⑫ ショーコへの報告

 アキが量子力学研究所の地下研究室の自動ドアをくぐると、無数のモニター群を前にショーコが仁王立ちで背を向けて立っていた。そして、いつものように振り返り、ビシっと指差して一言。

「ようこそ、我が研究所へ! アキさん、あなたの到着を待ちわびていたわ…!」

「あのぅ、ショーコさん。毎回思うんですけど、それ、やる必要あります…?」

 おなじみの出迎えに苦笑いのアキ。

「何を言い出すかと思ったら、そんなこと? やる必要があるとかないとか、そういう次元の話じゃないの。こういうのは。ご飯を食べるときのいただきますとか、剣術の試合前後に互いに一礼をするとか、一種の礼儀作法みたいなものよ」

「礼儀作法って割には、なかなかに上から目線な印象を受けますけど…」

 アキは、ジト目でショーコを見つめる。

「んっん! まあ、冗談はさておき、早速本題に入りましょうか。さ、座って」

 ショーコは軽く咳払いをして、モニター群の前に無造作に置かれた椅子に腰掛けるよう、アキに促した。

「あ、ありがとうございます」

「どういたしまして」

 アキは、パーカーのポケットから今朝書いてきたメモ書きを取り出し、未来での出来事について話を始めた。

「まずは、未来のショーコさんに例の質問をしてきました」

 ――『箱の中身は生きているか』

 ショーコが未来へ行くアキに課した課題であり、結果的にアキを『奴ら』から逃がすための手段であった質問。

「質問をした結果、ショーコさんの警告した通り、未来で出会った最初の・・・ショーコさんからは、『わからない』という返事が返ってきて、箱の中身を確かめると言って、中身を開けると…」

「あー! ダメよ、それ以上は! あー!あー!」

 ショーコは、アキの言葉にかぶせるように、わーわーと喚き散らす。その様子はまるで、続きが気になるアニメのネタバレを聞きたくない人のような反応だ。

「あ、やっぱり、あの箱って何か意味があったんですね。今もあそこに置きっぱなしですけど…」

 研究室の入口の方を振り返って、箱を指差すアキ。

「そうよ。アキさん、箱の中身については、話さなくていいわ…。今の私は中身を知らないし、これからも知ってはいけない・・・・・・・の…。あれは、未来の私―の皮を被った何者か―を、嵌めるための仕掛けなのよ。もう、アキさんは無事に戻ってきたことだし、中身を確認してもいいのだけれど、念には念をってやつね」

「やっぱりそうだったんですね。未来の研究所に着いた時、3年もの間、あの箱をあのままの状態で放置してあるのが不思議だったんですよ…。…って、仕掛けを用意していたってことは…」

「そうね。この天才、相馬しょうきょ・・・・・の予想が悪い方向に全面的に正しければ、未来の私は何者かにすり替わっていて普通に研究所にいると読んでいたわ」

「そうだったんですね…。さすがショーコさん…」

 未来があんなことになっているなんて全く想定せず、未来へ行ったことを一時は後悔すらしていたアキは、ショーコが未来の状況を想定した上で対策まで立てていたという事実に素直に尊敬の念を抱く。

「まっ、天才ですから!」

「その一言がなければ、素直にすごいって言えるのに…。自画自賛しちゃうもんなー、ショーコさんは…」

「自画自賛でもしないと、研究者なんてやってられないのよ…。それで、続きは?」」

「あ、はい。その箱の中身を見た瞬間、偽物のショーコさんが壊れたみたいにおかしくなって…。高遠さんが回収していきました…」

「未来の高遠の様子はどうだった? 何か変な様子とかは?」

「高遠さんは、目に見えておかしくはなかったんですけど、壊れたショーコさんを普通に奥の部屋に運んでて、なんだか不気味だったので、ショーコさんのアドバイスに従って、その場から逃げました」

「そう…」

「それから、事業所のメンバーを頼ったんですけど…。テツ先輩が2人いたり――あ、テツ先輩ってのは、私の職場の先輩で…。あと、私なんか、5人もいたんです…。それでも『彼ら』は平然としていて…。気味悪くなってまた逃げちゃいました」

「それは災難だったわね…」

「そうなんですよ。それで、一旦気持ちを落ち着けるために、自宅に向かったら…」

「向かったら…?」

「なかったんです…。居住区の家々が…。どこもかしこも、空間ごと削りとられたみたいに消えていて、辺り一面クレーターだらけで…」

「ショックね…」

「本当、ショックでした…。もう泣きそうでした。それで、家の近くの公園で途方に暮れていた時に、ショーコさんのメモに気づいたんです。あの、電話番号の」

「ナイスタイミングだったわね」

「全然ナイスじゃないですよ…。未来へ行く前に教えてくれていれば、あんな大変な思いはしなくて済んだかもしれないのに…」

「教えてしまうと、色々と不都合が生じる可能性があったのよ…。あの箱の中身を私が知らないのと同じよ」

 ショーコは、視線だけを入口付近に置いてある例の箱に向ける。

「どういうことです?」

「『何かを知っている』という状態が、その後の展開に及ぼす影響を考慮したのよ。『アキさんがある事実を知っている』と、相手は『『アキさんがある事実を知っている』ということを知っている』状態になるでしょ? そして、アキさんがそれを認識した時、アキさんは、『相手は『アキさんがある事実を知っている』ことを知っている』ことを知っている』状態になる。それで相手はそれをまた知っているから…」

