111:明鏡止水 その十五

 俺たちの避難の説得に子供達は頑なだった。

 もしかして俺への当て付けかと疑ったぐらいだ。


「家から離れる訳にはいかないだろ! お父さんもお母さんも絶対家に帰って来るんだから! 僕は留守を任されているんだ!」


 なんという家族への信頼、ちょっと感動する。

 うちの家族ならそれぞれが好き勝手して他の連中のことなど考えもしないだろう。


「何言ってるの! お父さんもお母さんも二人を信頼しているんでしょう? それなら決められた通りちゃんと避難していると思って学校に行くに決まってるじゃないの!」


 しかし俺の感動など甘っちょろいものだったらしい。

 伊藤さんのびしりとした指摘に俺は思わず子供たちと共に直立不動で首を縦に振っていた。


「わかった」

「ごめんなさい」


 そんな伊藤さんのお叱りに対して子供たちは素直である。

 そして伊藤さんもそんな子達に向かって今度はにこりと微笑んだ。


「でももし帰って来られてもお父さん達が心配したりなさらないように食卓にメモを残しておきましょうか」

「うん!」

「はあい!」


 うんうん、こんな時なのに子供は元気がいいな。

 危機感は薄れるが、一緒にいるだけでなんとなくこちらも元気が出る。


「ところで、ゆかねえ。こいつ何?」


 年上の少年、確かミキくんと伊藤さんが呼んでいたかな? その少年が、ずっと向けていた不審そうな顔そのままにチラリとだけ俺を見て伊藤さんに尋ねた。


 うん、この子、最初からずっと敵意バリバリなんだよな。

 なんで俺、こんなにいきなり嫌われてんの? 地味に傷つくんだけど。

 それに何? と言われると困る。

 一応伊藤さんにとっては同僚かなぁ、俺。


 しかし、そんな弱気な俺とは伊藤さんは格が違った。


「木村さんはゆかねえの大切な人なの。仲良くしてね」


 何と堂々とそう言い放ったのである。

 一瞬、俺の意識と体が硬直した。

 答えてもらった少年も驚いたように目を丸くして、すぐにまた俺を睨んだ。

 今度は前よりもはっきりとその視線に「嫌い」と書いてあるような目つきだった。


 これはキツイ。


「ミキくん、私が嫌いになっちゃったの?」


 伊藤さんがしょんぼりした声でそう言った。

 ミキ少年が俺を睨んだのを見ての発言である。


 ミキ少年ははっとしたように慌てて手を振った。


「ち、違うよ! そんな訳ないだろ! だけど、ねえちゃんの彼氏は俺がちゃんと見極めるからな!」


 なんというストレートな決意表明! 俺は更に硬直してしまう。


「やだ、ミキくん彼氏だなんて。まだまだ私の片思いみたいなものなんだよ。残念だけどね」


 伊藤さんも大概天然だよね。気が利くし、頭いいんだけどさ。

 案の定ミキ少年は増々俺に対する憎しみを感じたようだった。

 視線で人を殺せるなら俺は何度か死んでいたに違いない。


「とりあえずのんびりしている場合じゃない。急いで避難しよう」


 そう促して、子供たちそれぞれに両親への伝言を書いてもらうと、俺達は学校へ出発……しようとして出来なかった。


「近所に耳の悪いおばあちゃんがいるんだよ。よくお菓子くれたりして優しいおばあちゃんなんだ。サイレン気づかなくてまだ家にいるかも」


 というミキ少年の訴えで、学校と反対側となるご近所へと寄ることとなったのだ。

 とは言え、ご近所なのでそう遠回りにはならない。

 二軒隣、庭に守護の小さなお社を持つ古い日本家屋の家だった。

 庭の仕様があまりにもことわりに則っていたので、少々驚いてしまう。

 普通の怪異災害ならこの家のほうが避難場所より安全かもしれなかった。

 というか庭に霊格の高い木々を配置してお社に仮の精霊かみの聖域を創り出し、その護りが家を覆っている。

 昔の人の知恵というのは凄いな。


「ばっちゃん! いる?」


 子供たちは勝手知ったるという感じで庭から入り込むと、そのお社に手を合わせて縁側から家の中に声を掛ける。

 招かれていない俺としては家の敷地に入る訳にもいかず表で待機状態だ。

 一方伊藤さんは場の空気を乱すこともなく、子供たちと共に庭に入って行った。

 うーん、無能力者ブランクだと思っていればそれは全く不思議なことではないんだが、別の確信を持ってそれを見るとまた違う解釈が出来る。

 このごまかしを考えた彼女のおやじさんは、きっと一筋縄ではいかない冒険者だったんだろうな。


 そんな感慨を持ってその様子を窺っていた俺は、ふと、届いた臭いに眉を寄せた。

 グールが近い。

 これは老人や子供連れで避難出来る状況じゃなくなったっぽいな。

 玄関を開けて出て来ようとする全員を俺は押し留めた。


「連中が近い。中に入っていてください。この辺りじゃここが一番安全です」


 子供たちの向こうにちらりと見えたお婆さんとやらは、確かに白髪に皺の寄った顔をしていたが、その目にはある種の人間に共通の力があった。

 術者か?


