⑨ 相馬プログラム
「それで、ショーコさん、このAIに支配された
と、アキが切り出そうとすると、
…くぅ。
小動物の鳴き声のような控えめな音がアキのお腹から鳴る。
「あ…」
思えば、未来に来てから何も口にしてない。
「あら、お腹空いてるのね。何か食べながらお話しましょうか」
ショーコはそう言うと、テーブルに備え付けられているメニュー表を開き、アキに差し出す。
アキは何か甘いものを食べたい気分ではあったが、つい今しがたスティックシュガー5本入りの甘い甘いミルクティーを飲んだこともあり、これ以上糖分を摂取すると、加速衝動に駆られそうだと判断し、サンドイッチを注文した。それに合わせてショーコは追加でお冷を2つ注文した。
テーブルに置かれたサンドイッチは、厚切りのトーストに、ベーコン、レタス、トマト入りのいわゆるBLTサンドで、中々のボリュームだ。アキは、そっと両手を合わせて、「頂きます」と控えめに言うと、その小さな口を大きく開けて、口いっぱいに頬張る。ショーコは、お冷に浮かぶ氷を指先で転しながら、アキがサンドイッチを頬張る様子を、母親が子供を見守るような優しい眼差しでニコニコと見つめていた。
「ほへで、ひょーこはん、はくってひふのは(それで、ショーコさん、策って言うのは)…」
サンドイッチをもぐもぐしながら、アキが切り出す。
「こらこら、アキさん。もぐもぐしながら話すなんてはしたないわよ」
そう言うと、ショーコはアキの口元についているケチャップを指先で拭って、ペロリと舐める。
「あ…」
アキは、ショーコの艶めかしい仕草に、ちょっとドキっとして、頬を染めた。口の中のサンドイッチをよく噛んで、コクっと飲み込み、
「ごめんなさい。結構お腹空いてたみたいで、つい…」
えへへと照れ笑いしながら、お冷を一口飲む。
「そんなにお腹空いているなら、先に食べちゃいなさいな。その間に計画を説明するための準備をするわ」
ショーコは、白衣のポケットからメモ帳とペンを取り出し、長い矢印ようなものを書き始めた。アキは、残りのサンドイッチをモグモグしながら、ショーコの書く図を眺めていた。
サンドイッチを食べ終えると、メモ帳には、始点と終点そして真ん中に日付が書かれた長い矢印が描かれていた。ショーコは始点に書かれた『2017/5/5』に丸をつけて、
「ここが、アキさんが未来へ転送された日付ね…」
と、説明を始めた。
ショーコの説明によれば、完全自立思考型AI―通称『ニューロ』が誕生した2019年12月31日を、『技術的特異点』あるいは単に『特異点』と呼び、『特異点』の前後で起きた『人類の3つの過ち』を過去に戻って防いでもらうために、アキを未来へ送ったということだった。
「へ? ということは、私がいた時代のショーコさんは、未来がこうなることを知っていたんですか…?」
「いいえ。知らなかったわ。ただ…、一つの可能性として予想はしていたわ。まあ、まさかこんなにひどいことになるとは思っていなかったけれどね…。人類が、自ら生み出した技術に蹂躙されるなんて…ね。科学は…、科学技術は、生み出した人間がきちんと責任を持って管理する必要があるわ。生み出した
ショーコは珍しく苦い表情をしていた。
「…話を戻しましょう」
自らの感情をリセットするようにショーコは言い放ち、メモ帳に書き込みながら説明を再開する。
「『人類の3つの過ち』すなわち、
1.『相馬ショーコによる技術供与』
2.『マクマードプログラムの欠陥』
3.『日比谷アッシュによる扇動』
この3つのうち、1と2に関しては『特異点』の前で起きた出来事、3に関しては『特異点』の後に起きた出来事ね。過去に戻ってもらってまずやってもらいたいのは、1と2への『介入』よ」
「『介入』? 『阻止』ではないんですか…?」
「ええ。2017年5月5日、アキさんを未来へ転送した日の時点で、私は、すでにマクマード博士に量子コンピュータ技術の大部分を提供してしまっているわ。だから、阻止するのは不可能。そこで…」
そう言って、ショーコは白衣のポケットからケースに入った小型チップを取り出す。
「これは…?」
「『相馬プログラム』よ! これを、過去の私に渡して欲しいの」
「『マクマードプログラム』の修正版ってわけですね!」
「そう。そもそも、マクマード博士の発想は、人工知能の―人間の心理をわかっていないわ。『人類に敵意を持ったら強制終了する』なんて〝脅されたら〟、誰だってそれを避けようとするものよ」
「『相馬プログラム』っていうのは、どういう内容なんですか?」
