閑話:子どもたちは野に遊ぶ

 視覚、聴覚、嗅覚、そしてそれ以上に必要なのは身に宿った世界を認識する力。

 その全てを駆使して危険を炙り出す。

 『外』はいつも緊張を強いる場所だ。

 それなのに。


「それっ!」


 薄い雲の掛かる空を背景に異質な小さな玩具が視界を横切った。


「兄さん……」


 自分でもはっきりとわかる不機嫌な声。

 しかし、それは兄さんには負の印象を与えずに上滑る。

 そんなのいつものことだから今さら不思議にも思わないが。


「なあ、浩二、これを最初に作ったのってどんな人だったのかな?竹を削って組み合わせただけでこんなに飛ぶなんてどうやって考えついたんだろう?」


 言いながら、上空からゆっくりと落ちてくる竹トンボを何でもないように指先で捕えて見せる。


「仕事中だよ、今」


 重ねて注意すると、悪びれない顔で笑ってみせる。


「だって、相手が見つかるまで別にやることも無いだろ?」

「気を抜き過ぎって言ってるんだ。兄さんは外に出るといつもそうだよね」

「だって、うるさい連中もいないしさ、伸び伸びするだろ?」


 いや、それは兄さんだけだよと、心の中で呟いた。

 人里に程近い山の中、それは怪異マガモノの巣に等しい。

 人に関わりの無い怪異せいれいなんかは、それ程脅威ではないとはいえ、一つ何かを間違えて彼等の怒りに触れれば、それは天災並の脅威となるだろう。

 それより力としては劣るとはいえ、人由来の怪異マガモノは、人里を追われてひっそりとこういう山に潜み、人に害を成す怪異モンスターに成長しているものだ。

 そういう連中は、こちらを見つけた途端に襲って来る。

 人の手が入っていない場所は、いわば怪異あやかしの領地。

 到底人間が伸び伸び出来るような環境では有り得ない。

 そんなの、学校の初等教育で最初に習うぐらいの、基本中の基本だ。


 しかし、兄さんにとっては、ここより村の方がよほど神経を使う場所なのだろう。


「そんなにピリピリしなくても、ユミが探索に虫を放ってるんだから、この近辺に奴等がいないのはわかってるだろ?」

「そうだね」


 確かに兄さんの言うことも間違ってはいない。

 妹の由美子の策敵は優秀だ。

 待機場所の周辺に何かが潜んでいればとっくに気づいているだろう。


「隆志にい、あたしがさっさと敵を発見出来ないから退屈なんじゃない?ごめんね」


 飛ばした虫に意識を乗せているくせに、こっちの会話も気になっていたのだろう。

 由美子はおずおずと兄さんに謝った。

 こんなふうに、謝る必要も無い時に謝るのは由美子の習性のようなものだ。

 由美子は、いつも不安で仕方が無いのだから。


「何言ってるんだ、お前のおかげでこんなのんびりと楽が出来るんだろ?それぞれバラけて策敵とかになったら、いくら脳天気な俺でも意識を尖らせて軽口も叩けないじゃないか?ユミがいてくれて最高最強だぜ」

「えへへ」


 不安気だった由美子の顔が一瞬で明るくなる。

 悔しいけど、こういう所は僕は到底兄さんに敵わない。

 僕は何かを言う時には必ずその内容を推し量ってから口にする。

 勘の鋭い由美子はそれを敏感に感じ取って、僕の言葉を信用仕切れないのだ。

 わかっているのに、僕は兄さんのように思ったことを思ったまま口にする勇気がない。

 いや、恐らく僕の性根は小賢しく出来ていて、由美子はそれを感じ取っているに過ぎないのかもしれない。

 自分を卑下する訳じゃないが、自分のことだからこそ、僕は自分の在り方から目をそらすことが出来ない。


「浩二」

「いた?」


 兄さんの鋭く、でも抑えた声が戦闘準備の合図だ。

 いちいち細かい指示は必要ない。

 僕たちは兄妹なので生まれた時から一緒だし、その上訓練も一緒にやっていた。

 俗に阿吽あうんの呼吸と言うけれど、僕たちはちょっとした視線のやり取り、下手すれば相手の足音だけで、お互いが何をすべきかが、言葉として浮かぶ以前にわかるのだ。

 怪異と戦うハンターのパーティとして、これほど理想的な組み合わせは無いだろう。

 そう、まるで悪魔が図ったように理想的だ。


 そのことについて色々思う所はあるけれど、そんな、僕たちの在り方が本当に図られたものなのかどうかを知るには、家長だけが見ることが出来るという家伝之書を見るしか無い訳だし、どうせ家長を継ぐのは兄さんで、一生僕の知る所ではないだろう。

