83:蠱毒の壷 その十七
炎は大気を含む一帯を焼き払い、さしもの霧も一瞬消え去る。
その渦巻く炎の中から、一見火の粉のように見える光る何かがこちらへと飛んで来た。
軽く拳を振るってそれらを叩き潰し、最後の一つは手の中に掴み取る。
手を開いて確認してみると、弱々しく飛び上がろうとする光る埃のような物があった。
これがどうやら変異体の怪異の正体だったらしい。群体タイプか。
やや力を込めて拳を握り込むと、大した抵抗もなくそれは消え去った。
ほとんどの部位個体を失い、個々に切り離されたせいで全く脅威ではなくなったのだろう。
もしかすると指令役のコアがやられてしまったのかもしれない。
取り敢えずこの盛大な焚き火で全滅はしていないとしても、当面危険ではなくなったということだ。
さて、
「お嬢さん。ちょっとお聞きしたいんだが」
俺から顔を背けて炎を見つめるロシア美女に、俺は意識して剣呑な声を掛けた。
アンナ嬢には協調性が全く無い。
こういうタイプは最初にガツンとやっとかないと絶対にこっちの言うことなんぞ永遠に聞きはしないだろうことがはっきりとした。
話してわからない相手というのは、理性ではなく動物的な何かに従っている野蛮な先祖帰りだからだ。
ちょっと美人だからってなんでも許して貰える思うなよ。
焼き殺されかけた俺は、そう決意を固めると、決然と彼女に向き合った。
「てめえ! 怪異ごと俺を焼く気だったのか!」
ちょっと笑っただけで子供が泣くと言われた顔を思いっ切りキレ気味に歪めたとっときの怒り顔付きだ。きっと相当凶悪な顔になっているはずである。
……ううっ。自分で考えて自分にダメージが……。
しかしアンナ嬢はその俺の怒気を、まるでそよ風か何かのようにフッと鼻で笑って受け流した。
「いくら駄犬と言えどもあの程度避けられないはずが無いでしょう。そうでなければ化け物共とやり合って今迄生き残れていないはずよ」
なんという居直り。
ごめんなさいの一言ぐらい言えないのか?
あんたのせいであんたの祖国の印象がどんどん悪くなってるぞ。
「いいか。出立の時に俺の指示を聞く約束をしただろう? チームの和をこれ以上乱すようなら帰ったら即刻強制送還してもらうからな」
「馬鹿馬鹿しい、効率良く攻略出来る方法を実行しているだけでしょう。せっかくの戦力を遊ばせているあなたのやり方こそが責められるべきだわ」
「おいおい、本来なら一人でも攻略出来ると豪語したのはどこのどなたさんでしたっけ? 明らかに戦力過多なのに張り切り過ぎなんだよ」
「それならあなたが見学していれば?」
「約束事を守らないのがロシア流なのか?」
その俺の言葉にようやく彼女の柳眉が跳ね上がる。
「小さな島国でキャンキャン吠えるしか能がない飼い犬風情が我が祖国を口にするな、汚れるわ!」
「はっ、お前の方が遥かに故郷に泥を塗ってるんだよ!」
「おやおや痴話喧嘩かい?」
突然の声に、咄嗟に体勢を整えて向き直る。
やべえこいつ気配が無かったぞ。
一瞥しただけでわかる。相当の実力者だ。
視界の中にいるのは三人。
一番手前にいるのが声を掛けた当人か。
大陸南部独特の艶のあるオイリーな肌と彫りの深い顔立ち、格闘の選手のようなガッチリとした体格、油断ない目付きにどこか飄々とした雰囲気、ほぼ間違いなくこいつがリーダーだろう。
その斜め後ろに二人、一人はひょろりと背の高い男だ。
リーダーと違って、この男はむしろピーターと同じ人種のようだ。
白い肌に薄い色の目、髪の色も少し濃い色合いの金髪だ。
あともう一人は場違いな程に若い。
人種的にはリーダーと同じか近い地域のような感じだ。
痩せて発育が悪いが、どこか幼い顔立ちで、まず成人前なのは間違ないだろう。
一人だけオドオドとしていて、到底迷宮に潜るような冒険者とは思えなかった。
問題は本来五人いるはずの仲間の、残る二人がどこにいるかだ。
こっちに全く気配を悟らせなかった所から見て、かなり優秀な魔術師がいるか高性能な魔道具持ちであるのは間違いない。厄介だな。
「よお、兄弟。そんなに警戒するなよ。いい話があるんだからよ」
まるで酒場で見知らぬ相手を親しげ呼ぶような気安さで、リーダーらしき男は手を広げてそう言った。
その奴の口の動きと言葉にズレがあるのを見て取って確信する。
こいつらはたまたま同じ時期に迷宮に潜った訳じゃない。
こっちが潜るのに合わせて迷宮に潜ったのだ。
そうでなくては翻訳術式など準備するはずがない。
「あなた方はフリーの冒険者ですね。いったいどこのゲートから潜って来られたんですか?」
俺の穏当な問いに答えることなく、いかにも人懐っこそうな笑みを浮かべて近づいて来る相手を警戒しながらゆっくりと後ろに下がる。
さっきから沈黙しているアンナ嬢が心配だった。
「おい」
ひそめた声でコンタクトを取ると、背後から「なに?」という返答が返って来る。
どことなく不安そうに聞こえるのは気のせいであって欲しい。
「連中の狙いは迷宮攻略じゃないっぽいぞ。大丈夫か?」
「だから何に対して大丈夫という話なの?」
お、刺が出て来たぞ。ちょっとは調子が戻ったらしい。
OK、OK、少なくとも相手に不安な様子なんか見せないでくれよ。
「ゲートね。ああ、そりゃあ気になるよな。実はな……」
奴は自然に歩いて来たままに、最後の一歩を深く踏み込み何かを突き出して来た。
アンナ嬢を背後に庇いこれ以上後ろに下がれない俺は、咄嗟に相手の腕を掴む。
「つっ!」
痺れが全身に走る。
電撃?
