105:明鏡止水 その九

「ジューサー?」


 俺は耳にした言葉を咄嗟には理解出来ずに問い返していた。


「そうだ。思うに夢のかけらというやつは、果物や野菜と同じなんだな。それそのものが無駄なく食べられるが、そのままでは食べ難い。ジューサーに掛けることによって手軽に美味しく頂けるという物なのだよ」


 その発想は、一見家電マンらしいと思われるが、ちょっと一般に理解はされかねるだろう。

 なにしろ確か俺たちは蓄電の話をしていたはずなんだよな。


「その斬新な発想と今回のプロジェクトとの間に何か関係があるのか?」


 俺のツッコミに佐藤は俺を見て、憐れむように首を振った。


「これだけ説明して理解出来ないとは、君はもうちょっと賢いと思っていたよ」


 ほっとけ。

 お前の発想が瞬時に理解出来るほうが嫌だ。


「つまりだね、夢のかけらという物質は結晶体として安定しているのだから、圧潰方式が使えるんじゃないかってことだよ」

「圧潰……ですか」


 考えたことも無かった。

 確かに発電の多くは人工結晶の圧潰によるエネルギー抽出を利用している。

 単純に夢のかけらを結晶と捉えるのなら、その発想自体はなんらおかしくはないだろう。


 しかし、内包するエネルギーの総量のケタが違うのだ。

 いくら安定している物質とはいえ、夢のかけらを直接破壊してエネルギーとして利用しようとするとか、恐ろしくはないのだろうか?


 ……いや、待てよ。


「そういえば、古い冒険譚にそんな話があったような」

「ほう。さすがはありとあらゆる世界を切り拓いたという冒険者の先達、俺などが思い付くようなことは既に試し済みなのだな」


 佐藤は無駄に感心している。

 だが、言った当人である俺は、口にした後から思い出して顔をしかめてしまった。

 その冒険譚は、ガキの頃読んだ終天の蔵書だったのだ。


 それは迷宮から無事戻った冒険者の自伝だったはずだ。

 彼らは迷宮内でのラスボス戦で力尽きる寸前だった。

 その時、彼らの中の魔術師が戦利品として持っていた夢のかけらを自らのメイスで砕き、その発生した力を使って大魔術を発したという内容だったと思う。

 その場面が一番盛り上がる場面であり、ガキだった俺は興奮しながら読んだものだ。

 確かそのシーンにはこう書かれていた。


『その至宝は、その価値に反して容易く砕け散った。失った宝は失うはずだった命を救ったが、しばらく仲間から何度も嫌味を言われる羽目になった。ボスのカケラは大きくそれ以上の価値となったのだが、人は失った物を忘れることは出来ない生き物なのだ』


 確かに夢のかけらの硬度は高くない。

 モース硬度で言うと7である水晶と同程度だったはずだ。

 ん? 砕き易さとモース硬度は関係ないんだったかな?