 そう思うと、興味が無いとは言わないが、事実それを知るとしたら僕は僕自身より兄さんのほうがいいんじゃないか?と思いもするから。


 悔しいけど、僕は自分の心の強さを信じられない。

 あ、くそ、兄さんに対して悔しいってもう二回も思ってしまった。

 コンプレックスか?バカバカしい。


「七、六、五……」


 由美子のカウント、敵を誘導しているんだ。

 今いるのは山の中の、倒木によって出来た空間だ。

 邪魔な腐った倒木は、兄さんが蹴飛ばして粉砕してしまい。足場としてはまずまずの状態にならしてある。


「三、二……」


 木々の合間から敵の姿が見えた。

 以前見たヒグマより二回りぐらい大きい程度か。

 由美子のカウントが早いことから気づいていたけど、かなりのスピードだ。

 数は二、いや三体か。

 顕現怪異モンスターの識別名で言うところの狒狒ヒヒだ。

 本能に忠実で、理性をかなぐり捨てた、人を元に成った怪異(モンスター)。

 力が強くスピードがあり、連携の真似事をする厄介な敵。

 既に被害が出ていて、女子供が随分無残な殺され方をしたらしい。

 特に妊婦が狙われて、その殺し方を聞いた時には流石におぞけが走った。

 そんな厄介な相手に僕らのような子供を当てるのは正直どうなの?という気がするんだけどな。

 まあ仕事だから仕方ない。

 それに現実はマニュアルとは違う。

 この相手が僕たちにとってはそう厄介とも思えないのは確かだ。


 戦闘開始までのわずかな時間に、今いる空間を一度ざっとさらう。

 と、兄さんが鋭く振り向いた。


「浩二!」


 咎める、そして心配する声。

 なんで気づくんだ?兄さんは術適性は無いはずなんだけど。

 空識適性は高いからそのせいなのかな?


「大丈夫だよ!」


 敵を目前に振り向くようなことじゃないだろ?

 上っ面を撫でた程度だ、圧迫感すら感じない。


 カウントゼロで飛び出て来る醜く欲望に歪んだ人間に酷似した容貌の猿。

 見た目が在り様に直結する。怪異というのはそういうモノだ。

 時間差で次々飛び込んだ狒狒ヒヒに向かい、兄さんが低く地を這うように接近する。

 奴らはバラけて、一体が由美子、残る一体がこっちに来た。

 猿知恵でも各個撃破とか考えてもよさそうだが、所詮はまだ顕現してから年数の短い怪異モンスターだ。そこまで知恵は無いらしい。


 僕はすかさず認識した空間に線を引く。

 由美子と狒狒ヒヒとの間に一線、自分との間に一線。

 兄さんには必要ない。

 キーとかヒーとか高く気味の悪い声で笑いながら突進して来た狒狒ヒヒが、まるで透明な壁に阻まれたかのように弾かれた。

 実際の所はそれは壁ではないが、相手からすればその辺は別段気にする部分ではないだろう。

 僕の脳の一画、この力を使用するための領域が、網目のように脳の全域に広がった感覚。

 移り変わる事象を演算し、空間を変化させ続けるために出力を続けるように制御する。

 描かれた線は展開と収束を繰り返して、敵の襲撃を阻む。

 僕自身はこの間ぴくりとも動けない。全ての身体の制御系が能力の制御に振り向けられているからだ。

 だが、たとえ棒立ちであろうとも、事、防御方面での不安は全く無い。

 僕の認識している空間は、全て僕のキャンバスのようなものだからだ。


 ふと気づくと、由美子と対峙している狒狒ヒヒが、何やら淫猥な言葉を投げている。

 糞が、下等な化物のくせしてうちの妹に何してやがる。

 そうか、早く消え去りたいんだな?よしわかった。

 由美子の虫が狒狒の目を潰した瞬間、僕が操った線が狒狒の体を切断した。

 これで一体。

 と、思ったが、既に兄さんが一体片付けていた。

 早い。瞬殺か?。むかつく。

 残るは僕の前で唇をまくりあげてギャーギャー文句を言っているこいつだけか。


「ニンゲンシネ!バラバラ!バラバラ!」


 会話にならないな。

 残念ながらお前がもっと賢くなるまで待ってやるつもりもない。

 

