104:明鏡止水 その八

 モニター越しに見るその顔は、心なしか疲れているように見える。


「同様の事件がおそらく数十件単位で起こっている」


 お菓子の人こと酒匂さんから、シークレットの着信が来ていて、画像での通信の指示があった。

 帰宅後の疲れた体をおして連絡を取ってみれば、早速駅地下街の一件についての報告を求められ、代わりにという訳でもないだろうが、政府側の掴んでいる情報の一部を寄越してくれる。


 というか、返信求むの通信記録ログはどう考えてもあの事件の直後なんだが、早すぎないか? 情報掴むの。

 さすがはお国の情報網と感心するべきなのだろうか。


 まさか俺達に監視が付いてるとか護衛がいるとかって訳でもないのだろうけど、別組織である警察の情報を把握しているってことかな?

 それにしても……。


「そのおそらくっていうのは何ですか? それっていい加減にしていいことじゃないでしょう」


 俺達の行動の詳細を既に知っていたのとは裏腹に、関連事件についての情報の把握が怪しい。

 俺の指摘に、酒匂さんは溜め息を吐いた。


「残念ながら相手は巧妙だ。自分達の動きを把握させないように、表立っては事件性が見えないように行動しているのだ。今回の件もお前が絡まなければそのままその青年たちが消え去って終わりだったのではないか? 同じように発覚しないまま消え去った者達も多いはずだ」


 酒匂さんの言葉に、俺の脳裏に数日前のあの人気のない公園が浮かんだ。

 不自然に放置されていた荷物やペット、その持ち主はいったいどこへ行ったのだろう。

 あそこで異常を認識していれば、もしかしたら何人かは間に合って助けられたのではないか? そう考えると、無意識に奥歯を噛んでいたようで、がりりと耳障りな音が口内から響いた。


「隆志、だからこそ、今回はことが大きくなる前に収めてくれて助かった。ありがとう」


 酒匂さんから語られる礼の言葉が逆に胸に痛い。


「もっと早く気づいていれば……」

「いや、それはお前の勘違いだ」


 つい、自分の至らなさに漏らした言葉に、酒匂さんが厳しい声を上げる。


「その言葉は国の治安を預かる者達を侮辱する言葉だ。お前たちは確かに怪異の専門家だが、国や地域を守っているのは常にそこを見守っている者達なんだ。異常を察知し、その理由を調べ、解決策を探る。本来お前たちの出番はその結果として彼らからの要請があった場合だけなのだぞ。隆志、いかなる力を持っているとしても、本当に万能な者などいない。ヒーローとは人々の希望の中に棲んでいるだけの架空の存在なのだ。お前達が血肉を備えた存在である限り、それを忘れてはならない」


 酒匂さんのそのどこか突き放したような言葉に、俺は一人赤面した。

 全くだ。

 そもそも俺こそがヒーローなどいなくても人は怪異と戦えると言っていたというのに、無意識に自分の力に慢心していたのかもしれない。


「はい、すみません」


 画面に向かって頭を下げた俺に、酒匂さんはニヤリと笑ってみせる。


「と、まぁオヤジくさい説教をしてみせるのが年長者の楽しみというところなのだがな。実際今回お前が気づいてくれたおかげで助かった人達がいるってことは覚えておけ、出来ないことを嘆くより出来ることを誇れ。それともうちょっと俺たちを頼れ、色々と頼りないんで信用しきれないってのはわかるんだけどな」

「そんなことはありません。実際今回だって警察の人達が素早く対処してくれたおかげでパニックは最小限に抑えられたんだし、けが人も感染を免れたみたいで」

「それに関してはお前の初期対応がよかったっていうのもある。グールに噛まれて呪いに蝕まれない確率がどれだけ低いかを知ったら、その青年も驚くだろうな」

「血の呪い、吸血鬼ですね」


 感染源を絶たない限り、被害は拡大される。

 この手の呪いを振りまく怪異の恐ろしさはそこにあるのだ。


「その吸血鬼のことなんだがな。……どうも、あのお前達が遭遇した迷宮の事件と関わっているようなんだ」

「っ! ……確かにあの男は吸血鬼の特性を他人に付与出来るようでしたが、いくらなんでも……」


 コピーに怪異の呪いが使えるのだろうか? 聞いたこともない話だった。

 もしそれが人間に可能なのだとしたら、それはとんでもない脅威になるだろう。


 迷宮で人を道具として使うことに躊躇う様子のなかった男を思い出す。

 その記憶だけで全身の血が冷えてしまうような、重い気分になった。


「確かに当初はその人身売買組織の男、『マンイーター』なる者が自身に吸血鬼の力をコピーして脱獄を果たしたと考えられていたのだが、その男が暗躍していた地域の担当官に詳しい情報を送ってもらった所、どうも、その男の組んでいたという吸血鬼がかなりの古参の大物らしいという話なのだ」

