第2話 小さな家と、家族会議


 5メートル四方くらいの真四角の建物から出てきたその人は、廃材の山の中に入っていった。

 僕はそれをぼんやり上空から眺めている。

 その人は廃材の中から鉄の棒を何本も抜いてくると、長さを測っておんぼろの回転のこぎりでそれをカットした。それをワイヤーでぐるぐると直角につなぎ合わせてすでにできている家に繋げるように立てる。

 次に引っ張り出したのは、商店の雨よけに使うような透明で大きなビニールシートだ。

 ところどころ穴が開いていたり汚れていたりするのは気にならないようで、そのビニールシートを鉄の棒の屋根になるようにかぶせてしまう。

 一人ではなかなかできない作業に見えるのに、ワイヤーや台を使って次へ次へと作業を進めていく姿は、見ていて飽きが来ない。

 屋根ができると、ベニヤのような木の板を床板みたいに置いて、その上に古ぼけた椅子を二脚並べる。

 なんとなく、何を作っているか分かった。ウッドデッキだ。

 それなりの広さに出来上がったウッドデッキを見渡して満足気だった男の人は、もう一度僕を見上げると、おいでおいでとてまねきした。

「わっ」

 僕は慌てて頭をひっこめると、窓の調光機能を最大にした。

「どうしたの?」

 外を眺めていたはずの僕が突然声を上げるものだから、端末で授業を見学していた八花がいぶかし気に問いかけてくる。

「なんでもない」

 知らない男の人(しかもまるで浮浪者のような)と窓越しに交流していたというのを話すのが恥ずかしくて、僕は八花の言葉を否定した。

 光量調節器のせいで真っ暗になってしまった室内に、僕はゆっくりと光を戻す。それでも窓の向こうが見えないくらいで、明るさの範囲を止めてしまう。

 かなり晴れてきたので、今から学校に行けば最後の1時間くらいは授業が受けられそうだった。

 それでも、先ほどの驚きのせいですっかり落ち着かなくなってしまった僕は、それぞれの授業見学をする兄と姉の姿を見ながら、ぼんやりと部屋の中で寝転ぶことになった。



 スープ皿の中に、ごはんとスープを入れる。その上に、チーズをひとかけとほうれん草のソテーをのせて。

 いつも通りの晩御飯は、母が帰ってきてから始まる。調理方法は原始的だ。野菜を切って、肉を切って、加熱して、湯を入れて、味をつける。僕は、チリビーンズの缶詰が入っている時のスープが大好きだ。

 今日は残念ながら普通の塩スープだった。ちょっとの鶏肉と、白菜と、グリーンピース。

 かために炊いたご飯がスープの上に覗くように傾斜をつけて盛る。

 僕のフォークスプーンを用意して、晩御飯の開始だ。

「いただきます!」

「はいどーぞ」

 白いテーブルの上はシンプルだ。何せ、人数分の皿しかない。塩コショウの小瓶なんておしゃれなものはうちにはない。

 シングルマザーの家庭とはいえ、僕たちの家はシンプルだった。何せ、5人いても物は1000個だからだ。

「ぼんやりしてるとこぼすわよ」

 仕事帰りの疲れた顔で僕を見つめる母親・可世子は42歳。僕が生まれてもうすぐ10年になるけれど、ずっとこの生活を続けている。可世子はシンプルな部屋の管理に長けていて、常に何かを工夫している。僕のパジャマのように。

 この後は僕がお風呂に入っている間に、僕のパジャマを洗ってもらう。僕以外は一応着替えがあるから、洗濯のタイミングは僕にかかっている。

「母さん、俺、来年からの家決まったから」

「……どういうこと?」

 いつも通りの食事に波乱を持ち込んだのは、いつも通りの美一兄だった。

 可世子の視線に動じることなく、スープごはんをもりもりと口に運ぶ。

「来年からの就職先決まったから、そこの寮に入る」

「そう、」

 母はそこで言葉を切って、何かを考えたようだった。

「わかったわ。就職決まってよかったわね」

「ありがとう、母さん」

 淡々とした会話の中で、母の覚悟と兄の安堵が混じる。

 僕と八花は目を見合わせて互いの意見を交換する。

 母は個数制限緩和のために、あと少しで成人する美一に家にいてもらいたいと思い、それを伝えていたことを、僕たちは知っていた。美一兄の入寮は、明らかに母の希望とは真逆だったのだ。

 僕と八花は、互いのこうした生活がまだ続くことにがっかりすること半分、兄の強権に圧迫されることがなくなったことに対する安心半分で成り行きを見守る。

「なんだ、兄貴家から出るんだ」

 この会話の中で唯一、母と長兄の間に割って入ることができる次兄の双葉が言った。

「あ?」

 常にけんか腰の双葉にイライラすることが多い美一は、母と折り合いがついたはずのことを蒸し返す双葉をにらむ。

「別に、いいんじゃない? 自由を謳歌すればさ。--その代わり、兄貴の枠は俺にちょうだいよ、母さん」

「双葉」

(出た。)

 地域の中では進学校の内に入る高校に進学した双葉は、自分の学力に自信を持ち始めてから傲慢になった。特に、高校を中退して就職支援学校に編入した美一には、あたりが強い。

「てめーにやるくらいだったら三菜斗にやるよ」

 双葉のあたりの強さに長男が黙っているはずもなく、美一が言い返す。

「え、俺?」

 空気のような存在感で食事をしていた三菜斗は、突然自分の名前が挙がって手を止める。

「おう、俺の100個、お前にやるよ」

「ほんと?」

「兄貴の枠じゃねぇだろ、あくまで母さんの枠だろ」

「あ?」

「ああもう、うるさい。静かにしなさい」

 テーブルの上で今にも始まりそうな兄弟げんかに、可世子がストップをかける。

「数の割り振りは私が決めるから、あんたたちで勝手にしないの」

「えーーー、俺受験生なのに」

「双葉」

「はぁい」

 この家の中で断然にヒエラルキーが上なのが可世子だ。ぶつぶつと文句を言っていた双葉も、可世子にこれ以上口答えすることは出来ない。

 母さんも大変だよな、と僕は思った。5人兄弟中4人が男。肉体的なパワーバランスではとうに子供たちが上だ。

 僕は美一兄が家からいなくなるということについての少しのさみしさと不安と、美一兄が持っていた100個の枠が分配されることについてのワクワクを感じていた。

 枠が広がるなら、僕にもほしいものがあった。

 どうしても、ほしいもの。



 美一兄がいなくなるとしても、それは来年の話。

 僕にはまだ、10個の持ち物しか持つことは出来ない。

 洗い立てのパジャマに身を包みながら、来年のことを想像する。

 個数に縛られない世界が、この世の中のどこかにはあるらしい。

 それがどんなに幸福か、僕には想像することができなかった。

 僕が今本当にほしいのは、ただ2つだったから。


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