84:蠱毒の壷 その十八
「知ってるか?
体の中を凍り付かせて行く戒めを感じながら、俺は相手の配置を確認した。
リーダーであろう野郎は馬鹿話をしながらもこちらの様子を油断なく窺っている。
少年の首の傷を覆う魔術光は点滅しつつ継続していた。
一度発動すれば効果が出て終わる術式ではなく、意識を向けることで維持し続けるタイプに間違いは無いだろう。
あの魔術師に何かあればまた出血が始まるという寸法だ。
くそっ、こいつら本当に人間を物としか思ってないんだな。どうかしている。
だが、見た感じ、パックリと開いた傷口は実は余り深くはなさそうだ。
無駄なく動脈の血管だけを切り裂いているんだろう。
考えるのも反吐が出るが、無駄な力を使わずに人間を殺すのに慣れているということだ。
もし反撃するのなら、一挙動でこの二人を無力化し、あの少年の傷を塞がなくてはならない。
なんの縛りもない状態でも厳しいのに、今現在まともに体が動かせないと来たもんだ。
姿の見えない残りの二人も気になる。カバーに入られれば俺はともかくあの坊やが心配だ。
やべえな、これは詰んだか?
くそったれが、指一本動かすのに恐ろしい程の集中が必要だ。
正直血の枷とやらがこんなにキツいモノとは思いもしなかった。
まるで全身を頑丈な鎖かなにかで縛られているような気がするぞ。
ふと、何かの気配が意識の片隅で囁いた。
『そんな鎖にお前を縛る力はないぞ』
「……っ!」
頭の中に聞き覚えのある声が響く。
全身が総毛立った。
『ヒトの呪など儚き蜘蛛の糸のごときモノ。お前が僅かに身じろぎするだけで砕けて散るであろうよ』
何だ……ろう? 体内でチロチロと青い火が燃える。
凍り付く赤い血を、その青い火が舐め上げる。
ひっそりと立ち上がる震えるような恐怖と堪え切れない歓喜。
せめぎ合う二つの魂が互いを飲み込むように全身を駆け抜けた。
気がついたら俺は走っていた。
相手はまだ俺の動きに目が追い付いてない。
素早く正確に、目標の二人の首の後ろ、神経の集約箇所に圧縮した気を叩き込んだ。
脳が発した命令が切断されて意識して体を動かすことが出来なくなる一撃だ。
瞬時に、二人共何が起こったかわからないという顔でその場に崩れ落ちる。
そのまま振り向きざまに少年の魔術光が消える寸前に治癒に使う符を傷口に貼り付けた。
ここまでおそらく二秒と掛かっていないだろう。
自分でも何がなんだかわからない早技だった。
血の枷はどうなったんだ?
もしかするとこういう場合を想定して何らかの仕掛けがしてあったのかもしれない。
自分の体なのに謎が多いって嫌な話だな、おい。
「ちっ、てめえ」
「お互い様だろ」
首から上は無事な野郎が悪態を吐くのをいなした時だった。
抱え込むような体勢になっていた少年が、怯えたようにこちらを見ながら何かをズボンのポケットから取り出すのが目の端に写る。
ん? と思ったその直後、まるで全身を殴り付けられたような衝撃が襲って来て、気づいたら目前に地面があった。
チカチカと視線が定まらない。
まるで悪酔いしたかのように吐き気が襲って来た。
これは……呪符?
見れば胸の中心に黒い六芒星のカードが発動状態でくっついている。
少年は倒れた俺から慌てたように離れると、同じく倒れているリーダーらしき男に駆け寄って、どこの国のものかわからん言葉で話し掛けた。
「よくやった。お次は呪術師に回復カードを使え」
立ち上がりながら少年に指示を出すと、野郎は俺を見て嬉しそうに笑う。
「日本のホーリーブラッドの捕獲例が無かったんでな。俺らのやり方じゃ上手くいかないかもしれないじゃないか? だから念には念を入れておいたのさ。せっかく頑張ったのに残念だったな」
「ぐっ、まった…くだ」
「いいね。活きがいいのはいいことだ。ホーリーブラッドの中には捕獲すると死んじまうのがいたりするからなあ。全く、お国の偉いさんもさ、貴重な種なんだから大事にすりゃいいのによ。使い捨てとか馬鹿な連中さ。だが、どうもあのお嬢ちゃんはその類らしいな」
慌てて目をやると、アンナ嬢は突っ立ったままおかしな痙攣を始めている。
本当にこいつの言う通りならまずいんじゃないのか?
「……おい」
「わかってるって、心配すんな。俺らだってみすみすお宝を駄目にしたりはしねえよ。呪いの進行を止める薬なんてのもあるんだぜ? まあまかしとけよ。だからお前は安心して、寝とけや!」
野郎が嬉しそうに俺に向かって足を振り上げた途端、奴の周囲で炎が舞った。
「なんだ! こりゃ!」
炎の正体は蛾の集団だ。
由美子の使う式である。
式を燃やして突っ込ませるという実に燃費の悪い術だが、かなりの距離からでも遠隔攻撃が出来るのでアドバンテージは高いと以前自慢されたことがあった。
と言うか、感心している場合じゃないな。
なんとかこの間に封印を解除しないと。
この術を選択したってことはあいつらはまだこっちに追いつく距離じゃないってことだからな。
……野郎! これ、高位怪異、魔獣用の術式じゃねえか、ふざけんな!
