86:蠱毒の壷 その二十

 自由気まま過ぎるラスボスは、好き勝手に言うだけ言うと気が済んだのか見事な程に痕跡を残さず消え去った。

 どうせあいつのことだ、こんな迷宮を造ってはみたもののただ待っているのは暇で嫌だったんだろう。

 この分だと迷宮の最奥に進んだはいいがラスボス不在とかありそうで不安だな。

 あんな野郎のことを考えても仕方がないので、不快な記憶は消去して帰り道を探索してみる。

 改めて周囲を見渡すと、この庭は子供用の遊具が並べられたそこそこ広い庭で、その周りを板塀が囲み、その塀の一画に裏口らしき出入口があった。

 ワープポイントがここに通じていたということは、ここからしか入れないルートがあるのだろう。

 とりあえず今はまだその先に進む訳にはいかないので、俺は戻りのワープポイントが無いかと探した。

 一方通行でありませんように。


 ふと、耳が音を拾う。

 庭の真ん中の大きな木の張り出した枝に手作りらしいブランコが取り付けられていて、それがキイキイと音を立てて揺れていたのだ。


「まてよ」


 さっきの移動元の部屋では水音がしたな。

 俺はブランコに近づいてみた。

 近くで見るとそのブランコは青く塗られている。

 そっとそのロープに触れた。

 フッと意識がブレる。

 次の瞬間、俺の体はどこかの廊下にあった。

 まっすぐ延びたフローリングの廊下はそのまま玄関まで続いている。


「どうやら双方向タイプの通路だったか」


 ちょっとだけホッとした。

 一方通行だと合流の苦労は洒落にならないからな。

 左手にドアがみえる。

 おそらくと思ってそっと開いてみると、やはりそこがさっきのリビングとなっていた。

 通路が発動しない内に急いでドアを閉める。


「さて、これで合流出来ればいいが」


 玄関を出ると光る何かと鉢合わせした。

 すわ先のやっかいな霧にまぎれた集合体かと身構えたが、それは光の色がふんわりとしたオレンジで体が白い虫だった。

 由美子の式だな。安心すると同時にたちまち脱力してしまう。

 だが、こんな所で安心している場合ではないと気合を入れて先に進んだ。

 それにしても全然先の見通せない霧の中、この光る案内役は助かる。

 しかし由美子の式は種類が多いな。毎日少しずつ作っているんだろうか?


 さて、とは言え、先導の光だけを追っていると道路の段差とかに引っ掛かるんだよな。

 足元もすぐ近くまで見えないし。

 しかも路駐の車とかが突然目の前に現われるしでただ歩くだけでも油断ならなかった。


「ん?」


 目前に一つだけ青白い光を放つ街灯が見えた。

 チカチカと瞬いてその存在を主張している。

 俺は無言でその場所に近づくと、踏み込むと見せて素早く飛び退いた。

 途端に地面の舗装タイルがバカリと口を開ける。


「見え見えの罠過ぎんだろ」


 言ってそれを思いっきり踏む。

 グシャリと歪んで消えた後に小さなカケラが転がったが、俺はそれを無視して先を進んだ。


「ちゃんと採集しましょうよ」


 声に振り向くと、カニのような足の生えたフレームのみの装甲車に乗った衛生兵殿が渋い顔で俺を見ていた。


「兄さん、迂闊」


 合流した途端、妹に説教食らった。

 何故だ。


「いやいや、小言を言われるべきはアンナ嬢であって俺では無いだろ」


 俺のその言葉と同時に背中に突き刺さるような視線を感じたが、ガン無視した。


「事前調査無しに屋内に侵入するとか、しかも一人で、これはあれですね、昔の、自信満々で恐いもの知らずの兄さんに戻ったということですね。いえ、十年以上経過しても全く成長していないという人類の脅威を垣間見させていただいたと言ってもいいでしょうか」

「コウ、理屈っぽい嫌味は止めろ! どうせ調査するんだから一緒だろうが! 高さもわからない場所から飛び降りるよりは実りがあるだろ」

「理由の後付けよくない」

「くっ」

「あはは、リーダー達ほんと面白いっすね」


 大木がハンドルを握りながら振り向いて親指を立てて見せた。

 あぶねえよ!


