114:明鏡止水 その十八

「ああああ! 主なる御方よ、この暗闇を清浄なる光にて満たしたまえ!」


 悲鳴じみた祈りが放たれるが闇を裂く光は降臨しない。


「カカッ、ここは闇の世界、光なぞ入り込む隙間などないわ。絶望しろ人間よ。弱く、脆い貴様らが必死に生き足掻く無様さだけは賞賛すべきものがあるからな」


 楽しげに、鼻歌でも歌い出しそうな口調で近づく気配。

 ひんやりとしたその気配は熱を持たぬモノ達独特のものだ。


「おい、てめえ。人間を道具のように使ったあの冒険者はどうした? 仲間だったんだろ?」


 全身を這い回る闇の蛇が熱を奪い、思考や意思を食い荒らす。

 見えて感じるのに掴むことの出来ないその蛇たちは、恐怖や焦燥といった人の闇に通じる感情を辿って魂に入り込み、喰らい尽くして生きた死者を作り出すのだろう。

 俺はこの音も匂いもない攻撃に埋め尽くされようとしながら、闇の向こうにいるこの場の支配者に問い掛けた。


「仲間? おかしなことを言うな。仲間とは人間と人間の繋がりを言うのだろう? 人間と怪異の関係は捕食者と被捕食者の関係にすぎない。人間だって役に立つ豚を飼っていたとしても、食べどきになったら肉として食卓に乗せるであろうに。実にシンプル、明確な関係性ではないか」


 人には有り得ない熱のない声が淡々と紡ぐ言葉に、俺は怒りを通り越した冷徹な思いを抱いた。


「それは殺して喰ったという解釈でいいのかな?」

「生かしておく理由が無くなったのだから当然だろう?」

「なるほどな」


 なまじ言葉が通じるからこそ、その異質さは際立つ。

 こいつは人ではない。

 当然のことながらそれがひしひしと実感出来た。


「うわああ! ひいっ!」


 闇の向こうから我を失ったような悲鳴が上がった。

 さすがのワンコも神の威光の通らない闇の支配圏では分が悪いようだ。

 いそがないといつまで正気を保っていられるか心配だ。


「ふむ、どうも君は消化が悪いな。まぁいいか。我が故国にも我らに対向する特殊な血統はいるのだが、肉体は人並み外れて強くとも精神はやはり少し頑丈なだけの人間にすぎないからな。結局人間の精神は脆弱でいつまでも我慢が続くものではないのだよ。いや、長く苦しんでくれるほうが私としても楽しめて嬉しいのだけどね。強く硬いものが折れる瞬間の絶望は特別甘美なものだしね」

「へえ?」


 奴の気配が俺の間合いに入った瞬間、俺は全身のバネを使って奴に飛び掛かった。

 案の定野郎は食事のために実体化をしている。

 俺の両手には確実に奴を捉えた感触があった。


「む? 貴様なぜ蛇がきかん? 精神を持つ者ならば闇の蛇に侵されれば動けんはずだぞ」

「はっ! この程度の闇の蛇がどうしたって? うちにはもっと陰険な影使いがいるんだよ! 毒も無い精神攻撃だけの蛇なんざ枯れ草の草原を歩くようなもんだぜ!」


 身内にすら容赦のないうちの弟は平気で影の蛇に致死の毒を仕込むからな。

 いや、あれは身内だからこそなのかもしれんが。


「まあいい。人間ごときの力、多少特別な血をもっていようと我に及ぶと思い上がらないことだな」


 奴は俺の掴みかかった両手を逆に掴み取ると、怪異である所以ゆえんの肉体の制限を受けない力を込めて握り潰そうとして来た。

 実体化した怪異は肉体を持ち、それに準じた弱点は持つものの、本来の生物の法則には一切当て嵌まらない馬鹿げた性能を持っている。

 それにしてもこの怪力といい、さっきの霧の投影といい、こいつの正体は確定だな。

 そもそもあの腐れ冒険者野郎は迷宮で吸血鬼の力を使っていたし、グールと一緒に下等な吸血鬼がいた時点で当然の話なんだろうが、思い込みは怖いからな、実際に遭遇するまではあらゆる可能性を考えるようにしている。


