113:明鏡止水 その十七

 この公園は中央でも大きめの、美しく整えられている都公園だ。


 常緑の小さな木立がいくつか飛び地として点在し、その木陰に木製のベンチが配置されている。

 その合間を縫う道はぐるりと公園を巡っていて、変化のあるランニングコースや散歩のコースとして利用されていた。

 中心には広くなにもない芝生の地面があり、時々イベントに利用されたり、普段は都民の恰好の遊び場として機能している。


 今の時間はもうすっかり夜という感じだ。

 立ち並ぶアンティークな形をした街灯はチカチカと瞬いて不安定な光と守護を投げている。

 ゴミひとつない管理された公園にしては不自然な不備だ。


 木々の間をさやさやと風が吹き抜けて、頭上には柔らかな月の光、普段ならまだ犬の散歩やウォーキングの人の姿がある時間だが、さすがに今は人影はない。

 いや、それは今だけでは無かった。


「不自然か、なるほど、あまりにも整然とした気配を逆に不自然に感じるべきだったということか」

「本来人が生活する場には必ず淀みが出来るものですからね。とは言え、この場の整え方は極力不自然さを排除している。恐らく敵は大物ですね」

「大物、ね」


 俺は内心ムカついていた。

 この中央都に迷宮を造って居を構えている偉そうなバカは何やってるんだ? 自分の縄張りにこんな風にデカイ顔でのさばられて放置しているとはね。

 年寄りだけにボケたのか? 気まぐれの変態野郎が、自分の縄張りも守れないとは怪異も長生きしているだけじゃダメだな。


 胸中で終天に罵り言葉を知る限りぶつける。

 とは言え、下手に終天が縄張りを主張してこの闇系の怪異とぶつかったら中央都は何も残らない更地になってしまう可能性が高い。

 いっそ奴は何もしないほうが人類にとっては幸せではあるのだ。

 とは言え、理屈と感情は常に同じ結論に至るわけではない。

 心の中で悪態を吐くぐらいいいだろう。


「その問題のモニュメントとやらはどこだ?」


 教会の牧童ことワンコが偉そうにそう聞いてくるが、実のところ俺もそんな物がこの公園にあることを知らなかった。

 公園の見取り図にも記載されていないし、あの老女に聞くまでは全く考えつきもしなかっただろう。


 そのモニュメントは、公園に設置されている二つのトイレの内、木立の中に設置されているほうの裏手にあるらしかった。

 水神だから水回りの傍にという考えなんだろうが、あまりにもあまりな扱いと言える。


「こっちだ」


 昼間ですら薄暗い木立の中心は、夜となって更に暗く、しかもただそれだけではない暗闇の中に沈んでいる。


「暗い、な」

「暗いどころか認識が通らないぞ」


 神の信徒は闇を嫌うというが、ワンコ野郎の口振りには憎々しさが溢れている。


「闇の中では主神のご威光が通らないとか?」

「バカを言うな! 主のご威光の照らさぬ場所があるはずがない!」


 単純に好奇心で聞いたのだが、それに返って来た答えは噛み付くような否定だった。

 こいつ心が狭いな。


「ふーん」


 よし、こいつ放置しよう。

 意思の疎通が困難な相手と連携が取れるはずもない。

 各々好き勝手にやったほうがいくらかマシだろう。

 案外浩二の奴もそう考えたからこそ、邪魔なこのワンコ野郎をこっちに寄越したのかもしれない。

 そう考えると腹が立った。

 絶対文句を言ってやる。


「それにしても貴殿の女は冷たいものだな。あっさりと避難所に行って心配する様子すら見せなかったじゃないか」

「お前、人に信頼されたことないのか? まぁ当然か実力なさそうだもんな」


 いきなり伊藤さんのことを悪く言われてついカッとして言い返してしまった。

 

「なんだと!」

「この程度で気を乱すとか、おいおい大丈夫か? お前らお犬様達は神の器とやらなんだろ? 神への愛ではなく他人への怒りで心を満たしていちゃ使い物にならないんじゃないか?」

