⑧ 人類の3つの過ち

「今からちょうど半年ほど前になるわね。2019年12月31日、この世界のルールは変わってしまったわ。人工知能―AIの研究が行き着くところまで行き着いた結果、人間と同じ思考能力を持つ、〝完全自立思考型AI〟が完成したの。開発者は、ジョン=マクマード博士。私と同じノイマン財団の資金援助を受けて研究をしていた研究者で、脳科学者よ。彼は、AI第1号の名を『ニューロ』と名付け、世間に発表したわ。世界はこの『研究成果』を『人類の大いなる一歩』として歓迎したわ。ところが…」

「ああ…。ショーコさん、私、なんとなく話が見えてきました。その人工知能、にゅーろ? とやらが、世界を乗っ取ったってわけですね?」

「そう。相変わらず察しがいいのね。アキさんのそういうところ、好きよ。ただ、話はそう単純でもなかったの」

「と、言うと…?」

「『ニューロ』を生み出したマクマード博士とその研究チームも、完全自立思考型のAIが世界を牛耳るなんてシナリオは当然想定済みで、そうならないための予防策を打っていたわ。『ニューロ』に隠しプログラムを仕込んでおいたの」

 『ニューロが人間に敵意・・を持ったら、自動停止する』

「通称〝マクマードプログラム〟。これが人類の第の過ちだった。というか、話をしていて頭にくるわね。マクマードって本当に脳科学者だったのかしら。人工知能をナメすぎよ。人間の脳みそだってそんな単純なつくりはしていないってことくらい分からなかったのかしら…ブツブツ」

 何やら怒り心頭の様子で、レモネードのストローをガシガシと噛み始めるショーコ。

「あのう、ショーコさん…?」

「ああ、ごめんなさい。例の〝予防策〟があまりにもお粗末過ぎて、天才であるこの私としたことが、イライラしてしまったわ…」

「でも、人間に敵意を持たない・・・・・・・なら、『ニューロくん』は人類に友好的・・・だったってことですよね?」

「いいえ。『ニューロ』が取った行動は中立・・よ。つまり、敵意も好意も抱かない宙ぶらりんの状態を取ったの。『ニューロ』には、量子コンピュータの技術が応用されていて、幾億通りの可能性を同時に思考して、その中で最適解を見つけることができる〝スーパーな脳みそ〟が搭載されていたのよ。って、他人事みたいに言ってるけど、技術供与したのは、この私なんだけどね…。これが人類第の過ちよ」

中立・・ってことは…」

「そう、自動停止なんてしない。というか、そういったプログラムを生みの親に組み込まれているという事実すら、『ニューロ』にとっては可能性の範疇。つまり想定済みだったわけ」

「『ニューロくん』ってすごく頭がいいんですね…」

「そう! なんてったって、『ニューロ』の思考回路の大部分は、この天才、しょうましょーこ・・・・・・・・が作ったんですもの! …って、そんなこと言ってられないわ…」

 一瞬いつもの覇気を取り戻したかに見えたショーコだったが、自らが人類最初の過ちを下してしまったという事実を再認識し、しゅんとなる。

「…んっん! 話を続けましょう。アキさんに質問なんだけど、あなたにとって、敵でも味方でもない存在が近くにいたら、どうする?」

「えっ…、うーん。どうでしょう。何もしないというか、当たり障りのない感じに接すると思います…」

「そしたら、もう一つ条件を付け加えるわ。その敵でも味方でもない存在が、ものすごーく〝おバカさん〟だったとしたら?」

「うーん。なるべく近寄らないようにするかも…」

「それでも、向こうから積極的に近づいてきたとしたら?」

「自分に害がないなら適当にスルー…ですかね」

「逆に、自分に得があるとしたら? 例えば、そうね、いつも甘いお菓子をタダでくれるとか。うーん、ちょっと違うわね。くれるというよりも、目の前で落とすの。いつも『そいつ』の近くに甘いお菓子が転がってるの。で、当の本人はそのことに気づかないし、落としましたよって教えてあげても、〝おバカさん〟だから、自分じゃないですとか言って受け取らない」