人間に使うようなもんじゃねえだろ! 殺す気か!
俺が身動き出来ないまま憤っていると、ヒラヒラ翔んで来たデカい蛾がその封印札の上に留まり、それがたちまち燃え上がった。
「うおアチ!」
おお、アチいけどナイスだ、由美子! さすがにそれだけでどうにかなるような代物じゃないが、拘束力は弱まった。
「落ち着け! この程度の使い魔、大した脅威じゃねえ! それより獲物をさっさと回収して一旦引くぞ!」
さすがにあの野郎立て直しが早いな。
だが時間は十分に稼いだぞ。
俺はなんとか動かせる指先で投擲用の細いナイフを袖口から引き出すと、胸の札を一気に引き裂いた。
「ちっ、てめえ!」
リーダー格の男が早速気づいて身構える。やっぱり対処が早い。簡単にはいかないな。
だが、
「うわああ!」
悲鳴がその場の空気を引き裂いた。
全員の視線が向いた先に、霧の中でもがいている少年が見える。
やばい! こんなとこで人間同士争っている間に怪異が集まって来やがったんだ。
早く助けないと拙いぞ。
「ち、仕方ねえ、引くぞ!」
あろうことか冒険者の二人は素早く撤退しやがった。
野郎、さんざん利用しておいて見殺しとかふざけてやがる。
駆け寄ると、少年は何かに巻き付かれて宙に浮いた状態になっていた。
口から泡を吹き、紫色に変色した舌が零れ出している。
目もうつろで見開いたまま涙が流れっぱなしだ。
毒か。
「おい! アンナ! てめ、正気に! ちっ、ああもう」
全く正気に戻らないアンナ嬢までかまっている余裕はない。仕方ないので棒立ちで固まっているアンナ嬢の周りに簡易の短期結界を展開すると、頭上の怪異の把握をしようと目を凝らした。
上には、まるで空から垂れ下がるリボンのように薄くひらひらとした物がいくつもウネウネと動いている。
背後で空気が動くのを感じて避けると、そのリボンのような物がえらい勢いで頭を掠めて行った。
擦れ違いざまに見えたが、間近を掠めた瞬間、その表面にびっしりと刺が浮かび上がった。
おそらくあれに毒が仕込んであるに違いない。
それにしてもこの濃密な霧が邪魔くさい。
こいつのおかげで相手の全貌を把握しにくいのだ。
まあ何にせよ今はあの坊やの救出だな。
俺は陸上の短距離スタートのように地面に屈み込むと、地面を真下に蹴って一気に飛び上がった。
この怪異が何に反応して攻撃して来ているのかわからんが、リボン状のこの足のような物に感覚があるならダメージを与えれば反応するはずだ。
俺は飛び上がりざま、サッカーのオーバーヘッドのような体勢でリボンの一本を蹴りつける。
蹴られたそれは、すかさず俺を掴もうとした。くるりと俺に巻き付こうとして果たせず、空振ったせいで絡まったリボンのように丸まる。
その丸まった部分を横ざまに蹴りつけ、三角飛びの要領で更に高く上がった。
「よし」
目標はあやまたず、ぐったりとした少年をリボンのような怪異から奪い取り、抱き取ることに成功した。
獲物を離すまいとするリボンをもう一度蹴りつけ、落下の衝撃を殺すために腕の中に少年を抱え込んだままゴロゴロと転がる。
時間経過で解除された結界のせいでがら空きになったアンナ嬢の足元まで転がり、そのままその足を蹴ってやった。
「おい! 起きろ! お前仮にも魔法大国の人間だろうが! こいつなんとかならないか!」
俺の呼びかけにどうやらなんとか正気付き出したらしいアンナ嬢のぼんやりとした視線が俺の腕の中の坊やに注がれる。
「あっ!」
息を呑み、一瞬ふらついたかと思うと、彼女はそのまま立て直し、もうほとんど鼓動が消えかけている少年を俺からひったくった。
意外と立ち直りが早い。
彼女は無駄な口を一切叩かず、少年の状態を確認するとすぐさまその上で印を切る。
「主よ、哀れなる子らを癒やし給え」
もはや紫の肉の塊と化していた少年の全身を覆うように、白い花びらを綻ばせる花を思わせるような魔法陣がいくつも開いていく。
多重起動にも程があるだろう。なんなんだ、こいつの魔法。
「おっと!」
放置プレイがお気にめさなかったのか、リボンのような敵さんが我先にとこっちに殺到して来た。
「人気者は辛いな」
吐き捨てるように言って、それらをナイフで斬り飛ばす。
ずるりと上空の一部が動いた。
「……うわあ」
そのおかげでなんとかその全体の輪郭を掴むことに成功する。
頭上に展開するドーム状の傘。
その下に飾りのように垂れ下がる何本ものリボン状の足。
「クラゲ……かな?」
その見た目は海の嫌われ者であるクラゲにそっくりだった。
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