「そんな年を経た吸血鬼が人間と組むことが可能なのですか? 彼らにとっては人間はエサでしかないでしょう?」

「その通りだが、その吸血鬼はどうも、……そこの連中の言うことには大変面白がりで、興味を持った人間はエサにせずに、求められるままに力を貸したりもしていたらしい」

「そんなのがいるんですか」


 とんでもない恐ろしい話だ。

 知能の高い怪異程やっかいな相手はいない。

 彼らの物の考え方は人間とは全く違う。

 予想がつかない行動に出るので、対処が出来ない場合が多いのだ。


「その一方で飽きるのも早い。ちょっとでも気に食わなければすぐに『棄て』るということだ」

「……酒匂さん、もしかして、その吸血鬼がマンイーターを逆に利用してここに入り込んだと考えているんですか?」

「今回の事件はあまりにも淡々と進行している。人間ならもっと独特の匂いがするものだ。だからこそ対人間の専門家が遅れをとった。そう、思えてね」


 もし酒匂さんの推測が当たっていたとしたら、それがどれだけとんでもない事態かということは俺にだってわかる。

 自国で発生した怪異ではなく、他国の古参の怪異が侵入する。

 それはある意味神の侵略だ。

 万が一終天辺りがその吸血鬼とテリトリー争いでも始めたら、少なくとも関東は人の住める場所ではなくなってしまうだろう。


「今、由美子に探らせていますけど、吸血鬼といえば闇の眷属、隠形を得意とする連中です。おそらくあっちが一枚上手でしょう。目立つ人間の協力者がいないのなら、発見は厳しいかもしれませんね」

「ああ、こっちも手を考えている。君たちは無理をしないように、独自に動かず私達と連携を取って欲しい。頼りにならないかもしれないがね」

「それは虐めですか?」


 さっきのやりとりを思い出し、俺は顔をしかめた。

 酒匂さんは楽しそうに笑うと、手を振ってみせる。


「いやいや、そうしてふてくされているとお前が子供の頃を思い出すな。私が『今日はお菓子を持って来ていない』と言うと、すごくがっかりした顔をして、『実はもって来てた』と言って出してみせたら大喜びをした後に、凄く拗ねてみせていたよな」


 何言い出すんだ、この人は!


「そんなガキの頃の話を持ちださなくても!」

「いやいや、お前は変わらないよ。全く、安心だ」

「は? 俺はもう大人ですからね、ガキの頃のままとかありませんから」


 俺が抗議すると、酒匂さんは盛大に笑い出してそのまま通信を切ってしまった。

 あんな大臣でいいのか? 我が国は!


 俺は大きく息を吐いた。

 なんだかんだ言って、少しだけ気持ちが軽くなっていることに気づいてしまったのだ。

 赤ん坊の頃から知られている相手に強がってもしょうがないのかもしれない。

 それでも、やっぱりモヤモヤしてしまうのは、あの襲ってきた老人や女性が普通の人間であった頃のことをつい考えてしまうからだ。

 普通の、穏やかな生活を送っていたはずの人々が、人格を破壊され、化け物とされてしまう。

 それはどれだけ恐ろしいことだろう。


 俺は頭を一振りすると、気分を切り替えることにした。

 久々に何か作ってみようと思ったのだ。


 整然として狂いのない人工水晶ではなく、癖の強い天然水晶を大きさの違いで順に並べていく。

 渦巻きのように配置した基盤にその水晶を並べて行くと、それぞれの違いが目立った。


 淡いピンクの物、けぶるブラウンのような物、まるで小さな葉っぱのような模様が内部にある物、それぞれ背の高さだけではなく、厚みや六角形の結晶体の形すら違っている。

 微弱な電流を流した時に起こる共振でこれらの水晶は小さな独特の音を発するのだけど、それを互いに増幅させつつスイッチの切り替えで振動を抑えるストッパーもセットした。

 おもちゃのピアノのように少し音の外れた音階を作って、オルゴールの要領で鳴らしてみようと思い付いたのだ。


 音階もずれているが、お互いの反響がまたメロディをどこか調子っぱずれにしてしまう要因となる。

 簡単に組んだそれは、なんだか子供がお遊戯会で奏でる音楽のように、たどたどしいが微笑ましい音に聴こえた。

 澄んだ、チリチリと鳴る不思議で美しい音とはうらはらに、その調子の狂ったメロディは、どこか一生懸命さを感じさせる響きで、俺が昔聴いた楽しい歌を辿る。


「確か、夜中におもちゃが動き出して楽しく遊んでるって歌だったっけ?」


 怪異の引き起こす現象が、そんな楽しいものだったらよかったのに。

 それに……。


「歌、か」


 脳裏に、涙を零す伊藤さんの顔が浮かんだ。

 あの可愛らしい人が歌を口ずさんだら、それはいったいどんなものになるのだろう。

 それを知るのは喜びか、苦しみか、知るべきなのか、知らないままでおくべきなのか。


 ―…リ‥リリリ…ン


 自然の生み出した水晶の奏でる音は、人の思惑など素知らぬ風に、鳴る度にその旋律を変化させていった。

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