⑩ 時空管理人クロノス
相馬丸は、口に含んだ瞬間、脳内をハンマーで殴られたような感覚になるほどの強烈な甘さで、一瞬クラッとしたが、確かにショーコの言うとおり、加速衝動は起きない。
いつもであれば、こんなに甘いものを口にしたら、一瞬で加速衝動に心を支配されて、すぐにでも飛び出してしまいそうなところだ。
トンネル状の時空転送装置の前で、クラウチングスタートの格好で待機するアキ。転送準備が出来ていないのか、強化ガラス性の自動ドアは、まだ閉まっている。
アキは、相馬丸を口の中で転がし、モニター前に待機するショーコをちらりと見遣る。
「アキさん、あと13秒待って…!」
ショーコは何やら忙しない様子で、モニター前のパネルを両手で高速タッチしながら、視線は外さずに、こちらに声を掛ける。
まるでゲームセンターでよく見かける〝音ゲー〟プレイヤーみたいだなと思いながら、アキは、ショーコに向けて、黙って親指を立ててOKのサインを出す。
「……。………。…………これで、オッケーっと!」
ショーコは、高速タッチの手を止め、パネル上の文字を左から右へ目で追い、最終確認を終えると、パネル横にある自動ドアの開閉ボタンを、キーボードのエンターキーを勢い良く押す感じで、『…ッターン!』と叩いた。アキの前の扉が開き、時空転送装置内の照明が手前から奥へと順に灯っていく。
「さ、アキさん。頼んだわよ…! 人類の未来、あなたに託すわ…! 加速して!」
「はい!」
先程までアキの口の中で転がされていた相馬丸はほとんど溶けていた。アキは、元気よく返事をすると、時空転送装置内へと駆け出した。
加速衝動はなかったが、加速を始めると、アキは自分でも、いつもよりもスピードが出ているのがわかった。過去から未来へ加速した際には、加速衝動のせいで、自分ではよく分からなかったが、今回は『速さ』を実感出来ていた。初速で時速200キロメートル、その後ぐんぐんと加速し、最高速度でマッハ0.8―時速1000キロメートルにも迫る速度で駆け抜けた。
(なにこれ、チョー気持ちいい…!)
アキは、全身が泡立つ感覚を覚えた。爽快感が頭の中を支配し、全身を気持ちの良い風が通り抜ける―というよりは、気持ちの良い風に全身が溶けて一体化する感覚だ。そんな爽快さに酔いしれていると、辺りは黄色い光に包まれ、転送が始まったことがわかった。
ショーコは、アキの様子をモニターで観察しながら、最高速度に合わせて、量子情報の解析ボタンを押し、『解析完了』の表示を確認すると、『転送』を行った。
「過去の私によろしくね…。アキさん…」
モニター上のアキの姿が消えるのを確認したショーコは、ほっとため息をつき、安心しきった表情で、
――その場から消えた。
ショーコが立っていた場所は、空間ごと削り取られ、〝クレーター〟が出来ていた。
目を覚ましたアキは、混乱していた。
(ここ…どこ…?)
加速した先は、元いた時代の量子力学研究所の時空転送装置内だとばかり思っていたが、今いる場所―というより空間―はよくわからないところだった。
まず、とにかく暗い。が、真っ暗というわけではなく、薄暗いという感じだった。
次に、辺りを見回すと、まるでプラネタリウムの中にいるような光景が展開されていた。ただ、プラネタリウムと違うのは、視線の先にあるのが、〝満天の星々〟ではなく、〝歪んだ形をした無数の時計群〟であるということだ。
さらによく目を凝らすと、個々の時計の周りには小さな映像が映し出されていた。映像の詳細は遠くてはっきりと確認出来なかったが、ジャングルであったり、何やら騎馬隊が合戦をしていたり、ビル群が映し出されていたりと、様々な時代の映像であることはわかった。ぐにゃりと歪んだ時計も、その隣に映し出されている映像も、空いっぱいに数え切れないほどあり、星空のようにキラキラと煌めいていた。
(…って、空? 何なの、夢の中…?)