「『人類の管理下にある時に強い幸福感を感じる』というプログラムよ。そもそも、完全自立型のAIを生み出した時点で、それはもはや人間を作るのと同義。『ニューロ』は単なる技術ではなく、人間なのよ。だから、『制御』ではなく、『モチベート』してあげる必要があるわけ。この辺りは、研究者としてというよりは、その研究者の教育哲学が現れる部分ね。マクマード博士の助手は苦労してると思うわ」
アキは、話を聞いて感心する反面、ショーコの助手の高遠も相当に苦労しているだろうけど、と思いながら、苦笑いを浮かべた。
「とにかく、この『相馬プログラム』を、過去の私に渡すというのが、アキさんの第1のミッションよ」
「わかりました!」
アキは、『相馬プログラム』のチップを受け取った。
「そして、次のミッションは…」
「アッシュですね…」
「そう。日比谷アッシュ。過去の彼と何とかしてコンタクトを取って欲しいの。『相馬プログラム』が機能すれば、今のように人類がAIに支配される世界なんてものは訪れないでしょうけど、念には念をってやつね。ただし、彼を決して信用しないこと。なんてったって、〝800万人をこの世から消した〟人間なのだから…」
「そう…ですね。アッシュとはもう一度きちんと話をしてみたいと思っていましたし…」
未来で途方に暮れる自分を救ってくれた恩人であるアッシュが、
「アキさん。ダメよ。そうやって考え込ませるのも、彼の手口かもしれないわ。何かあれば、すぐに私に相談しなさい。未来でも過去でも、いつの私もアキさんの味方よ」
そう言って、ショーコはテーブルの上に置かれたアキの手を両手で包みこむようにして握った。
「ところで、ショーコさん。私、どうやって過去に戻ればいいんですか?」
「ああ、それなんだけど、私のかつての研究所―アクセルにある量子力学研究所の『時空転送装置』を使って戻ってもらうわ。
「えっと、でも大丈夫なんですか? アクセルにはAIがうろついてますし、研究所には、ショーコさんの〝偽物〟だっていますけど…」
「ああ、それなら大丈夫よ。マクマードプログラムの効果で、AIにとって人間はあくまで中立。直接攻撃してくることはないし、話しかけられても適当に返事をして話をあわせておけば問題はないわ」
「あ、そっか。そしたら、ここまで来るのにビクビクしなくても良かったんですね…私」
「ああ、でも、〝説得〟してくることもあるから、それには耳を貸さないように注意ね。詳しくは向かいながら話すとしましょう」
アッシュが残していった代金と、追加で注文したBLTサンドの代金の合計を支払い、ショーコとアキは喫茶店を後にした。
ノア内部の案内などもなく、善は急げと言わんばかりに足早に歩くショーコに連れられて、アキは来た道をすぐに引き返し、アクセルへの量子テレポ装置へと向かった。
ノアからテレポしてきたアキが目にしたものは、見覚えのあるモニタールームであった。
「あれ、ここは?」
「あら、ごめんなさい。説明し忘れてたわね。本来量子テレポは、転送カプセルがある場所ならどこへでもテレポ可能なの。ただ、AIの侵入を防ぐために、ノア
「って、ことは、ここは量子力学研究所…?」
「そうね。そして、幸いなことに今、〝偽物さん達〟は留守みたいね。さっさと過去へ戻りましょうか。はい、これ」
そう言うと、ショーコはまたも白衣のポケットから小さなビンを取り出した。アキは、ショーコのポケットから色々なものが出てくる様子を見て、まるで某ネコ型ロボットの『4次元ポケット』みたいだなんて思いながら、小ビンを受け取る。
「なんですか、これ?」
「アキさんのための『魔法の薬』よ。経口摂取でも、静脈摂取と同等、いえ、それ以上の糖分を体内に取り込むことができるわ。さらに、初期加速衝動も抑えてくれる万能薬ね。私としては、アキさんのお尻に座薬を挿入してあげたかったのだけれど…」
ふざけて妖艶な眼差しを送るショーコに対して、アキは身体をすくめて、両手をお尻にあてた。
「…もう、ショーコさん、ふざけるのはやめてくださいよ!」
「さて、とりあえずその小ビンには、『魔法の薬』―開発者であるこの天才の名前を冠して『
たしかに小ビンの中には、親指ほどの大きさの丸いドロップのような薬が3粒入っていた。
「さ、名残惜しいけれど、偽物さん達が戻る前にさっさと転送しちゃいましょう。アキさん、相馬丸を一粒食べて、転送装置へ!」
「はい!」
アキは相馬丸を口に入れ、時空転送装置の入口でクラウチングスタートの体制を取った。
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