⑪ いつもの日常

「……うーん。あれ? ここは…」

 時空管理人クロノスによる『選択』を終えたアキは、時空転送装置内にいた。辺りは青白い光に満たされている。目の前には、強化ガラス製の見慣れた扉があり、その向こうでは、ショーコと高遠が心配そうな表情でこちらに駆け寄ってくるのが見えた。

 少しぼんやりした頭で、トボトボと扉の前に近づくと、扉が自動で開き、その瞬間にショーコが抱きついてきた。

「…アキさん! おかえりなさい!」

「無事に帰って来られたみたですね…。いや、よかった…」

 二人の出迎えの言葉で、アキは、自分が無事に元の時代に戻って来られたことを知る。

「…あ、えっと…、ただいま…」

(…何か重要なことを忘れている気がする)

「未来はどうだった…? 私の予想が正しければ、アキさんを辛い目に合わせてしまったかもしれないのだけれど…」

「…あ、えーっと、あの。それが…」

(…なんだっけ)

「…その、何かとても大変なことが起きていたのは覚えているんですけど、それが何だったのか思い出せなくて…」

「それって、『人工知能』が関係したりしない?」

「うーん…。人工知能…? そうだっけ? なんかちょっと記憶が曖昧になっていて…」

「相馬博士。天道さんは、時間移動の影響で疲れてるんだと思います…。今日のところは一度自宅でゆっくり休んでもらった方が…。時間も時間ですし…」

 高遠は、自身の腕時計を二人の前に差し出し、ショーコに提案する。高遠の時計は、5月5日の21時半を指していた。アキが未来へ転送されたのは、18時半頃だったので、こちらの時間では、3時間ほど経過していたことになるらしい。

「…たしかにそうね。記憶の整理をするためにも、一度しっかり休んでもらった方がいいかもしれないわね…」

「なんかごめんなさい。力になれなくて…」

「いいのよ、アキさん。無事帰ってきてくれただけで十分よ。詳しい話は明日聞くことにするわ」

 明日再びショーコの元へ訪れる約束を取り付け、アキは研究所を後にすることにした。螺旋階段を上って外へ出ると、辺りは暗くなっていた。アキは、ぼーっとする頭をリフレッシュするために、配達時と同じくらいのスピードまで加速すべく、氷砂糖を取り出そうとパーカーのポケットに手を突っ込むと…。

(ん…? あれ? ビンが二つある…)

 一方は、いつもの氷砂糖の入ったビン。もう一方は…。

(…相馬丸だ! そうそう。未来のショーコさんにもらった加速薬で、これを食べて未来に戻ってきたんだった…)

 記憶を一部取り戻したアキは、一旦戻ってショーコに伝えようと思ったが、せっかくなら、きちんと記憶の整理をしてから、明日まとめて話そうと思い、今日のところは、一度自宅へ帰って休むことにした。

 氷砂糖を口に放り込み、風を切りながら、自宅のある居住区へと向かうアキ。家路へ向かう途中、未来で起きた出来事を整理しようとするが、一つ一つの記憶の断片が頭の中でごちゃごちゃとしていて、うまく整理できない。

(…とりあえず、部屋で寝よう。寝てスッキリすれば…)

 と、自宅近くのいつもの公園の前に差し掛かると、ふと重要だと思われる記憶が頭の中に浮かび上がって来て、アキは思わず足を止めた。

「…。…アッシュ。日比谷アッシュ! 彼に会って話をしないと…!」

 誰もいない夜の公園で、何かをひらめいたかのように独り言をつぶやくアキ。

「確か、未来で助けてもらったんだった…この公園で…」

「ん…? でもなんで彼と話をしないといけないんだっけ…」

(うーん…。わからない。やっぱり一旦帰って寝よう)

 アキは、疲れた頭をブンブンと左右に振り、色々と思い出すのをやめて、自宅へと向かった。


「ただいまー」

「あら、アキ。おかえりなさい。遅かったわね。何かあったの…?」

 自宅へ戻ると、アキの母親が心配そうな顔で尋ねてきた。

「うーん、ちょっと野暮用で…」

「お仕事関係? 残業にしても、ちょっと遅過ぎるわね」

「ううん。仕事は関係ない。まあ、色々とね…」

「………そ。ご飯、テーブルにラップしてあるから、温めて食べちゃいなさい。あと、お風呂も沸いてるから、さっさと入っちゃいなさい。それと、お父さんは明日早いから、もう寝ちゃったわよ」

 年頃の娘にしつこく詮索するのもどうかと思ったのか、遅くなった理由を深くは聞かず、その代わりに牽制として、父親がもう寝てしまったという情報を伝えるアキの母。どうも、『野暮用』が異性関係であると勘違いをしているようだ。