「貴様、悪魔の眷属のくせに人間らしい言葉を語るじゃないか。闇の魔物よりも貴様を先に滅するべきなのかもしれんな」

「さてはて、客が来たと思って出迎えの準備をしていたのだが、門前で争いを始めるとは嘆かわしい。さすがは海に浮かぶ小島の民だ。下品きわまわりない」


 馬鹿を煽っていたら更なる間抜けが姿を表した。

 闇の中、俺の目でも見通せない濃い影が小さな渦を巻いたと思ったら人型と化す。

 どうやら敵の大将が放置が我慢できずに顔を出したらしい。


「我慢の出来ない奴はいつだって失敗しちまうもんだぜ?」


 体を向ける、踏み込む、ナイフの術式を起動して突く。

 考える前に動ける程馴染んだ動作で奴の心臓を狙う。


 本来人型の怪異の弱点は人に準ずる。

 上位怪異の下僕たるグールはその原則から離れているが、怪異の見た目と弱点の関係は、ほとんどの存在に当て嵌まる。

 こいつが死霊術士か吸血鬼かは知らないが、つまりは心臓を破壊されれば致命傷に近い被害を被るということだ。


 だが、必殺の鋭さで突き出された俺のナイフは、手応えなくその野郎の姿をすり抜ける。


「投影か」


 なるほど渦を巻いていたのは霧か。

 そこに自分を投射している訳だ。


「臆病者のやりそうなことだな。……あまねく闇を払う我らが主なる御方よ、穢れし地に祝福を」


 ワンコが聖印をかざしながら聖句ホーリーワードを唱える。


 連中の創り出した神のシステムは実のところよく出来ていた。

 信者によって共通概念として「存在」する神という力に信仰心とキーワードでアクセスしその力を現世に顕現させる。

 一人一人の信者の信仰心はほんの僅かでいい。

 信じる者が増えることによってその力は恐ろしく強大なものになり、本物の奇跡を起こす。

 そんな、人造の神という存在は、人間の生み出した様々な武器の中で、最も強力で恐ろしい力なのかもしれない。

 ただ、多くの人間の意識を撚り合わせる必要があるからこそ、そこには様々な制約が必要となった。


 周囲にふくいくたる香りが漂い、夜目の効く俺にも見通せなかった闇が薄っすらと照らされる。

 信者の少ない我が国において、彼らの神の力はそう大きくは無い。

 だが、それでもこうやってその力の一端を及ぼせるのはさすがではある。


 闇の中、そこだけ浮かび上がっていた人影が消え去り、木立の奥、公衆トイレの裏手からひどく耳障りな音が聞こえて来た。

 ズルズルと、重い何かが這いずる音。

 黒い影が、枯れ果てたクローバーの残骸の覆う地面を素早く這い寄って来たのだ。


「また傀儡か! 本当に臆病者だな、てめえ!」


 その水の気配は、元々の守り神であったはずの水神だろう。


「おやおや、貴様らを永く護った神だぞ? 恭しく、丁寧にお迎えするのが作法だろうに」


 ねっとりと響く声、というか思念。

 音で聞こえる声の方はどうも馴染みがない言葉だ。

 やっぱりあの外道な冒険者が連れ込んだ異国の怪異なのだろう。

 しかし怪異と人間が本当の意味で協力することなど到底出来ない話だ。

 あの自己主張の激しい男の姿が見えないということは、既にこいつに呑まれたか?


