82:蠱毒の壷 その十六

 進めば進む程視界を真っ白に埋めて行く霧がうざったい。

 まるで意思を持ってこっちを邪魔をしているようにすら思える。

 いや、実際そうなのかもしれない。ここは迷宮だ、常識が通じるとは思わないほうがいいだろう。


 先を突っ走って行ったお嬢さんは女の足なのに全く追い付けない。

 この霧だ、下手したら追い抜いた可能性もあるかもしれないと思うと不安になる。全くとんでもない跳ねっ返りだな。

 だが、ともあれ怪異を目指せば合流出来るだろう。

 そう考えて急いだ。

 怪異の方向はほとんど勘まかせだが、アンナ嬢よりは見つけやすいからな。


 うん。そんな風に考えていた俺は、直後に自分の間違いを知った。

 霧を透かした向こうに、鮮やかな花火のような輝きが見えたのだ。


「目立つなんてもんじゃないだろ!」


 もはや派手なネオンサインのようだ。

 耳を澄ませば戦闘の音も聞こえて来ていた。

 さっきのあれって魔法光だよな。それにしたってどんだけ強いんだ。


 うっとおしい霧を掻き分けて辿り着いた場所には巨大な狼っぽい何かがいた。

 でけぇ、軽く周囲の家程もあるぞ。

 これはもはや怪獣の類だろう。

 よくよく見ると、毛皮に見える体表には体毛の代わりに青い炎が踊っている。

 間違っても撫で撫でなどしたくない巨大なワンコである。

 そのやや手前に、目標であるやたらキラキラしい白っぽい人影を発見した。


「なんで勝手に飛び出した!」


 子細構わずその腕を引っ掴んで怒鳴りつける。

 町中でやらかしたら俺のほうがしょっぴかれそうな乱暴さだったが、優しくしても仕方ない相手というのはいるものだ。


「うるさい! 私にとって目前のモンスターと戦わないのは死ぬより最悪なことなのよ! 何もわからないぬくぬくと守られた飼い犬は黙りなさい!」


 目前のワンコに劣らない冷たく燃える青い炎のようなまなざしが俺を焼き尽くさんとばかりに睨んで来た。

 うん、やっぱりこれは遠慮していいような相手じゃないよな。

 しかし、この必死さは本当に怪異を目前にしたら戦わないと死ぬとかいう呪いとかじゃあるまいな。

 いくらなんでもそんな縛りを施したりしたら血統が早々に途絶えてしまいかねないだろうし。

 なんせどんなに優秀な血の持ち主であっても未熟な時期は絶対にある。

 逃げるという選択の無い戦いなどただの自殺にすぎないだろ。


 そんな俺の逡巡の間にも怪獣大決戦とも言うべき戦いは続いていた。

 巨大なワンコは俺たちにかまうことも出来ない状態で、何か巨大なチラチラと光るふわふわした影のような物と戦っているようだ。

 ロシアのお嬢様を守るような位置取りからして、このワンコはこのお嬢様のしもべかなにかか。


「ともかくうっとおしかろうとここでは俺の言う事は聞いてもらうぞ。そういう約束だしな。ともあれ詳しい説教は後からだ。今はこっちに集中しよう」


 俺の言葉に、アンナ嬢は一瞬ムッとしてみせた。

 その表情は今迄の取り澄ました顔と違って人間味があって、いい感じである。

 この人美人さんなんだから普通に笑顔を見せるだけで大体の自分の意思は通せそうなのに、なんで普段はああも他人を拒絶している感じなのかね。


「私の召喚の獣があの化け物を倒すからあなたは戻って他の連中と群れていればいいでしょ」


 うん、やっぱりこういうとこは可愛くないよな。


「馬鹿を言え、あんたも俺の責任の内だ。どんなに容易く見えても迷宮で油断するのは馬鹿のすることだぞ」

「あなた、さっきから、いったい私を誰だと思っているの!」


 一歩も譲らずキリキリしているアンナ嬢はともかくとして、どうも戦いの様子がおかしい。

 青いワンコが一方的にやられてないか?

 召喚の獣とやらであるらしいワンコは、まるで光る霧そのものが形を持ったような怪異に勇猛果敢に噛み付き、蹴散らしているのだが、それで散るのは少しの間だけで、相手はすぐに何事も無かったように同じ姿大きさに戻ってしまう。

 逆にワンコのほうはその体を構成するらしい炎が段々掠れて行っているように見えた。


「おい! お前のアレ、ヤバいんじゃないか?」


 俺の言葉に一瞬悔しそうな顔を見せ、アンナ嬢は荒々しく告げた。


「アレじゃない、ヴォルクよ」


 いや、今はワンコの名前とかどうでもよくね?