「てめえ吸血鬼か。それも二世代以下じゃない始祖だな」

「ご名答。このような僻地でよく我を看破した。褒美に我直々にその血を啜ってやろうぞ」

「遠慮させてもらうぜ」


 力ではそれなりに自信がある俺が押されている。

 生臭い息が間近に感じられ、背中にぞっと冷たいものが走った。

 こいつに喰われて下僕になるのだけはごめんだ。

 人間の魂の闇を弄び、それどころか死した肉体をも好き勝手に操る。

 こんな存在を許す訳にはいかない。


 俺の中の血に宿る熱が全身を炙る、戦いの時独特のあの感覚が強くなった。


「ぐああああああ!」


 意図せず吠える。


 体が膨れ上がるような感覚。

 炎に炙られるような痛み。

 全身を覆っていた凍りつくような闇の蛇共がその熱にあてられたかのように溶け消えて行く。


「ぬう? 貴様っ!」


 奴が驚いたように一瞬たじろぎ、余力を残しながら嬲っていたその余裕が消える。

 自分の筋肉が、肉体が、組み変わるのを感じる。

 ギシギシと音を立てて膨らんだ体が、硬く鋭くなっていくのも感じ取れた。

 己の血に組み込まれた人外の力。

 ずっと厭ってきたその力だが、この『敵』を倒すには必要な力だった。


「化け物め!」

「てめえが言うのかよ!」


 人の及ばぬ人外のモノ達。

 それに対抗するにはその人外の力に人の魂を乗せればいい。

 そんな馬鹿げたことを考えただけでなく、実行した者達。

 そしてそのために犠牲となった多くの者達。


 哀しい程に愚かで、狂おしい程に偉大な、そんな者達の望んだ存在が俺だと言うのなら、それはそれで仕方がないのかもしれない。

 そんなにまでして生きようとした、いや、未来を生かそうとした者達の望みにどうして背くことが出来るだろうか。


 人が好きだ。

 狂おしい程に。

 それが例え作られた感情だとしても、その想いが自分のものであることに間違いはないのだ。


「消え失せろくされ外道! てめえに弄ばれるために生まれた人間なんかいねえんだよ! おとなしく故郷の闇の底へと還るんだな!」


 互いに組み合う手がまるで冗談のように実際に火花を散らして耳障りな音を立てた。

 足元で地面が徐々に崩壊する感触がある。


「生意気な人間モドキめ。貴様は解体して我が居城にオブジェとして飾ってくれるわ」

「さすが最悪な趣味だな、化け物が!」


 せめぎ合う力の余波に、閉じた空間だった洞穴にヒビが入る。


「闇は光に消え去らん! 聖なる楔よ土塊を砕け!」


 戦いに力を集中したせいで吸血鬼野郎が闇の蛇のコントロールを失ったのか、復活したワンコがその機に乗じて術式を発動させた。


「ぬうっ」

「ちょ!」


 土に囲まれた空間の崩壊が始まる。

 とは言え下手に気を抜くと力負けしてしまうので逃げることも出来ず、俺は吸血鬼野郎と組み合ったまま降り注ぐ土砂を浴びた。


 あの犬野郎、俺を一緒に始末するつもりじゃねぇだろうな!

 後で覚えてろよ!


 幸いにもというか、洞穴を埋めた大量の土砂は俺と吸血鬼野郎の周りから吹き飛ばされる結果となった。

 互いに崩壊を好機とばかりに仕掛け合った結果である。

 それまで感じることの無かった風がふわりと通りすぎて、外へと抜け出たことがわかった。

 ただし外も夜なので、真の闇とまではいかないが、暗いことには変わりがない。


 いや……。


「穢れし誘惑者の醜き姿を明らかに、天よりの裁きを示したまえ!」


 ガガガッ! と銀白の光が周囲を覆い、焦げた匂いが漂う。

 うお! 目が痛え!


「がああああ! 貴様ぁ! 卑しき神の下僕めが!」


 どうやらワンコがここぞとばかりに神の御力とやらを奮い、吸血鬼野郎がそれなりのダメージを負ったらしい。

 てか俺もなんかちょっぴり痺れてるぞ。

 ちょっとイラッとしたものの、それどころではないので気配で吸血鬼野郎の居場所を探ると、全力でタックルを食らわす。

 さすがにその状態では避けきれなかったのだろう、野郎はまともに食らって吹っ飛んだ。

 ついでに野郎の片腕も千切れ飛ぶ。

 その腕からは血が出ることもなくバラバラに崩壊すると、更に細かく崩れ去り、風に飛ばされて行った。


「おのれ! 僻地のサル共が調子に乗りおって!」


 長い牙、やたらとデカイ赤い目、いびつな人型だからこそ尚更こっけいな姿の怪異がそこにいた。


「闇は闇に、土塊は土塊に、本来の姿に戻るんだな!」


 俺はナイフの術式を起動する。

 赤く燃える刃が人間の首にあたる部分を切り離した。

 だがソレは切り離されて尚もしぶとく蠢いている。


「貴様もバケモノだろうに正義の味方ごっこか、滑稽だな」


 人間の一部を模したオブジェのようなモノは、その口らしき部分をぱっかりと開けてゲラゲラと笑う。

 そこに被さる背後の月によって出来た己の影は、なるほど奴の言うように人間の姿をしてはいなかった。


 壊れた玩具のような吸血鬼の成れの果てをぐしゃりと踏み潰す。

 足の下で脆く崩れる感触が妙に気持ち悪かった。

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