31:昼と夜 その八

 ピッというセンサーの音が正常な動作を告げる。

 よし、ここはOKと。


「だからですね、上が怠慢なせいじゃないかって話なんですけどね」


 ハンズフリーにしている電話に向かって少しだけ嫌味な口調で会話を続ける。

 今回の事件における異能者への対処の初動ミスについて、俺はネチネチと愚痴った。

 まあ自分でも八つ当たりっぽいとは思うんだけど、実質上の最高責任者ではあるんだし、愚痴ぐらいは聞いてくれるだろうと、お菓子の人に先日教えていただいた私用回線で電話をしてみたんだが、……忙しい人なのにワンコールで出やがった。

 待ってたんじゃなかろうな?怪しい。


『その見解は、正しくもあり、違ってもいるな』


 謎掛けか!?

 おっと、思わずテスターのチェック場所をミスる所だったぜ。


「わかりやすく、噛み砕いて頼んます」


 ジジジ……という半田の融ける音がわずかな静寂を埋めて行く。


『別に謎を掛けたつもりも無かったんだが、この間も言っただろう?便利な新しい壁によってもたらされた「半世紀を越える平穏」と。いわばその平穏が人々から危機感を奪ったのだよ』

「つまり、怪異事件の発生がほとんどないから対応部門が腐ったと言いたいんですか?」


 半田の量は出来るだけ少ないほうがいい。

 作ろうとしている物が物だ、ベースになる基板もなるべく軽くしないとダメだしな。

 感覚としては蝶々さんを作った時の繊細さが必要だった。


『隆志、怠慢という物はどういう時に発生すると思う?』


 ぬ?質問した言葉についての質問を返すとか、もうほんとこの人って読めない人だよな。


「怠慢ですか?要するにさぼりですよね。うーん、そうですね、働いている人間にやる気が無い時ですか?」


 光ファイバーを、薄く丈夫な貝殻石で作られた受信板に埋め込んで行く。

 これも細かい作業だ。

 好きな玩具からくり作りに熱中してるせいで、段々酒匂さんとのやりとりがおざなりになっていってる気がするが、仕方ないよな。


『緊張感の欠如だ』


 そんなことを考えている時に言われたその言葉に、ドキリとして、思わず受信機を見るが、画面付きの電話じゃないので当然そこに相手の顔が見えようはずも無かった。


「ええっと、それってやる気が無いのとどう違うんですか?」


 なんとなく片手間に話しているとヤバイ予感がして来たので、作業を一時中断して会話に集中する事にした。

 俺の気にし過ぎかもしれないが、この人のしっぺ返しは、こっちが気づかない内にいつの間にか嵌められていることが多い。

 ちゃんと相手をしなかったからとヘソを曲げられたら大変だ。


『どんなに真面目な人間でも、必要が感じられない物のために労力や予算を割くことには疑問を抱く物だ。その分の余力で他のことが出来る。それは抗いがたい誘惑だし、一見社会的に正しくも思える』

