第3話 家族会議と、文房具
しばらく晴れ間が続いて、学校に通うことができていた。
梅雨時などは家からでられないので、授業に離されることが多い。
持ち物が少ない子供たちには寄贈の教科書を使う権利があるけれど、それは学校に置かれているものなので、持って帰ることは出来ない。
そうすると自習すらままならないというのが僕たちの因果を決めている気がする。
もっと小さいころには、科学者になって外に出られない理由を作る有害な雨をどうにかしたいと思っていたけれど、最近ではその夢はなくなった。科学者になるには、学校に毎日通うことが必要だと思ったからだ。
そんな僕だから、休憩時間中はよく教科書をノートに写している。ノートはなるべく分厚いものを母さんに買ってもらっているけれど、2冊持つことは出来ないのでノートの切り替え時が一番難しい。
今日もまた、ノートに教科書を書き写す。次の雨の日までに準備をしておきたい。
「あ」
そんな風に思っていたのに、なんということだろう。ペンのインクが切れてしまった。もちろん予備なんてない。
「あ~あ」
これで教科書写しも終了か、と僕が肩を落としていたら、僕の前の席に座っていた背中が振り向いてきた。
「どうしたの?」
「え、あの」
雨の日には学校に来れない上に休み時間は教科書を写すのに精いっぱいの僕は、クラスメイトという感覚が乏しい。
「僕の名前覚えてる?」
「覚えてるよ、緑川くん」
「よかった。それで、どうしたの?」
「あ、ペンのインクが切れちゃったんだ」
「そうなんだ、じゃあ僕のを貸してあげるよ」
椅子ごと振り向いた緑川君は、筆箱の中からボールペンを取り出すと僕の机の上に置いた。
「いいの?」
「いいよ。その代わり、見ていてもいいかな?」
「見たいの?」
「うん」
「なら、いいけど」
僕には楽しいものには思えなかったけれど、緑川君は確かに楽しそうに僕の手が動くのを見ている。
「原始的で、かっこいい……」
「何言ってるの」
「どうして端末を使わないの?」
「僕の家は端末が人数分ないんだ」
「そうなんだ」
「それに、端末を持ち歩いちゃうと、僕の荷物が増えちゃうから」
「そっか」
「緑川君は、何個くらい持てるの?」
「僕は200個だよ」
「そんなに?」
「僕、ひとりっこだから」
「すごい!」
目の前の席の子は、僕の20倍の物を持てるらしい。
「毎日200個使ってるの?」
「ううん、そんなには。200個使い切れてるかもわからないし」
「へぇ!」
「苅野くんは?」
「僕は、……ひみつ」
「うーん、100個くらい?」
「本当にそう思ってる?」
「思ってない」
たくさんの子供たちが集まる学校でも、パジャマで登校するのは僕くらいだ。その理由は、僕とほとんど話をしたことがない子でもわかるだろう。
「ほんとは何個なの?」
もう一度、気になって仕方がないように緑川君が聞いてくる。
「絶対に教えない」
どんなことがあっても、このことだけは口にしたくない。そう思って僕は黙ると、借りたペンで教科書を写し始めた。
僕からの返事が絶対に返ってこないとわかってからも、休憩時間が終わるまで緑川君は僕の手元を見続けた。
夜になり、洗い立てのパジャマで母にペンが切れた話をすると、母は自分のカバンからボールペンを一本取りだして渡してくれた。
「しっかり使いなさい」
「うん」
僕はこの、母からペンをもらうという儀式が好きだった。明日、母はどこかでペンを一本買ってカバンに刺すのだろう。それを大事に使って、途中からは僕がもらえる。
新品よりもインクが少ない僕の新しいペン。
母の続きを使うのは、ことのほか楽しい。
多機能の多色ペンもあるけれど、それを使うと、黒い芯が使えなくなった時に結構困る。だから僕と母さんは、黒のボールペンを使う。
「母さん、あのね」
母さんと見つめあっていると、兄弟に囲まれている時には出てこない甘えた感情があふれてくる。
僕が話しかけると母は椅子に座ったまま、耳を僕の方に寄せてくれる。
内緒話のように僕は母の耳に手を当てて、思ったままに話しかけた。
「最近、隣のゴミ捨て場に家が建ってるのしってる?」
「家?」
「うん」
僕が窓の方を見ると、母は調光器を調節して外を見た。
部屋から明かりが漏れると、外の景色がほんのり明るくなる。そうすると、窓の向こうに立つ家に、小さな明かりがともっているのも見えた。
「あれのこと?」
「そうだよ」
「住んでいる人と話をしたことはあるの?」
「ううん。見ただけ」
僕は怒られるかもしれないと思って、相手から手を振られたことは黙っていた。
「そう」
母はしばらくその家を眺めると、調光器の不透明度を上げて、景色を閉ざした。
「頭のいいひとね」
「頭がいい?」
「そのうちわかるわ」
あたたかな手が僕の頭をなでる。怒られなかったものの、母の言葉にさらに疑問がわいてしまった僕は、すっきりしないままベッドに乗った。
「八花ちゃん」
「なによ」
同じベッドに寝起きしている姉を呼ぶと、寝ぼけた声で返事が返ってくる。
「あの家を作っているひとは、どんな人だとおもう?」
「なにそれ、……頭のおかしいひとじゃない?」
「ふぅん」
母とは真逆に近いような返事が返ってくる。八花の方が母よりも僕の考えに近い気がする。
僕には、窓の向こうの人は、何を考えているのかわからない人だった。
残りの兄三人に聞く気はなく、僕は僕の大切な毛布を肩までかぶって、寝た。
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