「霧には火がいいと思ったからヴォルクを呼んだけど、掴み所がなさすぎて相手にダメージを与えられないのよ。召喚の獣は術者と相性が良くても三十分程度が使役限度だから長くは持たないし」


 時間制限ありとかどっかのテレビジョンヒーローみたいだな。

 まあそんな馬鹿な連想はともかくとして、不定形の敵とか、俺とも相性が悪そうだ。

 班分けの担当逆のほうがよかったな。

 まあ今回は不可抗力だが。


「霧に火って考えはいいが、範囲が広すぎて意味が無くなっているんだな。どうすっかな」


 こっちの悩みとは関係無しに戦いはクライマックスだ。

 主に悪い意味で。


「っ!」


 投網のように広がった怪異がヴォルクと呼ばれたワンコを押し包む。

 狼の姿が一瞬ブレたと思ったら、ワンコはふわりと四散するように消え失せた。


「くっ、おのれ! ならば更に強い炎を浴びてもらうだけよ!」


 おお、全くショックを受けた風でもないぞ。勇ましいな。ある意味頼もしいけど、こりゃあ俺の言うことなんぞはなっから聞きそうにもないぞ。

 ワンコが消えたのにめげる事無くアンナ嬢は手を掲げて空中に魔法陣を描く。

 それは全ての線が赤い炎で出来ているような、細かく、芸術的ですらある見事な魔法陣だった。

 本部で描いてみせたのはやはり彼女にとっては児戯のような簡易式だったのだろう。

 俺の目前で生成され、生命があるかのようにのたうっている魔法陣は、描かれた術式がどんどん上書きされて行き、読み取ることなど不可能に見える。

 しかし派手だな、ほんとに。まるで太陽が頭上にあるかのように見えるぞ。


 さて、それはそれとして、彼女が召喚とやらを行なう間、敵さんがおとなしく待っていてくれるかと言うとそんなはずもなく、霧という見た目の頼りなさからは想像もつかない素早さで自らを濃厚に収束させるとこちらへと飛び掛かって来た。

 まあここは俺が支えるべきだろう。

 いくら相性悪くても現在魔法陣を構成中で動けないアンナ嬢よりはマシだ。


 俺が前に飛び出すと、敵さんは反射的にこっちを狙って来た。

 さすが霧だけあってあまりものを考えるタイプでは無いようだ。


「鬼さんこちら、手の鳴る方へ!」


 古来からの伝統的な引き付けの言霊でこちらに向いた意識を更に固定させる。

 その状態で、俺はジャケットの内ホルダに手を滑らせた。

 取り出したのは小型の銃タイプの武器だ。

 もちろん、弾丸を撃ち出す本物の銃などではない。

 普通の銃の弾など怪異にはほとんど効き目がないのだ。

 炸裂弾とか術式弾とかならまた違うんだろうが、そういうのだと今度は俺が使えないからな。


 俺は銀色に輝くその銃形の武器を右手で構え、左手でホールドする。

 動きながらなので安定はしないが、とりあえず相手に銃口が向いてさえいればいい。

術式展開チャージ!」


 登録された俺の声のキーワードで中に仕込まれた術式が展開する。


標的認識シュート!」


 銃口の前方に展開した術式から、まるで絡まり合う光の枝のようなエネルギーのうねりが伸びた。

 侵食雷光スタンだ。

 不定形の相手に茨の呪が効くとは思えないので、こっちを使ったんだが上手く行くかな?

 こいつも一発撃つと二万円が吹っ飛ぶという恐ろしい武器である。

 俺的にエコな武器のナイフが通じないこの敵が憎い。


 雷光に絡みつかれ、『ソレ』は丸く平たく、様々に形を変える。

 やっこさんはワンコと戦った時のように薄く伸びてこのスタンをやり過ごそうとしたが、侵食タイプのスタンは怪異の核に直接作用するようになっているのでそう上手くはいかないぞ。

 やがて雷光は消えたが、敵さんもぶるぶる震えて動きがゆっくりになっていた。

 しかしこれを受けてまだ動けるとはとんでもない野郎だ。

 そうこうしている内にアンナ嬢の召喚が完成したらしい。

 気配を感じて頭上を見上げると、熱の塊が降り注いで来るのが見えた。


 ……え?


 俺は考える前に後ろに飛び退くと、そのまま勢いに任せてゴロゴロ転がった。

 ええっと、ちょっと前まで俺がいた場所を含む向こう側がゴウゴウ燃えてるんですけど。


 振り向いた先にいた白いシルエットのロシアの女性は、赤い照り返しを受けて、まるで鬼女のような顔でニィと笑って見せたのだった。

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