あの独特の音が無い所からしてスタンガンのような物理的な作用じゃない。
術道具か。
「てめえ! 何をする!」
俺の激しい詰問の口調に怯む色も見せずに、野郎は笑って見せた。
「いやあ凄いな。このスパークキングは野生動物の、そうだな、かの
俺の纏っているハンター用のジャケットや装備には当然ながら術式防御の機能がある。
やわな術なら完全にデリートも出来るはずだが、今の術式はそれらの防御を無視して直接作用しやがった。
条件付けで防御無効にしているのか。
こういう小狡いやり方をして来るところが対人の難しい部分だ。
特に冒険者は海千山千だって話だから油断ならない。
「いきなり攻撃とは穏やかじゃないな。迷宮攻略ならここは争わずに協力する場面じゃないのか?」
用心深く間合いを取り、俺はズボンのベルトにセットしてある簡易四方陣に指を掛けた。
いざという時に僅かな間だけだが完全な対物、対術無効の場を作ることが出来る。
対人戦となったらおそらく役に立たないアンナ嬢をこれに突っ込んでおいて身軽になって対処しないと、余裕の無い一戦になりそうだ。
俺と対峙している男は近距離から顔を近づけると、囁くようにうそぶいた。
「ああ、迷宮ね。もちろん迷宮のお宝は頂くさ。けどな、実は俺達のチームは
そう告げて動いた相手に対処しようと構えた俺をはぐらかすかのように、相手が動いたのは自らの背後に、だった。
「え?」
そいつはおもむろに背後にいた少年を引き寄せると、その首筋を無造作にナイフで切り裂いたのだ。
「ひっ!」
俺の背後で短い、しかし切迫した悲鳴が上がった。
「何を……」
思わず口にした俺をあざ笑うと、少年の吹き出る血を避けた男ははっきりと宣言した。
「お二人さん、抵抗するとこの罪の無い坊やが死ぬぜ。貧しい家族のために我が身を売った優しくていい子なんだからさ、助けてやってくれよ。なあ」
最初の一撃による出血以降、少年の首から血は出ていない。
もう一人の男の手に二股の枝のようなモノがあり、そこに浮かぶ光と同じ輝きが少年の首にあった。
この男が魔術師か。術式で傷を塞いでいるんだな。
だが、傷は残っている。癒やした訳ではないから、その術を解除すれば、この少年はたちまち急激な失血によるショックを起こして死んでしまうだろう。
こいつらいったい何を考えているんだ? その子は自分達の仲間だろうが。
「さあ、どうするんだ? 早く決断してくれないと、うちの魔術師もずっと止血しておくって訳にもいかないしな」
男の猫なで声が変化する。
「可哀想な坊やはお前たちのせいで死んでしまうぞ」
低く強調された声。
ゾッとした。
急激に血管の中の血が冷えて固まるような錯覚に陥る。
まさか、これは『血の枷』の作用なのか? 自分の思う通りに体が動かない。
ふと気になって後ろを伺うと、アンナ嬢はまるで発作を起こしでもしたかのうように激しく体を震わせている。
「大丈夫、か?」
まずい、彼女、目の焦点が合ってないぞ。
こいつら、どうやら俺達自身よりも「血統」のことをよく知っているようだ。
それにしてもあの少年はあんな目に遭わされてどうしてじっとしているんだ?
顔色は真っ青で唇は色が抜けている。
両目からは涙が溢れて恐怖に歯の根が合わないぐらい震えているのに。
まさか本当に自分の命をこいつらに売ったのか?
「おいおいまさか魔物殺しが人間を殺す気か? そりゃあ人類に対する裏切りだぜ?」
そうか、この言葉、血の枷の発動条件があの言葉の中にあるんだな。
くそっ、体がまるで水に沈む石のようだ。……血の気が、引いて……。
濃い霧に霞む景色の中で、歪む視界に浅黒い男の嘲るように笑う顔が映った。
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