30:昼と夜 その七

「お疲れ様でした」


 封鎖線を越えた俺達に柔らかい声が掛かった。


「伊藤さん、待ってたんですか?」


 まさかまだいるとは思いもよらず、探すこともしなかったのだが、伊藤さんのほうが、目敏く中から出て来た俺達を見つけたらしく、駆け寄って来た。

 それは正に驚きの安心感。

 なんというか、顔を見た途端ほっとした。


「誰?」


 当然ながら、隣に並んでいた由美子が不審気に聞いて来る。


「会社の同僚で伊藤さんって言うんだ。ここまで近道を案内してくれたんだぞ。……で、伊藤さん、こっちはうちの妹で由美子って言います。今年大学に入ってこっちに出て来たんです」


 由美子は初対面の相手に酷く警戒して、伊藤さんをジロジロと不躾に見た。

 いや、凄く失礼だからな、その態度。


「あ、噂の妹さんですね。そっか、やっぱりご兄妹ですね、凄く雰囲気が似てる」


 えっ!それって無茶じゃないですか?

 全然似てないから、俺達。

 俺は伊藤さんの感覚について行けずおののいたが、どうやら由美子の意見は違ったようだった。

 最初酷く驚いたような顔をした由美子は、なんと、瞬く間に花が綻ぶように笑顔になった。


「あ、ありがとう」


 うちの妹が、笑顔ではにかんでいる。

 ……なんだ、この天使。


 驚天動地。

 奇跡の瞬間が訪れた。

 ここ何年も、由美子の笑顔とか見てなかったんだよな。

 いったいどんな魔法を使ったんだよ、伊藤さん。

 俺がひとしきり感動に打ち震えていると、伊藤さんは俺が抱えているもう一人に視線を向けた。


「その子は兄さんの息子」


 由美子が何かとんでもない事を口走る。


「えっ!そうなんですか?」

「ちょ、ユミ、何言ってんの、お前!」


 突然のぬれぎぬを慌てて否定した。

 いや、無いから、マジで無いから。

 しかし、伊藤さんはどこか感心した風に俺と暁生を見比べている。

 え?そこは笑って流す場面だよね?


「待ってくれ、どう考えても無理があるだろ、こんなでかい子がいる訳無いっしょ!」


 俺を真剣な顔でじいっと見ていた伊藤さんは、次の瞬間、急に噴き出して笑い始めた。

 由美子も悪戯っぽい顔でニィと笑って見せる。


「君達……」

「あはは、ごめんなさい。だって、木村さんったら凄く必死に否定するからおかしくて」

「名誉の問題ですから」


 俺がそう言うと、収まり掛けていた笑いがぶり返したらしく、伊藤さんはまた噴き出した。

 くそっ。

 いいんだ、人々の笑顔のためにガンバルんだ。


「今からこの子を病院に送って行くんですが、こっからどう行けばいいかわかります?」


 なんとなく考えるのが面倒になってきた俺は、伊藤さんにそう尋ねた。

 そう、今回の二の舞は御免なので、俺は暁生を問答無用で引き取って来たのだ。

 もうね、ここ最近強権発動しまくり。

 きっと俺、この数日で管理局のブラックリスト入りしたに違いない。


「え!その子怪我をしているんですか?」


 病院という単語に反応して伊藤さんが慌てる。


「あ、いや、母親が怪我して運ばれたんです。中央総合病院ってとこらしいんですが」

「そうなんですか、中央総合なら省庁地区ですよ。この都市のほぼ中央に当たりますから道は凄くわかり易いですね」

「省庁地区か、ありがとう」

「ここからなら巡回バスに乗ればすぐですよ。行きましょう」


 ん?あれ?『行きましょう』?