「それはわからなくはない……ですね」

『だが、それは過ちを正当化させる落とし穴だ。もしくは錯覚を起こさせると言っていい』

「まあ、そうですよね。外ではあいも変わらず怪異との戦いは続いているんですから」

『実際、多くの都市部では長年必要にならなかった条項を削り続けている。今や大都市程無防備な有様だ。覚えているか、五年程前に新大陸連合で起こった終末の魔竜事件を』

「あれはむしろ忘れられる人間の方が少ないんじゃないですか?」


 あれは、あの国だけじゃなく、世界中が終わりを予感した事件だった。

 古代に封印された古きドラゴンが、都会のど真ん中で開放されたのだ。

 あの事件以降、古い地層からのエネルギー採掘自体の見直しまでされ始めたのである。


『あれこそが怠慢、いや、怠惰の災禍の最たるものだ。アレがどうやって持ち込まれたか知っているか?』

「確かテロリストが巧妙に偽装して持ち込んだという話では?」

『それは表向きの話だ。実際は国際便の手荷物として持ち込まれた悪夢の遺産から顕現したのだよ。むき出しの状態のな』

「まさか、国際便の手荷物検査は厳しいことで知られていましたよね」


 呪物検査さえちゃんとやっていれば有り得ない話だ。

 何しろ、悪夢の遺産という奴は、封印状態でも空間に歪みが出る程の呪を纏っている。

 というか、古代の遺物は呪を呪で封印している物が多いのだ。

 いわゆる毒をもって毒を制すってやつだな。

 おかげで取り扱いが厄介なのである。


『五十年の、いや百年近い平穏が、大都市の住人から怪異に対抗して来た生存本能を奪っていったのだよ。彼等にとってモンスターは御伽話の、いや、コミックスの中の存在に過ぎなかったということさ』


 酒匂さんの話を聞いていて、俺は段々笑いがこみあげて来るのを感じた。

 漫画コミックスだって?

 現実から目をそらした挙句、世界が滅び掛けたとか、傑作な話だ。


『だからこそだ。ここにハンターが必要な理由がそこにある。社会が惰性に墜ちた時、目に見える奇跡は人の心に世界の真の姿を思い出させる切っ掛けとなるはずだ』

「……いや、なんかかっこよく纏めて誤魔化そうとしてますよね?奇跡とかより地道な組織改革が一番必要なんじゃないですか?頼みますよ、本当に」


 俺達にナニやらせる気なのさ。


『一度固まった考えを変えるには、何らかの現実的な刺激が必要ということだよ。迷宮に引き続き異能者への対処、リアルな記録は人の目を覚まさせる。助かるよ』


 ……ん?

 これってもしかして俺達はダシにされたってこと?


「……酒匂兄ぃ?」

『怒らない、怒らない。今度南へ行く仕事があるんだが、白珠羊羹をお土産に買って来てやろうな。君はあれが好きだっただろう』

「食い物で誤魔化そうとかすんなよ。俺はもう大人だぞ!」

『いらないのかい?』


 くっ。


「いるけど」

『二人で仲良く分けるんだぞ』

「だから、子供扱いすんなって」


 ふう。

 なんだかどっと疲れたぞ。

 だけど、そうか、平和や平穏は怠惰や堕落の温床になるってことか。


「じゃあ、全部無駄だったということなのかな?人が積み上げた文化や技術、長い平穏が育んだ色んな物は、現実を見ないで描かれた愚かしい幻想であって、あのバベルの塔のようにいつか崩れる物でしかないのか?少数の犠牲で大勢の命をあがなっていた時代こそが正しかったってことなのか?」


 スピーカー越しに、はっきりと溜め息が聞こえた。


『本当にお前は昔から単純だな。いいか、何かを推し進める場合、全部がクリアなことなんて滅多にあるもんじゃないだろう?お前だって仕事をしてるならわかるだろうが』

「うん。それは、うん、わかる」

『失敗して学ぶんだ。そうやって物事は強固になっていくものなんだ。大事なのは失敗に気づくことであって、失敗をしないことじゃない。我々は永遠の絶望と戦っているんだ、この長い平穏は、確かに我々の勝利の一つの形ではあるんだよ。それはそれで存分に味わえばいいんだ。お前が望む物は、決して砂上の楼閣なんかじゃない』


 とか、なんかいつの間にか昔の気持ちに戻ってるんじゃないか、酒匂さん。

 もういい年で、ずいぶん偉いさんになったってのに、しょうがない人だな。


「ああ、うん。まあ駄目だって言われても仕事は辞めないけどな」

『お前はそれでいいよ。取り敢えず私の都合で振り回しはするが、思うがままに生きる分には大した問題ではないだろう』

「いや、そんな堂々と振り回すとか言われてもね。……お土産よろしく」

『ああ、朝一で並んで買って来るよ』

「並ぶな。一応国のお偉いさんなんだから」

『あはは、じゃあおやすみ。あまり夜更かしするな』


 やっぱ作業してたのバレてるな、これは。


「了解しました」


 プツンと切れた電話の通信ボタンを押してスピーカーを切る。

 やれやれ、あの人の中では俺はまだ子供なのかな?