「えっと、頭が混乱してきちゃいました…」

「まあ、要するに、『ある事実を知っていること』は、思考の無限連鎖を生むということよ。そして、思考の無限連鎖の行き着く先は『状況の最適化』。しかもその最適化は、頭の良い方にとって有利なものになる。将棋とかチェスでも思考の先読みをし合って頭の良い方が勝つでしょ? あれは、『より頭の良い方が勝利する』っていう『最適化』が起こっているとも言い換えられるわ」

「なるほど…」

 アキは目線だけを上に向けて、わかったようなわかってないような表情をしている。

「私の予想が悪い方に正しかった場合、アキさんは未来で、とっても頭の良い『何か』と対峙する可能性があって、もしそうなったら、アキさんにとって悪い方向に事が運ぶと考えたというわけ。だからあえて知らせなかった。『知らない』ってことは時に武器になるのよ」

「要するに、ショーコさんの優しさだったわけですね…」

「そうそう。何もひどい目に合わせたいからやったわけじゃないのよ」

 ふふ、とショーコは優しく微笑む。

「話を戻しましょうか。メモに気づいた後、どうしたの?」

「あ、はい。それから、電話しようと思ったんですけど、携帯電話の充電が切れちゃってて…。その時に、アッシュに助けてもらったんです」

「アッシュ?」

「日比谷アッシュです」

「知らないわね。誰…?」

「私も詳しくは知らないんですけど、未来で困っていた私を救ってくれた恩人です。未来のショーコさんは知ってたんですけど…。まあ、そのアッシュが電話を貸してくれて、本物のショーコさんと会うことが出来ました」

「そうだったのね。それで? 未来の私は何て言ってた?」

「人類が犯した3つの過ちについて話してくれました。そして、それを過去に戻って何とかして欲しいと」

「3つというのは?」

「1つ目が、『ショーコさんが量子コンピュータの技術をマクマード博士に提供した』ことだって…」

「マクマード…。やはり人工知能絡みなのね…。私の技術供与が引き金か…」

 ショーコは珍しく深刻そうな表情でうつむく。

「そうなんです。未来がおかしくなってしまったのは、人工知能『ニューロくん』の仕業だって言ってました」

「『ニューロくん』?」

「マクマード博士が作った、量子コンピュータ搭載の完全自立思考型AIだそうです」

「はぁ。やっぱり…。技術供与なんてするんじゃなかったわ…」

 悪い予想がことごとくヒットしていることに、苦虫を噛み潰したような表情で爪を噛むショーコ。

「それで、第2の過ちってやつは?」

「それが、2つ目だけ覚えてないんです。思い出そうとしても、全然で…。ちなみに第3はアッシュのことでした」

「3つあるって言われて、2つ目だけ忘れるなんて妙ね…」

「そうなんです。よくわからないんですけど、何故か2つ目だけ思い出せないんです…」

 第2の過ちである、『マクマードプログラムの欠陥』については、時空管理人のクロノスによってアキの記憶から完全に消去されていた。さらにクロノスと出会ったという事実も、まるで夢の中での出来事のように、アキはすっかり忘れてしまっていた。

「そう…。2つ目は不明と…。それで3つ目のアッシュのことってのは?」

「その…、『日比谷アッシュが、フロンティアきっての『詐欺師』で、彼のせいで、被害が拡大した』と…」

 私にはそうは思えないといった表情のアキ。

「なるほどね…。なんとなく全体像はつかめたわ。ありがとう、アキさん…」

 アキの話を聞いた上で、目を閉じて考え事を始めるショーコ。

「うーん…。ちょっと問題が複雑過ぎて、作戦を練る時間が必要ね。アキさん、今日のところは一旦お開きにしましょう。3日後、私の方から連絡するわ」

「わかりました…。とりあえず今日のところはこれで。私もアッシュのことについて情報を集めてみます」

 3日後に約束を取り付け、アキは椅子から立ち上がり出口へと向かい、ふと足を止め、ショーコに尋ねる。

「あのぅ、ショーコさん…?」

「ん? 何かしら?」

「ちょっと、気になったんですけど、『箱の中身は生きてますか』って質問なんですけど、もし本物のショーコさんだったら、何て答えたんですか?」

「ああ、それね。私なら…」

 ――箱の中身は生きているとも死んでいるとも言える。観測されるまで、両方の可能性が共存している――

「この天才が、『わからない』なんて口にするわけないじゃない」

 そう言って、ショーコはアキにウインクしてみせた。

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