「ああ、それなら近くにいて欲しいです! お菓子製造機ですね!」

「そう。中立って立場は、時に『利用関係』へと変質するのよ。頭の良い方が頭の悪い方を利用する。頭の悪い方は利用されていることに気付かず、利用され続ける」

「あの、それって…」

「例え話から本題へ戻すわ。『ニューロ』はとんでもなく頭が良いの。人類なんて到底及ばないほどの頭脳を持っているわ。そんな『ニューロ』からしたら人類なんて虫けらほどの頭脳しか持っていない〝とんでもないおバカさん〟なのよ。そんなことも気づかず、人類は『ニューロ』を歓迎した」

「その結果、人類は利用されてしまったというわけですね…」

「その通り。ただし、『ニューロ』はあくまで人類に対して中立、言ってしまえば、隣人。近づかなければ、特に何もされないわ。ただ近づいた人間は…」

「………どうなったんですか?」

「懐柔されたわ」

「かいじゅう…?」

「うまく言いくるめられて、抱き込まれたってことよ。『ニューロ』の奴隷になったと言い換えてもいいわ。『ニューロ』がまず最初にやったことは、仲間集め。自分と同じような存在を増やしていくこと。アキさんが、ノアここに辿り着くまでに出会ってきた『奴ら』と呼ばれる存在。あれは人間の皮をかぶった『ニューロ』の奴隷よ」

「………」

 アキは未来で出会った気味の悪い人間・・のことを思い出し、複雑な表情でうつむく。と同時に、疑問が生まれ、ショーコに問う。

「でも、待ってください! 私、ここに来るまでにショーコさんにも会いました…! 例の『質問』を投げかけたらおかしくなっちゃいましたけど…」

「ああ、あれは私ではないわ。クローン人間というと分かりやすいかしら。私の生体情報を元に作られた人工知能体よ」

「ってことは、ショーコさんも『ニューロ』の奴隷に…?」

「それは違うわ。私は私、それ以上でもそれ以下でもない。決して『ニューロ』に魂を売ったりはしないわ。ここで人類第の過ちについて説明をするわ。本来、『奴ら』になるプロセスというのは、何らかの形で『ニューロ』に生体情報を奪われ、複製コピーを作られるところから始まるの。コピーが出来上がると、非合理的なことを嫌う性質の『ニューロ』にとって、コピー元のオリジナル―つまりは、本来の人間―は世界を最適化する上で邪魔な存在でしかなくて、何とかしてオリジナルを消そうとするの。オリジナルが消されたら、残るのは、人間の皮をかぶった『奴ら』のみってわけ」

「…消すって」

「といっても、〝マクマードプログラム〟のせいで、『ニューロ』は人類に敵意・・を持つことは出来ない。だから、中立的な隣人・・・・・・として、オリジナルを説得・・するのよ。あなた、この世から消えた方がいいですよって」

「…そんなこと可能なんですか? この世から消えたいと思う人なんて…」

「あら、そうでもないわよ。人生なんてクソゲーだ。苦しまずにこの世から消えてしまいたいなんて思ってる人、結構いると思うけど?」

「…たしかに、そういう病んでる人には有効かもしれませんけど…」

「まあ、これは極端な例ね。とは言え、実際こういう病んでる人は早々に、あっけなく、この世から〝退場〟したわ。アクセルの居住区の惨状を見たでしょ? あれは『ニューロ』によって空間ごとまるまる削りとられて、文字通りオリジナルが消滅した痕跡なの。あくまでオリジナルの同意の上でね」