アキは、自らのほっぺを軽くつまんでみた。うん、たしかにつまんだ感覚はある。というか、そもそもきちんと地に足がついてるし、意識もはっきりしている。地面を見ると、床一面黄土色をしており、さらに床には謎の文字がびっしり書かれており、古代文字を記した石版を敷き詰めたみたいになっている。よくわからない空間だけど、ここが現実であることは間違いない。
ふと、顔をあげると、目の前に扉があることに気づく。その扉はどうやって支えられているのかよくわからないが、地面に立っている。扉を開けてみると、向こう側が見渡せたが、今いる空間が先に広がっているだけだ。とりあえず、扉をくぐってみると、辺りが少しだけ明るくなったような気がした。と同時に、右手前方に新たな扉が出現した。ますますわけが分からなくなったが、この謎空間に、ただ突っ立っていても仕方ないと、アキは次の扉をくぐる。またも少しだけ辺りが明るくなり、今度は左前方に新たな扉が出現した。左前方の扉をくぐると、目の前に上り階段が現れた。階段は地面からゆるやかに空中へと伸びていた。これまたどうやって支えているのかわからないが、一段、二段と踏みしめてみて、崩れる心配はなさそうだということを確認して、一歩ずつ上ってみる。階段を上っているが、上に上った感じはしない。一段一段進むにつれて、その一段一段が足元へと消えていく。下りエスカレターを逆走しているような感じだ。階段を上り終え―階段が足元から完全に消え、辺りを見渡すと、今度は後方にぼうっと光る祭壇のような場所が現れた。ゆっくりと近づくと、祭壇の前に誰かが立っている。立っているが、動いていない。ピタリとマネキン人形のように固まっている。その〝人形〟は、全身白のドレススーツで、白銀の髪に白のハットを被っている。全身白のコーディネートのアクセントと言わんばかりに、ハットにまかれているリボンだけは黒で、際立っている。
「キレイ…」
その〝人形〟の透き通るような美しさに目を奪われ、アキは思わず声が漏れる。
すると、アキの声に反応するように、その〝人形〟はアキに優しく微笑みかけた。
「あ…」
アキは、その表情の美しさに目を奪われ、いきなり動き出したことにびっくりする暇もなかった。
「久しぶりのお客様ですわね。はじめまして。わたくし、フロンティアの時空管理人を務めております、クロノスと申します」
〝人形〟だと思っていた女性は、クロノスと名乗り、スカートの両端を両手で軽く持ち上げ、足をクロスさせて丁寧にお辞儀をした。
「あ、えっと。はじめまして…。私は天道アキです…」
クロノスの礼儀正しい挨拶を受けて、アキは、自分の置かれた状況を聞くよりも先に、反射的に自己紹介をしていた。
「天道アキさん。良いお名前ですわね。ここへ来たということは、何か大きな時間の歪みに巻き込まれたということですわね。お気の毒に…」
「あ、巻き込まれたというか、自分で巻き込まれたといいますか…。あの、時空転送装置っていって、私、3年後の未来から過去へ戻ろうとしていて…」
初対面の人間に、何から説明したものか戸惑い、ちぐはぐな説明をするアキ。
「ああ、そういうことですのね。それならば、お仕事の時間ですわね…」
クロノスは得心したといった様子で、両手をアキに向かって伸ばし、手のひらを上に向けた。すると、その両手から、光る水晶のようなものが浮かび上がってきた。
「あなたが、過去へ戻るには、どちらかの記憶を選択せねばなりません。さあ、選びなさい」
そう言うと、クロノスの両手の平の上に浮かぶ水晶に、アキが経験してきた未来の映像が映しだされる。右手の水晶には、『ショーコから相馬プログラムのチップを受け取った』シーン、左手の水晶には、『公園で途方にくれる自分に、アッシュが声をかける』シーンがそれぞれ映し出されていた。