「しかし、砕いてしまったら内包するエネルギーは使いきってしまうだろ」

「そこに蓄電装置コンデンサだろ。水晶機関で魔的エネルギーを電気エネルギーに変換してコンデンサで蓄電する。この造りならそれほど大型化はしないはずだぞ」

「凄く原始的な蓄電装置だな、おい」

「だからジューサーだと言っただろ。材料を放り込んで電気という名のジュースを作って容器を満たす訳だ」


 基本方針が決まった俺たちはチーム内ディスカッションを行って詳細を詰めていった。

 佐藤が悪乗りして見た目をマジでジューサーのようにデザインしてしまったんだが、これがそのまま通らないことを祈るしかない。




「さっき提案書を正式な原案として纏めさせていただいたのですけど、すごくユニークですね」


 伊藤さんがホイルで包んだ蒸し焼きの魚を広げながらそう言った。

 ふわっとバターの香りがただよって、思わず口内の唾を飲み込んでしまう。


「あ~、あれを纏めてくださったんですね。すっごいごちゃごちゃしてたでしょう。すみません」


 野菜も一緒に包まれていて、魚の赤身と野菜の緑が鮮やかで見た目も綺麗だ。

 なんか段々お弁当の内容が凝ってきている気がする。


「いえ、大丈夫です。慣れてますから」


 そう言っていたずらっぽく笑う伊藤さん。

 無邪気な笑顔を見ていると忘れそうになるが、先日感じたことが正しいのならば、もしかしたら彼女の平穏な生活は脅かされることになるかもしれない。

 ならば秘密は秘密のままそっとしておけばいいような気もするのだが、俺の近くにいるのならば自衛出来る手段はあったほうがいいのは間違いないのだ。

 まぁ俺が一人で考えても仕方のないことなんだが、相談するにしても内容が内容だ、下手な相手に話せることではない。

 やはり彼女の父親である元冒険者殿とじっくりと話す必要があるよな。


「あの……」


 あ、伊藤さんが不安そうな顔をしている。

 やっちまったか。


「あ、いえ、なんでもないんですよ」

「やっぱりこの間の事件のことで何かあるんですか?」


 どうやら伊藤さんはこないだ俺たちが巻き込まれた吸血鬼事件のことで俺が悩んでいると受け取ったようだ。

 伊藤さん自身もあの事件のことは気にしているのだろう。

 テレビのニュースなどでも詳細は語られないし、怪異の発生が懸念されるので遅い時間に一人で行動しないようにとの注意喚起がなされているだけだ。

 むやみなパニックを避けたいのはわかるが、せめて日が落ちてからの外出禁止措置ぐらいはやって欲しかったんだけどな。


「ああ、いえ、あれは突発的な事態でしたから俺も関わってしまいましたけど、本来都市内の治安は警察や軍の管轄なんです。あんまり俺がかき回すと却って指揮系統が混乱して事件の焦点が見えなくなってしまいますから、正式な要請がない限りは勝手に動く訳にはいかないんですよ。だから今の俺は今回の一連の出来事にはノータッチなんです」


 俺は正直に話した。

 伊藤さんに隠し事をしても無駄に心配掛けるだけなので、なるべくありのままに話すのが最適なのだ。


「それが悔しいんですね。でも、私はほっとしています。本当は木村さんが出られたほうが犠牲もなく事件を解決出来るんでしょうけど、他の人の代わりに木村さんが危ない目に遭う必要は無いって、どうしてもそう思ってしまって。……身勝手で酷い話ですよね」


 俯いて言う伊藤さんに、俺は驚いて首を振ってみせた。


「いや、俺は元々そういう世界から逃げ出した男ですよ? 身勝手なのは俺のほうです。それに、そんな風に誰かに心配してもらったことなんてないんで。正直嬉しいんです。酷いっていうのはこんな風に思っている俺のほうですよ」


 悪ぶってニヤリと笑って見せれば、伊藤さんは困ったような顔で俺を窺い見た。

 眉間にシワを寄せて、笑っていいのか怒るべきなのか迷っているような表情だ。


「伊藤さんも注意してくださいね。扉のある自分の部屋の中は一応の安全地帯です。見知らぬ相手から入れるように言われても安易に応じてはダメですよ」

「その辺は父が詳しいので、……あの、この間の事件のことは別に口止めとかなかったので、家族には話したのですけど、よかったんでしょうか」


 伊藤さんはお互いに自己批判を繰り広げるのは不毛と察して話題の変化に乗ってきた。

 悩むのを止めた訳ではないのだろうけど、そうやって意識を切り替えられるのは伊藤さんの強みでもある。

 頭が良くて常に前向きなのは貴重な才能だと実際思う。


「ええ、警察でも口止めされなかったということは、ある程度噂が広まって外出を控えてくれることを狙っているんでしょう。正式に政府側が発表してしまうとパニックになりかねませんが、噂段階なら人は不安にはなりますが極端な行動は起こしませんからね」

「なんだか、いい方法とは思えません」

「そうですね。いい方法ではない。しかし、実際相手がなりふり構わず動き出してしまうと、まともに太刀打ち出来ないという部分もあるのだと思います。暗躍してくれている段階のほうが、犠牲は少ないという深慮があるんでしょう」


 そう言った俺の顔を伊藤さんはじっと見ると、頬を膨らませて言葉を発した。


「自分でも信じていないことで私を安心させようとしないでください。いっそ、俺がやれば誰も犠牲を出さずに終わらせてやれるのに、ぐらい言ってもいいんですよ」


 え? ちょ、伊藤さん、もしかして俺をすごく買いかぶってる?


「まさか、俺にヒーロー願望なんかありませんよ」


 正直に俺は言った。

 だが、伊藤さんは俺を真っ直ぐに見て、そして、少し寂しそうに微笑んでみせる。


「ええ、あなたは一度だって望んだことはないはずです。だって、本物のヒーローなんですから。でも、だからこそ、私は不安なんです」


 本来ならすぐさま否定出来るはずの彼女のその言葉を、俺はなぜかどうしても否定してみせることが出来なかったのだ。

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