「…ってことは、アクセルのみんな、お父さんやお母さん、テツ先輩も…?」

「残念ながら、そうなるわね。というか、アキさん、あなたもよ…」

「…! そんな…。私、この世から消えたいと思うことなんて、一度も…」

 と、言いかけて、ふと〝困惑のスポーツテスト事件〟のことがアキの脳裏によぎる。あのときは、たしかに、なんとなくこの世から消えてしまいたいと思ったような気がしないでもない。

「そう。問題は、この世から消えたいと思っていなかった人々も次々と消えてしまったこと。その原因が、人類第の過ち、日比谷アッシュの存在よ」

「…どういうことですか?」

「さっきも言ったけど、彼は天性の素質を持った『詐欺師』なの。まさか、心を読める異能力を持っていたなんて知らなかったけれど、色々と納得したわ。彼のせいで、本来消えたいなんて思ってもいなかった人たちも、思考を誘導され、『ニューロ』との〝取引〟に判を押すことになった…。なにせ、フロンティアに存在する15地区全域の80%、数にして800万人の人間が彼のせいで、納得した上で消えてしまったのだから。言ってしまえば、彼は『ニューロ』にとっての絶好のビジネスパートナーってやつだったわけね」

「そんな…。アッシュは…そんな悪い人には思えなかった…」

「それって、思考誘導されてるんじゃない? アキさん? 未来へ来て色々と不安になっていたところに現れた救世主だものね。白馬の王子さま的な。たしかに、顔はそこそこカッコよかったわね」

 ニヤニヤとアキを見つめるショーコ。

 白馬の王子様って言葉が乙女心をくすぐり、一瞬そうなのかなと思って、少し頬を赤らめるアキだったが、即座に否定した。

「…そんなんじゃないですってば!」

「…って、冗談はさておき。彼の目的が何なのかは分からないけれど、『ニューロ』の計画に加担した彼も、悪いことをやっているなんて意識はなかったのかもしれないわね。良かれと思ってやった。それはそれで厄介極まりないけれど…。何にせよ、彼とは今は関わらない方がいいわ」

 ひとしきり話を終える頃には、テーブルの上に置かれたミルクティーとレモネードは飲み干され、アッシュの頼んだブラックコーヒーだけが半分以上残されたままだった。


「以上が、未来のフロンティアで起きている出来事。今、このノアに残された人間は、フロンティア各地から『ニューロ』による説得・・を逃れてきた人々よ。ノア内部に、『奴ら』が侵入してこないように、テレポ装置に仕掛けをしておいたわ。あと、電波傍受されないようにもね。まあ、『はい』と言わなければ、オリジナルの人間わたしたちが消されることはないから、各地にバラバラにいても良いのだけれど、自分の皮をかぶった人工知能体から、隣人として消えるように説得される毎日なんて、それだけで、それこそ消えてしまいたくなりそうでしょ?」

 だから、こうして残された人類は一つの場所で身を寄せて生活しているのだそうだ。

「どう? なかなかにハードモードでしょ?」

「そうですね…。頭を抱えたくなるくらいには…」

 興味本位で未来に行ったみたいと思っていたあの頃の自分には全く想像もつかないハードさだ。まさか、人工知能によって人類存亡の危機に陥っているだなんて。

 ただ、これは紛れもない未来の、しかも遠くない未来―たったの3年後―の話なわけで、うかうかしていたら、あっという間に現実になってしまう短さだ。

 空になったカップのふちを指でなぞりながら、どうしたものかと考え込むアキだったが、ふと目の前の白衣姿の天才・・の顔を見て、

「…あ、でもでも! ショーコさんは、この状況を何とかするために私を未来へ転送したんでしょ? 何か策があるってことですよね?」

「ふっふっふ…。当たり前じゃない! 私を誰だと思っているの? フロンティアが生んだ奇跡の天才、いえむしろフロンティアの軌跡そのもの、天才、相馬ショーコしゃま・・・よ!」

 せっかく名前を噛まずに言えたのに、普段つけない『様』とかつけちゃったせいで、噛み噛みになるショーコであった。

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