112:明鏡止水 その十六

 その男はグールの群れの後方から、まるで障害など何も存在しないかのようにゆったりと歩いて来た。

 胸に揺れる大ぶりの木製の聖印、やたらと存在感を放つ両手の黒手袋、明らかに正統教会の牧童シープドッグだ。

 ついでになんとなく見覚えがあるような気がする。

 うーん、はっきり覚えていない、もしかしたら別人かもしれないな。


 群れている背後から近づいたその人間に対して恐怖など感じる理由など無いグール達は、獲物が自ら食べられに来たとばかりにその存在に殺到しようとする。

 そこにあるのは期待に満ちた、いっそ無邪気なほどの笑い声と歓迎の言葉だ。

 そしてその騒ぎのせいで背後の人間に気付いていなかった他の多くのグールも振り返った。


「人と同様の知能があるとは言いながらも本能を抑え切れない。……所詮は獣だな」


 その男、正統教会の犬は、素早く空中に聖印を切る。

 流れるようなその動きはその男がかなりの手練れであることを示していた。

 その素早く展開した防御陣で、男に殺到したグールがつんのめるように動けなくなる。そこに押し寄せた後続のグールが折り重なって、次々と続く背後からの同類に抑えこまれてしまう。

 いわゆる将棋倒しの状態だ。


 相手がどんなつもりであれ、これは好機だった。

 俺はその機を逃さずグールを攻撃する。

 手持ちがナイフだけだが、グールの弱点はその神経伝達系の脊髄だ。

 心臓などの臓器を攻撃しても大して効果がない反面、頚椎を断つことで無力化出来る。

 足を取られ、身動き出来ないグールなどもはや的のようなものだ。

 おかげで簡単に手前の数体を倒すことが出来た。


「教義に従って奉仕活動中ですか? 神の下僕しもべどの」


 俺なりに感謝を表してそう言うと、男は一瞬顔をしかめ、すぐに表情を消してこちらに一礼してみせた。

 そんな風にこちらに対しながらも、その間にグールから距離を取って飛び退る。

 気づくとその飛び退った刹那の間に数体のグールの首が飛び、防御陣の支えが無くなった体が崩れ落ちた。

 生き残ったグールは、人間とは桁違いのその身体能力で団子状態から抜け出し、手近な順に敵である俺とその教会の犬とに向かう。

 仲間がどうなろうと好戦的な様子にはいささかの動揺もないようだった。

 教会の犬が言うように、人間並の知能があると言っても所詮はグールということだ。


「借りを返しに来ただけだ。貴殿の弟に言われてね」

「弟?」


 ん? なんでそこに浩二が出て来るんだろう?

 あいつは位置的に軍隊と同行しているっぽいんだが。


「失態を犯した私は懲罰を受け、任を解かれるはずだった。だが、貴殿の口添えでそれを免れた。現在は罪の贖いのためにこの国の軍で奉仕者として修行のやり直し中だ。おかげで今回神の敵である悪魔と戦えるはこびになったのは、神のお導きであろう」

「はあ」


 ええっと、これはお礼を言われてるって訳じゃないよな。

 いや、もしかして遠回しな礼なのか?

 てかこいつやっぱり前伊藤さんちに来た教会の犬かよ。


「そこで出会ったのが貴殿の弟だ。曰く、私には返すべき借りがあり、貴殿は常に最悪な時に最悪な場所にいるという性質がある。助勢に赴くのは互いにとって最良の結果になるだろうとのことだった」


 浩二、あの野郎。

 あいつ自分の兄貴をなんだと思っているんだ?

 別に好きでいつも変な場所に迷い込む訳じゃねえよ!


「それはどうも、とんだ貧乏くじだな」


 俺の言葉に、教会のワンコは携えた細身の剣を抜き放ちながら笑って見せた。

 それは直前の表情のない顔からは考えもつかない程に獰猛な笑みだ。


「まさか。最悪なる場所とは悪魔共の群れなす所。悪魔を滅するのが役割の私からすればその場にあることこそ我が使命。貴殿を一時は恨みもしたが、こたびは感謝をしてもいいとすら思っているさ」


 恨んでたのかよ! 逆恨みだろ!