「由美子ちゃん、用事が終わったら一緒にケーキの美味しい喫茶店に行きませんか?いつも行きたいなって思ってるお店があるんですけど、一人だと少し勇気がなくって」

「ケーキ……行く!」


 ああ、うん、そうか、由美子に対するお誘いか。

 女の子同士で何か相通じる物がある訳なんだな。

 よかったな、由美子、伊藤さんはいい人だぞ。

 友達いない歴が年齢と同じという黒歴史をここで亡き物にしてしまえ。

 俺もケーキは気になるが、喫茶店というと、また、男には針の筵の場所なんだろうしな。

 ……いや、羨ましくなんかないぞ。


「んじゃ、俺がこいつ連れてくから、二人はそっちへ直接行けばいいんじゃないか?」


 提案してみると、二人は顔を見合わせ、なにやら無言の内に合意が成ったのか、揃って頷いた。

 息ぴったりだな。羨ましくなんかないぞ……。

 所詮男には女の世界はわからないのさ。

 微妙に疎外感を味わった俺を残して、二人はどこかへと去って行った。


「また明日」


 あいも変わらず俺にはクールを貫く我が妹の隣で、微笑んで手を振ってくれた伊藤さんが唯一の癒しでした。


 ―― ◇◇◇ ――


 バスでも、病院受付でも、ハード装備の男がボロボロの服の子供を抱えた図というのは目立ち過ぎていたらしい。

 思い切り周囲から距離を取られることとなった。

 しまった、女子二人を帰すべきではなかったか。

 しかも途中で目を覚ました暁生が、事態を把握して泣き出したりもしたんで、絶対何人かは警察に通報したに違いない。

 病院出たら包囲網とか洒落じゃなくてマジでありそうでヤバい。


 まあ、未来への不安は置いておいて、取り敢えず暁生を落ち着かせると、病院の案内書に暁生が息子であることを告げて母親の病室を訪ねた。

 ことがことだけに個室に隔離されていたのは幸いだ。


「失礼します」


 暁生が不安からか、病室に入るのを酷く怖がるので、一度は喫茶室で待たせることも考えたが、ここで逃げ癖を付けるとマズい気もするし、結局一緒に病室に入った。


「どうぞ」


 応答があった。どうやら起きているようだ。

 ナースセンターの看護担当員からは、今は落ち着いているが、絶対に興奮させるなと言われたんだよな……どうなることやら。自信ないっす。


「えっと、こんばんは」


 いかにも病院らしい、清潔で整った淡い色合いの室内。

 ドアを開くと、ベッドへの視線を遮る衝立があった。

 その衝立のせいでベッドは見えないが、室内自体は視界の通る場所がある。

 そこには、警察官の制服姿の女性がいて、バイプ椅子から立ち上がって俺達を迎えた。

 俺がハンター証を示すと、既に聞いていたのか、黙って会釈して部屋を出てくれる。

 その途中、表情は変えなかったものの、暁生を大きく避けてすれ違ったところを見ると、もしかすると現場を見てからここに来ていたのかもしれない。

 言いたいことはあるが、言っても仕方のない話だ。

 とりあえず顔に出さなかっただけマシなほうだろう。

 暁生は幸いにも母親に意識が集中しているらしく、それに気づいた様子は無かった。


 カチャリというドアの閉まる音を背後に、俺は衝立を迂回してベッドに身を起こすその女性と向かい合うこととなった。

 換えの服が間に合わなかったのだろう、彼女が身に着けているのは病院の検診用のガウンだ。

 首に巻かれた包帯が痛々しいが、身動きが出来ないような怪我では無いのは明らかで、それはむしろ安心材料だろう。

 表情には自棄の気配は無いが、酷く疲れているようだった。

 彼女の視界の中に暁生が入り込むと、はっとした表情となり、その目からは涙が溢れ出す。

 暁生は、顔を上げて母親の顔を見る勇気がまだ無いのだろう、うつむいてじっとしていた。


「暁生のお母さんですね?」

「え、……ええ」


 答える声が細い。

 今の暁生と同じような、拒絶されることへの恐れをそこに感じた。


「私、私、申し訳ありませんでした。本当に、私、母親の資格が無いって、わかって、います」


 ああなるほど、交渉員が何を言ってこの騒ぎになったか大体わかったぞ。

 この人に母親の資格が無いから子供を施設で預かるとか言ったんだろう。


「実はですね……」


 俺は彼女の言葉を思い切り遮ると、いかにも自分勝手に言葉を投げ掛けた。


「え?」

「俺は、暁生と約束をしていまして。……ほら、暁生、お前ちゃんと言えるって言ったよな?」


 暁生にとって母親は世界でただ一人の身内だ。だから、拒絶されるのが怖いのだろう。

 暁生は俺のズボンを掴んで、中々顔を上げようとしなかった。

 その様子を、母親はじっと見守っている。

 急かすことも、声を掛けることもなく、ただ、見守っていた。


 やがて、静寂に耐えられなかったのか、暁生は顔を上げて母親を見た。

 首に包帯を巻いて、やつれたような顔の母親は、こいつの目にはどう映ったのだろう。

 暁生は思わずといった風に「お母さん!」と呼び掛けると、バッと駈け出した。


「お母さん、ごめんなさい!ごめんなさい!」


 泣いて、母親の布団にすがりつくと、ひたすら謝り続ける。


「あ、あきくん?」


 きっと暁生は、今までこんな泣き顔を母親に見せたことが無かったのかもしれない。

 ずっと色んなことを我慢して来たんだろう。

 母親の戸惑いが、そんな風に俺に感じられた。


「お母さん、実は、家出していた暁生を昨夜保護したのは俺なんですが。その時、怖かったんでしょうね、俺に攻撃して来て」


 俺の言葉に、彼女はぎょっとしたような顔になった。

「申し訳……」


 謝ろうとする彼女を留めて、俺は先を続ける。


「まあ大したことなかったんですが、暁生もすぐに我に返ったんですね。そしたら、すぐに今みたいにごめんなさいって謝って来たんです。それでですね、俺は思ったんですよ。きっとこの子の親は、きちんと子供を躾けられる立派な人なんだろうなって」