「バイバイ」


 兄さんの手を煩わせるまでもない。

 くるりと円を描いた線が、そいつの首を切断した。

 化物のくせしていっちょまえに血が噴き出る。

 ウザイ、あっちへ行ってしまえ。

 こうやって線を引けば、死体も血も僕に触れることは出来はしない。


「浩二、大丈夫か?」


 死んだ狒狒から注意深く怪異マガモノの元を抽出して水晶に封印した兄さんが、僕の方へ歩いて来ながらそう言った。

 封印された狒狒ヒヒは血も死体も跡形もなく消え失せる。

 何度見ても不思議な感じがするな。


「この程度でどうにかなるほうがおかしいよ」


 兄さんは心配性すぎる。

 こんな簡単な戦いで、いや、戦いとも言えない作業で、僕の脳が焼き切れたりするはずがない。

 そんなことわかっているはずなのに。

 僕が無理していないかという、あからさまに探る視線を向けた後、心底ほっとしたように「そうか」と言って笑う。


「あたし、あんまり役に立たなかった。浩二にいに無理させてごめん」


 その上またしても不安持ちの由美子が、自力で一体倒せなかったことを気にして項垂れている。


「ユミ、適材適所だろ?」


 僕は言葉足らずだ。

 そんなことはわかっているが、こういう時、どんなことを言えばいいか考えすぎて言語野がフリーズしてしまうらしい。


「そうそう、大体そんな事言ったら俺達索敵じゃ全くの役立たずじゃないか。妹に頼りきりの兄貴ズでごめんな」


 兄さんが由美子を見て、目を細めながらそうフォローしてくれる。

 そのまま抱きしめて頭を撫で回したいという欲求が見え見えの兄さんは、由美子が可愛くて仕方がないのだ。

 その由美子に対して、役立たずとか考えたことすらないだろう。


「兄さん達が役立たずとか有り得ないし!」


 一応僕を含めて擁護してくれている由美子だが、目線は兄さんにがっちり固定されている。

 何しろこの世で信じられるのは兄さんだけっていうぐらいの勢いなのが我が妹クオリティだ。

 僕や他の人間は言葉を紡ぐ時にちょっと考えてしまう。

 由美子からすれば、そこに嘘の入り込む余地があると思ってしまうのだろう。

 だから何も考えずにモノを言う兄さんの言葉は、由美子にとってほとんど神託同然だ。


 兄さんは、由美子が人嫌いなのは苛められていたからだと思っている。

 確かにそれも正解の一部ではあるだろう。

 でも、僕は知っている。

 由美子が恐れているのは苛められるというそれ自体では無い。

 苛められた時に言われた『貰われっ子』という言葉を恐れているのだ。

 由美子は家族の誰にも似ていない。

 能力を持っていないことは元より、まるで掃き溜めの鶴のような可憐な容貌すら、由美子にとっては嫌悪の対象なのだ。

 どれ程僕達が間違いなく実の家族だということを保証しても、由美子の中には常に一片の恐怖が居座っている。

 物心付いた頃には古文書を読み漁り、誰よりも多くの術式と、その核にあるものを学び取ったのも、家族として相応しくあろうと、ほんの小さな頃から既に思っていたからに他ならない。


 いじらしいと思うし、なんとかしてその不安を払拭してやりたいとも思うのだけど、由美子は下手に賢いせいで、他人の言葉を勘ぐってしまい、何を言ってもその裏を探ってしまうようなのだ。

 だから僕や、家族の言葉でも、由美子は丸々飲み込んで安心してはくれない。

 ただ一人、裏など存在しない兄さんだけが、由美子を安心させられる唯一の相手だった。


 それに、悔しいけど、僕もきっと兄さんに依存しているんだと思う。

 あ、また悔しいって考えた。

 なんかむかつく。


「うおっ!いてえ!浩二、なんで足踏んだんだよ!」

「別に」

「別に、じゃねぇよ、反抗期か?」

「なんで兄さんに反抗しなきゃならないんだよ。馬鹿なのに」

「馬鹿じゃねぇよ、学校の成績はそんなに悪くないだろうが!」

「誰が学校の話をしてるのさ」

「お前なあ」

「喧嘩しないで!喧嘩駄目!」


 由美子が涙目になっている。

 可愛い……じゃなかった、いけない、宥めないとな。


「喧嘩なんかしてないよ、ほら、仲良しだろ?」


 兄さんと肩を組むふりをしてヘッドロックをかます。


「ちょ、お前!あ、ああ、いや、ほら、仲良しだぞ!」


 そんな風に由美子にいい顔をしてみせて、兄さんは「ギブギブ」とか言いながら僕の腕を叩いているが、知ったことではない。


「仲良しならあたしも混ぜて!」


 由美子が兄さんのお腹に突進してぎゅうと抱き付く。

 羨ましい。

 兄さんはゲホッとかわざとらしく息を詰まらせて悶えているけど、きっと喜んでいるに違いない。

 もう少しぐらい力を入れてもいいよね?


「ば……か、おまえ……ら、俺を殺す気……か?」


 いくら口をパクパクさせたって、騙されはしない。

 兄さんがちょっとだけ力を込めて振り払えば、僕たちの力なんて何の脅威でもないんだ。

 なんだか段々兄さんの限界を試したい気分になってきた。

 それとも兄さん、本当に僕達になら殺されてもいいとか思っているんだろうか?

 いや、何も考えて無いよね。

 何も考えずに僕達を振り払わない。

 本当に馬鹿な人だよな、兄さんは。

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