 いいようにあしらわれている内はそう思われても仕方ないかもしれないが、悔しいのは悔しい。

 今に見てろよ。


 まあとにかく、考えるだけ不毛なことは考えないのが一番だ。

 途中で手を止めた玩具からくりの組み立てを再開する。

 暁生達親子は、関東異能者養護施設に居を移すことにしたとの話だった。

 家族ぐるみでそういう施設で生活する異能者は多い。

 むしろそこからちゃんと社会復帰して普通の街に居を構える異能者のほうが少ないぐらいだ。

 それは、異能者がどうしても社会的少数であるための差別があるせいも多少はあるんだが、何より一番の問題は、この手の一代限りの異能者のほとんどが、能力と肉体のバランスを自分の意志だけで調節出来ないことが圧倒的に多いからなんだ。


 実を言うと、俺は暁生に少しだけ嘘を吐いた。

 突然変異的な異能者が普通の人間のように自然に振る舞えるようになるには、先天的な能力と肉体のバランスと、努力と、両方が必要なのだ。

 努力だけではどうにも出来ない壁が確かに存在する。

 暁生がそれに恵まれているかどうかは、調査と研究を重ねて探っていく他は無いのだ。

 だが、もし自身で制御不能な力でも、今の時代には極々小型の制御装置がある。

 俺の言葉は完全な嘘にはならないはずだ。

 うん、いや、誤魔化しちゃだめだな。

 嘘はよくない。


 肉体から、いや、細胞単位で既に能力に合わせて組み上がっていること、これこそが勇者血統と言われる者達の特徴だ。

 そう考えれば、俺と暁生は異能者ではあっても『同じ』ではない。


「よし、テストといくかな?」


 簡略化された銀色の龍の意匠が巻き付く、小さな卵のような黒い金属体。

 スイッチ代わりの龍の頭をぐいと下げると、卵のてっぺんからポン!という、シャンパンを開けるような音と共にキラキラする塊が発射される。

 1m程度上に飛んだそれは、空中で放射状に広がり半透明のマリモのような球体となる。

 そして次々と、光を放ちながら鮮やかな赤、青、緑、金色、そしてレインボーと彩りを変えていく。

 その様子は、夜空の花火をなんとなく思い起こさせた。


 光ファイバーを使った良くある光るおもちゃだが、このからくりの真骨頂は宙に浮き続ける所にある。

 ベースの金属の卵から発生する指向性を持つ波動が、仕掛けの中心のコアにぶつかると、共鳴作用によりクロス状に嵌め込まれた貝殻石の薄いチップに磁界を発生させるのだ。

 この二つのエネルギーの場が、反発と吸引の両作用を引き起こして、ベースと仕掛けとを等距離に安定させるのだ。

 互いの異なる力場が絡み合っているせいで、それは立体的な作用となり、作用点がズレるとはじき出されて墜落ということもない。

 実を言うと、暁生がジャマーに仕掛けたやり方から思いついたのだ。


 おもちゃらしく、宙に浮く仕掛け側にはセンサーが仕込んであり、光ファイバーの色合いの変化と、なんだか変で可愛らしい電子音が周囲の音によって発生するようになっている。

 俗に言う、子供に喜ばれるおもちゃの基本の二つの物、光と音を仕込んでみたという訳だ。

 この仕掛けはベースと一緒に移動するので、この卵状のベースを持っていればどこにでも付いて来るし、卵の底部に収納してある足で固定すれば床にも置ける。

 どうだろう?暁生は喜んでくれるかな?


 とりあえず、これは約束のプレゼントなんで、見送りにはなんか普通の手土産も必要だろうな。

 あ、しまった、酒匂さんに美味いお菓子のお店とか聞いておけばよかった。

 あの人やたら美味い菓子の店に詳しいんだよな。

 まあいいか、明日会社で伊藤さんに聞けば案外なんとかなりそうな気もするし。


 それにしても、……あの調子じゃ、俺には当分堕落出来るような平穏も無いんだろうな。

 やれやれ。

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