉しそうに言葉を続けた。


「本当の意味で変わらないものなどない。投げ込まれたたった一つの小石で変わる流れもまたあるだろうさ」


 ―― ◇◇◇ ――


「特区は驚く程通常運行のままだったな」

「ここの連中の大半はグールなんて屁とも思っていませんからね」

「表現が下品だな」

「育ちが悪いんですみませんね」


 中央都を震撼させたグール騒ぎは、そのほとんどを軍が仕切ってしまい、古巣である怪異対策庁はその実情の把握に苦心しているという愚痴を元部下からさんざん聞かされた酒匂は、苦い笑みを浮かべて眼下の特区の様子を眺めていた。

 迷宮攻略のための、通称冒険者特区は、壁の外の騒ぎを知りながらも全く我関せずと腹立たしい程いつも通りに過ごす冒険者で溢れている。


 自らも冒険者上がりであるという秘書官が、どちらかというと外の連中に近しい心境で話し相手を務めていた。


「ここでは外がどうだとかより、迷宮の二桁台のゲートが開放されたというニュースのほうが大事なんですよ」

「確かにそうだな」


 酒匂は苦笑する。

 犠牲者のために鎮魂の祈りを捧げる者など、この場所には自分以外存在しないのかもしれないと寂寥の思いを抱いたが、外に肉親知人を持つ庁舎職員や特区の店舗の従業員などのことを考えて首を振る。

 もちろん、どこかで誰かが辛い想いを抱えているに違いないのだ。

 自分だけが特別と考えるのは傲慢に過ぎない。


 もっと早く動いていたら多くの犠牲を避けられたはずだと、いつもの通りマスコミは政府を叩くだろう。

 確かに後から考えればいくらでもIFを考えることは出来る。

 だが、過ぎ去った悲劇を消すことは誰にも出来はしないのだ。

 救えもしない命を惜しむのは、むしろ愚かさであると冒険者ならば笑うのだろう。


「むしろ、我々は冒険者にならうべきなのかもしれないな」

「ダメですよ、トップに立つ人には体裁というものがあるんですから」

「なるほど体裁か」

「そうそう、体裁は大事です。特に政治家は」


 酒匂は驚いたように自らの秘書官を見た。


「私はどちらかというと叩き上げの官僚の気分でいたのだが、君から見ると政治家に見えるのか」

「いえ、閣下。大臣ともなれば立派な政治家ですから。誰がどう見てもそうですからね? 顔出ししてことが起これば首を切られる。怖い政治家の世界のトップ付近にいらっしゃるんですよ? 自覚お願いしますよ」


 ふうと、息を吐くと、酒匂は窓から身を離した。


「まぁこの首ぐらいいつでもくれてやるが。自分を偉いと思ったら人生は終わりだよ」

「不思議な人生観ですね」

「現実だよ。あんな物を間近で見ていれば誰だってそう思うさ」


 遠景に、一つの本来存在しないビルが見える。

 存在しないが、存在する。

 この地とそこに暮らす人々を睥睨する『迷宮』を、酒匂は厳しいまなざしで睨みつけたのだった。

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