「ふん、私にとっては全て悪魔の眷属にすぎん。諸共に滅びるがいい!」


 教会のワンコはそう忌々しそうに吐き捨てると、腰から剣を抜き放つ。

 俺が警告を放つ間もなく、素早く踏み込むと這い寄る影の蛇を切り裂いた。

 その瞬間、周囲の風景が溶けるように崩れ、辺りは暗闇に包まれる。

 冷たくも優しく吹き抜けていた風も、天上に輝いて地上を照らしていた月も、全てが消え去り、息苦しい程の閉塞感が四方から襲って来た。

 闇を透かして周りを見渡すと、そこにあったのは異なった層の積み重なった岩肌だった。


「なんだ! 悪魔の攻撃か!」

「洞窟だな、これは」


 濃厚な水の気配がする。

 どうやらあの水神様の縄張りのようだ。

 つまりはあの水神の影はここに俺たちを招くためのお誘いだった訳である。

 まぁよくあることだ。

 怪異は己のテリトリーを持つものだし、そこでこそ本来の力を発揮するものなのだ。

 俺たちはまんまと敵のホームグラウンドへと戦いの場を移してしまったのだった。


 ピチョン、と、どこかで水滴の落ちる音がする。

 ザワザワと周囲から何かが寄って来ていた。

 これは見ないほうが幸せかもしれないな、と、俺がそう感じた瞬間、ワンコが叫ぶ。


「光の主たる御身の御力をここへ!」

  

 ワンコ野郎の掲げた手に光が灯り、一瞬、闇に慣れた目が眩む。


「うわあああああ!」


 ワンコの叫び声に嫌な予感がいや増して、げんなりしながら周囲を見渡した。


 それは小さな蛇だった。

 一匹一匹は子供がつまんで遊ぶような可愛らしいものだが、それが幾万、幾億という数で閉鎖された空間にびっしりひしめいているのを見ると、可愛いという感想はさすがに浮かばない。


「気持ち悪い」


 正直な気持ちを吐露してみました。


「それらは影だ。実体は無いが貴様らの体内に潜り込み、体内を侵食するぞ。その苦しみは壮絶だ。お前達が苦しみのたうつのをたっぷりと愉しませてもらった後は、その体を再利用してやるから光栄に思うのだな」


 どうやらやっと黒幕本体のお出ましのようだ。

 しかも趣味が最悪な奴っぽい。

 俺とは話が合わないタイプだな。


「悪魔め!」

「ククッ、貴様、神の下僕とやらか。全く神様とやらは素晴らしい存在だな。おかげで我の闇は更に濃くなり力を増したぞ。まさに神サマサマだ」


 闇の怪異はゲラゲラと下品な大声で笑った。

 

「おのれ、穢れし悪魔の分際で我が主を愚弄するか!」


 ワンコは大層お怒りだ。

 でもまあ奴の言い分もあながち間違ってはいない。

 人造の神を絶対的な存在としたために、彼ら正統教会の世界は完全に善悪に二分された世界となってしまった。

 それは中庸を許さない世界。

 光が強ければ強い程、闇はより濃く、深くなった。


 それこそが精霊信仰の国々がどうしても教会を受け入れられない理由でもある。

 本来怪異の全てが人間の敵ではない。

 しかし、正統教会の教えでは全ての怪異は悪魔であり、神の敵として殲滅すべき存在なのだ。

 だが、光だけの世界に人間は存在出来ない。

 つまり人間が存在している時点で、永遠に闇は消えないという矛盾を彼らの創り出した神は抱えているのだ。

 結果として、教会の支配する国々では敵対する怪異はより強力になってしまったのである。


 だが……。


「おい、てめえ。てめえ、こうやってみんなを殺したのか? まだまだこの先、平和に幸せに暮らすことが出来たはずの人をそんな風に苦しめて殺して、しかもその体をてめえのおもちゃにしやがったのか?」


 這い回る蛇の群れも、馬鹿げた宗教論議も、本当の所どうでもよかった。

 俺の下っ腹の深い所で、ふつふつと熱い塊がその温度を上げていくのを感じる。

 奴の存在が近いのが理解わかる。

 鳥肌が立つ、その存在の違和感。


 公園で主人を待って腹を空かせて弁当をあさっていた犬。

 ベンチにちょっと置かれただけといったカバン。

 永遠に失われたその先にあった何かに、例えようもない悲しみが沸き起こる。

 そして、それを超える怒りが。


 許さない。


 その瞬間、俺の意識を支配したのは、その言葉だけだった。

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