 無意識に、なのだろう、彼女は暁生の背中を撫でてやりながら、不思議そうに俺を見た。


「いや、俺なんか昔っから強情っぱりで、悪いことをしてもなかなか謝れない人間で、その、そういうのは駄目だなって思うんですけど、なかなかちゃんと出来なくってですね。だからでしょうか?俺は、謝れるって凄いことだと思うんですよ。だって、自分が悪いって認識するのって結構辛いことじゃないですか?ましてや子供がちゃんとそれを出来るって凄いな、ってね。なので、俺は暁生についてはあんまり不安には思ってないんです」

「どういう、ことでしょうか?」


 つくづく説明下手だな、俺。

 不安と期待、彼女のまなざしはその二つに揺れている。


「暁生は、確かに力を持っていて、それをうっかり振るったんですけど、今まで、俺に対して反射的に攻撃した以外は、人や生き物を傷つけたことは無いんです。今日の一件だって、最初、あなたを助けようとしたんでしょう?優しい子ですよね?」


 そして、母親が自殺しようとしたという事実に激しいショックを受けた暁生に、爆発で不安を感じた人々の強い感情に反応して依って来た怪異が憑依したのだ。

 暁生の母は、初めてわずかに笑みを浮かべる。


「ええ、本当に、この子は優しい子です」

「親の資格とか、他人が決めていいものじゃないと俺なんかは思うんです。それに、一人で頑張る必要もない。子育てだって、異能者育成だって、ちゃんと相談する場所はあるんですから。特に異能者は、世界規模で手厚い保護があるんです。知っていました?」

「いえ、ごめんなさい。あんまり」

「まあ、異能者なんて普通周りにいませんもんね。えっとですね、その力の度合いによって周囲とのトラブルが心配されるような異能の場合、専門的な育成施設もあってですね。希望すれば家族でその保護プログラムを受けることが出来るんです。今回の件でご住居も失った訳ですし、この際それに乗っかってみませんか?」


 暁生の母は、俺の話にぽかんとして、次いで、不安気に俺を見る。

 ああ、うん。

 ちょっと怪しいよね、俺、こんな格好だしね。


「あの、でも、うちに来られた方は、私はあまりいい影響を与えないからあきくん、……暁生を引き取ると」

「ああいう機関のマニュアル的にはですね、問題行動を起こした若年の異能者の場合、保護者から一旦引き離すというのがありまして。でも、それって強制じゃなくって要望なんですよ。あくまでも親権があなたにはありますから、ちゃんと理性的に対処すれば、無理に親子を引き剥がしたりは出来ないんです」

「そうなんですか?」


 どうやら、彼女は俺の話で落ち着きを取り戻したようだった。

 真っ直ぐ顔を上げて俺を見、そしてベッド脇でしがみついている暁生を見る。


「私、この子を取り上げられると思ったら、何もかも終わったみたいな気になって、馬鹿なことをしてしまいました。今、凄く恥ずかしいです。母親としても、こんな風では何と言われても仕方がないと思います。でも、私は絶対にこの子をちゃんと育て上げるつもりです。完璧な親じゃないですけど、ちゃんと一緒に生きて、ずっと……」


 どうやら腹は決まったらしい。

 彼女は、母親独特の、柔らかで、それでいて強い目をしていた。


「今日はもう、お二人共色々ありましたからゆっくり休んでいただいて。明日また係官が来ますから、そこでちゃんと話し合いをしてみてください。異能者育成については本当に手厚い救済システムがありますんで、かなり突っ込んだことも聞いておいたほうがいいと思いますよ。一応、暁生については憑依状態になったってことで、除染と検査もあると思いますが、その辺は俺がチェック済みなんで一応という感じなんで心配はいらないでしょう」

「わかりました。本当に色々、ありがとうございました」

「いえいえ、これも仕事の内というか、まあ役割の内ですから」


 俺がハンター証を提示すると、暁生の母はびくりと体を強ばらせ、珍獣の類を見るような目で改めて俺を見た。

 ……中央の人って、実は、ハンターって実在してないとかって思ってるんじゃないかな?段々そんな気がしてきたぞ。


「それでは、これで。……暁生、あ、あれ?」


 暁生の奴、いつの間にかまた寝てやがる。


「ごめんなさい、起こしましょうか?」

「あ、いや、そのままで。起きたら、約束楽しみにしてろよって伝えておいてください」

「約束ですか?」

「ええ、暁生に聞いてやってください。きっと色々話を聞いて欲しがると思いますし」


 俺の言葉に、暁生の母は笑顔で頷くと、そのまま深く頭を下げた。

 優しくて美人なお母さんだな、暁生。

 これから色々あるだろうけど、大事な人と一緒なら頑張れるよな、お前。


 無邪気に眠る顔にホッとしながら、俺はそんな風に心の中で暁生に言ってやったのだった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る