「何があったの?」


 言葉もはっきりとしている。

 とうてい耳が遠いとは思えない話し方だ。


「グール、ええっと、人喰いの鬼がこの街に入り込みました」


 もしかするとと思って、俺は雑念を抑えて明瞭に言葉と意識を揃えて語り掛ける。

 お婆さんはちょっと驚いたようだが、すぐに微笑んで頷いた。


「まあ、対話に慣れていらっしゃるのね。ありがたいわ。それにしても鬼なんてほんと、珍しいわねぇ」


 どうやら思った通りだったらしい。

 神官などは神との対話のために相手の意識を読む訓練を積む。

 しかしこの能力が高くなると、今度は雑念の多い人間との対話は逆に聞き取りにくくなるらしい。


「鬼退治は得意なのでお任せください。もし宜しければ中で気配を消していていただけますか?」


 この人数を守りながら戦うのは不可能に近い。

 しかし、この家ならば人の気配を隠すぐらいのことは出来そうだった。


「まあまあますます懐かしいわね。ミキちゃん、メイちゃん、それから可愛らしいお嬢さんも、隠れ鬼を知っています? もういいよ~って聞こえるまでお家の中で隠れていましょうね」

「うん、メイね、お家で兄ちゃんとよく隠れんぼするよ!」

「え? でも?」


 無邪気な妹と違って、兄貴のほうはなにか変だと思ったらしい。

 しきりと俺を見ている。


「家の中には男はお前一人だ。任せて大丈夫だよな?」


 俺はあえてニヤリと笑ってみせた。

 ミキ少年はむっとしたように俺を睨むと、「当たり前だろ!」と叫ぶ。

 おいおい、あんま大声出すなよ。


「ミキちゃん、隠れ鬼の時は静かにするのよ」


 お婆さんがたしなめるようにそう言うと、二人の手を引いて奥へと連れて行く。


「木村さん!」


 伊藤さんが不安気に俺を見た。


「大丈夫です。知っているでしょう?」

「心配させてくださいって言いましたよね?」


 伊藤さんは頬を膨らませてそう言うと、俺の手を両手で包むように握った。


「決して無理はしないと約束してくれますか?」

「……はい」


 どうにも新鮮な感覚で、俺は一瞬言葉に詰まる。

 自分よりもずっとか弱い人にそんな風に心配されるというのは、やっぱりなんだかくすぐったい感じで全く慣れない。

 伊藤さんはなかなかその手を離してくれなかったが、奥から少年が急かせるように「ゆかねえ!」と声を掛けて来た。


「約束ですよ!」


 伊藤さんはそう言い残すと家に入る。


 カラカラと音を立てて引き戸が閉じられ、その家を不思議な静寂が押し包む。

 鎮守の森に似た、小さな結界の作用だ。


「さて、無粋なお客人にはお帰り願わないとな」


 濃くなって来る不快な臭いを目指して俺は進んだ。

 あちこちから聞こえるサイレンは、日常の中でよく聞くパトカーのものではなく装甲車のような特殊な軍の車両やヘリからの物だ。

 更に遠くからは、どうも銃撃の音らしきものも聞こえていた。


 人類は既に手強い怪異とも対等に戦える力を持っている。

 俺達のようなそれに特化した者達に頼らなくても十分戦えるのだ。


「だから、俺は俺の持ち場だけを心配していればいいってことだ」


 古い住宅街のあまり広くない通りを不思議な集団が進んで来る。

 年齢、性別、服装などに纏まりがないおかしな集団だ。

 だが、唯一共通している物がある。

 その、こちらに向けて来る、飢えた獣のような視線。それは彼らがもはや人間ではないことを示していた。


「腹が減ってるのかもしれんが、お生憎様、俺は食えない男だぜ」


 熱い視線に応えるようにそう言うと、まるで不満を示すように一斉に唸り声を上げた。

 うん、残念だったな。

 俺も会社帰りで大した装備は無いが、特権を利用して持ち歩いている愛用のナイフはある。

 とりあえず、この相手には十分だろう。


 一斉に怒涛のように襲いかかって来るグール達を、その勢いを利用して切り分けて行く。

 今度こそきちんと眠れるように。


「神無き国の憐れなるかな。我が神のご威光を恐れよ!」


 と、グール達の向こう側から何者かが声を上げた。

 切り離されてなお蠢いていたグールの肉体がゆっくりと崩れ、灰に変わる。


「あんたは」


 それは、もう懐かしいとすら思える相手だった。

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