「前見て運転しろ!」

「大丈夫っすよ。お初ちゃんは自立機能が飛び抜けているんですよ。フルオートでも全然問題ありません」

「お初って誰だよ」

「もちろんこの特殊装甲車可変式試作型00の愛称っす」

「ひでえセンスだな」


 我ながらバカバカしい言い合いだとは思ったが、


「あなた達、少し静かに出来ないの?」


 ピシリと鞭打つような声に指摘され、俺は思わずイラッとして眉をしかめると後部座席に顔を向けた。

 そしてその様子を見て取って、騒がしくした自分をさすがに反省する。


「悪いのか?」


 ある程度自在にスペースを作れるこの装甲車の特長を活かして、後部には今現在広いスペースが作られ、そこにあの異国の少年が寝かされていた。

 その両脇を固めるようにアンナ嬢と明子さんが付いている。

 別れた時の状態を思えば、今のその少年の様子は格段に良好と言っていいだろう。

 紫に腫れ上がっていた体は元のオリーブ色の肌に戻っていて腫れも引いている。

 しかし付いている二人の表情は冴えなかった。


「毒はその作用を潰して逆に体組織の復活に利用しました。体に負担の無い癒しを施せたと思います。身体自体に今は問題ありません」


 さすがだな。

 あの瀕死状態からそこまでスムーズに回復させるのは魔術ですら難しい。

 彼女に向かい合っている明子さんがまるで崇拝対象を見るような目でアンナ嬢を見ているのは仕方のないことだろう。

 本来、魔術は触媒を必要とするし、設定が細かくなるほどエラーが出やすいとのことで一般人が思うより不便な部分も多い。

 魔術を併用する医者が少ないのは、その治療に術式を使うと思わぬエラーが出た時に患者に掛かる負担が大きいせいだ。

 魔法ならその辺はクリア出来るらしいが魔法を使うには世界のことわりを理解し、それに同調してアクセスするという、いわばちょっとした神の権限が必要となる。

 神とさらっと言ったが、いわば世界を書き換える力ということだ。あまりにもリスクが大きい。

 しかしそれが魔法だ。

 なので魔法使いと呼ばれる連中も、滅多なことでは魔法を行使したりしない。

 実のところ、彼ら魔法使いが使うのはほぼ魔術なのである。

 一般に魔法と魔術が同じ物と誤解される原因は主にこれだろう。陣形魔術式を魔法陣って言ったりするしな。

 魔法使いが使うのは魔法であると普通は思うだろ。

 だが、一方で、彼ら程魔術を理解している者もいない。


 アンナ嬢はおそらく魔法が使える。

 しかし彼女の凄みは魔術の行使に必要なはずの触媒を使わずに自在に魔術を使っているように見える所だ。

 術式関係は専門外の俺には単に凄いとしかわからないが、これはかなりとんでもない手並みのはずだ。


「ただ生命力、気力というべきものがこの子には枯渇しているわ。こればかりは外からどうにか出来るものではないから難しい」


 そのアンナ嬢が難しいと言うなら、俺らにはもはやどうにも出来ない状態だろう。

 実際少年はピクリともしないし、呼吸も心音もほとんど感じられない程だ。

 このまま死んでしまってもわからないのではないかと思えるほど、彼は命の気配が乏しかった。


「ひでえヤつらダ!」


 突然ピーターが叫んだ。

 車載システムからそれに共鳴するかのようにハウリングが発生する。

 こいつの叫びには何か機械に打撃を与えるような作用があるんだろうか?


「お初ちゃん! 大丈夫かっ!」


 大木が慌ててパネルを操作するのが見えた。


人さらいマンハンターハ最悪な連中ダ! 安心しな! また出て来やがっタら俺ガ始末するぜ!」


 歯を剥いて仮想敵を威嚇する様は昔動物園で見たヒヒに似ている。


「アニキ! 便りにしてるっす!」


 なぜか大木がそんなピーターにエールを贈った。

 いつの間にか仲いいな、お前ら。


「始末はともかくとして捕まえてはおきたいな」


 戦闘中に乱入されて後衛である由美子達が狙われたりすると冗談ではない。

 不安要素は早めに潰しておきたい。

 連中にはまだ手札が不明の二人もいる。

 なかなか怖い相手だ。

 ただ、俺達の認識出来る範囲内での殺人はやめていただけると有難いというのも本音だ。

 こっちは人が死んだニュースとか見るだけで食欲が無くなって眠れなくなるというデリケートな作りなんだからな。

 しかもアンナ嬢はもっとその作用が強いようだ。おそらくそんなもんじゃ済まないと見た。


「もし確保出来たとして連れ歩くのは攻略の足手まといでは? どこかに安全圏を作って閉じ込めておけばこちらがボスを倒しさえすれば連中は勝手にゲート入り口に追い出されるのですからそちらのほうがいいでしょう」


 どうも関わりあうこと自体が嫌だと思っているらしい浩二がそんな提案をする。

 本音はこれ以上知らない相手が増えるのがきついんだろう。

 実はけっこう人見知り激しいからな、こいつ。


「いや、あいつらはおそらく未発見ゲートを使用している。連れ帰って専門家に取り調べを頼むべきだ」


 しかしそれがわかっていてもそうもしていられない理由があるので、俺は説得に務めた。

 しかも実は未発見の迷宮ゲートだけの問題じゃなく、もっと奥深い問題がありそうな気がする。

 今までうちの国から勇者血統が流出していないのは、この国が島国であるという利点があったからだ。

 嫌な話だが血筋には一種の呪術的タグが埋め込まれているからその位置情報はわかっている所にはわかっているらしい。

 狭い国土だ。例え封印されてしまってもロストした場所の周辺や国外へ出るための施設を押さえれば滅多なことでは取り逃がしたりはしない。

 しかし奴らは追跡について全く心配していない様子だった。

 だが、明子さんが意外な程の強い口調で宣言した。


「それは確かに重要なことです。彼らは出来れば確保しようと思います。ですが、今の段階での私達の第一は血統の系譜を守ることだと本部から指示が返ってきています。ですから、いざとなれば私達に任せてください」


 軍人に任せるということは、生死を賭けた戦いが起こるということだ。

 彼らは果たして分かっているのだろうか? 俺達の気持ちは置いておくとしても、こんな場所で小規模であれ人間同士の戦闘行為を行うのは命取りとも言えるということを。

 迷宮ダンジョンは悪夢の具現、つまりそれは悪意を成長させるのだ。


「本部の指示はともかく、今この迷宮内では俺がこの集団のリーダーのはずだ。俺の方針はやつらの確保だ。絶対に最初からやり合うつもりでは動かないで欲しい」


 それに、彼のこともある。

 死にかけて、生きる気力が尽きたように眠る少年。

 彼が家族の元に無事に帰るにはおそらくやつらの情報が必要となるはずなのだ。


「ったく、アマすぎるヒーローは必ず絶体絶命の危機に陥るんダぜ? イイか、あんタがどうだろうと俺は勝手に動くカらな!」


 言葉は軽薄だが、その目の光が強い。

 ビリビリと帯電するような殺気を放ち、ピーターはまるで唸り声を上げる猟犬のように、ひどく危険な雰囲気を漂わせていたのだった。

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