 てかまだ感謝はしてないんだな。


 奴の剣閃と共に多くのグールが崩れ落ちる。

 どうやら実力は確かなようだ。


「我が主よ、あなたの剣となり地上より穢れし者共を打ち払いし我に御力を!」


 おおすげえ、首以外を斬ってもグールの傷口が再生しない。

 あれが噂の聖剣という神技か。

 アンナ嬢の魔法からすると地味だが、戦い方としてはこいつのほうが洗練されているかもしれない。


「無駄無駄ぁ! 容れ物などいくらでもあるぞ。我らの形のみ崩しても貴様らには勝利などないわ!」


 生き残ったグールの一人がニヤニヤ笑いながらそう宣言する。

 仲間がどんどん減っているのに恐怖や焦燥を感じたりすることはないらしい。

 さすがは人の姿はしていても怪異だ。

 人間の理屈には当て嵌まらない。


「なら元を断てばいいだろ? てめえらの親玉はどこにいる!」


 俺の呼びかけにそいつはゲラゲラ笑い出した。

 まったくイラッとする奴だな。

 と、流れるような動作で近づいた犬野郎がそいつの素っ首を刎ねた。

 切り離されながらも首は尚も笑い続ける。


「我が主は貴様らごときには倒せぬ。絶望を味わえ!」


 そう叫んで落ちて来た所を踏んづけてやった。

 足の下でようやく保っていた元の人間の肉体ごと土塊となって崩れていく。

 グールになって時が経つ程、滅びた時に元になった死体すら残らない。

 人に弔いさえ許さない無情の仕業、それがグール化だ。


「絶対に倒してやるよ」


 応えて呟いた。


 しかし、恐ろしい程の殲滅速度だ。

 俺一人ならこの何倍も時間が掛かっていただろう。

 さすがに悪魔専門の狩人であるシープドッグというべきか。

 まあ俺だってちゃんと装備が揃っていれば手間取らなかったんだけどな。


「街なかで暴れているグール共は大体5、6匹単位で行動している。今の連中は分隊に別れる前のようだった」


 犬野郎がグールの屍に聖水を振り撒き、聖句を唱えて浄化を終えると、剣を収めてそう告げて来る。


「うん? それはやつらのねぐらがこの近くにあるってことか? でも軍が襲撃したっていう場所はどうしたんだ?」

「あっちは明らかに罠だった。聞けばこの辺りは古い町並みだとか。もしかしたら廃墟となった聖域があるのではないか?」

「なんでそんなことを聞くんだ?」


 口元に冷笑を浮かべながらこちらを見下ろす男に苛立ちを感じる。

 どうやらややあっちのほうが背が高いらしい。

 俺だって結構タッパはあるほうだっていうのに。


「悪魔のやり方はわかっている。人が大切に想っていた物をあざ笑い穢すことで自らの力を増すのだ。異端とは言えこの国の神もまた奴らにとっては穢すべき存在だ。人が忘れ去っても神は忘れぬものだからな」

「わかりにくい」


 宗教家というのはどうしてこう自分のものさしで解説しようとするんだ?

 もっと噛み砕いて言え。


「……自分の頭の出来の悪さを私のせいにするな。まあいい、説明してやる。吸血鬼であれネクロマンサーであれ、それは闇を力とする存在だ。より闇が濃くなるのは光の記憶がある場所だ。つまりそのような場所で堕天を引き起こすことによって自らの力を強く出来るということなのだ。だからこそやつらは常に信仰の篤い場所を堕すことを好むのだ」

「てめえな!」


 俺の頭が悪いんじゃなくて、てめえの説明が悪いとは思わないのか? 

 そもそもこいつ確か俺に借りを返しに来たとか言わなかったか?

 喧嘩を売りに来たの間違いじゃないだろうな?


「まあいい、わかった。今は使われていない古い信仰の場所を探せということだな」

「ほう、少しは考える頭もあるようだな」

「てめえ……」


 ワンコのくせにこの野郎。

 ムカつくのを我慢して、俺は道を戻って避難している伊藤さん達のいる家の玄関ベルを押す。


「鬼はもういない。もういいぞ」


 ドタドタドタという賑やかな音と共に元気のいい気配が近づき、そのままの勢いで玄関が開いた。

 靴ぐらい履いてから開けようぜ。


「お父さんとお母さん来た?」


 あー、なんか期待させたのか、悪かったな。

 ちっこい女の子の期待のまなざしが俺と、そして背後の犬野郎を見て明らかにがっかりする。


「いや、まだ危ないからな。お父さんとお母さんは安全になってから迎えに来てくれるさ。というか学校のほうに行ってるんじゃないか?」


 俺のその言葉に、後に続いていた少年の顔までがっかりしてしまった。

 俺のせいじゃないけどちょっとこたえるんだけど、これ。


「じゃあ大丈夫なようならみんなで学校のほうに行きましょうか? お父さんとお母さんもだけど、友達もきっと学校にいるでしょう?」

「うん!」「うん!」


 伊藤さんの言葉に二人の子供は元気を取り戻したようだった。

 両親のこともだけど、友達のことも気になっていたようだ、さすがは伊藤さんだな。

 確かに学校には子供が多く避難しているだろうし。


「あの、ちょっとお伺いしたいことがあるんですけど」


 そちらは伊藤さんにまかせて俺はこの家の主であるお婆さんに言葉を掛けた。

 この町に昔から住んでいるこの人ならきっと古い神域にも詳しいはずだ。

 俺は彼女にこの辺で昔は信仰されていて今は放置されている場所が無いかを聞いた。

 するとお婆さんは少しだけ考え、すぐに答えを導き出して俺に答える。


「ええ、確かにそういった場所はありますよ。都市開発に従ってお祀りされていた場所を追われて今は公園のモニュメントとなっているの。井戸の護りであられた蛇神様の祠がそうよ」


 お婆さんの答えたその場所は、以前主人とはぐれた犬を見つけたあの公園だった。

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