「はーい。わかった」

 アキは、そんな母親の勘違いを少し面倒くさいなと思いながら、軽く返事をして流した。

 ささっと食事とお風呂を済まして、自室へ戻るアキ。早速、記憶の整理をしようと、机にノートを広げて、ペンで書き出そうとするが、疲れからか、眠気が襲ってきて、手が進まない。それもそのはずで、現在の時間では3時間ばかりの出来事であったが、未来では半日以上、緊張状態を経験してきたのだ。疲れで眠くなるのも無理はない。

本当は寝る前に記憶の整理をしておきたいと思っていたが、疲れた頭で考えても仕方ないと、眠気に身を任せ、そのままベッドへと潜りこんだ。


 目が覚めると、頭の中はスッキリしていた。いつもより1時間早く目が覚めたので、朝の時間を使って、未来での出来事を整理することにした。


 ☆ 未来での出来事(時系列順)


 時空転送装置で未来へ着く

 ↓

 ショーコと高遠の様子がおかしいので逃げる

 ↓

 スピードスター事業所のみんなの様子もおかしいので逃げる

 ↓

 自宅へ帰ろうとするが、自宅が削り取られている

 ↓

 途方に暮れたところに日比谷アッシュに助けられる

 ↓

 未来のショーコさんと会って、『相馬丸』をもらい、過去へ戻る


「よし! 大体こんな感じだったはず」

 アキは、箇条書きしたページを切り取って、出かける準備を始めた。


「いってきまーす!」

「はい、いってらっしゃい。あんまり遅くならないようにね!」

「はーい!」

 よく寝てスッキリしたし、記憶の整理も出来たしで、軽やかな気分で家を出るアキ。向かうのは、いつものバイト先、スピードスター事業所だ。

 居住区からは通勤、通学する人々がバスを待つ行列を作っている。アキはいつもの光景に安心し、その横を颯爽と駆け抜けて、商業区へと向かった。商業区の街並みも、おなじみの景色で、いつも見る雑貨屋に、パソコンショップ、レストランに、コラボカフェ。ビルの高い位置には、今期のアニメのキャラクターを前面に出した広告が掲示されている。

(ああ…、ちゃんと帰ってきたんだ…)

 アキは、自分が未来から戻ってきたという実感を街並みから得つつ安心する。そうこうしていると、事業所の前に到着した。


「おはようございまーす!」

 元気よく事業所へ入り、タイムカードを切るアキ。山下とテツオはすでに出勤しており、二人でコーヒーを飲みながら談笑していた。

「おう、アキ! 今日はいつもより早いじゃねーか!」

「あ、おはよう、アキちゃん。ハハ…」

「あ…」

 いつも通りの様子のテツオと山下に少し感動して、アキは少し涙声になりながら、

「あの、二人はいつもの二人ですよね…?」

 と、自分でも何を聞いているんだろうと思うような、おかしな質問をする。

「あ? 何言ってるんだ? 頭でもぶつけたか?」

「ハハ…、アキちゃん、何かあったのかい?」

「あ、いえ! 何でもないです。良かった…」

 未来で見た悪夢のような現実とは、違ういつもの日常。その安心感にほっと胸をなでおろすアキ。だが、ほっとする反面、このいつもの日常が3年後には壊れてしまうという事実に恐怖し、何とかして食い止めなければと決意を新たにする。


「今日は、〝超急〟のみで、午前中に4本、午後に1本。かなり暇だねー、ハハ…。二人で手分けして、お願いね」

 テツオとアキは、山下から荷物を受け取り、レース前の陸上選手のようにストレッチをしながら、気合を入れている。

「よっしゃ! いっちょ配ってくるか!」

「テツ先輩! 件数同じですし、戻るの遅い方がジュース1本おごりね!」

「おお、負けねえぞ!」

「ああ、二人とも、くれぐれも事故とかには気をつけてね、ハハ…」

 二人は目配せで山下に返事をすると、事業所を飛び出した。


 勝負は、アキの勝ちだった。

「はぁー、ついに私もテツ先輩を超えるときがきたのかー…」

 遠くを見つめ、わざとらしく感慨深げな表情で勝利のMOXコーヒーをゴクゴクと飲むアキ。

「いやいや、俺の方が圧倒的に荷物重かったし、配達場所間の距離もあったし、でなあ…」

「荷物の重さは、男の子なんだし当然のハンデですよー。距離もテツ先輩の方が年上なんだしー」

 言い訳じみた言い方のテツオに対して、茶化すように返すアキ。

「男の子だからってのは百歩譲って良しとしても、年上ってのは解せん。この仕事は、むしろ若い方が有利だと思うぞ…」

「まあまあ、テツ先輩。素直に私の方が速いって認めましょうよ! ねっ!」

「たしかに、アキは速くなったよ…。俺はもうダメかもしれん…」

「ああっ! テツ先輩、そういう感じじゃないです! 私が求めているのは…。そういう言い方は寂しいからやめてくださいよぅ…」

 二人は午前の配達を軽々と終えた。午後の分はテツオが引き受け、アキは急に入るかもしれない個別案件に備えて、事務所で待機することになった。

 結局、個別案件は入ることはなく、アキは定時でタイムカードを切り、足早にショーコの元へと向かった。

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