「選択すれば、あなたを過去に戻しましょう。選択しないのであれば、私が、このまま時空の牢獄に幽閉して差し上げましょう」
礼儀正しい仕草は崩さず、丁寧な言葉づかいで何やらおっかないことを言い始めるクロノス。その瞳から先程までの優しさが消え、カッと目を見開いてアキを見つめていた。
(クロノスさん、目、恐っ…! よくわからないけど、これ、完全に〝仕事モード〟の目だ…)
アキは、クロノスの視線に気圧されながらも、
「あの、少し考えさせてもらってもいいですか…?」
と、クロノスに猶予を請う。
クロノスは、いいでしょうと言わんばかりに、少し俯いて長めの瞬きをした。それをOKの合図と見て、アキは考える。
(なんだか、よくわからないけど、このクロノスさんって人、時空管理人っていうくらいだから、あれね、きっと時空警察みたいな。過去に記憶を持ち帰って悪いことをする輩を取り締まる的な。それで、どっちか選べってことね。えっと、右手には『相馬プログラム』、左手には『アッシュ』。
右手の人差し指と親指を顎にあて、左手で右の肘を抱えながら、目を閉じて考え込むアキ。薄目でチラっとクロノスを見ると、
(…ってよく見ると、クロノスさん、すっごいこっち睨んでる気がするんですけど…。さっきから全然瞬きしてないし…。ってよく見ると、目血走ってない…?)
「…決まりましたでしょうか?」
「あ、もうちょっと待ってください」
「…わかりました」
クロノスは依然として目を開いたまま、アキの選択を待つ。
(っていうか、そもそも両方とか選べないのかしら。どっちも捨てがたい…。両方お願いしますとか言ったら怒られるかな…。まあでも、『選択しない』のであれば、時空の牢獄に幽閉とか言ってたし、両方を選択するってのは、『選択しない』とみなされるかも…。そうなるとやばいな…)
考え込むアキ。
(ん…? あれ、クロノスさん、ちょっと涙目になってない? あ、目が乾いてきているのね…! あの水晶を維持するのに目を開き続けるみたいな条件があるのかしら。このまま様子を見てみるのも…)
目が乾いて、涙目になりながらも、カッと更に目を見開き、無言でアキへと選択を迫るクロノス。
(わ! めっちゃ目見開いてる…。やばい。これは怒らせてしまうかも。普段おとなしい人ほど、怒ると恐いのよね。クロノスさんの眼球をいたわってあげて、さっさと選択してあげないと…)
「えっと、決まりました。あの、こっちで…」
アキはクロノスの右手の水晶を指差し、『相馬プログラムのチップを受け取る』方を選択した。
アキが考えている間、無言になっていたクロノスは、
「あなたの選択、しかと承りましたわ…」
と、短く言うと、アキが選択した
パリンという小気味いい音がして『相馬プログラムを受け取る』映像は粉々になって地面へと落ちていく。
「え…! ちょっと…!」
――やられたっ! 詐欺に引っかかったと理解した瞬間の背筋がゾクゾクするような寒気を感じて、アキは、
「ちょっと、待って、話がちが…」
「天道アキ。あなたを過去へと戻しましょう。それでは…」
アキの抗議を遮るようにクロノスは言葉をかぶせて、左手の水晶をアキの胸に押し付けると、水晶はアキの体内にスーッと入り込み、その瞬間、足元からまばゆい光が溢れ、アキは、時空管理人の前から姿を消した。
「相馬プログラム…。そんな大規模な時間干渉、この私が許すわけないじゃない。バーカ…」
クロノスは、先程までの丁寧さはどこへやら、アキがいた空間にあっかんべーをすると、ドレスのポケットから目薬を取り出して、乾いた両目を潤した。
「キターーーーッ! この乾いた目が潤う瞬間が気持ちいいのよね」
そう言い残し、祭壇の後ろにある扉へと消えていった。
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